●ぽんぽこ13-7 赤い幽霊
声も出ないほどにボブキャットは驚いていた。
見上げた先には赤毛の巨獣。その顔つきは、いましがた撃破したばかりのラクダ科の動物たちと同じ。背中にはふたつのコブ。フタコブラクダだ、とピンとくる。
しかし、フタコブラクダとはこんなにも大きいのだろうか。リャマやグアナコの倍ぐらいはある長身。奇岩の隙間に吹く乾いた風にたなびく血のように赤い長毛。コブにひっかかって垂れ下がっているのは、なにかの動物の原形のない白骨の塊。大腿骨や肩甲骨と思わしき分厚い骨がぶつかり合って、からん、からん、と夜の足音のような響きを奏でている。
ネコ科たちのパーティを率いていたピューマは、枯れ色の草の野原に片腕を伸ばして倒れている。なにかを知らせようとしているふうでもあり、助けを求めているふうでもある格好。しかし、いずれの行動を起こす間もなく、どこからともなくあらわれた赤毛の獣の高下駄のような蹄に踏みつぶされて戦闘不能に。
巨大な肋骨にも似た奇岩の上に太陽に光が降り注ぎ、深い影を作り出す。影のなかに佇む敵に、ネコたちが挑みかかった。真っ先に爪を伸ばしたのはサーバルキャット。己の数倍の体格をした獣にも臆することなく立ち向かう。続いて、別の角度からカラカルが跳躍。
赤毛がはらりと地に落ちる。けれどそれはネコの爪によって引き裂かれたのではない。ふたりの攻撃は空振りに終わっていた。赤毛の獣は攻撃を避けようともしなかった。ネコたちの鋭い爪が、牙が、太い喉元を狙った。だが、ふたりの攻撃は赤の毛衣をすり抜けて、味方同士で空中激突。
サーバルとカラカルが逆方向にのけぞって、地面に落ちる。
赤毛の獣は嘲笑うようにくちびるをめくり上げ、頑丈そうな歯を見せつけると、想定外の事態に混乱しているサーバルキャットの頭をすっぽりと咥え上げた。その次の瞬間、さらさらと砂のように輪郭を朧にさせ、空に飛び上がったではないか。
しばらくもがいていたサーバルだったが、体力が尽きたらしく動きを止めて、首を吊られて怪物の口から垂れ下がる。死体となった肉体を放り投げて、赤毛は奇岩に溶け込むように消えてしまった。
「あれは……、なに……?」
オセロットの疑問に答えられる者はいない。倒れていたカラカルが起き上がり、オセロットやボブキャットのそばに。すると、三頭の目の前に、音もなく再び怪物がさらさらと姿をあらわした。透明から半透明に、そして実体へ。まさしく幽霊の登場だ。
「っ……」
ネコが叫びを上げるよりも早く、蹄が勢いよく振り下ろされる。オセロットとカラカルはすんでのところで回避。つるべ落としのごとき二撃目。槌のような蹄の下にはボブキャットの弛緩した顔面。ふたつのコブに絡まった白骨が、打楽器となって陽気なリズムで耳を打つ。
竦んだ肉体が鉛にように固まる。あわやというところ、オセロットの体当たりに救われた。草と土にまみれて転がる。
「さっさと走れっ!」
叱咤の声に押されたボブキャットの体が無意識のうちに動き出す。離脱の寸前、オセロットとカラカルが戦っているのが見えた。
ネコたちが足元に跳びかかるが、衝突判定が設定されていないかのように、赤毛の獣の肉体を攻撃はすり抜けてしまう。
「……幽霊だ」
遠くから仲間たちの悲鳴。耳の奥に突き刺さるようにこだまする。耳をふさいでしまいたくなりながら、ボブキャットは助けを求めて一心に走り続けた。
語り終えたボブキャットは、濡れイヌのようにしぼんで見える体を牧草の布団に横たえさせる。
皆、黙り込んでしまっているなか、ブチハイエナが平常の調子で、
「それは、レッドゴーストですね」
「赤い幽霊?」
リカオンが首を傾げる。ライオンとオポッサムも聞き覚えがないという表情。
「やっぱり幽霊だったんだ」
と、言うボブキャットに、ブチハイエナは半分ほどの頷きを返して、
「幽霊というか。まあそうなんですが。尾ひれの多い民間伝承の類ですね。レッドゴーストは馬の二倍ほどの体格で、長く赤い髪をたなびかせ、白骨を背負っているそうです。空中を飛んで逃げたとか、グリズリーを殺して貪り食ったとか、惨事があった場所には痕跡として赤毛が残されていたとか、そういう話があります。その正体は、軍事利用するべく集められ、放棄されたラクダ、と言われていたみたいですね」
「なるほど。道具にされて捨てられたラクダの亡霊みたいなものか」ライオン。
「神聖スキルが設定される際に参照された地球の伝承としては、これで間違いないと思います。スキル効果にはアレンジが感じられますが。レッドゴーストに関してエスカレートした噂だと、馬の二倍どころか四倍ほどの体格で、空をおおうほどの黒い翼があるなんていうものもありますが、ボブが出会ったのはそこまでではなかったようですね」
「いかした赤毛のロングヘアーのフタコブラクダだった」
ボブキャットが思い返して、またブルリと身を震わせる。
「ヒトコブラクダではなく?」
ブチハイエナの質問には、「あれは絶対フタコブ」と返される。
「そうですか。まあどちらでもいいですが」
ヒトコブラクダとフタコブラクダの違いはコブがひとつかふたつかで一目瞭然。コブの中身は脂肪であり、荒廃した砂漠地帯で長期的に活動するためのエネルギーが貯蔵されている。さらには灼熱の日差しで体温が上がり過ぎないようにする断熱効果も備わっている。
二種はコブの数以外にも、フタコブラクダのほうがやや四肢が短く、頑丈な体をしているという差もある。ボブキャットが遭遇したのがフタコブラクダなら、戦闘においてはヒトコブよりもほんのすこし手強そうだという印象。
「攻撃がすり抜けたっていうのは、どういうことなんだろうね」
オポッサムが、リカオンの背中におぶってもらったまま声を上げると、ボブキャットはその存在にいまさら気がついたらしく、ぴょん、と驚いたように跳ねた。自分の半分ほどの体格の小動物をまじまじと見て、
「おっ、おまえっ、オポッサムじゃんか。しばらくぶり。どこいってたの?」
「えっ? えー。ちょっと、ログインする時間がなくって」
「オポッサムでログインするオポチュニティがなかったってことか」ふんふんと鼻を鳴らす。
「なにそれ」
「話がずれているぞ」
ライオンが雄大なたてがみを広大な牧草地に誇示して、
「ボブの話を俺様なりにまとめるとだな、敵のスキル効果としては攻撃をすり抜けて無効化。透明化。飛行能力。それから肉体の巨大化に伴う能力値の上昇。この四つだと言えそうだな。透明のままでの攻撃は不可能。直接攻撃以外もすり抜けてかわされるかどうかはまだ不明で、飛行能力は宙を漂えるぐらいという印象か。まさしく幽霊。霊体ということだな。そのくせ、向こうの攻撃は一方的に通るときた。厄介な相手だな」
「効果が多くてずるいぜ。なにか条件付きなんじゃないのか。どこかに弱点がないと困る」
リカオンが顔をくしゃりとしかめていると、ブチハイエナが、
「強力な効果も、コストに見合っていれば許されるものですよ」
スキルコストの命力消費が激しいのなら、逃げ回って持久戦に持ち込めば、敵は息切れするかもしれない。けれど、これはあくまで推測の域をでていない。
「そう言われたら、まあ、強いスキルはいくらでもあるしなあ」
考えてみれば、リカオンがいままでに話で聞いたなかにも、死亡状態を解除して蘇生できるウジャトの目、無限に再生するヒュドラーやウロボロス、スキル自体を無効化する貘、フラミンゴから報告があったばかりの即死付与と思わしき攻撃をしてきたアグーやアヒル、この群れに最近迎え入れた林檎の植物族の黄金の林檎による超強化、それになにより別の肉体に変化した上に、化けた先の動物を素材にした合成獣にもなれる化けダヌキ。同じく化けギツネも。インチキじみた効果のスキルはいくらでもある。透明になったり攻撃がすり抜けられるからといって、それがどうしたという気分にもなってくる。空を飛べる効果のスキルはいま頭上にいる敵のガチョウだとか、その前にいたトナカイだとかも持っている。
ライオンが思案する。
「不意打ちを警戒しなければならない相手だが、そうすると、この試合のあいだずっと、透明のレッドゴーストが近くにいて襲いかかってくるかもしれないという意識が負担になりかねん。位置が分かっているいまのうちに、どうにか始末しておきたいところだが……」
「王。それなら適任がいますよ」ブチハイエナがにっこりとほほえむ。
「だれだ?」
ブチハイエナは空を見上げて、上空からいまだにこちらの監視を続けている敵のガチョウのことを気にするそぶり。ガチョウの姿は遠く雲にまぎれている。この距離なら盗み聞きされることもないだろうが、いちおう声をひそめると、
「イランドです」
ほう、とライオンは目を瞬かせる。
「なるほど」と、頷いて「ボブ」
「はいはい。王さま」
「イランドのパーティがいま進攻している位置を教える。探して、レッドゴーストのところに案内してやってくれ」
逃走時に聞いた悲鳴の残響が耳によみがえったボブキャットは不安そうに、
「オイラだけで?」
「俺様や副長が動くとなると、頭上で見張ってるあいつが」と、鼻先でハンサのスキルで飛び続けているガチョウを指して、「こちらの動きを警戒して、なにか手を打とうとするかもしれん。ボブひとりぐらいなら、動いたところで俺様たちの監視より優先されることはないだろう」
しょぼくれた顔になったボブキャットの背を、大きなライオンの前足の肉球が軽く押す。
「レッドゴーストとの正確な遭遇地点を知っているのはボブだけだ。いまから急げばオセロットやカラカルも助かるかもしれない」
「……そうだよね。うん。オイラがんばる」
「ああ。頼りにしているぞ」
早速、場所を教えてもらうと、ボブキャットはガチョウの監視範囲から出るまでは、すこし道をそれながら、台地を回り込んで疾走していった。
それを見送って、リカオンは渋い顔。
「今回の戦に参加しているネコ科全員を固めた狩りのエリート集団が壊滅するなんてな。戦力の一点集中はよくない作戦だったかなあ。ドリームチームで必勝だと思ったのに。キリンとシロサイも倒されて、なんだか嫌な流れだな」
パーティ割り振りを提案したのはリカオン。
「マッチアップのかみ合わせが悪かったですね。今回に関しては運の問題ですよ。レッドゴーストの出現前に、彼らのパーティはラクダ科四頭を一方的に倒すという成果を上げています。相手の手の内は見えてきましたし、まだまだ巻き返せる範疇ですよ」と、ブチハイエナ。
「そう言ってもらえると助かる」
「ただ、いまネコ科全員と仰いましたが、肝心なお方をお忘れじゃないですか」
「ん?」
ライオンを見て、
「だってこいつは……、いやライオンだもんな」思い直して「じゃあ今回の戦にはネコ科が六頭も参加していることになるのか」
「子子子子子子」
ライオンがぼそりとこぼした言葉に、
「なんて?」
聞き返したリカオンと、笑ったのはオポッサム。
「どうして笑う?」首を曲げて背中を見上げる。
「ぼくも六頭のネコでおんなじこと考えてた。子子子子子子」
オポッサムが言うと、ライオンがくり返し、またオポッサムが応じる。
「子子子子子子」
「子子子子子子」
「なにが面白いんだ? 呪文か?」と、リカオン。
「ただの言葉遊びですよ。子が六個。子が六個。合計十二個」
ブチハイエナが教えるが、
「俺には分からん」
するとライオンとオポッサムまできょとんとする。
「俺様にも分からん」
「ぼくにも」
「なんなんだよ」
ガチョウは眼下でゆったりと進行している敵長のパーティが談笑しているのを眺めながら、さすがライオンの群れは余裕たっぷりなのだな、と感心していた。連絡役らしいフラミンゴがやってきたあと、こちらも連絡役だろうか、ボブキャットが報告にきていた。
太陽が天頂からすこし傾きはじめている。戦の開始時間は早朝。これから夜を越えて、次の太陽が姿を見せるまでのあいだ、本拠地のゴールを防衛しきらなければならない。
先は長いが、押している雰囲気。追い風に翼が浮き上がる。
――勝てるかもしれない。
カンガルーの群れにだって勝ったのだから、ライオンにだって。そうすればもう家畜だ家禽だのという言葉は強者を称える尊称に変わるだろう。
そんなことを考えながら、首にピンと力を込める。黄色いくちばしをまっすぐに伸ばして、ガチョウは白い翼を雲に預けた。