●ぽんぽこ13-12 フェンリルとスレイプニルの結末
ニーズヘッグがガオケレナを撃破したのと同時刻、フェンリルとスレイプニルとの戦いは結末に向かって加速していた。
激しく折れて跳ね上がった樹の幹を顔面に受けて倒れた八本脚の神馬。回復効果がなくなっていることに、そのときになって気がつく。だが、ダメージで鈍くなった肉体を起こそうとするラバとケッティのプレイヤーの闘志は失われていない。
穴のなかに立てこもっていたフェンリルは満身創痍。けれども、せっかく掴んだこのチャンスを逃さないために、無理を通してでも体を動かす。一矢報いただけでは足りない。勝利が欲しい。ザクロの香りが途絶えていることを嗅覚で察知して、もしやと思い、一か八かこういった状況に持ち込んだのだ。
横倒しになっている神馬の喉元に、大狼の牙が食いつく。対して神馬も首をひねって歯を返した。ウマの最大の武器である蹄はこの体勢では使えない。それなら顎を使うまでのこと。
ウマの歯は草をすりつぶすための平らなもので主に構成されているが、尖った犬歯も持ち合わせている。そして、咬合力となると、人間の二倍以上。オオカミとも張り合える強さ。いまのふたりは神話上の生物を模った肉体なので、それがそのまま適用されるわけではないが、スレイプニルの噛みつきが敵を倒すに足る破壊力を有していることは確かだった。
フェンリルとスレイプニルがお互いの首を食い合った。
頬が擦り合い、片目と片目が睨み合う。小細工なしの噛みつき勝負。両者の体力がぐんぐんと失われていく。
顎に込める力は徐々に弱くなっていくが、いずれの心も力強いまま、決して引かずに攻め続ける。
雲が流れ、太陽が陰る。
崩れた丘の中腹で、両者の影が泥のように溶け合った。
それはやがてべったりと、牧草地のなかで、大きなシミとなって広がる。
雲の影が通り過ぎ、立っているのは一頭のみになっていた。
倒れているのは二頭。スキルが解けたラバとケッティ。
「別に、神話がどうこう言うつもりはない」
ハイイロオオカミはかつてないほど鈍重になった体を引きずる。
「俺のほうが運がよかったらしい。運に命を救われた。これも運命ってやつだな。起こりえないことなんてない。だから、相手はいつだって勝つつもりで戦っているってことを忘れずに、最後まで気を抜かないようにするんだな」
物言わぬラバとケッティの体力ゼロの肉体はどこか悔しげな表情。見開かれた瞳に映る感情を、ハイイロオオカミは読み取って、
「説教臭くて悪かったよ。また勝負しよう。次はお前らが勝つかもな」
死体状態になった二頭の体を押して寄り添わせてやると、丘の上にのぼって周囲の状況を確かめる。
仮想世界なので痛みの感覚はないが、それでも肉体の操作が重たいと不快感が募る。ガオケレナのように身体系の状態異常、骨折などを治せるスキルを持っているプレイヤーはライオンの群れにはいなかったはず。シマウマのユニコーンのスキルで治せるのは毒などの神経系か、混乱などの精神系の状態異常だけだ。この試合が終わってリフレッシュ処理が入るまでは我慢しなければ。
崖のほうにいた敵たちを探ると、それらはすべて倒されているようだった。ザクロの植物族が生えていた場所に巨大なヘビの姿。ニーズヘッグのスキルが解かれ、超巨大蛇から大蛇オオアナコンダに戻る。
――よりによってオオアナコンダに助けられたようだな。
ひゅう、と苦しい息を吐く。合流できる仲間がいないか探してはいたが、最初に見つけたのがあいつとは。
オオカミはロッキングホースのようにゆれながら、ゆったり、ゆったりと体を引きずってヘビの元へと向かっていく。
ちいさく吠えて呼びかけると、返事の代わりに割れた舌がぺろりと伸ばされた。
近況を報告しあってすぐ、
「ひどいやつだなお前は。レディーをひとりで置き去りにするなんて」
ぼろぼろのハイイロオオカミが音声だけは元気にスピーカーを鳴らすと、
「ひとのことは言えないだろ」オオアナコンダが返して「そっちだってピスタチオをほうってるんじゃないのか」
「先を見据えての別行動中なだけだ。長くひとりにするつもりはない」
「俺がきてなかった場合でもそんなことが言えるか?」
「……その点は感謝する。しかしなあ、そろそろ敵との遭遇率も上がってくるころだ。いったん林檎ちゃんのところに戻ってやれよ」
回復役の重要さは、さきほどの戦闘で嫌というほど再認識させられている。林檎とピスタチオは今回の群れ戦に参加している貴重な回復要員。
「それよりもだな。俺はザクロを探して全滅させてくる」
オオアナコンダのこの言葉に、ハイイロオオカミは強く反対できない。
「確かにそれは必要だな……」
植物族は一本を倒すだけでは撃破したことにはならない。この場所に生えていたザクロは一本だけだったようだが、そう遠くない別の場所で、まだ何本も幹を伸ばしているはず。それが命のストック、残機となっており、すべてを刈りつくさなければ、またあの強力な回復スキルを使われてしまう。
放置しておくと、回復された分が戦力差となり、戦の後半に重くのしかかってくる。ザクロの植物族を早めに完全撃破しておくことは、この群れ戦で勝利するために重要な工程。
「分かった。それは頼む」
ハイイロオオカミは、オオアナコンダの単独行動を呑み込むことにする。この大蛇の実力は証明済み。ザクロだけではなく、一緒にいたロバやペルシュロンまでひとりで倒してしまった。戦闘狂などと噂されているのは伊達ではないらしい。こちらの群れに移ってきたのも、単に戦いたかっただけという理由と聞いたが、それも信じられるような気がした。
「こっちのほうでも見つけたら、連絡役を通して知らせるようにする」と、ハイイロオオカミ。
「いいよ別に。俺は舌が利くんでな。全部倒したらむしろ俺のほうから知らせる」
ヤコブソン器官を使ってちろちろと舌で空気のにおいを嗅ぎながら、戦いたくてウズウズしているというように、さっさと移動をはじめてしまう。
けれど、途中で首だけふりかえると、
「そうだ。オオカミ。お前、ビスカッチャと同じパーティじゃなかったか?」
「ああ」
「さっきたぶん崖の上にいたぞ。いまはいなくなってるけど」
「え? ……そうか。教えてくれてありがとう」
ビスカッチャのことを気にしているどころじゃなかったので、すっかり忘れていた。けれど、いまさら探そうという気にはならないし、そんなことに労力を使っていられない。トラブルの種にならなければいいが、とだけ思う。
「じゃあな」長いヘビの尻尾を軽くふって、その先っぽで方角を示す。「林檎ちゃんはいまあっちのほうだ」それだけ言い残すと、崖下の低木や藪の隙間に入り込んで、草の緑にまぎれてしまう。
「どうしたもんかな」
ひとりごちる。肉体がかなり重い。まるで通信遅延のなか無理やりゲームを操作しているような感覚。
骨折に裂傷。状態異常まみれ。植物族の果実で回復できるのは体力だけ。けれど体力の数値だけでも回復しておけば、いまよりはマシになるだろう。目下の目標は回復。このままでは小突かれただけで死んでしまう。
林檎の方向、それから、ピスタチオの方向へ、交互に鼻先を向ける。
敵の追跡にのめりこみすぎて、ピスタチオがいる位置からはだいぶ離れてしまった。オオアナコンダにはああ言ったが、本当にひとのことは言えない。近いのは林檎。林檎の様子を確認しておきたくもある。
ピスタチオは昔からライオンの群れにいて戦にも慣れているが、林檎はライオンの群れに最近になって所属するまでは、中立地帯のオアシスで活動していたソロプレイヤー。群れ戦は今日のトーナメントがはじめてだったらしい。初戦からキングコブラの群れとの激しいぶつかり合い。二戦目では敵性NPCが戦に介入してきたことで混沌とした戦場になった。ヘビーな戦が続く。いまはひとりにされて心細い思いをしているに違いない。
「戦闘狂か……」
と、ヘビの通った道のにおいを嗅ぐ。実力者であることはおおいに認める。
「でも、それじゃあモテないぞ」
戦闘で乱れた毛衣をなでる風に言いながら、尻尾で肉体に鞭を打って歩く。オオアナコンダに教えられた方角へ。
この戦では、もう自分は戦力として数えるのは難しいだろう。だが、使えないわけじゃない。戦えないわけでもない。大蛇への対抗意識かもしれない。獣の肉体がより強く、戦いたい、と求めている。
心が獣になる感覚。それは、ピュシスをプレイしていると頻繁に訪れる感覚だ。肉体に精神を預けてしまいたくなる。いまはちょうど、そんな気分だった。