●ぽんぽこ14-8 ヒツジが百匹
太陽がそろりそろりと天頂へ近づきはじめた渓谷の底。そそり立つ岩壁が照らされて、鱗のような影が垂れさがる。吹き抜ける風は勢いを増して、深い森の樹々の葉をさらっては空高くへと舞いあげた。
縄張りを貫く一本の渓流の上流方面から進攻しているブチハイエナのパーティ。ブチハイエナ、オオアナコンダ、それからクルミの三名。肉食ふたりと植物族ひとりの組み合わせ。
敵植物族と、自生する植物オブジェクトで形作られた森の迷宮を迷わずに進むためには、壁となっている植物の破壊が必須。提示された道に従うばかりでは、同じ場所をぐるぐると歩かされてしまう。道をこじ開け、切り開かねばならない。草食動物がいれば手っ取り早いが、このパーティには編成されていない。代わりにクルミが道を作る役割を担っている。
アレロパシーと呼ばれる効果。植物が化学物質によって他に与える影響のこと。化学物質の種類によって効果は様々で、動物や昆虫を引き寄せたり、遠ざけたり、はたまた競合する植物の邪魔をして自身の領域を守ったりする。
クルミが出している化学物質のユグロンには殺草作用がある。これにより、近くに生える植物オブジェクトたちにダメージを与えて、破壊することができる。ただ樹列を伸ばすだけで、緑の森に茶色い地面の線が引かれ、周辺には十分な幅の道が確保されていた。
硬い殻におおわれたクルミの実が枝を離れて地面に落ちて、ころころ転がり土に沈む。新たなクルミの肉体が芽生え。新しい一本が成長すると、一番古い一本は枯れて消える。群れ戦一試合のうちに使える肉体の限度本数は植物族ごとに個別設定されており、その数以上には増えないようにシステムで制御されている。体力が尽きて一本が破壊されるたびに限度本数がひとつ減り、ゼロになると戦闘不能。残り本数は残機とも呼ばれる。
一本、一本、生まれては枯れて、そうして植物族は前へと進んでいく。
ゆるやかな植物族の歩みににょろにょろと付き合っていたオオアナコンダが、
「俺が全部食ってやってもいいのに」
鬱蒼とした森を見やる。植物族に対する特効能力を持つニーズヘッグのスキルを使えば造作なく打ち壊せる植物の壁。
「焦りは禁物です」
ブチハイエナの言葉に、オオアナコンダは早く暴れたくてしょうがないという不満顔。それを押さえつけるように、
「私の指示に従ってください。スキルの無駄づかいはしないように」
「従ってるだろ」
前回、前々回の試合で独断での行動が目立っていたオオアナコンダ。今回は引率役としてブチハイエナがそばについて、手綱を握ることになっていた。
なまじオオアナコンダの戦闘力が高いので、勝手な単独行動で成果をあげてしまっている。必ずしも悪いとはいえないが、その結果、新参者を御することができず作戦の主導権を握られている、という印象を対戦相手、もしくは試合内容について伝え聞いた外部のプレイヤーたちの一部に持たれているという噂がもれ聞こえていた。
このままではライオンの群れの沽券にかかわる、ということで、オオアナコンダの一時加入を許可したブチハイエナが責任を持って面倒を見ることになった。ただし、対外的なことばかりでなく、この重要な試合において勝手をされて足並みが乱れるのを防止したいという理由もある。うまく活用できれば強力な助っ人であることは間違いない。
甘い香りがするクルミの木陰を進んでいく。フジの花のように垂れさがったクルミの、正確にはオニグルミの、緑の雄花の下をくぐっていく。雌花は雄花とは逆、上方向に伸びて赤い花を咲かせている。クルミは雌雄同株の植物。
速度をあげたオオアナコンダをブチハイエナが呼びとめる。
「あなたは戦闘がしたいんでしょう。ただの草刈りにご興味が? オブジェクトの破壊はクルミに任せてください」
オオアナコンダは戦闘狂。わざわざキングコブラの群れからライオンの群れに移ってきたのも、戦い足りなかったからという理由。けれども、この試合ではまだ戦闘ができていない。あまりにのんびりした道中。
「しかしなあ。さっさと進んだほうがさっさと敵が倒せてさっさと勝てると思うんだが」
「まぁまぁゆっくりいこーよ」
クルミがほがらかに言って、ごねるオオアナコンダに木漏れ日を投げかける。キリンの体長の二倍ほどもある大蛇の体がぐねんぐねんと身もだえして、
「我慢するのにも飽きてきた」
体の長さに反して、気の短い発言。落ち着きのない子供のように、瞬膜をあわただしく開け閉めする。
そんな大蛇の横で、ブチハイエナがはたりと足を止めた。顔をあげて、大きな丸耳を突き立てる。進行方向。坂の上。格子状の樹々の隙間から、白いヒツジの顔がのぞいた。くちびるをこねるみたいに動かして、横長の瞳孔でじっとこちらを見つめている。
敵だ。
「よかったじゃないですか」
「ああ。うれしいよ。戦っていいか?」
「だめです。もうすこし状況を確認しましょう」
イエイヌに、待て、を教えこむように、ブチハイエナは大蛇の長い尻尾を踏む。尻尾の先が反抗的にびちびちとはねる。
「一匹じゃないな。たくさんいる」と、オオアナコンダ。森にまぎれて相当数が隠れている。ヘビには耳がないが、その代わり、空気や地面の振動を肌で感じ取って音を認識できる。大量のヒツジの蹄が草をかき分けて、集まってきている。
ただのヒツジではない。植物から生まれたヒツジ、バロメッツ。バロメッツの接近は連絡役のミナミジサイチョウから伝達されていた。シロバナワタの植物族のスキルによって生成された生物。動物の姿ながら属性は植物族。
ジサイチョウとの接触後、ブチハイエナたちは予定していたルートを渓流方向へと曲げた。道を切り開き、もうすこしで到着、という直前での敵の出現。目の前にある上り坂を越えたあたりに川が流れているはず。
こちらを渓流にいかせまいという相手の意思がひしひしと伝わってくる。
羊毛だか綿毛だかでたっぷりとふくらんだバロメッツは水を嫌っていると作戦会議で聞いていた。川を利用すれば有利に立ち回れるはずだったが、そう簡単に思い通りにはさせてくれない。
正面の坂の上だけでなく、右や左の森のなかからもヒツジ鳴き声。めえめえ、めえめえ、と共鳴して、刻一刻と声が高まっていく。
「クルミは後方に集まる準備をしてください」
後ろには敵がいない。一時後退の指示。最優先するべきはクルミを守ること。今回の戦に参加している植物族はクルミと林檎のふたりだけ。上流と下流にそれぞれ配置されている貴重な回復役。
「すこしずつさがります。アナコンダは向かってきた敵を倒してもらえますか」
「つっこんじゃって、まとめてやっつければいいのに……」
「倒すのではなく、寄せつけないことを意識してください」
有無を言わせぬ口調。
「……分かったよ」
ブチハイエナたちが動きだすと、狭苦しい森にひしめいていたバロメッツが、開けた道にあふれだしてきた。鳴き声の喧騒。十や二十ではきかない頭数。
迎え撃つべくオオアナコンダがニーズヘッグのスキルを発動させようとした、そのとき。ふわふわとしたヒツジの毛に付着する、おおきなこぶのような塊が目についた。
マリモのように丸くて、明緑色の塊。大きさはヒツジの頭ほど。
よく見ると、あちこちのバロメッツにその妙な球体がくっついている。
なにか異様な感じ。そのうちのひとつに変化。球体がやせ細っていく。ぞうきんを絞るみたいに棒状になると、さらに細く。とがった先端を持つ細長い棒に。
矢の形状。ヒツジの毛から頭をだした切っ先が向いたのはオオアナコンダの額。
発射。
風を切って飛来する矢。
大蛇を仕留めようという鋭い一撃。
突き刺さるという寸前、跳躍したブチハイエナが矢を横合いからキャッチした。
その姿はブチハイエナではなくなっている。闇のように真っ暗な剛毛におおわれた獣。ジェヴォーダンの獣のスキルの肉体。顔はオオカミのように勇ましく、図体はウシほどもあり、とげとげしいたてがみが尻尾にまで続いている。
凶悪な牙が矢を噛み砕いた瞬間に、別のヒツジにくっついていたマリモのような植物の塊も矢になって、闇色の獣を狙って発射された。
背後の死角から飛んできた矢。鈍い金属音と共にはじかれる。攻撃を防いだのはオオアナコンダ。銅の体を持つ蛇神ユルルングルの肉体になって、矢から味方を守る盾になった。金属の皮膚の防御力は非常に高い。若干へこんだが、損傷は軽微。地面に落ちた矢は、重い体でずっしりと押しつぶす。
「なんなんだこいつは」
ユルルングルが謎の矢について疑問をなげかける。作戦会議でこんなスキルについては聞いていない。
「ヤドリギですよ」
敵の正体にあたりをつけているブチハイエナの後ろで、クルミのちいさな悲鳴が聞こえた。
明るい葉っぱを規則正しく茂らせた枝がおののいたようにゆれている。つやのあるこげ茶色の幹。クルミに突き刺さる三本の矢。
クルミの一本が破壊された。
バロメッツたちがわらわらと、輪をせばめながら迫ってくる。