●ぽんぽこ13-46 風は渦巻いて
「あれを使ったのか」
甲冑を渡したことさえ忘れていたリカオンが、大きな丸耳を夜空に向かってつき立てて、草原を渡る風を正面から受けとめた。
「ありがとうございました。改めてお礼を」
さげられたホルスタインの頭に、首をふって、
「あまり物だ。それに、壊されちゃったんだろ。たいして役に立たずに申し訳ないというか、役に立ってもこっちが困ったんだが」
「恩を仇で返すようなことになってしまいましたね」
「そんなことは思ってない。使ってもらえてうれしい」
「ならいいんですが」
ふたりの足元ではテンジクネズミが体を丸くして寝落ちしている。
大きな毛玉になっているネズミを置いて、ホルスタインがリカオンを別の木陰に誘う。あたりを見回し、他のプレイヤーがいないことを確認すると、
「相談があるんですが」
「相談? なんだ」
腰を据えて聞く体制。四肢を草の上に伸ばして、首を持ちあげる。白黄黒の粗いブチ模様が風になでられる。ホルスタインも白と黒の毛衣を草原に横たわらせた。
「半人って知ってますか」
リカオンは言われた言葉を頭のなかでしばらく反芻していたが、首をひねって、
「いいや? なんだそれは?」
「病気です。私の子供が、いま、そのおそろしい病気に侵されているんです」
「ちょっとまて。現実世界の話か」
「そうです」
見つめる目があまりにも真剣だったので、リカオンは諫めようとした言葉を呑み込む。
「ピュシスに関係がある病気なんです」
「このゲームと? お子さんもプレイヤー?」
「ええ。私も今日まで知らなかったんです。でも、あの子が発症して知りました。獣になる病気です」
「獣、っていうのは……」
言葉を探す。けれど、いい言い方が思いつかずに、
「狼人間みたいな?」
「もっと中間なんですが、たぶん最終的には、中途半端な状態を抜けて、完全な、いま私やあなたが見ているような姿になるんだと思います」
リカオンの瞳には動物そのものであるホルスタインの姿が映っている。
「病院で診てもらったか?」
「それじゃ治せないってウルフハウンドさんが。実際、病院ではどうにもならないと思います」
「ウルフハウンド?」もはや疑問符まみれになっているリカオン。
「彼も同じように半人の知り合いがいて、その治療法を探しているんです。私と彼はそういう意味で同志なのです」
本当かな、とリカオンは思う。ホルスタインのことは疑っていないが、ウルフハウンドについてはハイイロオオカミからさんざん裏切りの話を聞かされたせいで不信感が募っている。直接会ったのはたったの一二回なので、早計かもしれないが、ペテンじゃないだろうな、と心配がちらつく。
ホルスタインが順を追って状況を語る。第一回戦が終わって、息子がラーテルに変異しはじめたこと。ウルフハウンドに助言を受けたこと。ピュシスの最深部、ゲームクリア特典の願い事に、半人化を止め、治療する手立てがあるに違いないということ。
「口止めされていたのか」リカオンが聞くと、
「すぐに信じてはもらえないだろうし、混乱させるだけだというのは正しい意見だと思いました」
「かも、しれないが」
「信じてくれますか」
リカオンは考え込む。たしかに聞かされるほうとしては相当に混乱する話。ピュシスユーザーはひとり残らず半人のキャリア。いつ発症するかも分からない。リカオン自身も例外ではない。最近、現実で、においや音に敏感になっていたが、仕事疲れのせいかと思っていた。あとは爪が伸びるのがすこし早い気がしていた。それらが兆候、ということだろうか。
だが、
「信じられない。そんなことありえるか?」
これが素直な気持ち。
ホルスタインは残念そうにモーと鳴いて、
「お話したのはそれだけ切羽詰まっているからです。そして、あなたを信頼しているからです。必要なら私の住所をお教えします。きてください。そして、息子の様子を実際に見て確認してください」
「いやいやいや」
慌てて首をふる。
「つまり、なんだ。俺が最深部にいくことになったら、そのあたりを調べてほしいってことか」
「お願いします」
「別にかまわないけど……」
半信半疑どころか一割信九割疑ぐらいの割合。けれどホルスタインが子供のことまで持ち出して冗談を言うような性格ではないのは分かっていたし、本当だとしたら、大変なことではある。自分も無関係ではない以上はちゃんと調べておきたい。
「人任せにせずに、自分でやりたいんですが、これ以上は、息子を放っておけなさそうなんです」
「そんなにひどいのか」
「さっき、すこしだけログアウトして様子を確認してきたんですが、その、あまりに暴れるので縛っているんです。ひどい親なのは分かってます」落ち込んだふうにうなだれて「目を離しているうちに力づくでほどこうとしたみたいで、縛っているところにうっすらと血がにじんでいました」
「それは、ゲームしてる場合じゃないな。いや、お子さんのためにゲームをしてるわけではあるが。その、旦那さんとか、見てくれる人はいないのか」
「私、離婚してるんです。息子とふたり暮らしで」
「ごめん。いたら、こんな話してないよな」
「いいんです。でも、戦ってよく分かりました。ライオンさんは強い。きっと優勝します。遺跡にいくときには、リカオンも」
「そのときには、ちゃんとついていくつもりだ」
「お願いします」
重ねて頭がさげられる。湾曲した角が細い月明かりにギラリと輝いた。
「しかし、ウルフハウンドも同じように最深部を目指してるっていう話だったが、その割には第一回戦であっさり負けてしまったのか。残念だったな」
「それは……」
口ごもったホルスタインは、なにやら悩んでいるふうだったが、
「ウルフハウンドさんの群れは、ギンドロさんの群れに吸収合併されてるんです」
聞いたリカオンは驚いて、
「そうだったのか」ハイイロオオカミが聞いたらぶちぎれそうだ、と思う。乗っ取られた群れを売り飛ばされた。
「おふたりともを応援しています」
「ああ。次の相手がギンドロの可能性もあるからな」
準決勝である第三回戦はライオンとホルスタインの群れの戦いともうひとつ、イリエワニとギンドロの群れで群れ戦がおこなわれている。
「イリエワニが防衛側で、ギンドロが攻略側って話だったな。植物族だらけでどう攻めるのかと思っていたが、ウルフハウンドたちが戦うのかな」
「そうなのかもしれません」と、頷いて、ホルスタインは歩き出した。「私は群れの者に言付をしてログアウトします」
「任せておけ。息子さん。お大事に」
「ありがとう」
走っていく。
リカオンはその場にとどまって寝そべったまま、すべて事実だったら、と想定して考える。
なんにせよやることははっきりしている。そのことについて迷う必要はない。
ただ、これは解決可能な事柄なのだろうか。
半人化というのはゲームプレイの副作用なのか。それとも、ゲーム自体が副産物なのだろうか。どうにも後者の気がしてならない。野生の勘がそう告げている。
完全に常軌を逸している技術。そんな技術を使っている相手が抜け道を用意しているものか? 映画だか漫画だかで、悪役が主人公に毒を注入して、解毒薬が欲しければ言うことを聞け、みたいなシチュエーションを見たことがあるが、それとはまるで違う状況。毒の存在も解毒薬の存在も不明瞭で、要求の提示もない。要求されているとすれば、それは獣になることだけだ。
植物にもなるんだろうか。ホルスタインの息子はラーテルのプレイヤーで、ラーテルになろうとしているらしい。ピュシスの肉体が現実の肉体に干渉している。個人端末、冠で電気信号を脳に直接送り込んで細胞を制御しているのだろうか。同じような方法で細胞を活性化、再生、変異させて、病気を治療する技術があるというのは聞いたことがある。それをもっと高度に発展させれば、不可能でもなさそうだが、それほどの技術があって、人間を獣にしようとしているのはどんなやつなんだろう。このピュシスを見ればよく分かるが、よっぽど自然が好きなやつには間違いない。偏執的と言えるほどに。
人間が獣や植物になる。
すると、どうなる。
なにが狙いだ。
――機械惑星を地球にでもするつもりか?