●ぽんぽこ14-17 フェンリルの子供たち
フェンリルの目の前にあらわれた敵の増援。シェパードとドーベルマン。大型犬たち。両方とも褐色と黒が入り混じる毛衣。シェパードは褐色部分が多くて長毛。ドーベルマンは黒部分が多くて短毛。いずれも軍用犬、警察犬として利用されていたイエイヌ。頑丈で力強く、知的でもある。
「やあ。長。さすがだね」
シェパードは耳をとらがせ、フェンリルの肉体に姿を変えているハイイロオオカミの足元を一瞥した。倒れているグレートデーンとピットブルは体力が尽きて死体になっている。
「俺はもう長じゃない」
「僕らにとってはまだ長だ」
ドーベルマンが鞭のような細い尻尾で背の高い草をはたいた。植物の香りがふわりと舞って、小鳥の鳴き声がどこかから聞こえてくる。
「そう言ってくれるのはうれしいが……」大狼の瞳に困惑と警戒が入り混じる。
「なら、どうしてまだウルフハウンドのところにいるんだ?」
「……なんで連れ出してくれなかったの」
シェパードの言葉に、「なんだと?」首が傾ぐ。
「僕らは待ってたのに」
「なにをだ」
「一緒にいこうって言ってくれることをだよっ!」
唸りまじりの感情的な声。
「それは、人づてに伝えたはずだ」
「嘘だ」ドーベルマン。「僕らを捨てたんでしょ」シェパードが悲しげに口の裂け目を深くする。
話が噛み合わない。ハイイロオオカミはあのときのことを回想する。群れから追い出されたあのとき、親交が深いプレイヤーには、一緒にくるか声をかけることにした。とはいえみんなログイン時間はバラバラ。チャットや掲示板機能などないこのゲームにおいては話を伝えるのも一苦労。信頼できる数名に協力を仰ぎ、言付を頼んだ。
それが紀州犬であったり、シベリアンハスキー。紀州犬はハイイロオオカミを追いかけるように、すぐに向こうの群れを抜けてしまっていたので、内部への連絡はハスキー頼りになった。そうして、伝達を終えたら、ハスキーも合流すると言っていたのだが、いまだに残り続けている。そこにズレの原因があるとしか思えない。
「俺にはお前たちを誘う意思があった」
「けれど誘わなかった」
「誘った」きっぱりと言い返す「ハスキーに伝えてくれるように頼んだんだ。俺はもう縄張りには入れなかったから」
「どうしてそんな嘘で取り繕うのさ。気を使わなくていいからさ。はっきり言いなよ。僕らは不要だったって」
自分自身を嘲るようなシェパードの笑い声。
「勘違いもここまでくると不躾な言いがかりだぞ。俺がお前たちを置いていくわけがないだろう」
断言。ハイイロオオカミが群れを治めていたとき、もっともかわいがっていたメンバーがこのシェパードとドーベルマン。群れの設立前から一緒に遊んでいた仲。ハイイロオオカミはピュシスの先輩として、新米プレイヤーだったふたりに一から十まで遊び方を教えた。
「ハスキーからはなんにも聞いてない。僕らと一緒に嘆いていたよ。仮にもしも、万が一、ハスキーに頼んだのが事実だとしても、本当に僕らのことを想っていてくれていたら、人づてになんかせず、自分で話をしにきてくれたはずだ」
やはりハスキーがなにか吹き込んでいるようだ、とフェンリルは先程も妙な態度だったことを思い出す。グレートデーンとピットブルのやる気に対して、ハスキーははじめからハイイロオオカミと戦うつもりはないようだった。
「しばらくは縄張りの近くまでいって外周からお前らのことを探してたさ。けど、あんまり近づくとウルフハウンドの手下に追い返されてしまうからな。いざこざが起きそうだったから途中でやめたんだ」
「どうして僕らを見つけるまで頑張ってくれなかったんだよ」
「どうして、って……、無茶を言うな」
「無茶でもやってくれなかったってことは、僕らなんてその程度だったってことじゃないか」
「お前ら自身の意思はどうなんだ」
「残りたくなかったさ」「長と一緒にいきたかった」
シェパードとドーベルマンがそろって言う。
「なら出ていけばよかっただろ。一緒にくればよかった」
「そうじゃないんだよ。長に連れて出してほしかったんだ」
「じゃあ。いま改めて言う。俺のところへこい。また一緒に遊ぼう」
「それじゃだめだよ。もう遅い」
「遅い?」
「僕らは、怒っているんだよっ!」
吠えるやいなやシェパードとドーベルマンの姿ががっしりと太くなり、顎が大きく発達。耳が鋭くとんがって、尻尾はふっさりとけば立った。フェンリルに似ているが、それよりひとまわり小さくて、漆黒の毛衣を持つオオカミの肉体。
スコルとハティ。フェンリルの子供とも言われる魔狼たち。
スコルは常に太陽を追いかけており、これに追いついたときに日食が、ハティは常に月を追いかけており、これに追いついたときに月食が起きるとされている。
白銀の大狼と、漆黒の子狼たちが向かい合う。
――ずいぶんといじけてるな。
と、フェンリルは考える。面倒くさい、世話のかかるやつらだ。要するに拗ねているだけ。直接声をかけられなかったのは悪いとは思うが、どうやってもできなかった。ふたりともバカではない。理解はしているだろうが、理解したうえで納得ができず、感情をぶつけている。こっちの話を聞き入れるつもりがはじめからない。こうなったら気の済むまで暴れさせてやるしかない。正面からぶつかり合い、肉体で分からせる。
イヌというのは、動物というのは、力でもって上下関係を定めるもの。ピュシスらしい解決方法で従わせる。それならもう不満も出ないだろう。
「お前たちの言い分はもういい。かかってこい。好きなだけ相手してやる」
「やってやろうじゃないか。僕らが勝ったら群れに戻ってきてもらうよ」
「俺は追放されたんだぞ。無理に決まってるだろうが。ウルフハウンドが許すわけがない。俺が頭でもさげれば別かもしれないがな」
「無理でもやってよ。僕らのために」
強情で我儘な子狼たちに、大狼は出かかった言葉を呑みこんで、
「……俺に勝てたらな。場所を変えるぞ」
フェンリルはそばに生えている林檎の植物族にサポート不要と言っておく。自分とふたりだけの勝負。あとで文句は言わせない。林檎は「うん」と、寂しそうな返事でオオカミたちを送り出した。
道を外れて、仲間たちと離れていく。
「あのあたりがいいか」
低い丘に背の高い樹々が寄り集まっている巨大なブラシのような場所。だれの手も加わっていない大自然。味を感じそうなぐらいに強い植物の香り。
白銀の大狼の後ろを、漆黒の子狼たちがついて走る。丘を駆けのぼり、それぞれが位置につく。
スタートの合図はない。戦いはすぐにはじまった。