●ぽんぽこ5-6 消えたバオバブ
やっぱり思った通りだった、とリカオンは黒、黄、白がツギハギされたように荒く入り混じる毛並みを風にかき混ぜられながら考えていた。
以前に長や副長と一緒にトラの群れが遺跡を占拠して何をしているのか、その目的について予想し合った。その時、リカオンは神聖スキルに使う命力を稼ぐために、装備品をかき集めて売り捌いているのだろう、と言った。この戦において敵は出し惜しみなく、見せびらかすように神聖スキルを使ってきている。しかも誰も彼もがその特別なスキルも持っているらしい。神聖スキル使用時の命力消費はなかなか重いと聞く。そうなると群れ全体でかなりの命力が必要になる。この戦に備えて、遺跡に出現する装備品を独占していたに違いない。
それにしても、これでは敵全員が神聖スキルを持っていてもおかしくない。リカオンはちょっぴり羨ましくなる。メニュー欄を確認してみたが、ピュシスは自分には特別なスキルを授けてくれないようだ。伝え聞いただけでも中々楽しそうな効果が目白押し。一度使ってみたいとも思うが、自分はパーティを支える役として、使う奴を活かせる奴になることで満足しよう、という考えに落ち着く。今はその方が自分らしいような気がする。とはいえライオンの群れにおいて、誰がどんなスキルを持っているかなど把握などしてはいないが。
前を走るトムソンガゼルが敵の元へと案内してくれる。本拠地から南西方向。味方の植物族であるアカシアの木陰を抜け、第一防衛ラインを形成するバオバブの木の麓へ。後ろにはチーターとシマウマがぴったりとついてきている。トムソンガゼルが立ち止まると、リカオンたち三名も足を止めた。
「敵はドール、ユキヒョウ、ブラックバックだったな」
リカオンが耳を尖らせて確認すると、トムソンガゼルがほとんど同じ体格のリカオンを見返して、黒い尻尾をパタパタと振りながら「そう」と答えた。
敵三頭のなかではブラックバックの走力が傑出している。バラバラに向かってきているらしいので、はじめに接敵するのはこのブラックバック。こちらのパーティでその走りに追いつけるのは最大速度を出したチーターだけ。しかしチーターは持久力がないという弱点がある。一撃目を躱されたり、先にこちらが見つかって、距離を取られてしまうと面倒なことになってしまう。ブラックバックはおそらく偵察役。逃がせば情報を持ち帰られてしまうし、時間を稼がれてドール、ユキヒョウが合流してしまうような事態も避けたい。
「打って出る」
リカオンがパーティメンバーを見回す。四頭の顔が集まって、獣臭い匂いが輪のなかに充満した。それをバオバブの幹をなぞって流れてきた強い風がごうごうと吹き飛ばしていく。
「バオバブのバフ範囲から出るのかい?」と、シマウマ。
「ああ。確実に各個撃破したい。悠長にしていると、横やりが入りかねない」
チーターは、にゃん、と鳴いて長い尻尾を鉤のように曲げると、リカオンの意見に同意を示した。
「まあ僕もパーティリーダーの決定に従うさ」
言いながらシマウマはリカオンの倍以上ある体を、ぐっ、と伸ばす。
「トムソンガゼル。正確な方向を教えてくれ」
「あっちだよ」
トムソンガゼルが頭を向けて、明るい褐色の毛衣を横切る黒い帯模様で方位を指し示した。それを確認したリカオンは、周辺の環境を思い浮かべる。丈の高い草の草原。丈の低い草の草原。転がっている大小さまざまな岩。ほんの僅かな起伏のある地帯。まばらに生える低木。湖とも池とも呼べないような水溜まり。敵が通るであろうルートは拠点のある位置から大まかに推察できる。敵はサバンナにある拠点を巡らなければならない。となると接敵地点は……。
「岩場で待ち伏せをする」
リカオンが決断し、走り出す。全身が黒と白の鮮やかな縞で被われたシマウマがたてがみと尻尾をなびかせ、黄褐色の毛衣に黒の斑模様を躍らせながらチーターも続く。そして、最後尾には湾曲した角を尖らせたトムソンガゼルが跳ねるようについていった。
風に晒されて角のなくなった岩がばらまかれたように点在する場所。丸い岩に寄り添うように細い幹を伸ばす樹々にシマウマが身を隠す。斜めに降り注ぐ太陽光によって引き伸ばされた梢の影を全身に浴びたシマウマは、黒白の縞模様が保護色になって風景に溶け込んでいる。
「……来た」
微かにシマウマのスピーカーが震え、リカオンに敵の到来を告げた。背面から顔にかけて真っ黒な毛衣に被われ、目耳口と腹部、そして四肢の内側が白に染まり、その体長の半分ほどもある螺旋を描く長い二本の角が真っすぐに頭から伸びている。トムソンガゼルにも似た獣。ブラックバックがその蹄あたりまでしかない短い草を踏みしめ、サバンナを疾走している。
顎を地面に擦りつけながら、リカオンが岩の裏からそっと顔を出して、すぐに引っ込めた。敵の位置を確認し、鼻先でチーターに指示を出す。チーターは岩陰に隠れながら、慎重にその背面に回り込んでいく。トムソンガゼルはその反対側へ。
「おい、気を付けろよ」
リカオンが限りなく小声でトムソンガゼルに注意した。トムソンガゼルは岩に身を寄せ過ぎて、その角で岩肌をひっかいていた。甲高く、か細い音が微かに鳴ったが、まだブラックバックは遠方。その姿は握りこぶしよりも小さい。流石に聞き咎められてはいないようで、リカオンは胸を撫でおろす。
首を振って軽く謝罪して、今度は角にも気をつけてトムソンガゼルが離れていった。
「……止まった」
と、シマウマが言った。リカオンも確認するが、岩場の手前でブラックバックは足を止めている。まだチーターの攻撃圏外。チーター、トムソンガゼル、リカオンたちが作る三角形の包囲網の外側で、辺りの様子を窺っている。
気づかれたか、しかし何故、とリカオンが考えていると「なにか、敵の角に引っかかってる」とシマウマが知らせた。
「ゴミ? じゃない。鳥……いや、コウモリだ」
シマウマがその姿をはっきりと捉えた瞬間、コウモリがふわりと風に乗ってブラックバックの角から離れ、後方へと飛び去っていった。
灰褐色のオオコウモリ。オオコウモリにしては小さい。ルーセットオオコウモリ。小型コウモリは超音波を発してその反響音によって周辺環境を知るエコーロケーションという技能を持つが、オオコウモリは小型コウモリと違って超音波を使わない。しかしルーセットオオコウモリだけは例外。超音波を使うオオコウモリ。その聴覚は非常に優れている。
「行けっ!」
リカオンが号令を出した。バレている。今、攻撃するしかない。
チーターが電光の如く加速する。一瞬で最高速度まで達して、すらりと長い四肢で地面を蹴る。他のネコ科とは違って引っ込められない爪が滑り止めとなって、しっかりと大地を踏み締め、くるくると回転する尻尾が舵の役割になっている。
地上最速の獣、チーターの姿を確認する前に、ブラックバックは走り出していた。正確にその反対側、トムソンガゼルのいる方向へ。トムソンガゼルが岩を大ジャンプで飛び越えてその行く手を阻む。角と角が打ち合わされる硬い衝突音。リカオンとシマウマもブラックバックの元へ駆けた。
角での押し合いがはじまるが、ブラックバックとトムソンガゼルでは、ブラックバックの方が五割ほども体が大きい。角も長く大きくて、大人と子供ほどの対格差。それでもトムソンガゼルが何とか踏ん張り、足止めされたブラックバックの臀部にチーターが牙を突き立てようと跳躍した。
その直前、ブラックバックとトムソンガゼルの角が絡まり、横に捻られて、二頭の体が入れ替わった。チーターの牙はトムソンガゼルの体で阻まれてしまう。反射的に停止したチーターの頭に、ブラックバックに押し切られたトムソンガゼルがのしかかって来た。
「あばよっ! おチビちゃん!」
と、ブラックバックが捨て台詞を残して走り去っていく。
「このっ! 待てっ!」
トムソンガゼルはすぐさま起き上がり、岩を飛び越えて、その後を追って行ってしまった。横倒しになっていたチーターの元へリカオンとシマウマが到着して、肩を貸すようにして助け起こす。それから、遠ざかっていく二頭の背中を見つめた。
「どうする?」
シマウマが鼻先でチーターを労いながらリカオンに聞く。チーターは全身で息をしており、全力疾走の代償である疲労と高熱を発している。今は走れる状態ではない。休憩が必要だ。
もう二頭の姿は視界から消えてしまった。リカオンは思案し、迷いながら答える。
「……ブラックバックはトムソンガゼルに任せておこう」
「そうするしかないか」とシマウマ。「あんなに熱くなって追いかけて行くなんて、パーティの自覚が足りないんじゃないのかな」
「……かもな。とにかく一旦、索敵をしよう。飛んでいったコウモリのことが気にかかる。このルートを避けて相手が散ると、対応が難しくなる」
岩の上に登って鼻を空に突き出し、丸っこくて大きな耳をピンと尖らせたリカオンに倣って、シマウマとチーターもそれぞれ岩に登り、感覚を研ぎ澄ます。
しばらくすると、岩が、微かに揺れた気がした。気のせいか、と思ったが違う。ド、ド、ド、という地響きが地面を伝って岩に届いている。遠方からやってくる敵の姿をはじめに捉えたのはチーター。
「サイ」
と、ぼそりと呟く。
「でかいサイだ。角が一本。インドサイだな」
シマウマも敵を視覚にとらえ「トムソンガゼル、あんなバカでかい動物を見逃していたのか」と嘆息した。
「ドールとユキヒョウもいる」
チーターが知らせる。インドサイの巻き上げる砂煙に寄り添うように、その両側を二頭が駆けていた。リカオンも三頭の姿を確認する。散ると思っていた敵が集まってきている。相手は殲滅戦を仕掛けようとしているらしかった。それともただの戦闘狂なだけか。群れ戦の攻略側であるトラの群れにとっての至上命題は拠点を巡って本拠地にゴールすることであって、戦うことではない。敵を避けて進む方が効率的。こちらにとっては好都合ではあるが、こうもあからさまな攻めの姿勢には強い威圧感を覚える。
「バオバブのところまで退却。そこで迎え撃つ」
リカオンが言うと三頭は岩から下りて、本拠地方向へと駆けていく。相手と離れすぎないように注意して、こちらを補足しやすいようにしてやる。リカオンの予想通り、相手は確実に三頭を後を追いかけてきた。
「迷ったか?」
シマウマが困惑したように言った意味を、リカオンは察した。どこまで行ってもバオバブが見えてこない。しかし、辺りを見る限り、既にバオバブが生えていた第一防衛ラインに到着していた。
「バオバブが消えた?」
リカオンは辺りを見回す。どこにもいない。シマウマやチーターも同じように首を回して、瞳に不安を滲ませている。
「何かあったのかな。本拠地の様子を見に帰った方がいいかもしれないな」
シマウマの提案を、リカオンは「いや」とはね除ける。
この短い時間にバオバブが倒されたということはあり得ない。植物族は非常にタフ。倒すには樹を全て狩りつくさなければならないのだ。であれば、可能性としては配置変更。しかし、いくら今、手が足りていないと言っても、こんな重要な配置変更を知らせないと言うのは今までの副長のやり方を思えばありえなかった。
しかし、リカオンはこれを副長の信頼と表れだと受け取った。自分なら知らせなくても大丈夫と判断したのだ、と。
「植物族の支援なしで戦う」
リカオンはそう決断する。アカシアの守る第二防衛ラインまで下がるのは危険。向かってくるインドサイは非常に強力な草食動物。その一撃で植物族であるアカシアは簡単に幹を折られてしまう。支援を受けるメリットよりも、防衛ラインを荒らされるリスクの方が大きい。少なくともサイを倒すまでは、敵をこれ以上進ませるわけにはいかない。
リカオンの言葉にシマウマが嘶きを上げる。チーターも、にゃーご、と鳴くと、戦いに備えてしなやかな手足と尻尾をほぐした。
ここにいる全員がサイの強さを理解していた。ライオンの群れにもサイがいる。シロサイ。サイ科のなかでの最大種。しかし、向かってくるインドサイはそれに勝るとも劣らない大きさに見えた。ヨロイサイの別名を持つインドサイの堅牢な肉体は、相性有利の肉食動物の牙であっても、簡単には通してくれない。加えて、共に攻めてくるユキヒョウとドールはいずれも強力な肉食動物。辛い戦いになる。
「やるぞ」
向かってくる三つの敵影を見て、リカオンが左右に立つ仲間たちの体を鼓舞するように尻尾で叩いた。二頭もそれに応えるように尻尾を返す。
リカオンは考える。どうも、やりづらい。やりづらくされている。しかしまあ、ちょっとばかし難しい方が、ゲームとしては面白いかもしれない。だが、副長のこの信頼は、なかなかずっしり肩にのしかかってくる。しっかり応えたいと思わせるぐらいには。