▽こんこん13-8 人間を脱した者
「ライオンでいいんだよね?」
「しつこいですねゴャラーム。わたくしの名前はロロシー。ご存じでしょう。同級生なのだから」
ラアは急激な疲れを感じる。ちいさな体でおおきな荷物を背負っているかのような。しかも、山道を登っている途中に、不意にそれに気づかされたかのような。
自分たちの先を越してだれが地下に入り込んでいるのかと思えば、過去からの使者。学校での日常が脳裏によみがえる。動物になる前の記憶。過去は過去らしく、おとなしく後方にいてほしいものだった。
二足歩行がつらくなってきた。肉体がゾウへ、ゾウへ。重たくなっている。一緒にいるアジアゾウの半人は一足先に四足歩行。まとっていたローブはマントになって、ごわついた灰色の皮膚が見え隠れしている。棒のような手足。分厚い蹄。長鼻と大牙。大耳。あとは細部の造形が整えば、大きさ以外には本物のゾウとの差異はなくなる。いまはまだ体を丸めた人間より、ふた周りほど大きいぐらいの体格。
「君が、ライオンだったのか」
とまどっていた意識が落ち着いてくると、疲れとは別の感情が湧いてきた。親近感。いつも自信に満ちて、まっすぐに行動できるロロシー。彼女のことが大嫌いだった。理不尽な嫌い方なのは自分でも理解していたがどうしようもなかった。自覚によって嫌わずにいられるぐらいなら、はじめから劣等感など抱いたりはしない。
けれども、いまになって発見したちょっぴりの共通点。ふつふつと喉の底から笑いがこみあげてきて、
「んふふ。ずいぶん違うね。すっかり騙された」ゲーム内での豪快さに比べて、ずいぶんとしとやかな現実での態度。俺様だなんてロロシーが言っているところを想像すると笑えてくる。ロロシーでもなにか別のものになりたいと思うことがあるらしい。ゲーム内のふるまいは多かれ少なかれ願望の表出に違いないのだから。
「あなたにだけは言われたくないです」ほんのりと尖った声。
確かにそうだろう。その点が似通っていると思った部分。アジアゾウとの遊びの延長だったが、ゲーム内のアフリカゾウは地球の古い言い回しにこだわっていた。
「ゴャラーム。ここでなにをしてるんですか。それに……」
ライトの光が地下通路の暗闇を左右に払う。
ラアの隣にはアジアゾウ。ふたりの後ろにクズリとクロハゲワシ。ぐるりと視線を動かしたロロシーは、ハゲワシの禿げあがった頭、そして顔を照らして、
「ヂデさんじゃないですか。そのお姿は……?」
シャープな立ち姿の女性。襟元から茶色い羽衣がこぼれて、口にはくちばしが尖る。髪の毛がすっかり禿げ落ちたことで、形のいい頭蓋と厳めしい目元がくっきりとして、凛々しい印象が強調されている。
「俺はクロハゲワシだ。ロロシーは病気で寝込んでるってソニナから聞いていたんだが、こんなことになってたのか」
睨むような視線がソニナに向けられる。ソニナは箪笥ほどもある異様に大きな荷物を背中に担いでいる。長方形の箱型で、リュックサックのようにショルダーハーネスとウエストベルトで固定されている。工場で使っているオートマタ運搬用の箱に似ているが、あれは人力で運ぶことを想定されていない。改造を施したのだろうか。相当に重そうだが、平然と微笑んでいる姿から、こいつも半人だな、とヂデは思う。
ヂデはロロシーの父ロルンから工場管理を任されている技術者。ロロシーやソニナとも面識がある。そしてゲーム内の肉体のクロハゲワシはライオンの群れの古参プレイヤー。
ゲーム内外で付き合いがあったということになるが、お互いにそのことには気がついていなかった。
ハゲワシのくちばしがロロシーたちの輪郭をなでるように横に滑って、端で腕組みをしているひとりで止まる。
「お前はハゲコウか」
「私はズテザという」
筋骨隆々のガタイのいい男。アフリカハゲコウの半人。波打った赤い顔面から、くちばしが長く長く突き出している。ハゲワシと同じく禿げあがった頭。ふたりともライオンの群れに所属していたので、動物としての姿が目に焼きついている。
名乗っただけでズテザは口を閉ざす。ハゲコウとハゲワシは相容れない、とズテザは考える。ブチハイエナ派のハゲコウに対して、ハゲワシはライオン派。話が噛み合わないことが多々あった。そんなふうにブチハイエナ寄りに行動している自分よりも、ハゲワシのほうが副長からの信頼が厚いもの気に入らなかった。
ずっしりと置物のようになったズテザに、ヂデは怪訝そうに目を瞬かせる。
不意に訪れた妙な沈黙を、ロロシーが鋭い声で切り裂いた。
「ゴャラーム。なぜこの道を進もうとしているのか答えなさい」
「なぜって……」長鼻を眉間の前でくねらせて、考えるような目をしてから、ぱっと前に伸ばす。ロロシーを指して「その質問を先にしたのはぼくだ。ライオンが先に説明するべきだ」
「わたくしはロロシーです。ゴャラーム」
「ぼくはアフリカゾウだ。あくまで人間らしく対話を望むというのなら、それこそ礼儀を重んじて、順序を守るべきなんじゃないのか」
「わたくしたちは惑星コンピューターの元を目指しています」
「そんなことは言われなくても分かる。ぼくたちだってそうだ。ぼくが聞いているのは、カリスの元へいって、なにをしようとしているのか、だ」
長鼻が饒舌に動き回る。ばさりばさりと大耳がはためく。
「……ずいぶんと動物の姿が板についているようですね。どうですかゾウの体は」
「なに急に? すばらしいよ」と、同意を求めるようにアジアゾウにふり向く。四足歩行になっているアジアゾウは、かろうじて人間である声帯で人間っぽい声を出して、
「ええ。とってもすてき。命が漲ってくる。生きる力が湧きあがってくる」
太い足で行進するような足踏み。丸い足裏が地下の地面をたたくたびに、ぼーん、ぼーん、と銅鑼を打つような音。二頭のゾウが鼻と鼻とで握手を交わす。
ロロシーはゾウたちの後ろに視線とライトの光を投げかけて、
「ヂデさんはどうです。そのお体は」
「さあ。どうかな」
はぐらかすような返答。この答えは予想できた。ロロシーは幼い頃からヂデを知っている。対立が生まれそうな場面では意見を差し控えて一歩引き、様子をうかがう性格。
すぐに次に移って、
「そちらの方は?」
暗がりでぼんやりとしていたクズリの半人。毛むくじゃらの顔は、動物のマスクをかぶっているよう。
アジアゾウが尻尾でたたいて、
「クズリ」
「あっ。俺のことか」
ゾウの陰から光が集まる場所へと身をのりだして「そうだなあ……」と、話をしはじめようとしたそのとき。クズリの首に巻かれているものを見たロロシーが、なにか硬いものを飲み込んでしまったかのような声を出した。
「それ……!」
「ああ。これ? 拾ったんだ」
尖った爪が刺さらないように、やさしく触れて持ちあげて見せる。
「拾ったって……、その人がなんなのか知ってるんですか」
「知らない。けど、かわいそうだったから。俺みたいで。放っておけなくて」
クズリの首元にぐるんととぐろを巻いているのはキングコブラ。それは、もはや半人と呼ぶには動物に近すぎる姿だった。細長く引き伸ばされた体は、本物のヘビと見まごう形状。
けれど、まだひとつだけ人間らしいパーツが残っている。それは耳たぶ。本来、ヘビの耳介は退化して存在しない。なのに、こめかみあたりから耳たぶだけがぷらんと垂れさがっているのは、滑稽でもあり、どこか哀愁をも感じさせた。
ラアたちが点検口に入る直前の出来事。
はじめて足を踏み入れた工場地区のはずれ。古い工場が密集している道は入り組んでおり、すんなりと点検口は見つかってくれない。手分けして探していた際に、クズリは入り口が破壊された廃工場を見つけた。
整然と並ぶ鉄骨に大量のハンガーと大量のオートマタ。オートマタを稔らせた金属の林の陰に、にょろにょろと動くもの。舌でちろちろと主張しながら、床を這いずりまわっていた。
クズリがそれを拾って仲間たちと合流すると、他の者は当然ながら警戒。毒性生物のなかでも上位の猛毒を持つキングコブラ。だが、おどろくほどにおとなしい。
その場で、ラアにだけにはそれが何者なのか分かっていた。ガラクタ広場でまとめ役をしていたヲヌー。危険がないとはとても言えない。が、見知った人物ではある。街に出向いて、とてつもなく悪いことをくり返していた。人攫い。食人。陰惨な行為。だが、半人たちには細やかな気配りをしていた。手に入れた人間の肉は肉食動物の半人たちにいきわたるように均等に分配して、飢えるものが出ないようにしていた。
探偵と一緒にいたヴェロキラプトルは、完全な動物になっても知性のふるまいを失っていなかった。牙を見せる気配のないキングコブラに、これも同じかもしれないとラアは思った。思いながら、それだといつまでたっても人間に囚われ、真に完全な動物になることはできないのではないかとも考えて悲しくなった。
けれど、いま、地下通路の奥で、キングコブラを目撃したロロシーはラアとは異なる感情を抱いた。
点検口に入る前、ロロシーとヲヌーは言葉を交わしていた。そのときのヲヌーの顔面といったら、脱皮し、剥がれ、鱗の肌が露出して、体は寝袋に詰め込まれたみたいなひどい状態。けれど、まだ人間ではあった。
それが、この短時間のあいだに、ここまで変異してしまっている。そのスピードに驚嘆と畏怖を覚えた。
人間から動物に変わったというより、人間を脱ぎ捨てて、動物になったのではないだろうか。入れ替えるより、捨てるほうが、変化としては遥かに楽だ。相手がヘビであることが、その印象を加速させる。
人間から動物になるということは、植物になるということもきっと、大事ななにかを捨てるということ。
その果ての姿。
衝撃に心を震わせているロロシーに、クズリが、
「なんだっけ? なに? 俺になにを聞きたいんだ?」
首元で割れた舌をちろちろと躍らせているキングコブラを意にも介さず、マフラーとでも思っているかのような態度。ロロシーは揺れ動く舌先から目を離せなくなりながら、改めて質問をする。
「ご自身の動物の体について、どうお考えになっていますか」
「どう、って。なっちまったものはしょうがないっていうか。なにか考えることがあるか?」
明朗な返答に、ロロシーはちいさく顎を引いて、
「なるほど。……ヂデさん。あなたが点検口の位置を教えたんですか」
「違う」
「ではだれが?」
「トラ」くちばしが、ぱかりと開いて閉じる。
「トラ? トラとは、あのトラですか」
「ロロシーが考えているトラは、トラの群れの長をしていたベンガルトラだと思うが、本人が言うところだと別のトラ、アムールトラらしい。他トラのトラ柄似ってところだな。俺はトラの詳しい判別などできないし、嘘か本当かは知らないが」
「ふむ」
ロロシーは手の甲に顎を置いて、くちびるからはみ出した牙を傾ける。
会話の主導権をすっかり握られていることにラアは顔をしかめて、
「さっきから一方的過ぎるんじゃないの? ぼくの最初の質問をいつまで放置するつもり?」
不満を訴えるが、その言葉すらも無視されて、ロロシーは「急がないと」と、ライトを行く手に向けて歩き出した。
そうして、見透かしたように、
「あなたたちは惑星コンピューターの機能を停止させる気ですね」
長鼻を詰まらせながら、ゆれ動く光を追う。
「なぜそう思うの?」
質問はまたも受け流されて爪はじき。
「ヂデさんはそちら側なんですか?」と、ロロシー。
「まあ、そうだ」
「残念です」
ラアは感情の高ぶりを意識した。血が熱い。けれど、これは怒りではない。いらだってはいるが、それとはまったく別の理由での興奮状態が訪れようとしている。探偵からもらって、いまも頭に乗せている中折れ帽に、油のような黒ずんだ液体がしみ込んでいる。マスト期と呼ばれるアフリカゾウの異常興奮が、まったくのきまぐれとしか思えないような周期で巡ってこようとしていた。
「ぼくを無視するなよっ!」
声として発散させるが感情は追いつかない。感情は肉体に追いつけないでいる。
長鼻で壁を打つ。束ねられた配管の一本が歪んだ。前足を地面へ。四足へ。もう一度、鼻をしならせる。マストを制御することはできない。狂乱のまま壁に体当たりをくり返す。地下通路自体がゆれるほどの衝撃と轟音があたりに響く。嘶き。折れた配管から正体不明の液体がとろとろと垂れてきた。血管が千切られた傷口のような痛々しい光景。通風孔の蓋が落下して、ぐわん、ぐわん、と波立った。
「落ち着いてください」
冷静にロロシーが呼びかけるが、
「無理だ……! これが本能なんだ……。本能のあるがままに……」
アフリカゾウの大牙が、ライオンの胸に向けられた。