●ぽんぽこ13-37 山の神の怒り
「警告だと?」
リカオンが聞き返すと、草原の向こうの小山の上でホルスタインが頷いた。
ジェヴォーダンの獣の姿のブチハイエナが肩越しにふり返って「リカオン」と、眉間のしわを深める。
「小玉鼠ですよ」
リカオンは小玉鼠という言葉を探して記憶をひっくり返す。
たしか妖怪だ。山の神の怒りとも言われる存在。山に踏み入った狩人の前に姿をあらわし、自爆する。遭遇した狩人はすぐに山を下山せねばおそろしい災難に見舞われるのだという。
翼を持つ巨大フェレットが落としていったテンジクネズミが自爆したのは、そのスキルの効果。
メニュー画面を確認。見慣れない状態異常が付与されている。
ホルスタインが声を高める。
「あなた方がゴールに近づこうとすれば、体力が急速に奪われることになります」
「わざわざご説明ありがとうよ」
リカオンは苦い声で言いながら考える。ハッタリではないだろう。これで自分とブチハイエナはゴールに近づきにくくなった。どのくらいの速度で体力が減るかは踏み込まなければ分からないが、たったひとつの命と引き換えのスキルであることを鑑みると、よほど強い効果に違いない。まさしくホルスタインが言ったとおり、急速に、減るのだろう。
となれば仲間を待つより他にない。できることはゴールに向かう仲間の後方から状況を確認してサポートするぐらい。
テンジクネズミは本当に死んでしまったようなので、二発目の小玉鼠はない。この効果を受けたのがふたりだけだったのはむしろ運がよかった。きちんと仲間と合流してからここにきていたら一網打尽にされていたかもしれない。
と、リカオンを背負っているジェヴォーダンの獣がおもむろに歩きはじめた。
向かうのは草原を越えた先にある小山。その頂上のゴール。
「おい」と、リカオンが呼び止める。「ブチハイエナ。無茶するな。仲間がくるのを待とう。それともなにか作戦でもあるのか?」
闇色の獣が闇のなかを駆け出す。小山の麓に近づくと、体力が減りはじめ、さらに進むにつれて減少する勢いが増していく。
「肉体の操作に干渉されています」
「なに?」
言われたリカオンは四肢がむずむずするような感覚に気がつく。元々、肉体が痛んでおり、動かすのに支障が出ていたので気づくのが遅れた。
体が勝手にどこかへと向かおうとしている。どこか、というのはゴール、ではなく、そのそばに立つホルスタインの元。
ホルスタインの角が雄々しく天にそそり立っている。あの角はあそこまで大きくなかった。スキルの効果による変容。
「誘引系のスキルか」
リカオンが情報として知っている誘引系のスキルは、以前、トラの群れと戦ったときにスイセンの植物族が使ってきたもの。ダチョウがまんまとはめられて、イリエワニに食われてしまった。
美しく可憐な黄色いスイセンの花を見たプレイヤーを自身の元へと強制的に動かせるナルキッソスの神聖スキル。操作妨害のなかでも、妨害どころか奪取しているのでかなり上位の効果。まばたきや顔をそらすのすら許さずに、一直線に自分の元へと向かわせる。
それに比べると、ホルスタインのスキルの操作妨害効果はそれほど強くはない。
プレイヤーは自身の肉体を操作できる。が、それとは別にシステムによって肉体が自動操縦されてもいる。
まるでプレイヤーと敵スキルの綱引き。肉体の操作権を半分だけ奪われているようなもどかしさ。エスカレーターを逆走しているような感覚。引っ張られるリードに抵抗するイヌのような心持ち。
リカオンは親戚の子供と遊んだゲームを思い出す。ふたつのコントローラーを使ってひとりのキャラを動かす変わったゲーム。相性診断ができるというので流行っていたらしい。自分は前に進もうとしているのに、子供は後ろに進もうとしていたりして、にっちもさっちもいかなかった。
さらに、このスキルはスイセンのものとは違って、相手を見ていなくても効果が発動している。フェロモンでもまき散らしているように、ホルスタインを中心とした一定範囲内に効果を及ぼせるらしかった。
「クレタの牡牛、ですね」
ブチハイエナの言葉に、リカオンが同意のくしゃみ。
海神ポセイドンからクレタ島の王ミノスに送られた牛。けれどミノスが神との誓いを破ったため、神は牛を激しく暴れさせたうえに、ミノスの妻パシパエの恋心が牛へと向かうようにした。後にパシパエはこの牛との子である牛頭人身の怪物ミノタウロスを産んでいる。
ジェヴォーダンの獣が小山に踏み入る。
小玉鼠の効果による体力の減少速度がさらに加速。だが、ジェヴォーダンの獣の俊足であれば、体力が尽きる前にゴールに到着できる可能性はまだ残されている。
全力で駆け抜ける。
大きく跳びあがって岩の表面に痛々しい爪跡を刻む。闇色をした硬い剛毛で樹々の皮膚をこそげとる。
いつの間にかリカオンは死亡し、その背中からずり落ちていた。
それを気にも留めずに走り続ける。瞳にはただゴールだけを映そうとするが、そこに割り込むクレタの牡牛の影。
ホルスタインはゴールから離れて本拠地中央の奇岩の裏に回り込んだ。闇色の獣の肉体はネズミを前にしたネコのようにそれを追わずにはいられない。
あと一息というところまできて、体力は一割ほど。一瞬でホルスタインを撃破して反転すれば、ゴールに手が届く。
トラのような牙を剥き、それと同等の爪をとがらせると、白い毛衣に黒い雲模様がゆれるホルスタインの肉体を強襲。
ホルスタインはクレタの牡牛のスキルで強化された大角を岩壁にひっかけて滑らせると、前足の蹄を軸にしてスピン。迎え撃つ構えをとった。
長大な角の切っ先が向けられても、ジェヴォーダンの獣はまったく怯まない。それどころか、真っ向からぶつかろうとしている。強靭な顎の大口で、角ごと頭蓋骨を粉砕しようとしていた。
後ろ足で地面を蹴ろうとした瞬間、闇色の獣の肩に掴みかかる者。空を飛んできたワイバーン。翼を持つ巨大フェレット。
前足を肩に、後ろ足を胴体に引っ掛けると、思いっきり翼で羽ばたく。
「いまっ!」フェレットの声でホルスタインが前に出る。
わずかに体を浮かされて攻撃のタイミングがずれる。その隙に、湾曲する角がさすまたのように喉元を挟んで、押し上げた。
「いけます!」
ホルスタインがバトンをつなぐ。足元に黒い塊が飛び込んでくる。片耳豚の妖怪カタキラウワ。その効果は決まれば強力。股をくぐった相手を即死させる。それがたとえ凶悪で強力なジェヴォーダンの獣であっても。