●ぽんぽこ13-18 林檎とオオカミ
スレイプニルとの戦闘後、ハイイロオオカミは林檎の植物族と合流していた。崖際に沿って進むことで、影の帽子で姿を隠す。やや傾いたまぶしい日射しが、葉に砕かれて木漏れ日となり、さわやかな風と共にふたりを取り巻いていた。
激しい戦闘で体力が尽きかけていたハイイロオオカミだったが、植物族の果実を食べて、いまはすっかり体力満タンまで回復している。ただし状態異常はそのままで、裂傷と骨折でズタボロになった肉体をよれよれと引きずりながら歩いていた。
灰色の尻尾をふりふり進む後ろを、林檎の植物族がついていく。枝から落ちた赤い果実が、ころりころりと転がって、イヌの足跡にはまるようにして止まる。それから地面にするりと沈み込むと、種が芽吹いて土を押しのけた。現実ではありえない速度で成長した芽は幹になり、枝を広げ、葉を茂らせ、花を咲かせる。ほのかに紅色がかった白の花。五枚の花弁を優美な睫毛のようにくるりと巻いて、風にゆられるとはずむように甘く香る。
完全な樹になると、そちらにプレイヤー操作を移して、また次の一本の植樹にかかる。一本ずつ肉体が増えるが、植物族には一回の試合で使える自身の本数が定められているので、それを超えると古い肉体は削除される。いまも樹列の末端では、一本ずつ林檎の樹が枯れ落ちている。
動物とはかけ離れたゆったりとしたリズムで進む植物の歩みに、ハイイロオオカミはできるだけ歩幅を合わせるが、いまの傷んだ肉体では、そのぐらいの速度が精いっぱいでもあった。
移動しながら、お互いが把握している情報をひとしきり共有する。
キリンやシロサイのパーティの後ろから、遅れて進行していた林檎は、オオアナコンダと別れたあと、これまでたったひとりで樹列を伸ばしていた。道中は平穏そのもの。敵もだが、ハイイロオオカミがくるまでは、味方とも会わなかった。
ハイイロオオカミは、林檎が孤独で寂しい思いをしているのではないかと考えていたが、むしろ溌剌として、新鮮な体験に胸を躍らせている様子。
「紀州犬ちゃんはやられちゃったのね」
残念そうに林檎が言う。
「まあな。ビスカッチャはどこかにいってしまうし、俺がまかされていたパーティの戦果としては割と散々だ」
「でも頑張ってる。えらい」
「それはどうも」
情報共有をすべて終えると会話が途切れる。これまでの連続戦闘とはうってかわって静かな道行。ハイイロオオカミはふと思いついて、聞く機会を見失っていた質問を投げかける。
「林檎ちゃんは、どうしてこの群れに入ったんだ?」
中立地帯のオアシスで活動する有名なソロプレイヤー。いくらでも勧誘はあったようだが、どこにも所属することはなかった。果実の売買で命力を得ており、傍目にもかなりの繁盛っぷり。ライオンの群れはピュシス最大手ではあるが、その構成員よりずっと潤沢に命力を稼いでいたはず。スピーカーの音で声を奏でて、歌って踊らないライブを開催していたりもして、果実の味のファンとは別に、歌を聴きに集まるファンもたくさんいた。
「ハイエナちゃんに誘われたからよ」
「副長が? そうだったのか。前から知り合いだったのか」
「ライオンちゃんと一緒に果実を買いにくることが何度か」
客のひとりということらしい。口ぶりから親しい間柄という印象は受けない。耳を縦にしたり横にしたりしているハイイロオオカミに、林檎はまた一本、樹木を生やしながら、
「オアシスでの集まりがあったじゃない」
「大会議か。俺も見にいった。ちょっとした祭りだったな」
「誘ってもらったのは会議が終わって、みんながほとんど帰っちゃった頃。ブチハイエナちゃんも、ライオンちゃんやリカオンちゃんと一緒に縄張りに帰ろうとしていたんだけど、ひとりだけ戻ってきたの。それで、オートマタ騒動を解決するために一緒に戦ってほしい、林檎ちゃんは強いだろうから、ってね」
「それって、林檎ちゃんの神聖スキルのことを知ってたってことか? 金色の果実なんだっけか」
「アムブロシア」
「そう。それ」
「商品にもしたことはないし、知らなかったと思う」
「ふうん。でも、林檎と言えば……」
「林檎ちゃんよ」
「いや林檎ちゃんじゃなくて、植物の林檎のこと。神話伝承だと引っ張りだこの果物だから、なにかしら効果は持っているだろうという当て推量があったのかもな」
「そうかもね。で、そのときは断ったんだけれど、あとから、やっぱりお願いしますって伝手を使って連絡したの」
「なにか決め手があったのか?」
いまの情勢、オアシスを離れるべきだったのは分かる。うろつく敵性NPCが増えて、中立地帯もそれほど安全な場所ではなくなった。そんなときに一番はじめに声をかけてきた群れに身を寄せるというのは理解できる流れ。でも一度断って、というのは妙な話だ。
「林檎ちゃんはね。ギンドロちゃんの群れと戦いたいのよ。このトーナメントに参加すれば、それが叶うと思って」
「ん? ギンドロ? どういうことだ?」
藪から棒に出てきた名前に、尖った鼻先がかくんと傾いで、林檎の梢に向けられる。
「会議でみんなが話し合っていたときにね。ギンドロちゃんの群れの副長に会ったの。マンチニールちゃんっていうんだけど」
「ああ、あの猛毒林檎の……」
言いさして、言葉選びがまずかったかなと思ったハイイロオオカミはスピーカーを閉ざす。けれど、林檎は特に反応はせずに語り続けた。
「マンチニールちゃんとまたお話したいのよ」
「それだけにしては過激すぎないか。もっと穏便な方法、直接ギンドロの群れの縄張りを訪ねたほうがいいと思うが。渓谷のほうにあるんだろ」
「お邪魔していいか連絡を取ってもらったんだけれど、断られたの」
「断られた?」
「うん。縄張りの外縁でお話しないかって誘ったら、マンチニールちゃんが嫌だって。なら群れに入れてってお願いしてみたんだけれど、それも無理だって」
「あそこは植物族だったら諸手を、いや諸枝を挙げて誰でも受け入れる場所だと思ってたんだが違うのか。植物族がメインの群れだろうに」
「いろいろあるみたい。騒がしいのがダメなんだって」
「そんなに騒がしいか? もしかして歌うのが禁止とか?」
「ううん」と、林檎は首を横にふるような調子で言って「歌のことじゃないの。関係はあるけどね。その……」すこし言い難そうにしながら「林檎ちゃんを一生懸命に応援してくれる子たちがいるでしょ」
「ああ、そういうことか」
すぐに得心がいって、ハイイロオオカミは頷いた。
要するに、林檎のファンに押しかけられるのが困るということ。ライオンの群れでも一時問題になっていた。林檎が移ってきてから、縄張りの外でうろつく余所のプレイヤーが増えた。群れ戦中でもなければ、部外者が縄張りに入ることはできないが、外縁にたむろして林檎に呼びかけようとしたり、懇願したり、林檎を連れていったとして、ライオンに対する怨嗟の声を上げたりと、迷惑千万。
さらには群れに入りたがるプレイヤーの審査が大変になったと、副長のリカオンが不平をこぼしていた。邪な所属希望をするプレイヤーを、きちんとはねのけておかなければ、この大事な時期で群れが混乱してしまう。
しばらくはそんな状態が続いていたが、林檎に外縁を訪れてもらって、果実をふるまったり、歌ったりする機会を作ることで、だいぶマシにはなった。
「マンチニールちゃんとお話ししたいだけなのに、どうしようもなくなったから、じゃあ無理にでも会ってやろうって思ったのよ。それでトーナメントに参加できるようにこの群れに入ったの」
「でもトーナメントで当たるかどうかは分の悪い賭けじゃないか。たまたま準決勝まで両方残ってはいるが、この試合で俺たちが負けるかもしれないし、いまイリエワニの縄張りでおこなわれてる試合でギンドロの群れが負けるかもしれない」
「いいえ。勝ちます」林檎の梢から、望遠鏡を通り抜けたような木漏れ日が落ちてきた。草を焦がしそうなその光をハイイロオオカミは踏まないように足を運ぶ。
「植物は強いもの。きっと勝つって予感がするの。それに、ライオンちゃんもとっても強いから、どこかで絶対にぶつかるはず」
勝負に絶対はないし、いずれも過大評価な気がするが、とハイイロオオカミは思ったが、この群れを信じてくれている心に水を差すようなことはしなかった。
「……で、どうしてそこまでしてマンチニールに会って話をしたいんだ?」
「うーん。ちょっと説明しづらいんだけど」
風に乗って木の葉がくるくると回る。
「なら別にいい。ただの世間話で、詮索する気はないんだ」
ハイイロオオカミが尻尾を引っこめると、林檎はふわりと花を開かせた。
「そういうことじゃないの。単にどういうふうに説明したらいいか分からないってだけ。ただ、そうね……」考え込んだ林檎はややあって「なんだか知っている人のような気がするのよ。だからすこしお話がしたいなって。音楽について」
「知ってるっていうのは、現実でのってことか? 現実と仮想は切り分けておいたほうがいいぞ。現実の話なら、現実ですればいい」
忠告する言葉に、林檎はほんのすこしだけ声を沈ませて、
「分かってる。けど、その人とは現実だとうまく喋れないの」
「想像できないな。林檎ちゃんは誰とでも仲がいいから。悪い意味じゃないぞ。社交的で素晴らしいことだ」
「それはゲームのなかだけでの話なのよ」
「ふうん……」と、鼻息を鳴らして、ハイイロオオカミは会話を打ち切った。これ以上追及するとよからぬ方向に話が進みそうだ。現実の話をするのは基本的にマナー違反。
オオカミの足音は微か。林檎の赤い果実が転がる音と、かぐわしい芳香だけが、長閑な牧草地に彩りを添えている。
放置してしまっているピスタチオはどうしているだろう、とハイイロオオカミが考えているうちに、隣でそびえる崖から落ちる影が徐々に長く、淡くなってきた。その影の一部に別の影が重なっていることに気がついて、ハイイロオオカミは空を見上げる。雲の近くに目立つ色をした翼。ピンク色の鳥。仲間のフラミンゴだ。
フラミンゴは連絡役。話を聞いて全体の状況を確認したい。けれども、空を渡る鳥はこちらに頭を向ける様子はない。林檎たちは予定していた進攻ルートからだいぶ外れてしまっているので、こんなところにいるなどとは思っていないのだろう。
ハイイロオオカミは林檎を置いて崖のそばから離れる。草原に身をさらすと、近くの丘の上にまで肉体を引きずっていった。
気づいてくれ。と、念じてみるが、通り過ぎてしまいそうだ。仕方がないので、ちいさく吠えてみる。すこしずつ音量を大きく。敵に聞き咎められないだろうかと心配になっていると、翼が傾いて、分厚いくちばしが下を向いた。ようやく気づいてくれたようだ。
「こんなところにいたんだ」と、フラミンゴ。
崖下で待っていた林檎の元に集まる。
「いまどういう戦況か教えてくれないか」
ハイイロオオカミが尋ねると、フラミンゴは確認できている限りの、それぞれのパーティの進行状況と、各地での戦闘結果をふたりに教えてくれた。