●ぽんぽこ13-19 再会と和解
ひび割れた褐色の崖は引き延ばされた亀甲にも似ていた。その影の庇護のもと、フラミンゴから現在の戦況を聞き終わったハイイロオオカミが、
「結局、現状で一番進んでいるのは、最後尾にいたはずのライオンのパーティなのか」
とんがった三角耳に、フラミンゴがくちばしを寄せる。
「前線がちょっとずつ退けられて、そうなっちゃってるかな」
「勝ってるの? 負けてるの?」
林檎の質問に、「勝ってはいるな」と、ハイイロオオカミ。
「前線が上がってるあいだは勝ってる。下がりはじめたら、負ける兆候だ。ところどころで押し返されてはいるが、それ以上に進んでもいる」
「進み続けていれば、いつか中央に到着するってことね」
「そういうことだ」と、鼻先で頷いて、
「ピスタチオを置いてきたのが気になってたんだが、いま聞いたルート取りの感じだとダチョウと合流できそうだな」
「ダチョウとゾリラのコンビとね。けど、あのふたりは遊撃要員だから、そんなに長くピスタチオと一緒にいることはないんじゃないかな」
「せっかくの植物族が戦力的に浮いてるのを放置するかな? ……俺が言うのもなんだが」
自分の言葉が自分に跳ね返ってきて、ぎゅ、と眉をひそめる。
「冷たい言い方だけど」と、フラミンゴは林檎を気にしながら、
「今回みたいな急ぎめの展開での攻略側だったら、植物族は速度的に最後まではついてこれないだろうし、動物の肉体と違って残機もあるんだから、多少扱いがなおざりになっても仕方がないところがあるよ」
「試合によってはそんな感じなのね」納得したような林檎の声。
「一般的な定石ってだけだ。俺としては回復役、バフデバフ役はもうすこし丁重に扱われるべきだと思ってる」
そんなふうに言うハイイロオオカミの背中のはねっ毛をフラミンゴがつっつく。
「なにひとりだけいいかっこしようとしてるの」
「本心だよ」
「ほんとかなあ」
と、フラミンゴが翼をすくめると、オオカミは心外だというように口と耳を同時に尖らせた。
「前の俺の群れには植物族がひとりもいなかったからな。一緒に戦ってみて、ありがたみとか、戦術の広がりを実感しているところなんだよ」
オオカミの鼻先とフラミンゴのくちばしがかち合うと、
「そのぐらいにしておきましょう」
ふたりの頭上に赤い果実が落ちてきた。ピンクの鳥はくちばしで受け取ると、地面に置いてから、つついて割って、小気味いい音と共に果汁たっぷりの果肉を味わう。オオカミも果実を空中キャッチしようとしたが、肉体の不調で取り落としてしまった。後ろ足を引きながら、転がった果実を拾って、豪快に顎で砕く。
「おいしいよ。気分が落ち着いた」
「そう言ってもらえるのはとってもうれしい。ところで……」
林檎は天を指すように伸びる枝の一本に、ひときわ美しく輝く実をぶらさげた。
「これもあげる」
神聖スキルで生成された黄金の果実。
「それは、アムブロシアか。一戦につき一個しか作れないって聞いたが、そんな貴重なものを」
「食べればどんな状態異常も吹き飛ばせるの。これで元気になって」
「でも……」と、躊躇。
効果のほどは聞き及んでいる。神々の食べ物。完全回復に加えて、一定時間、全能力が爆増する。その効力はどんな小動物であっても獅子奮迅の活躍が見込めるほど。第一回戦のキングコブラの群れとの試合で、ハイイロオオカミがヒュドラーに討たれたあと、この黄金の果実で得た強力無比な補助効果の助けもあって、勝ちを拾うことができたのだという。
だが、すさまじい効果を持つ半面、能力強化の有効時間は短く設定されている。回復目的だけに使うのはもったいない代物。
「いまはまだ使いどころじゃないだろう」と、ハイイロオオカミ。
「そんなこと言ってると、使わないまま負けちゃうってこともあるんじゃないかしら。使えるときに使っちゃいましょ」
「そりゃあ抱え落ちは避けたいが」
「わたしはアリ寄りのアリな気がする」と、フラミンゴ。「ハイイロオオカミはスキル込みでうちの戦力としてはそこそこ上位のほうだし」
「お前もうちょっと言い方をなんとかできないのか」
イヌ科最上位であるハイイロオオカミの肉体の持ち主として、そこそこなどと言われると、すこしプライドが傷つく。鼻の上にしわを並べるが、フラミンゴは平気な顔。
「戦力をちゃんと分析できないと連絡役は務まらないんだよ。いい? 黄金の果実の使いどころを探しているあいだ、ひとり欠けた状態で、全体の戦力が下がったままになっちゃてるわけでしょ。ここで早めに使ってひとりぶんの戦力を回復しておけば、強い状態で戦える時間がそれだけ長くなる。局所的な強化を重視するか、長期的な強化を見据えるか、どっちがお得かって話」
一頭の戦力差は意外と大きい。分からないでもない意見だったが、ハイイロオオカミは、攻略側であれば安定よりも博打を狙うべきだという考え。一頭をゴールに通せば勝ちのルール。戦力は均すよりも、尖っていたほうがいい。
一個の果実のもとでふたりの意見がぶつかりそうになっていたとき、影を落としている崖の上から物音。議論は中止。すぐに身をひるがえしてフラミンゴが飛び立つ。
ハイイロオオカミは臨戦態勢で崖を見上げる。いまの肉体の状態では、どんな敵相手であれ劣勢必至。いざとなれば状況によって黄金の果実を口にするのもやぶさかではない。
そうして敵があらわれるのを待ち構えていると、上からだれかが降ってきた。明褐色のまるっこい毛衣。崖の亀裂を伝うようにして転がり落ちると、四肢をにょっきり広げて地面にひっくり返った。
「あっ。お前。ビスカッチャじゃないか」
ハイイロオオカミが前足で押さえて捕まえる。のびていたビスカッチャは、ややあって、
「うわあ。悪いオオカミ。食べないで!」
「長でもないのに食べれるわけないだろ!」
ビスカッチャは暴れるものの逃げられない。オオカミは弱っているとはいえ二倍以上の体格差。無理だと分かると、途端にめそめそとしだして、
「わたしったらなんて運が悪いの。ワシに攫われて、ヘビから逃げて、やっと助かったと思ったら、行き着く先がオオカミの胃のなかだなんて」
「どうしたのビスカッチャちゃん」
林檎が声をかけると、ビスカッチャは一転、うっとりと果実の香りに頬を染め、それからピリリと表情を引き締めた。
「なんてこと。林檎ちゃんがいるなんて。林檎ちゃん! わたしが食べられているうちに逃げるのよ!」
「食べないって言ってるだろうが」
溜息をつきそうになりながら、ハイイロオオカミは幼獣にするように、ビスカッチャを咥え上げた。落ち着きのないビスカッチャの長耳と尻尾がふり回されるが、しばらくすると疲れたらしく、ぐったりとしてぶらさがる。
空に退避していたフラミンゴが、敵の襲撃ではなさそうだと確認して、地上に降りてきた。
「なにごとかな」
「はぐれてたんだ。見ての通り、ビスカッチャは俺を悪者だと勘違いしているらしい。俺は無論、身の潔白を訴えるが」
「なにが潔白よ。灰色のくせして」と、ビスカッチャ。「疑わしきは罰せよ、よ」
「ビスカッチャちゃん。オオカミちゃんは悪い子じゃないのよ」
林檎が言うと、
「……そうなの? 林檎ちゃんが言うなら」
驚くほどあっさり態度が反転する。
「なんで林檎ちゃんの言うことは信じるんだよ」
「だって、林檎ちゃんよ?」
「分からん……」
一応は落ち着いたらしいのでハイイロオオカミがおろしてやると、パパッと毛繕いをしたビスカッチャは毛玉を投げ捨てて、齧歯類らしい身のこなしで林檎の幹を上っていった。ふっさりとした尻尾が枝から垂れて揺れるのを、オオカミとフラミンゴが見上げる。
「ワシとかヘビとか言っていたのは、なにかあったの?」
「それが聞いてよ林檎ちゃん」
せせこましく顔を洗うような仕草をして、ビスカッチャはハイイロオオカミのパーティを離れてから、いままでにあった出来事を語りだした。