●ぽんぽこ13-11 ビスカッチャは見た
ビスカッチャはすべてを目撃していた。
ザクロの植物族の背後にある崖の上にビスカッチャはいた。縦に走る崖の亀裂を登って、割れ目のひとつにぽっちゃりとした体をおさめて隠していたのだが、そうしているうちに、崖の下にザクロやロバ、ラバ、ケッティがやってきて、身動きがとれなくなってしまったのだった。
長い耳や尻尾を見とがめられないように体を丸める。じっとしていると、いい日当たりに毛衣がぽかぽか、ぼんやりとしてしまう。しばらくすると、遠くから走ってくるペルシュロンとハイイロオオカミの姿が見えた。
ハイイロオオカミは悪魔のような大狼の姿となっている。その鋭い眼光の迫力にビスカッチャは慄いた。
――やっぱり思った通りだった。ハイイロオオカミと紀州犬はなにか企みがあってこの群れに入ったんだ。そして、秘密を知ったわたしの口を封じするために、あんなふうに本性を剥き出しにして、こんなところにまで追ってきたんだ!
勘違いをエスカレートさせて、おばあさんの正体を知ってしまった赤ずきんちゃんの気分に浸る。
崖の上にいるビスカッチャに遅れて、ロバもペルシュロンの姿に気がついた。その後ろからくるフェンリルにも。ザクロたちに知らせて臨戦態勢。ペルシュロンを救い、フェンリルを倒す相談をしはじめる。すぐにラバとケッティが敵を包囲すべく、大回りで丘のほうへと移動していく。
彼らがフェンリルと敵対している様子だと場の雰囲気を読み取ったビスカッチャは、敵の敵は味方とばかりに、心のなかで敵を応援しだしてしまった。
――悪いオオカミからわたしを守ってください。どうか。どうか。
フェンリルどころか、だれひとりとしてビスカッチャの存在には気がついていなかったが、それでもひとり思考を飛躍させ、願いよ届けとばかりに、ギュッと目を閉じ、ふっくらとした腹の前で手を握り込む。
ペルシュロンが崖の下にいるザクロの植物族の元へと走る。フェンリルは猛然と大柄な白馬を追いかけていたが、ザクロの幹の陰からロバが姿を見せると即座に反転。しかし、そこに待ち受けるラバとケッティ。
――いいぞ。取り囲んでる。そのままオオカミをやっつけろ。
と、もはや味方なのだか敵なのだか、己の立場すら忘れている。高い位置に腰を下ろして、家臣たちに守られるお姫様みたいだと思って、ちょっといい気分にすらなっていた。
ザクロが癒しの木の王ガオケレナのスキルを使う。梢が純白に染まり、幹が太く伸び、枝が広がる。甘酸っぱい香りが強まって、風に乗って運ばれていく。
ペルシュロンは回復すると、ロバと共に、先に戦っているラバとケッテイに加勢するべく動き出そうとした。
その矢先。
別の悪者がやってきた。
悪者だ、とビスカッチャは直観した。
悪者に決まっている。
それがだれだか分からなかったわけではない。ライオンの群れの一員だということは、もちろん知っていた。
ほんのすこし前に入ったばかりのオオアナコンダ。よその群れからやってきたプレイヤーへの不信感が高まっているビスカッチャには、大蛇は悪の化身以外のなにものでもないように思えた。
むしろビスカッチャの不信感がここまで高まっている原因というのが、このオオアナコンダであった。ヘビは嫌いだ。おとぎ話ではいつも悪役、悪いことばかりをしている。
キングコブラの群れの副長だったプレイヤー。それがきまぐれにこちらの群れにやってきた。そんな心移りをするプレイヤーは信用できない。なぜ王様がこの大蛇を迎え入れたのか、その考えすら疑ってしまう。
大蛇がザクロの足元に忍び寄っていた。音もなく下草をかきわけ、体をうねらせている。みんな気がついていない。気がついているのはビスカッチャだけ。
「あぶないっ!」
ビスカッチャは警告の声をあげた。これは敵であるはずのロバやペルシュロンを助けようとしての行動だったのだが、むしろまったく逆方向に働いてしまう。
大ウマとロバは、まったく知らないあいだに、こんなにも近く、しかも背後に敵がいたという事実に驚愕していた。そろって崖を見上げる。ザクロの意識も上を向いた。いつの間に。なぜ叫んだんだ。なにを仕掛けてくるつもりなのか。そんな考えがそれぞれの頭を駆け巡った。
そうしてがら空きになった足元には大蛇が。
「あぶないってば!」
わめきたてるが、そんな叫びは相手の困惑を深めるばかり。
ロバがすっころんだ。足には大蛇が巻きついている。オオアナコンダの鱗は銅色に変わっている。銅の体を持つ蛇神ユルルングルの肉体。金属質のずっしりと重たい締めつけ。ふりほどけない。ロバは、九つの口と六つの目を持つ怪驢馬のスキルを使っている。けれど首を曲げて九つの口すべてで噛みついても、銅の皮膚はびくともしない。
大きく長いロバの耳に、ユルルングルが顔を寄せた。口を開くと、耳打ちでもするように、けれど大音量で、王様の耳はロバの耳とばかりに雄たけびを発した。
蛇神ユルルングルの声は雷。ゼロ距離から耳の奥に向かって電撃攻撃を注ぎ込まれたロバは痙攣。一度ならず、くり返し注ぎ込まれる。すると、機械仕掛けの人形がショートしてしまったかのように、はたり、とロバの体が崩れ落ちた。
ペルシュロンは奇襲に動揺しながらも、倒れたロバを見て戦意をたぎらせる。崖の上のやつは気を引くための陽動だったに違いない。まんまと足元がおろそかになっていた。
ディオメデスの人喰い馬のスキルを使う。
銅蛇が放った細い電撃が大ウマに直撃。しかし、怪馬は倒れない。黄金の馬の効果で防御力を上げていた。間近にガオケレナの樹もある。常に回復し続ける体力は無尽蔵だと言っても過言ではない。先ほど倒れたロバも回復して立ち上がる。
九口六目の怪驢馬。ガオケレナを守っているとされる神話のロバ。
電撃で大ウマとロバを牽制しながら、ユルルングルは割れた舌をちろちろと出して、ザクロの香りに気がついた。すぐさまザクロが変じたガオケレナの木肌に電撃を浴びせかける。だが、植物族に電撃は効かない。せいぜい木肌を焦がした程度。かすり傷未満のダメージ。
崖の上のビスカッチャは、一時ピンチに陥ったロバたちの復活劇に、小躍りでもしそうな喜びよう。悪者がやっつけられる様を見届けようと体を乗り出す。
そのとき、銅蛇がスキルを解いた。元のオオアナコンダの姿に。濃緑褐色の体に並ぶ、黒い大きな水玉模様。
ザクロの植物族が強力な回復効果をふりまいているのは明白。先に植物族を撃破しなければ、ペルシュロンもロバも倒すことはできない。だが、肉食のヘビにとって植物族は相性不利で、体力を削りきるのは困難。
だが、オオアナコンダはこんな場面にぴったりな、とっておきのスキルを持っていた。ユルルングルとは別のスキル。別の姿に変貌していく。巨大なヘビ。醜悪なヘビ。大きく大きく裂けた口。その口には牙ではなく歯がならんでいた。草食動物のような平たい歯。臼のようなその歯は、植物だろうが、動物だろうが、かまわず挽きつぶしてしまいそうな威圧感。
巨大ヘビの巨大口がガオケレナに食いついた。ショベルカーのグラップルのような口。バリバリと痛ましい音と共に幹を齧りとる。そうして、ほんのひとくちでザクロの植物族の体力を奪いつくした。
オオアナコンダが変じたのは世界樹ユグドラシルの根を齧る怪物ニーズヘッグ。肉体の巨大化、能力の増強と共に、植物族特効というパッシブ効果がついている。相手が癒しの木の王ガオケレナだろうと関係なく、貪り食うことができるのだ。
ペルシュロンとロバが手を出す間もない、小枝を踏み潰しただけというような、ニーズヘッグの一撃。一手遅れたものの、二頭は両側からニーズヘッグに攻撃を仕掛ける。ザクロは討たれたが、いま敵の口は樹の幹をほおばることでいっぱいで、ふさがっている。
蹄が怪物蛇の弾力のある体に食い込む。
「ぐええ」
と、気の抜けたうめき声。
ペルシュロンはディオメデスの人喰い馬の内の一頭である恐ろしい馬の効果で攻撃力を強化して、渾身の蹴りを放つ。ニーズヘッグの胴は、ユルルングルとは違って金属の銅ではない。攻撃力は高いが防御力は並程度。樹の幹よりも太い体に、今度こそ怪驢馬の九つの口による噛みつきが決まる。
攻撃を受けた怪物蛇は、咥えていた木片を杖にして横に転がった。プレス機のローラーに轢かれるかのようにロバが押しつぶされる。そのまま獲物を押さえつけると、すぐさまニーズヘッグは木片を吐き捨てて、ロバの頭にかぶりついた。
ロバがやられたと分かった瞬間、ペルシュロンは速い馬の効果で素早さを強化。背を向けて逃げ出す。
だが、すでに周辺には長大なヘビの体がブービートラップのワイヤーのように張り巡らされていた。オオアナコンダのプレイヤーは肉体と精神を高いレベルで同化させて、頭と尻尾で別々の操作をすることはもちろん、胴体のどの部分であれ自由自在かつ繊細に動かすことができた。
怪馬が怪物蛇の胴体を飛び越えようとしたとき、ヘビの体がハードルのように持ち上がり、ウマの足を引っかけた。
転んだ白馬の全身に、ロープよりもずっと太いヘビの体が巻きついてくる。
悲鳴のような嘶き。輪が狭まる。輝く馬の効果で目つぶしの光を放つ。けれどもそんな悪あがきごと、ヘビのとぐろに閉じ込められた。一条の光も漏れ出さない、ヘビの監獄。
「面白かったよ。もうちょっとやりたかった」
大ウマの全身をどろどろと締めつけながら、ニーズヘッグがこぼす。
「あの白い樹を生かしたまま戦ってもよかったかもな」
そうして、ふと、崖を見上げた。そういえば、だれかが崖の上でわめいていたような。
けれど、もうそこにはビスカッチャはいない。大蛇の怖ろしい戦いぶりを前にして、一目散に逃げ去っていた。