●ぽんぽこ14-20 邪眼と悪魔
「いい加減にしろ!」
チミセットが荒げた声でスピーカーを震わせる。カトブレパスに見つめられている限り、耳のひとつから、尻尾の毛の一本すら動かすことができない。
「いつまで睨めっこするつもりだ! 戦え!」
苛立ちを募らせて、がなりたてるクマの悪魔の黒々とした体の向こうに、カトブレパスはイヌの姿を発見した。
オオカミに似た顔立ちをした、黒と白の毛衣のシベリアンハスキー。撃ちだされた弾丸のように植物を蹴散らしながら、太い幹のあいだをぬって、素早く斜面を駆けあがってくる。
相手の動きを止める邪眼は、対象となるプレイヤーと、自分の視線がかち合っていなければ効果が発揮されない。使いどころは一対一、もしくはこちらの頭数が敵よりも多いとき。逆に数で負けている場合は、ひとりの動きを止めても、別の敵に攻撃されてしまうのでスキルの意味がなくなってしまう。
どう対応するか、うるさく騒いでいるチミセットの声を聞き流しながら考える。ハスキーは迂回しながら近づいてくる。視界から外れてしまったので、耳を澄ませて位置を探る。
やたらと重たい頭を持つカトブレパスの肉体になっているあいだ、ろくに身動きができなくなる。攻撃を仕掛けてくるであろうハスキーの接近前にスキルを解かないといけないが、そうするとチミセットが解放されることになる。ただのオジロヌーの肉体で、長腕の怪物熊とハスキーのふたりを相手するのはかなり厳しい。
せめてこちらにもうひとり、一緒に戦ってくれる仲間がいればいいのだが、ジャイアントイランドは戻ってこず、ハイイロオオカミも別の敵と戦っているようだ。
ハスキーの足音が近づいてくる。もうあまり時間がない。仲間が必要だ。ここはいったん逃げるべき。走力には自信がある。クマとイヌぐらいなら、簡単にふりきることができるはず。
と、逃げに思考が傾いて、すぐにでも実行しようとしたそのとき、
「助けにきたぞ! ハスキーは俺に任せろ!」
低い鳴き声。ハイイロオオカミの声を聞いた途端に意識が逆方向に傾いた。正面のチミセットに集中。だが、投げかけられた言葉とは裏腹に、ハスキーの足音はよどみなく聞こえてくる。地面を蹴って横からの攻撃。左目をひっかかれた。視界の半分が赤に染まる。視力の能力が半減。
慌ててスキルを解除して逃げようとしたが、動きだしたチミセットのラリアットをまともに食らってしまった。すっころんで横倒しに。しかし、勢いに身を任せ、一回転して起きあがることに成功。土を蹴り散らしながら森を駆ける。
仲間の気配はどこにもない。とにかく敵から離れることを優先して藪に突っこむと、一つ目のイヌがとびだしてきた。片目のヌーと鉢合わせ。讙のスキルを使っているゴールデンレトリバー。先程のハイイロオオカミの鳴き声は声真似。話し声はスピーカーを調整したもの。元長のしゃべり方を真似ることなどお手の物。
思わず足を止めてしまったヌーの背後にチミセット。首でふり返って片目でカトブレパスのスキルを使う。ふりあげられた毛むくじゃらの長腕がぴたりと静止。
なんとか首の皮一枚つながったと思ったのも束の間、石像のようになっているチミセットの背中をハスキーがのりこえて、肩を蹴りつけ、カトブレパスにとびかかってきた。
チミセットとハスキーの顔が並んだ一瞬をカトブレパスは見逃さなかった。またとない好機。両方まとめて邪眼の効果対象にできないかと目を見開く。しかし、ハスキーは止まらない。目をつぶることで邪眼の対策をしている。視力に頼らず、ミサイルが射出されるみたいに高く跳躍。さらに、空中で直角に曲がって落下してきた。
ライラプスの神聖スキルの効果によって、ハスキーの攻撃は必中。対象の獲物に衝突するまで、その方向へと肉体が勢いよく移動する。
残っていた右目がえぐられると、視覚が完全に封じられる。邪眼が使えないカトブレパスの肉体は、重たい頭が枷になるだけの、効果を持たない置物に成り果ててしまった。
もう止めるものがないチミセットの腕が、鋭い角ごと頭を砕いた。獰猛に剥かれた牙が、ヌーの頭蓋に齧りつく。その体力がゼロになるまで、それほど時間はかからなかった。
ハイイロオオカミが駆けつけたときには、ヌーはすでに死体になっていた。
集まっていたヒグマ、シベリアンハスキー、ゴールデンレトリバーが一斉に視線を向ける。
「遅かったな。逃げたのかと思ったぞ」
ヒグマの言葉に、ハイイロオオカミは眉をひそめて、それからハスキーのことを見た。視線での押し合い。先にそらしたのはハスキーのほう。
「あとは私がいなくてもいいでしょ」
走り去る背中をヒグマが呼び止めようとしたが、聞かずに緑に紛れてしまった。
「勝手なやつだな」ひとりごちて「やるか?」チミセットのスキルを使う。
無言のハイイロオオカミがフェンリルの肉体で応じる。
そうして、巨大なオオカミと、巨大なクマとが激突しようとしていたが、突如響いたゴールデンレトリバーのうめき声で開戦のタイミングがずらされてしまった。
横からまわりこもうとしていたゴールデンレトリバーが、はねとばされたように緑に転がる。金の毛並みを土まみれにして立ちあがると、おびえたように樹々の陰へと逃げていった。
イヌを追い払った動物が、藪から姿をあらわす。
「ダチョウ。生きていたのか」
驚くフェンリルに、返ってきたのはきょとんとした顔。連絡役であるフラミンゴが見当たらないと言っていたので、敵にやられたとばかり思っていた。
ゴールデンレトリバーが退散したことで頭数が逆転。チミセットは悪態をつき、戦闘を継続するかしばし悩むが、フェンリルがにじり寄ると弱気な後ずさり。長い腕でバンザイをすると、梢のなかに手を差しこんだ。枝に手をひっかけて、あっという間に樹上にのぼる。
緑に隠れて、上から攻めてくる気かとフェンリルが身構えていると、幹が軋む音が遠のいていき、落ち葉の道が森の奥へとひかれていった。
「追うかい?」
ダチョウの問いに首を横にふって、ヌーに駆け寄る。倒されている。死体状態。
「下でイランドもやられてたよ」
「そうなのか。ゴルがいたってことは、ラブも、ラブラドールレトリバーがいなかったか?」
「それなら倒した。緑色になってたけど」
林檎の植物族が枝を伸ばして甘い香りの赤い果実をぶらさげる。
「みんなだいじょうぶなの」
「ヌーとイランドがやられた」
「まあ……」
林檎はそばに倒れているヌーを感覚で探って、悲しそうな声をこぼしながら、果実をすとんと落としてきた。ハイイロオオカミはぱくりとひと口で噛み砕き、ダチョウは何度もついばんで、体力を回復させる。
「さて」
口のまわりの果汁をべろりと舐めとって、
「ダチョウ。なにがあったか聞かせてくれ」
ハイイロオオカミは林檎の根本に腰を落ち着けて、高いダチョウのくちばしを見上げた。