●ぽんぽこ13-40 戦牛
ライオンに化けているキツネは自動操縦される肉体に抵抗していた。
操作権が完全に奪われたわけではないが、自分の操作とは別に、四肢が勝手にホルスタインの元へと導かれようとしている。操縦桿の取り合いだ。
敵の長ホルスタインが発動しているクレタの牡牛の神聖スキルの誘引効果。
足を踏ん張る。海も船も見たことがないが、荒れ狂う海の上で舵取りをするのはこんな感覚かもしれないと夢想する。下手すれば船酔いというものになりそうだ。
澄んだ氷が張った湖の上を走った経験ならあるが、それにも似ている。つるつると滑って、止まろうと思ってもなかなか止まれない。
ライオンが草原で堪えている一方で、ダチョウは引き寄せる力にあらがわずに直進していた。本拠地の小山に踏み入ると、段差を乗り越え、樹々の梢をくぐって、ゴールだけを見据えている。
ダチョウが向かう先、ゴール地点にいるホルスタインは、小山の頂上の縁まで歩くと、敵味方の状況を見渡した。
思い描いていた試合運びとは異なるが、それほど悪くもない。
位置関係をザッと整理。現状把握に努める。
小山の上、ゴールの光柱のそばに自分。クレタの牡牛のスキルで敵全員を引き寄せている。
そこに迫るダチョウ。小山の斜面をのぼる巨大な鳥の背中には大型のネコ科オセロットと、ネズミとイタチのあいだのような姿をしている有袋類のオポッサム。
鎌鼬のスキルを使う仲間のフェレットが、ダチョウの背中を目指して小山の斜面に突入。自分とダチョウがぶつかるあたりで、挟み撃ちの形で追いつきそうだ。
夜空にはガチョウ。ダチョウの接近に合わせてこちらに助力すべく、降下してきている。
小山の外側に広がる草原にライオン。二の足を踏んでいる様子。これは、なにかを狙っているのか?
そこから離れた位置でペッカリーとアグーの小競り合い。完璧にペッカリーにマークされているアグーはこちらへ戻ってこれそうにない。
想定ではライオンが真っ先にくるものと考えていた。
敵の長がくるなら、相手をするのは自分しかいない。
ダチョウと一緒に攻め入られると、ゴールを守り切れないので、アグーとフェレットにはダチョウの相手をしてもらうことにして、自分がライオンを請け負う布陣だった。
けれども、ライオンはこちらの誘引効果に従うのを拒否。ダチョウはペッカリーの横やりにより網からこぼれた。
狙いは外れたが、同時に攻めてこないのならそれはそれでいい。片方ずつ順番に撃破するまで。
ダチョウがゴールへと首を伸ばしている。光を受けたくちばしがほのかに輝く。
待ち受けるホルスタインは蹄を打って、角を大きく奮い立たせた。
ホルスタインとダチョウがぶつかるより早く、鎌鼬が追いついた。
巨鳥の二本足を切り裂こうと鎌の両手をふりかぶる。一振り。足を横にずらされる。二振り。これは岩にぶつかってそれた。三振り。を、仕掛けようとすると後ろ蹴りを食らいかけて飛びのく。
本拠地の小山は草原と違って風の妨げになる障害物が多すぎる。攻めきれないことにいら立ちが募る。しかも、ダチョウの背中にいるオセロットがこちらの攻撃のタイミングをしっかりと見ている。この戦術は前にも、しかもごくごく最近に受けたものだ。ブチハイエナとリカオンのコンビと同じ。フェレットは舌打ちをする。
ダチョウがいよいよ小山をのぼりきるというところまできて、オセロットはいまこそ黄金の果実の使い時だと判断。齧りつこうと羽毛のなかから黄金を発掘。
口を大きく開けた、そのとき。
空から落とされた金の卵が、オセロットの後頭部に直撃した。
まったく偶然の一撃だった。黄金の果実に気づいていたわけではない。オセロットの手元から果実がこぼれる。転がると、落っこちて、地面を数度跳ねてから、茂みのなかへと入り込んだ。
次の瞬間、戦況が一気に変遷。それぞれのプレイヤーが別々の目的をもって動きはじめた。
事態は混迷のなかへと突き進む。
ホルスタインとダチョウが戦闘開始。立ち塞がる大牛に邪魔だとばかりに蹴りが放たれるが、それは強固な装甲によって防がれた。
クレタの牡牛のスキルを解いて、ゲリュオンの牛のスキルが使われる。屈強な紅い牛の肉体。
猛獣のような嘶きをウシが上げる。身にまとうのは戦士の甲冑。
変容し、ゴールへの道を阻む戦牛にダチョウは足を止めざるをえない。その背中にいたはずのオセロットとオポッサムは、いつの間にか姿を消していた。
クレタの牡牛の誘引効果が消えたことで、オセロットは自由に肉体を操作できるようになっていた。すぐさま黄金の果実が隠れた茂みに飛び込んでいく。鎌鼬が果実を追ったのを、オセロットは目撃していた。あれが敵に奪われては大変なことになる。効果の発動条件は果実を食べること。そして、植物族の果実というのは、敵であっても食べることができるのだ。
オポッサムも肉体が自由になり、オセロットとは反対側に飛び降りた。ライオンに指示されていた通りに、小山の自然、岩々や樹々に紛れる。ダチョウがホルスタインと相対しているうちに、迂回してゴールを目指す。だが、その動きに気づいたガチョウがオポッサムを追って翼をはためかせていた。
隙をうかがいながら、ダチョウは斜面の下へわずかに後退。ホルスタインが変貌したゲリュオンの牛は全身を甲冑でおおわれた重装備。そして、甲冑以上に厳つい自前の大角。見た目の圧力はすさまじい。
しかも、このあたりの地形は、幅を狭めるように岩が張り出しており、横を通り抜けるのは困難。
正面突破か、一度退却して回り込むか。背中にいた仲間たちが左右に駆けていった。そちらに託して、ホルスタインを引きつけるべき。できれば倒してしまえればいいが、蹴りつけたときの感触は非常に硬かった。
「いまどき装備品を使うひとがいるなんてね」と、ダチョウがひとりごちる。
装備品というのは遺跡と呼ばれる地下ダンジョンにポップするアイテム類。
ピュシスには珍しいゲームらしいゲーム要素で、入手すればインベントリにデータとして格納されるので手や背中で持ち運ぶ必要はなく、メニュー画面からの操作で装着、もしくは取外すことができる。
なかでもプレイヤーが言語音声を発するのに必要なスピーカーは、このゲームをプレイするのにおいて必需品。だが、多種多様な装備品でまともに使われているのは、装飾品のこのスピーカーぐらいなもの。
なぜなら、兜や鎧などを装備すると、防御力が上がるのと引き換えに他の能力が大幅低下し、ほとんど身動きできなくなってしまうからだ。しかも防具は消耗品。壊れたら消えてしまう。そんなものをいちいち使っていられない。
武器もあるが、剣や槍など動物の手では握れないのでまったくの不要品。ゴミ。
これらのアイテムの使い道は主に換金。中立地帯のバザーに配置されている岩の姿のNPCに渡せばレアリティに応じた命力に変えてもらえる。観賞用でしかないそれらを蒐集している好事家のプレイヤーもいるにはいるので、買い手を募集すれば高レアリティの良品であれば引き取ってもらえることもある。
しかし、そんな装備品、防具類だが、もしも仮に装備しても能力が低下しないのなら超強力な戦闘補助になる。その”もしも”を実現できるスキルがあった。
ライオンの群れがいままでに戦ったなかでも、現ウルフハウンドの群れのヒグマが使う鬼熊のスキル。イボイノシシの群れのウマグマが使うイエティのスキルがそれに該当する。そして、ホルスタインがいま使っているゲリュオンの牛のスキルもそのひとつ。
ゲリュオンの牛はゲリュオンという怪物が所有する牛。飼い主であるゲリュオンは腰の上から三つの胴体が生えた翼を持つ巨人であり、重装備を身にまとった戦士であったという。その恩恵にあずかってか、スキルの効果は肉体の強化と防具装備時の能力低下を無効にするというもの。
いまホルスタインが装備しているのは全身防具の甲冑。鼻先までをおおう頭部装甲の上部からは自前の立派な大角が飛び出ていて、まるでヴァイキングの兜。胴体部分は甲虫の外部骨格のように複数の金属板がなめらかに組み合わさって、動きを阻害することがない作り。装甲は四肢から尻尾の先にまで及び、一分の隙もなく紅い牛の毛衣をすっぽりと包み隠している。
まるで機械仕掛けのウシ。人間に改造された家畜の姿としては哀愁を伴いながらも、技術と贅の限りを尽くした骨董品のような美しさもあった。
「そんな装備があったとは。結構なレア品のようだが」
ダチョウが立ち位置を横にずらすと、ホルスタインものっそりと肉体を動かす。がちゃり、がちゃり、と甲冑の継ぎ目がとげとげしい音を響かせる。
「譲ってもらったんですよ。知り合いにね」
その知り合いというのはリカオン。リカオンもまさかこんなふうに使われるとは想像もしていなかっただろうが、それはホルスタインも同じ。貰った当時は、まだ神聖スキルが実装されておらず、こうして使うだなんてことは考えていなかった。
戦いに積極的ではなかった頃、攻めるのは苦手でも、せめて守りはしっかりしたいという話をしていた際に、この装備だったら身動きできなくなっても最低限壁として役に立つんじゃないかとリカオンがくれたのだ。
ダチョウが戦牛と睨み合う。
どっ、と空気が壁となって迫ってきたようだった。
ゲリュオンの牛が突進を仕掛けたのだ。重たい甲冑をまとっているとは思えない勢いにダチョウは気圧されて、横手にあった樹の幹の裏に飛び込んだ。
軌道を曲げた戦牛は、角の先にダチョウをとらえる。角は幹に刺さり、貫通し、樹をなかほどからへし折った。樹の幹を角に刺したまま戦牛はさらに前へ。裏に隠れていたダチョウは柱のような幹を押しつけられると、背中を岩に激突させる。
岩と樹の幹に挟まれたダチョウ。戦牛はまだまだ押してくる。押しつぶされる。蹴りを連打してもがく。何発かがゲリュオンの牛の前足の装甲に当たったが、弾かれる。首を伸ばして戦牛の顔をつっつく。頭部装甲の目や口元の隙間を狙う。けれど頭を軽くふられるだけで、簡単にいなされてしまった。
巨大な鳥が動きを止めるのにさほど時間はかからなかった。体力がゼロになった肉体が崩れ落ちる。
ゲリュオンの牛は角に刺さっている幹をふり払い、すぐに光柱の元へ引き返す。
ゴールは無事。侵入しようという影はない。
ふり返って草原へと視線を落とす。
「あら?」
いまの戦いのあいだに、肝心の相手を見失っていた。
「ライオンはどこに?」