▽こんこん13-14 力強く
「あーあ。ひどいなこりゃあ」
ヌートリアの半人は嘆息する。服飾店で拝借した商品を包帯みたいにぐるぐる巻いて服代わりにしていたが、すっかり使い古したボロ布同然。
体にぎゅっと結びなおすと、ガラクタが積みあがった山の中腹あたりから、完全なるトラに姿を変えたレョルが走り去っていった方角へと視線を向ける。
「トラのあんちゃんは大丈夫なのかねえ」
狩人との戦闘のあと。投げ飛ばされてガラクタの山から転がり落ちていたヌートリアが山頂に戻ろうとしていたとき、トラとすれ違った。
目が合った瞬間に心臓が縮みあがった。本能的な恐怖。齧歯類のヌートリアに、ネコ科の最上位であるトラは劇薬。その完全な姿。これまで行動を共にしていたときには感じなかった感情が噴出した。
失神寸前。眼前でトラは跳躍。襲われるかと思ったが、こちらの頭上を飛び越えて走り去っていった。
血の跡が点々と続いている。
向かった先はたぶん点検口とかいう場所。惑星コンピューターに通じている唯一の道という話。
しばらくは茫然とガラクタ山の尾根をなぞるように眺めていたが、はっ、として頂上で咲き誇るポイズンアイビーの半人の元へ。
アイビーはもう九割方が植物。ツタウルシの一種で、体はツタ状。狩人の体を支えにして這いのぼっている。
毒性植物のアイビーにがんじがらめにされている狩人は壮絶な表情。
生きているのだろうか、と確認しようと近づいたヌートリアは、血を踏んずけてとびのいた。アイビーの血だ。
「うひゃー。かいかいかい……。おー、かゆい」
服のはじっこを前歯でちぎって、足裏をぬぐう。ちょっと触れただけで、この調子なら、全身に浴びてしまった狩人の苦しみは察するに余りある。ほんのすこし同情したくなったが、かといってツタをほどいてやろうという気にはならない。
たとえ、まだ生きていたとしても、助け出したところで長くはもたないだろう。
どうせ死ぬならこのまま植物の栄養になったほうが幸せだ。自然の一部になれるのだから。
距離をとってアイビーを眺める。
狩人の体を添え木にして伸びた枝から、葉っぱがひらひらと舞い落ちてきた。
いくつもの花が開いている。明るい紫、濃いピンク色の、可憐な花だった。
鮮烈な生を感じさせる香り。
「アイビーのねえさんはまだ生きてるんだなあ」
数多の銃弾を撃ち込まれ、血を一滴残らず体からこぼして、人間ならとうに死んでいる。
「力強いなあ」
生命の神秘を実感する。どっしりとした命の息吹。どこまでも伸びていきそうなツタの切っ先。植物というのは、なんともはや、すさまじい生命力を持っている。
けれども、とヌートリアは空を仰ぐ。頭上に浮かんでいるのは、うすぼんやりと発光している第一衛星。
偽物の太陽。あの光で足りるのだろうか。
トラや、その他、同行していた仲間のだれかが、本物の太陽、恒星を手に入れてくれれば、きっともっともっと力強く、花を咲かせるのだろう。
自分がいまから追いかけても、足手まといになる気しかしない。
なら、せめてアイビーのために水ぐらいは用意しよう。
と、ヌートリアが考えて歩き出した、そんなとき。
閃光。
「なんだあ?」
影が急激に濃くなった。
空が、激しく輝いている。
第一衛星が発光しているのだ。
「んん?」
目を凝らす。
「……なんか、落ちてきてないか?」
機械惑星の都市をおおうドーム型の透明天井。それが震えている気がする。
ドームは多重構造。ごくまれに隕石によって破損して、剥離した破片が地上に落下してくるなんてこともあるが、ちいさな穴ぐらいであれば液体金属ですぐに応急処置がなされて、数日のあいだに修繕される。
けれど、いま接近しているのは隕石なんてものじゃない。衛星そのもの。
機械惑星の周囲を周回しているみっつの機械衛星のひとつ、第一衛星。
明らかに近づいてきている。周回軌道からずれて、機械惑星の地表へ。このままでは都市ひとつどころか、機械惑星そのものが破壊されかねない。
地球で恐竜を壊滅させたという巨大隕石の再来だ。
ヌートリアは立ちすくむ。まるで擬死反応のように体が硬直して、口は開けっぱなしになり、オレンジ色の前歯が光を強く反射する。
逃げないと、と考えるが、どこにも逃げ場なんてない。機械惑星の果て、開発が止まっている都市の裏側までいこうが、衝撃からはきっとのがれられない。
一心に空を見るヌートリアは、発光する第一衛星の陰にいるものをとらえた。
ややあって、それが第三衛星だと気がつく。
光なく、暗い宇宙に同化するように漂っている機械衛星。
第三衛星を肉眼で目撃したのはこれがはじめてだった。
第一衛星は太陽の代わりに昼を照らして、第二衛星は月の代わりに夜を照らす。空に浮かぶふたつの衛星のことは毎日、目にしている。けれども第三衛星は自ら発光する機能を持たず、補佐的な役割を務めており、その活動を伝え聞く機会もほとんどない。
第三衛星の表面が、銀河の星の瞬きの如くに明滅した。尾を引く光。機械惑星の危機に迎撃機能が働いたようだ。
無数のミサイルがイワシの群れのように宇宙を泳ぐ。一糸乱れぬ誘導で第一衛星の急所めがけて、なだれ込んでいく。
着弾。爆発。絶え間なく。兵器庫を空にする勢い。
音なき宇宙で、雄弁な破壊が広がっていく。
そして、ついには、第一衛星が割れた。
卵を割ったように、まっぷたつ。第三衛星の頭脳の精密な計算によってなされた業。それぞれの殻は機械衛星を避けるように、外側へと軌道をそらしていく。
けれど、卵から生まれた中身がまだ残っていた。機械惑星に向かって降下してくる、ペンの芯のような形状をした第一衛星のコアパーツ。鋭い切っ先が、灰色の大地へ。
ミサイルから熱線に切り替えられて攻撃が継続される。だが、第一衛星は脱ぎ捨てた殻を盾にして、地表へと近づいてくる。
そうして、矢のような、槍のような、第一衛星のコアパーツが、都市の上空へと到達。第三衛星はぎりぎりまで攻撃を続けていたが、これ以上は都市に被害を及ぼしかねないと悟ったか、静観に切り替わった。
ドームの天井に突き刺さる。痛々しいヒビ。幾重もの層が次々と突破されるが、一向に止まる気配はない。最後の一枚すら破られて、都市の隅々にまで稲妻のような破壊音が轟いた。
応急装置が作動している。亀裂や穴ができるはしから、すぐさま接着剤のような液状金属が吹きつけられて塞がれる。しかし、ねばつく金属を膜のようにまとい、大気の摩擦を受けて減速しながらも、第一衛星のコアパーツは止まることなく進み続ける。
ヌートリアはガラクタ山のてっぺんにさらにガラクタを積みあげると、プレーリードッグのようにその上に立って遠方を眺めた。塔のようなコアパーツが着陸するのはオフィス街のあたり。
さらに減速、減速、だが止まりはしない。すこしずつ、押し込まれるように、大地に迫る。
ビルが踏みつぶされ、崩れ、瓦礫が舞い散っている。
大地に……。
衝撃がやってきた。
激しいゆれに、ヌートリアは転げ落ちる。四方八方から崩壊の音。
ガラクタの雪崩に吞み込まれる。
振動はなかなかおさまらない。
頭を抱えて身を丸める。
上からさらにものが落ちてくると、本格的な生き埋めに。
ようやく落ち着いてきたが、身動きがとれなくなってしまった。
「だれかー!」
叫ぶ。
「助けてくれー!」
外がどうなっているのか、まるで分らない。
「だれか、いないかー!」
喉が枯れてきた。
何度もくり返す。もがいて這いだそうとするが、そうすると隙間にガラクタが入り込んできて、より身動きがとれなくなってしまった。
もうだめか、と思ったそのとき。
「どこー!?」ざらついた女性の声。
「ここだー!」
呼びかける。安心ですこしゆるんだ声。
「こっちだ! こっち! 埋もれちまってる!」
「待ってて! いまいく!」
足音が聞こえる。蹄の音。
「こっち! こっち!」
周囲をうろついていた足音が真上で止まった。
「これは、ちょっと、大変そうだねえ」
ガタクタの上の女性が唸る。
「もうちょっと耐えられる? 仲間を呼んでくるから」
「すこしぐらいならいけそう。たのんます」
「待っててね」
蹄が遠のいていくと、静寂に胸が震えた。
しばらくして、ふたりの軽い足音が加わった三人組が戻ってきた。
「いま助けるからな」野太い男の声。
「ぼくはこっちをどけるよ」少年のような声。
女性の声がふたりを指示して、みるみるうちに全身にのしかかっていた重量が軽くなっていく。
光が射してきた。
「ああ。よかった」
心からの安堵。
ガラクタが除去されて、茶色い毛衣をまとった腕が伸ばされる。それを掴むと、暗い洞窟のようなガラクタの下からやっとのことで引きずり出された。
「ありがとう。あー助かった。ありがとう。まじでありがとう。あんたたちは命の恩人だ」
外にいたのは、平たい板を螺旋状に巻いたような角を持つ年配の女性、明褐色と黒の縞模様の太い尻尾が生えた大男、白い顔に目の周りは黒の隈取という特徴的な模様の少年。それぞれ、マーコール、レッサーパンダ、パンダだと名乗った。ヌートリアも種族を名乗って、
「この山の上に仲間がいるんだ。埋もれてないかな」
急いでポイズンアイビーが無事か確認しに向かう。
マーコールたちも一緒にきてくれて、四名でガラクタを崩さないように注意しながら登頂。山道に適応しているヤギのマーコールが真っ先にたどり着く。
遅れてヌートリアが頭を出したが、アイビーは変わらぬ姿で山頂にたたずんでいた。狩人も捕まったまま。
「なにこれは? おいしそう」
マーコールが無警戒に近づく。慌てたヌートリアが「だめだっ!」と止めたがもう遅い。近くに落ちていた葉っぱの一枚をすでに食べてしまっていた。
「あらごめんなさいね」と、恥ずかしそうに「ついつい食欲がでちゃって」
ヌートリアはおそるおそる。
「平気?」
「なにが?」と、マーコール。
「その……、毒とか」
「毒!? 毒があるの!?」
とびあがってヤギひげを震わせる。それを見たレッサーパンダの半人が、
「ヤギはまあ問題ないんじゃないか。あれはポイズンアイビーだろ。ヤギは平然と食べると聞くよ。地球ではアイビーの除去にヤギが使われてたりもしたらしい」
「へえ。そうなんだ」
ヤギ本人が初耳というように頷いていると、パンダの少年が、遠くを指差して大きな声をあげた。
「レッサー、見て。街が、燃えてる」
一斉に視線が集まる。
街の方角では赤々とした焔が楽し気に踊っていた。
瞳に紅を宿しながら、ヌートリアはふと考える。機械惑星にも、元から自然は存在していたのかもしれない。いまこの瞬間、動物ではなく、植物でもなく、燃え盛る焔こそが、真に自然の象徴しているように思えてならなかった。