●ぽんぽこ5-7 二つの力
「おいっ。サイ。待てって!」
「聞こえてないのか?」
「一回止まれよ!」
「ダメだなこりゃあ」
猛進するインドサイの後ろに続くドールとユキヒョウが、サイのラッパのような形の耳に呼びかけながら顔を見合わせる。ドールはアカオオカミとも呼ばれるイヌ科動物。リカオンとほぼ同じぐらいの体格をしており、赤っぽい毛にオオカミそっくりの顔立ちをしている。それより一回り大きいユキヒョウは、白っぽい淡黄色の毛並みに黒い斑模様のあるヒョウ属の動物。チーターと近しい体重だが、体長が少し短く、体高も低い。がっしりとした体形をしていて、非常に長い尾を持つ。
自分たちを無視して抜け駆けしようとしているインドサイに溜息をついて、
「そういうつもりなら、早い者勝ちってことでいいんだな」
と、二頭が確認する。もとよりそれぞれ好きに戦う予定。敵を討てば長が追加の報酬をくれる。それに、思いっきり戦うのは楽しい。動物の体を本来の用途で、より伸び伸びと動かせている気がする。頭の芯の部分、本能とでも言うしかない場所が強い快感で刺激されるのだ。
陽に照らされた丈のまばらな植物が生い茂る枯れ草色の草原。干からびたような細い低木が数本、枯れ忘れたかのように地面に突き刺さって、葉の落ち切った枝先をあちこちに伸ばしている。
ユキヒョウが速度を上げて他の二頭を追い抜いていく。敵のリカオンたちはつかず離れずで後退していたが、今は立ち止まってこちらを迎え撃つ体勢をとっている。だが、チーターの姿が見えない。リカオンとシマウマだけ。どこかに身を隠しているな、とユキヒョウは感覚を広げながらも足を緩めようとはしない。チーターに大型動物を一撃で仕留めるような力はない。走力に全てを捧げた身体構造。自分よりも力の強い相手には向かってこないはず。狙うとしたら、このなかでは一番小型のドール。精々ドールには囮になってもらうことにしよう。
リカオンとシマウマが散った。どちらを追おうかと一瞬、逡巡したが、シマウマの黒白模様が行く方向へと体を曲げる。先に仕留めるのはこっちだ。肉食動物の自分とは相性がいい。すぐに肉を平らげてやる。
インドサイとドールもシマウマの方へと軌道を変えた。リカオン、シマウマ共にこちら三名より走力で優れる。地球とかいう場所の平坦かつ障害物の少ないサバンナで、日夜くり広げられる全力の追いかけっこで生き抜いていた動物だけはある。しかし、獲物がちょこまかと動き回るのなら、囲んでしまえばいい。こちらはチームではないが、似たような思考回路。どう動くかはなんとなく分かる。インドサイやドールと力を合わせることはないが、利用はさせてもらう。
リカオンが反転して、ユキヒョウの背後を取ろうとしている。チーターの姿はまだ見えない。おかしなことにシマウマは大きく弧を描いて向きを変え、リカオンと協力して挟み撃ちにしようとでもいうように、ユキヒョウの方へと向かってきた。そのあまりに不審な動作にユキヒョウは一時進路を曲げる。
そんなユキヒョウの様子を見て、ドールが「バカに弱腰じゃないか」と野次を飛ばしながらその横を通り抜けた。続いてインドサイも地面を打ち鳴らしながら突進していく。
「俺が一番乗りらしいな!」と、ドールが向かってくるシマウマに飛び掛かった瞬間、「うぐっ」と嗚咽のような悲鳴がこぼれた。
ドールの胸を鋭利な槍が貫いた。だらん、とぶら下がる赤い毛衣。その向こう側で、白黒だったシマウマは純白の白馬に姿を変えていた。先に房のある尾、山羊のようなあごヒゲ、二つに割れた爪のような蹄。その額からは螺旋状の筋の入った長い長い一本の角が突き出していた。
「ユニコーンというやつか。名前ぐらいは知っているが……ふん」
ユキヒョウは距離を取って、自身の危機察知能力を誇ると共に、迂闊過ぎたドールを笑う。
獲物を持ち上げ、ユニコーンが獰猛な嘶きを上げたが、それに一切怯むことなくインドサイが追突していく。サイが、鼻先にある太い棘のような角を純白の体の肩口に突き立てると同時に、ユニコーンの鋭い角の切っ先が甲冑のような肌を掠って僅かに切り裂いた。二頭に押しつぶされたドールは体力がゼロになり、ユニコーンの角からずり落ちると、地面の上で動かなくなる。
リカオンは敵を仕留めたシマウマの手並みを遠目で確認して、心のなかで喝采を送った。正直なところ、ちょっとばかり自信家のシマウマの実力を侮っていた。奥の手ならぬ奥の角で見事な不意打ちを決めてくれた。
しかし、なんの躊躇いもなく仲間ごと攻撃してきたインドサイの態度にも驚かされていた。ドールの命と引き換えにしたサイの突撃によって、シマウマは傷を負ってしまっている。
一刻も早くユキヒョウを仕留めて、加勢に向かわねばならない。三対一に持ち込めれば、いくら超重量級のインドサイ相手と言えど、戦況はこちらが有利。
ユキヒョウは向かってくるリカオンから逃げることなく、牙を剥いてきた。咆哮を上げることのない静かな威嚇。単純な対格差、倍ほどもある体重差で押しつぶそうとしている。リカオンは小鳥のようなけたたましい鳴き声を上げながら、その鼻先に噛みつこうと飛び掛かった。ユキヒョウが太い四肢、後ろ足で体を持ち上げ、リカオンの首元を真横から殴るように爪を立てた前足を振る。その時、ユキヒョウのすぐ横の草むらからチーターが飛び出してきた。ユキヒョウの一撃を受けながら、リカオンはその腕に噛みついて敵の動きを僅かでも制限する。跳躍するチーターは、ユキヒョウの喉元に確実に狙いを定めていた。
獲った、とリカオンは思った。淡黄色の毛衣に雪のような黒斑が散らばったユキヒョウの首にチーターの牙が食い込む。しかし、その瞬間、ユキヒョウの長い長い尾が高速で回転しはじめた。ぶううん、と風がうねる音。草原がざわめき、樹々が傾く。宙に浮かんでいたチーターの全身に壁のような豪風がぶつかった。それは温かく湿り気のある恵みの風だった。
「大丈夫かっ!」
ユキヒョウの太い足で踏まれ、爪を突き立てられながらリカオンがチーターの安否を気にかける。神聖スキルを使われたことは分かった。尾を使って風を作り出したのだ。その風の通り道には豊かな緑の香りが充満している。
必死にもがいてユキヒョウの足元から脱出したリカオンは、倒れているチーターに追撃を加えられないように、間に立ちはだかるようにしてユキヒョウと向かい合う。
「だいじょうぶ」
と、チーターが背後で静かに返事し、立ち上がる。リカオンが地を蹴り敵の横に回り込もうとすると、チーターは阿吽の呼吸で反対側に駆ける。それに対してユキヒョウはチーターを尻尾の風で牽制しながら、まずはリカオン仕留めようと爪と牙による波状攻撃を仕掛けてきた。鋭い切っ先で体をなぞられる度にリカオンの体力が削ぎ取られていく。
このままではなぶり殺し。しかし、リカオンは何とか踏ん張りながら、チーターを待つ。チーターが諦めていないことをリカオンは感じ取っていた。その動きから、やれる、という意思を汲み取ったのだ。リカオンは信じた。チーターなら作り出された豪風をも超えるスピードで駆け抜け、ユキヒョウを捉えられるはずだと。
そんなリカオンの期待を知ってか知らずか、チーターはぐんぐん速度を上げていく。草原は最速の獣に道を空け、大地はその足裏から力を与え、サバンナ本来の風がその背を押した。影すら置き去りにする限界を超えた走り。そうしてユキヒョウの尾から放たれる豪風を振り切ったチーターは、尻尾を使って速度を保ったまま急速にカーブすると、ユキヒョウに向かって攻撃を仕掛けた。ユキヒョウは体を低く伏せて直撃を避け、体を被う長い毛を僅かに刈り取られながらも牙と爪をいなす。飛び越えるような形になったチーターはすぐに反転して、敵の尻尾の動きから目を離さず、作り出される風の角度をしっかりと計算しながら更に追撃を加える。それに合わせて、ここぞとばかりにリカオンも牙を閃かせた。
「しつこい奴だなっ!」
ユキヒョウがスピーカーから怒声を発し、チーターを睨みつけた。チーターはその瞳のなかに、動物ではない何かを感じ取った。はじめて見るようなほの暗い輝き。悪魔の瞳。
「お前は王だ……!」
その言葉はチーターの頭のなかに、するりと染み込んで、積み木が崩れるように肉体がバラバラになる感覚がした。
「なんだっ!?」
リカオンが飛び退く。チーターが体ごとリカオンにぶつかって来た。ユキヒョウは距離を取るように跳躍して、籠のようになった樹上に腰を下ろすと、事態を静観している。
のしかかって来たチーターは牙を剥いて、仲間のリカオンの首元に執拗に噛みついてくる。味方同士なのでダメージはなく、甘噛みと変わらない、じゃれ合いに近い行為になっているが、これでは身動きが取れない。
這うように前足で地面を掻いてチーターの腹の下から脱出したリカオンが駆ける。チーターもその後ろを走った。全力で。
「止まれっ! 止まらないとヤバイぞ!」
リカオンがチーターに忠告する。チーターの振る舞いは常軌を逸していた。元から無口な性質だが、スピーカーで返事することもしない。それすらできない状態なのかもしれなかった。リカオンはユキヒョウを見る。その顔にはニヤニヤとした厭らしい微笑が張り付いていた。すぐに奴が何かしたのだと悟る。強風を巻き起こす力とは全く効果の異なる力。そんなのアリかよ、とリカオンは叫びたかったが、悪態をついている暇はなかった。
熱い。熱い。熱い。と、チーターはどうしようもなく動き続ける肉体に精神が振り回されていた。私が、焼ける。体の内側から、燃えてしまう。
チーターは自身の体を冷却する機能に乏しい。速度を出すことにだけ特化した体。地上最高速度を叩き出すその体の機構は、高性能のロケットエンジンのように、その出力に見合った膨大な熱を発する。今、チーターの体は、噴射され続ける炎によって焼き切られようとしていた。
体力が減り続けている。ピュシスと痛覚は連動していないが、凄まじい息苦しさがあった。息ができない。リカオンが立ち止まって、受け止めようとしてくれている。けど、ダメ、止まれない。足が動き続ける。リカオンの周りを、溶けて攪拌されてしまいそうなぐらい、ぐるぐると走りつづけてしまう。
体当たりされて草原に倒れる。体の下敷きになった草からは、焦げた匂いすら漂ってくる。リカオンが押さえつけるが、既にボロボロの体はそれを押しのけてはね起きようとする。熱によって肉が溶け、骨だけになっているのではないかとすら幻覚する体が、マリオネットのようにカタカタと鳴っていた。
ユキヒョウは、起き上がってまた走り出そうとするチーターと、それを止めようとするリカオンの涙ぐましい努力を樹上から眺めながら、どれだけ持つものかな、と予想して楽しんでいた。
天は己に二物を与えた。遊牧民に伝わる氷河の神。尻尾によって風を起こし、氷河を溶かす恵みの神であるユキヒョウ。その神聖スキル。それに加えて悪魔の力。ソロモン72柱。その序列57番。地獄の総裁オセの力。ヒョウの姿で現れるその悪魔は、己を帝王と思い込ませる力を持つ王冠を戴いている。プレイヤーを狂わせ、無差別攻撃を強いる神聖スキル。同士討ち不可能なこのゲームでは敵のかく乱にしか役に立たない効果だが、チーターのように全力で動くだけで体に大きな負荷がかかる動物なら話は別。タガを外してやれば、狂い死にさせることができる。
王、王、王、全ては俺の手のひらの上。狂える王ほど楽しい見世物はない。
ユキヒョウは心の底から湧き出る笑いを喉の奥でゴロゴロとこだまさせながら、今、ピュシスの世界を誰よりも満喫していた。