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●ぽんぽこ5-11 邪眼

 窮奇きゅうきの翼をたたんで神聖スキルを解いたトラは、ライオンよりも一回り大きなその体をヌーへと向ける。コナラのこずえを突き抜けて、ヌーとトラの視線がぶつかった。ブラックバックはトラの影に隠れて、押すか、引くか、どうやって自分の立場を取り戻そうか思案していたが、ヌーとにらめっこした状態で、岩のように固まったままのトラに首をかしげた。

 ボスは一体どうしたのだろう、ヌーと、その背中に乗ってる小賢しい獣をさっさと始末してくれないものか、とブラックバックが考えながらトラの顔をのぞき込むと、そのヒゲの一本、長い尻尾のしなり、小さな丸い耳の先っぽにいたるまで、全てがこおり付いたように静止していることに気がついた。

 荘厳そうごん彫刻ちょうこくと見まごうほどにトラはピクリとも動かない。野性味のある縞模様も今は活力を失って、肌に張り付いた精緻せいちな抽象画と化している。

「あの? ボス?」

「ブラックバック!」トラは一切身動きしないまま、スピーカーでえた。

「えっ!? はい!?」

「奴を殺せ! 今すぐに!」

 轟音ごうおんのような怒鳴り声に、思わず跳び上がったブラックバックは走り出した。ヌーとまともにやり合って、勝てるとは到底思えない。しかしボスの命令だ。前門ぜんもんのトラ、後門こうもんのヌー。しかもトラは尾を踏まれたように怒り狂っている。これならヌーの方がまだマシというものだ。

 トラの声が雷鳴らいめいごとく、ぴしゃり、ぴしゃり、と追いかけてくる。

「奴の目を見るな! そいつはカトブレパスだ!」

 カトブレパスってなんだ、と疑問に思いながら、ブラックバックはトラの命令を忠実ちゅうじつに守って、ヌーの後方へと回り込むようにコナラの森を駆け抜ける。ヌーの目を見ないで済む位置に辿たどり着いて、敵を視界にとらえると、ヌーはひどく奇妙な恰好をしていた。えらくうつむいている。うつむきすぎて、あごが地面についている。しかし、足はしっかり伸びていて、せているわけではない。すっくと立ちあがったまま、首がゴムのように引き伸ばされて、ひょろひょろのホースのようになり、その先にある頭がだらんと地面の上に落ちているのだ。その頭は先程見た時よりも、いささかふくらんでいるような気がした。首が折れたのかとも思ったが、そうではない。そんな状態なら即死していてもおかしくないが、生きている。変な体形になったヌーが、変な体勢ままじっと動かず、自身の瞳をまっすぐにトラの瞳へ向けている。

 にわかにブラックバックが速度を上げた。ヌーが振り返る気配はない。重そうな頭のせいでうまく動けないようだ。なんだか分からんが、これは好機チャンス。これなら俺でも倒せる。そうすりゃ失敗ミス帳消ちょうけしになって、ボスの機嫌も良くなるってわけだ。

 あごをぐっと引いて、首を下げると、ブラックバックの頭の、螺旋らせんえがきながら真っすぐに伸びる二本の角が前方へと突き出される。思いっきりぶつかって、角を突き刺してやれば、大柄なヌーと言えどもイチコロ。

 草むらから小さな獣が飛び出してきて、足にみついた。オポッサム。そういえばこんな奴もいたな、とブラックバックは思ったが、全速力で足を踏み出すと、非力な獣は自然とがれて後方へと転がっていった。やっつけただろうか。小さくとも一匹は一匹、ボスの目の前で手柄が増えた。これはラッキー。

 意気揚々と木陰を超えてブラックバックが高らかにひづめを打ち鳴らす。角の切っ先が期待で震える。ちゅうおどる落ち葉を穿うがち、かすめた幹が引き裂かれる。

 いっちょ上がり、とブラックバックが心のなかで思った時、草むらからオポッサムとは別の、巨大な何かが襲い掛かって来た。

「くええぇっ!!」

「なんだあっ!?」

 大きな二本指の足。風を切りながら、低く垂れた枝をへし折り、猛然もうぜんとブラックバックに迫る。ブラックバックは角の構えを解き、急ブレーキで体をのけぞらせた。

「ぐおっ!?」

 と、うめき声を上げながらブラックバックは吹っ飛んだ。片方の角が折れて、回転しながら飛んでいくと、コナラの幹に突き刺さる。倒れたブラックバックの黒色の毛衣に、同じく黒色の羽根がひらひらと落ちた。見上げると、天高くに昇った太陽を背負った巨大な鳥がそこにいた。ダチョウが威嚇いかくするように翼を大きく広げ、大蛇を思わせる首をもたげ、甲高い鳴き声を上げながら、倒れ伏すブラックバックを見下ろしている。

 間髪かんぱつ入れずダチョウは追撃の蹴りをくり出した。鳥類最大級の体を支え、かつ高速で走ることを可能にしているダチョウの足の力は非常に強力。その蹴りの威力は、クマのパンチに匹敵する。ブラックバックはばねのように起き上がったが、ダチョウの蹴りが頭をかすめ、もう一本、残っていた角が折れて、先に折られた角と同じく、コナラの幹に突き刺さった。

「あ、あ、あ……」

 わなないて、後ずさり、どうしようもない不利をさとったブラックバックは、

「……あばよっ!」

 と、明後日の方向へと走り出した。

「おいっ!」

 トラが呼び止めるが、聞こうともしない。ブラックバックは、俺のせいじゃない、と心のなかでとなえ続けた。これは失敗ミスじゃなく相手の妨害による不可避な一時的撤退。角がなければ戦えない。後ろからはダチョウが凄まじい勢いで追いかけてくる。足を止めたら命はない。仮初かりそめの命とは言え、大事にしたいもの。前線で戦う肉食獣たちと違って、自分は死にれていない。体力(HP)が尽きた時に訪れる仮想世界ピュシスの死は一時的なものとは言え、やっぱり死ぬのは気分が悪い。五感がにぶくなって、なまりのなかに閉じ込められるようなあの感覚は味わいたくない。まれに死にたがりもいるが、そんな奴の気持ちなんて、これっぽっちも理解できない。

 命は大事にしなくっちゃあ。特に自分の命は。自然に生きるものにとって何より大事なのが命のはず。ボスも良く言っている。自然、自然、って。口を酸っぱくして。だからきっと分かってくれるはず。俺が命を大事にしているのは、ボスの自然偏愛主義を立派に支持しているだけだってことを。そう。きっと分かってくれる。俺の命が大事だってことを。


「あいつ……!」

 トラはどうやっても動かない肉体アバターをもどかしく思いながら、目の前のカトブレパスを見続けることしかできない。ブラックバックのひづめの音は、ダチョウがコナラの幹にぶつかりながら追いかけていく音と共にすっかり遠ざかってしまった。

 カトブレパスは邪眼を持つ伝説上の動物。牛のような姿で、動きはにぶく、非常に重たい頭を持つ。その瞳を見た者は即死するとも、石化するとも言われる。このピュシスにおいては、目を合わせているプレイヤーの動きを石化したように止める能力らしかった。しかしその代償だいしょうとして、カトブレパスのような姿になり、頭部の重量によってほとんど身動きが取れなくなるようだった。

 あの愚か者(ブラックバック)を有効活用するには盾として使うべきだった、と口惜しい気持ちがトラの腹の底から湧き上がる。視界の真ん中にカトブレパス、左右にはコナラの幹、上にはこずえ、下には落ち葉。額縁がくぶちにはめられた牧歌的な印象派の絵画のようでもある。そんな絵画のなかに、ぬうっ、と異物がまぎれ込んだ。カトブレパスの背後の草むらから、二本の角が現れる。

「トラ。助けてあげようか」

 明るい褐色の毛衣もういを横切る黒い帯模様があざやかに木漏こもれ日に照らし出される。

「トムソンガゼル。口の利き方には気を付けろ」

「そんな恰好でよく威張いばっていられるね」

 ふたりが交わす言葉を耳にしながらも、ヌーは動くことができない。カトブレパスの神聖スキルを解けば頭の重みも解消されるが、そうするとトラの拘束も解けて、またたく間に狩られてしまう。

「僕がちょっとお尻を突き出して、カトブレパス(こいつ)の瞳をおおってあげようか」

「やっぱりお前!」

 ヌーがうなる。

「そう怖い声を出さないでよ。邪魔しないで、大人しくしてな」トムソンガゼルがなだめるように言うと、ヌーは憤慨ふんがいしながらもスピーカーを閉ざした。二頭の会話を聞き届けるのは決して無駄ではないと、頭の片隅で冷静な心が働いたのだ。

「ねえ。トラ。僕のことバレちゃってるみたいでさ。もうこの群れクランにいるのも潮時しおどきかなって思うわけなんだよね」

「回りくど言い方はよせ」

「じゃあ単刀直入に。そっちの群れクランに戻りたいんだけれど、待遇を良くして欲しいなあ、なーんて」

「……副長サブリーダーにしろということか? それともリーダーにしろとでも?」

副長サブリーダーで十分ですよ。ねえ。僕は今まで随分ずいぶん頑張ったと思いませんか。こんな甘ったるい監獄みたいな場所で、耐えて、耐えて、吐き気をこらえながら、多くの情報をあなたにもたらしました。それに、僕が詳しいのはこちらのことだけじゃないんですよ。耳も目も鼻もいいんでね。トラ(あなた)群れクランのことだって子細しさいらさず知っています。噂になったら困るようなことも、もしかしたら知ってるかもしれませんね」

「俺をおどすつもりか?」

「ただの取引ですよ。公平な、ね。僕には夢があるんです。ピュシス、自然というところでは、草食動物の上に肉食動物が立つという絶対不変のことわりがあります。有力な群れクランリーダーのほとんどが肉食動物です。現実世界ノモスの鏡写しのようで反吐へどがでませんか? あなたには分からないかな? 僕はこんな現状をね。ひっくり返したいんですよ。勘違いしないでください。あなたをリーダーの地位から引きずり降ろそうというわけではないんです。ですから、その点はご安心を。少しばかり目立つ場所に立たせてもらって、僕の声がちょっとばかり遠くまで届くようにしてもらいたいだけなんですよ。ピュシスは変わりはじめた。神聖スキルの存在は、僕が望む世界にピュシス自体が変わろうとしている先触さきぶれです。現にこうして、草食動物のオジロヌーに、肉食動物の中でも頂点に立つあなたがまんまとつかまっているわけですからね」

 滔々とうとうと語られる言葉を聞きながら、トラは石のように固まったまま考える。トムソンガゼルは言葉にこそしなかったが、ある方向へとじっと視線を向けて、挑発するようにトラと見比べている。

 トムソンガゼルはこの戦の重要性を分かっていて、有利な条件を引き出そうとしている。その視線の先にある場所。ライオンの群れクラン偶々たまたま保有していたというだけの土地。トムソンガゼルがどこまでの情報を持っているかは分からないが、少なくとも外縁に位置するその場所を自分がほっしていることは知っているらしい。

 狡猾こうかつな奴。ずる賢い奴だ。しかしその主張は甘っちょろい。ライオンの群れ(ぬるま湯)熟成じゅくせいされた考えだ。結局こいつもライオンに染められた一頭。あまりに人間らしい、人間の主張。この自然ピュシスに人間はいない。俺たちはピュシスにおいて獣のアバターかぶった人間ではない。獣そのものだ。こいつにはにそれを教える必要がある。そのために副長サブリーダーの座をやってもいい。そうすれば思い知るだろう。自然の厳しさというものを。こういったゆがんだ考えをみ取ればピュシスはより自然ピュシスらしくなるに違いない。

「……副長イリエワニの席をお前にやろう」

 その返答に満足したようにトムソンガゼルはにんまりと笑って、

「ありがとうございます」

 と、こうべを垂れた。

肉食の王(ライオン)びへつらうくだらない群れクランのくだらない仲間たちともこれでお別れですね」

 言いながらヌーの目をふさぐべく、前へ進み出ようとした時、背後で、ぽん、と小さな破裂音が聞こえた気がした。風が気まぐれに立てた音か、それともドングリが落ちた拍子にぜたのかと、ちらとそちらへ視線を向ける。

「おい。トムソンガゼル」

「……何故、いるんだ」

 トムソンガゼルが息を呑む。黄金の獣。濃縮のうしゅくされた褐色に染まるたてがみ。圧倒的な存在感。百獣の王。王者、ライオンが、勇ましいたてがみをなびかせながら、そこには立っていた。

「俺様の群れクランで好き勝手してくれるじゃないか」

 明らかな怒気のこもった威圧的な声。

「それは……」

 言葉が続かない。トムソンガゼルは今現在まごうことなくライオンの群れクランの一員。同士討ちは不可能なため、間違ってもヌーに攻撃されたりすることはないと高をくくって大胆な行動を取ってはいたがライオン相手では話が変わってくる。群れ長クランリーダー群れ員クランメンバーを強制脱退させるための攻撃権を持っている。この場で即時、トムソンガゼルを断罪することができるのだ。

「王!」

 と、ヌーが喜びの声を上げた。それに「ああ。よくやってくれているな」と重々しくこたえ、ライオンはトムソンガゼルへ視線を向ける。

「長々と語っていたが、そこにボケッと立ってるトラはそんなに信用できるもんなのか?」

「……僕は信用とか信頼といった言葉が嫌いなんですよ。利害関係。それがなによりも強い結びつきになるんです。あなたには分からないでしょうがね」

 トムソンガゼルは考える。ヌーとオポッサムの態度からして、この戦がはじまる前から疑われていたとしてもおかしくない。なら自分に対して重要な情報が伏せられていたということも十分に考えられる。逆ににせの情報をにぎらせるということも、ブチハイエナならやりかねない。例えば、今日の戦でライオンは不在だ、といううそを教えるというような。

 近づいてくるライオンに気圧けおされて、後ずさる。そんなトムソンガゼルに向かって、ライオンが猛々たけだけしい咆哮ほうこうを上げた。その咆哮ほうこうは空気と共にコナラの樹々を揺らし、その拍子に木の葉が驚いたように枝から離れ、ドングリは豪雨のように降りしきり、声は天にまで届いて雲をつらぬいた。

「……トラ。すみませんね」とトムソンガゼルがぴょんと跳ねた。

「行け。マレーバクに状況を伝えろ」

「ええ。分かりました」

 走り去っていくトムソンガゼルを見送って、ヌーの隣に立ったライオンが改めてトラと向かい合う。

「さて。どうしたものかな」

 ひとりごちるライオンにトラが呼びかける。

「ライオン」

「なんだ?」

「お前。本物のライオンか?」

 この疑問はトラがキツネのことを知っているからこそ出たものであった。

「どういう意味だ? 俺様以外にライオンがいるか?」

 堂々と、おごそかに、ライオンのたてがみが風をはらんでふくらむ。銃口のように恐るべき眼光がんこうむちのようにしなやかな尻尾の動き。杭のように太く鋭い牙。この威厳いげんは本物。

 最近のキツネは少々反抗的な態度を見せていた。なので自分への嫌がらせのためにけて出たのかと思ったが違うようだと、トラは考える。今日、確かにキツネはピュシスにログインしていない。つまるところトムソンガゼルがにせの情報をつかまされたということ。ライオンの性格では小細工は仕掛けてこないだろうと思っていたが、それが誤算だった。ブチハイエナが入れ知恵したのだろう。なんにせよ、してやられたらしい。

「王」とひそやかにヌーのスピーカーが震えたので、ライオンが耳を寄せる。「私の神聖スキルは相手の動きをふうじる代わりに、対象者を岩のように硬くしてしまうんです。解かないとトラを倒せないでしょう。どうします。解きますか?」

 ヌーの言葉にライオンはかすかに首を振った。

「いや。ここに釘付けにしておこう。奴が翼を生やして空を飛ぶところを、俺様は見た。まともにやり合うつもりならばいいが、逃げられる可能性もある。ヌー。お前には負担になるがいいか」

「もちろんです。お任せください」

「助かる」

 立ち去ろうとするライオンに、トラのスピーカーが激しく振動する。

「どこに行く気だっ! 俺と戦えっ!」

「俺様はお前の相手ばかりもしてられん」

 屈辱くつじょくを心中で破裂はれつさせたトラのスピーカーがえた。

「待てっ!」

 その声はコナラの森の隅々までを震わせたが、ライオンは振り返りもせずに、尻尾の先のふさを、ぶん、ぶん、と力強く振りながら歩み去っていった。

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