▽こんこん13-7 地下での邂逅
「惑星コンピューターまであとどれぐらいなの?」
アフリカゾウの半人のラアが尋ねると、前を歩くロロシーはふり向きもせずに、
「知りません」
「隠さなくてもいいんじゃないの。どうせ同じところを目指してるんだから」
ゾウの長鼻がにょろりと伸ばされる。ライトの光に照らされて、湾曲した壁にヘビのような影絵が浮かびあがった。
狭苦しい地下通路。どこまでもいっても変わらない闇と灰色の風景。壁には無数の配管。床には網目の金属板。天井付近に通風孔。明かりは手持ちのライトのみ。ラアは人間の指がなくなってしまったので、鼻でライトを持っている。
真っ黒な血が流れる血管のなかを進んでいるようだった。地下に凝った空気は地上のものとは違って未調整。どこかぬめりがあって、皮膚にへばりついてくる。
ライトが向けられている正面以外は影で塗り固められている。分岐路に行き当たったりすると、うっかり方向を見失ってしまいそうだ。ゾウの嗅覚と聴覚で、闇のなかで仲間がはぐれたりしないように意識を割いておく。
ワルツの音符みたいに、一定の間隔で設置された隔壁。塞がれた道を、ロロシーの家のメイドだというソニナと、同行しているオートマタ、それから技術者のヂデが協力して、手際よくロックを解除する。
ロロシーとラア。いずれも向かっているのは機械惑星の地下の最深部。
惑星コンピューターの元。
ネットワークを介さずに、この惑星の心臓と物理的に接触できる場所。
迷いのない足取りでロロシーは進んでいく。たてがみのように荒々しくうねった髪の毛が、三つ編みの縛りをはねのけようとしている。牙や爪の発達具合はほとんどライオンそのもの。肉球や毛衣、尻尾が備わり、その体は人間を手放し、確実に動物へと近づこうとしている。
だが、それでも、ロロシーの面影はライオンではなく、いまもまだ人間の印象を保っていた。
「どうして君はそんなに半人化が進んでいないの? 消滅したはずだよね……、僕の、目の前で……」
アフリカゾウの肉体を操作していたラアは、ライオンが命力が尽きて、ピュシスのアカウントを失ったその瞬間に立ち会っていた。
ゲーム内でアジアゾウを捜していたアフリカゾウは、巡り合わせによりライオンと戦った。その戦いの直後の出来事。タヌキの唖然とした顔。崩れ落ちるライオンの肉体。ばらばらにほどけるグラフィックの破片。舞いあがる雪のような光景の向こうで、銃を構えている異常な敵性NPC。すべてをありありと思い出せる。
消滅はもっとも顕著に半人化を進行させると、ヲヌーが話していた。ガラクタ広場の博士がそう言っていたらしい。なのに、ロロシーの顔ときたら、牙がくちびるからはみだしているぐらいで、あまり変わっていないように見える。ローブの上から分かる体の形状、姿勢も人間のものだ。自分などは消滅せずとも元々体の変異速度が速かった。今日という日になって、ますます変化は激しくなって、いまや体の隅々までもがアフリカゾウになろうとしている。
「……わたくしが人間でありたいと、願っているからじゃないですか」
ぽつりとこぼすと、ロロシーはそれきり黙り込んだ。
ラアはあのときのことをライオンに謝りたかった。ライオンが消滅したのは自分の責任。こちらの無茶に付き合わせて、限界まで戦わせてしまったから。けれど、こんなところで再会するなんて、夢にも思っておらず、タイミングを見失って、いまもまだ謝りそこねている。
半人たちの足音が、点検口をくぐった先、地下通路の床に冷たく響く。ライオンであるロロシーの足音は捕食者らしい静音。アフリカゾウのラアと、アジアゾウは重々しく、床の網目をひしゃげさせている。クズリはそろそろと、けれどすこしせわしない。アフリカハゲコウのズテザと、クロハゲワシのヂデは、鉤爪が床をひっかいて、とげとげしい。ブチハイエナのソニナはまったく半人化が進んでおらず、靴が奏でる文明の音。最後尾を歩くオートマタのユウの硬い足音もソニナと同じリズム。
ロロシーたちとラアたちが地下で出会ったのは必然。
ガラクタ広場が狩人に襲撃された。
猟犬の半人のビゲド警部。旧式の銃を構えて、いっぱしの狩猟者気取り。
ラアはその警官に見覚えがあった。アジアゾウが研究所にいると教えてくれた相手。ビゲドは半人を取り締まる立場でありながら、故意が過失か、見逃してくれるとガラクタ広場では噂になっていた。本人が半人かどうか、そのときは不確かだったが、もし警察につかまりそうになったら、あいつと接触できるように動くべきだとささやかれていた。
本格的にガラクタ広場にすみ着きはじめた頃のラアは、ある日、ゾウの嗅覚を活かした仲間探しを頼まれた。ローブをまとって街へと出かけると、裏路地に身をひそめる。表通りに鼻を伸ばして、街行く人々を探る。自覚のない半人は意外に多い。将来の仲間。そういう者を見つけたら、こちら側に引き込む下準備をしておかなければならない。そのための、潜在的な半人住民数調査というわけだった。
数取器をカチカチと押す代わりに、偽冠でメモを取っていると、周囲への警戒がおろそかになっていたのか、不覚にも警官に見つかった。それが、ビゲドだった。
追いかけっこがはじまって、ラアは必死で逃げた。相手は銃を構えて執拗に追ってくる。街中を離れて逃げた果てで、ネットワーク障害が発生する空白地帯に入り込んだ。偽冠が外部から切断。
物陰に隠れていると、壁の裏からビゲドのひとりごと。それは、アジアゾウの居場所についての情報だった。
しばらくして空白地帯の外へと戻っていったビゲドが、対象を見失った、と報告しているのが聞こえた。
その後、結局、ラアはビゲドの思惑通りに動いたということになる。研究所を襲撃して、アジアゾウを見つけるという悲願を果たした。同時に飼育室の半人たちが街中に解き放たれ、ビゲドの望んでいたであろう状況に。
研究所からアジアゾウを助け出した時点で、ラアの目的は達成されていた。ゾウとゾウが揃い、ゾウらしく生きる。けれど、研究所で出会ったトラの言葉がその目的をより遠くへと運んだ。
――太陽を手に入れる。
宇宙を旅して、機械惑星を恒星の加護の元へと運ぶ。
そうすれば、現実世界に溢れだした動物や植物たちは、真に自然のなかで生きられるようになる。刹那の閃きを、恒久的な眩耀へと変える。
必要なのは機械惑星の航行システムの起動。航行システムの機能を封鎖している惑星コンピューターの破壊。破壊して手動での起動を試みる。
大いなる目的を胸に抱いたトラの一団だったが、トラとはガラクタ広場で別れることになった。狩人と対決するためにトラはガラクタ広場に残る。トラは決着をつけてから、惑星コンピューターの元を目指す。ラアは先にいき、トラになにかあれば代わって目的を果たす。
ポイズンアイビーとヌートリアは、トラの戦いに付き合う決断。ブラックバックの探偵と、ヴェロキラプトルは行きがかり上、一緒にいてくれていたが、そこまでとなった。
ラアはアジアゾウ、クロハゲワシ、クズリの半人たちと共に、トラに教えられた点検口の場所へと向かった。
工場地区のはずれへ。古ぼけた技術の残滓。
意気込んだ足取りだったが、いざ見つけた点検口は空き巣にでもあったかのように開け放たれていた。
あちこちに動物だか、人間だか、機械のにおい。だれかが侵入している。だれだか知らないが、先を越された。
真っ暗な洞窟めいた地下への入り口に足を踏み入れる。ライトなどは持ってきていない。嗅覚に優れたアフリカゾウとアジアゾウのコンビが先を行く者のにおいを頼りに進み、クズリとクロハゲワシはふたりの尻尾をそれぞれ握ってついてくる。
隔壁も開いている。どうぞお通りくださいと言わんばかりの不用心さ。
だれかがお膳立てをしてくれた、あまりにも快適な道中。
ややハイペースで進んでいく。
においが、濃くなっていく。
二頭のゾウの二本の長鼻が闇を探って進んだ先に、光が見えた。
ゆらめくライトの輝き。四本。四人。光が闇をふり返った。闇にひそむラアたちに気がついた。
ひとりが近づいてくる。
ラアはまぶしさに目を細めながら、光のなかに視線を投げかけて、相手の姿を捉えた。
「ライオン?」
ガラクタ広場にロロシーがいるのは噂に聞いていた。大型肉食動物の半人らしいということも。けれど会ったことはなかった。会いたくなかった。こんなところにまできて同級生になど会いたくはない。捨てた日常の未練がましい切れ端。しかもロロシーという反りの合わない相手。
いまはじめて半人になったロロシーに直接会い、間近で見て、嗅いで、聴いて、その正体に思い至った。
「ゴャラーム?」
向こうは人間の名前を呼んできた。ラアが捨てた名前。ちいさな生き物の名前。ゾウにはふさわしくない名前。
「ぼくはアフリカゾウ」訂正して、「ライオン。ここでなにをしているの?」
「わたくしはロロシーです。あなたこそ。なにをしているんですか」