●ぽんぽこ13-5 遠吠えに呼ばれて
緑に輝く牧草地にうずもれる四頭のイヌたち。
背中合わせのフェンリルと紀州犬。フェンリルの正面にガルム、紀州犬の正面にはオルトロスが立ちはだかっている。
降り注ぐ太陽の光に牙が閃く。
静から動へ、緩急のある切り替え。大狼フェンリルの肉体が、ドッと堰を切ったように動き出した。ガルムに向かってまっしぐら。
速い、とガルムは驚く。すこし前に見たよりも動きが鋭い。しかも、それに対して自分の肉体の動きは、ほんのすこし鈍っているように感じる。ふたつの事実を照らし合わせれば、その理由は明白。敵の増援。近くに敵の植物族が接近している。植物族の基本能力であるバフとデバフの効果範囲内に入ったことで、動きに差が生まれてしまったのだ。
ハイイロオオカミはフェンリルに変身した際に、まず遠吠えを上げていた。それは後続の仲間に位置を知らせるため。そうして世間話で時間を稼いで、ゆっくりと増援の到着をまっていた。
ガルムとフェンリルが組み合うと同時に、紀州犬がオルトロスに向かってきた。
双頭のイヌは横にスライドして回避行動。そうしながら二本の首を伸ばして、体全体を使ってフックを繰り出そうとする。しかし、牧草を爪で蹴り上げたとき、避けたはずの相手の牙が間近にあった。紀州犬の首がスポンと抜けて射程が伸びたのだ。犬神のスキルによる首飛ばし。
植物族のサポートを受けたその攻撃は想定よりも速い。オルトロスの片頭の鼻先を犬神の牙が完全にとらえる。が、その直前、ボーダーコリーはスキルを解いて、片頭を消すことでやり過ごした。
ただのボーダーコリーの姿に戻ると、首なしの胴体の首元に牙を突き立てる。これですこしは怯むかと思ったが、怯まずに相手は押してきた。胴体を捨てているとしか思えない無茶な前進。押し合いのあいだに、生首が旋回して戻ってくると、執念深く牙を剥く。
コリーはもう一度、双頭になって、胴体に噛みついたまま、もう片方の頭で生首に応戦。牙と牙が絡まり合う。首なしの胴体への噛みつきにより、紀州犬の体力が大幅に減少しているのは確実だったが、まだ倒すには足りないらしい。
紀州犬の胴体はおもりになってのしかかってくるばかりで無抵抗。頭の操作に全神経を集中。精密な空中機動。呪われたイヌの首。その牙が、ついにオルトロスに届いた。双頭のイヌは首なしのイヌの呪いにあてられ、状態異常に侵される。能力が低下。
ここぞとばかりに胴体が反撃に出た。弱体化したオルトロスは力負けして、押し倒される。草の緑にまぎれて、二頭のイヌが転がりまわる。
紀州犬は相手を追い詰め、前足で押さえつけたが、決定打となるダメージを与えるには爪では足りない。イヌの最大の武器はやはり牙。頭がなければ。空を泳ぐ生首を呼び戻す。
頭と体の邂逅。だが、そこに横切る超高速の影。己の体を見ていた視界が、急速に天高くへと遠のいていく。
「俺の頭が!」
その叫びは無常にも雲に呑まれた。紀州犬の首はイヌワシによってかっさらわれていた。イヌワシの水平飛行速度は地上最速のチーターをも超える。降下速度となるとその倍ほどの速さ。獲物をしとめる一瞬の早業だった。
遠吠えによって仲間を呼び寄せていたのはフェンリルだけではなかった。話し込む前、オルトロスもまた空に遠吠えを響かせていた。雲の縁で輝くイヌワシの姿を見つけていたのだ。
「頭を返せ!」
紀州犬の悲鳴。ガルムを一騎打ちで引き裂いたフェンリルが、イヌワシの足元に疾走し、跳躍。とびかかるが、空高くに逃げられては届かない。
遠のけば縮んで見えるはずの鳥影が膨らんでいく。イヌワシは巨大鷲フレスベルグの肉体になると、鷲掴みにしている紀州犬の頭を握りつぶして致命傷を与えた。
残された胴体が糸が切れたように倒れる。
翼をひるがえしてフレスベルグが降下。そして、身構えるフェンリルの鼻先をかすめて、草原を薙ぐように飛ぶと、急上昇して退却。巨大鷲の手にはボーダーコリー。戦闘よりも仲間を安全なところに運ぶことを優先する冷静な判断。
地上から追いかけたとしても、間に合わない速度で空を渡っていく。勝ち負けなしの痛み分けで終わり。ハイイロオオカミはスキルを解いて、体力がゼロになった紀州犬の肉体に駆け寄ると、もの悲しそうに荒れた毛衣を毛繕いしてやった。
敵のシープドッグの死体を紀州犬のそばに運んでやっていると、仲間のピスタチオの植物族がのっそりと追いついてきた。
「どんな感じ?」
すっと伸びた幹の上に丸みのある梢。枝には宝石のような翠や紅に色づくナッツの実が、彩り豊かにぶらさがっている。
「紀州犬がやられちまった」
戦闘結果を報告して、遭遇した敵の詳細も教えておく。それが終わるとすぐ、
「実をくれ。たくさん」
ねだるように枝を仰ぐ。すると、熟したナッツが、ころん、ころん、と落ちてきた。オオカミは嬉しそうに口いっぱいにナッツを頬張り、がりがりとかみ砕くと、
「うまい!」
思わず口元をほころばせる。そうして、歯の隙間に挟まった欠片まで、舌で探って堪能すると、カラッと気分を切り替えて、大鷲が飛んでいった先を眺めた。あちらに敵の本拠地がある。最終的にたどり着くべきゴールの位置。
「あっ。そうだ」
と、ハイイロオオカミがピスタチオの幹に向き直る。
「ビスカッチャと会わなかったか」
「会ってないけど。はぐれたの?」周囲を探るようなピスタチオの声。
「どっかに走っていったんだよ。よく分からんことを言って」
「いつものことじゃない」
「そうなのか?」
「あの子、ひとの話聞かないから」
あっさりと言われてしまう。
別の群れから移ってきたハイイロオオカミには、まだまだ性格を把握しきれていない仲間が多い。ビスカッチャもそんなひとり。道中は静かなやつだと思っていたが、いざ話し出すと怒涛の勢いだった。思い込んだら、という性格らしい。
「うーん」
これからの進攻をどうするかハイイロオオカミはしばしのあいだ悩む。
紀州犬が倒されて、ビスカッチャが遁走したことで、このパーティはハイイロオオカミとピスタチオだけになってしまった。
別の仲間と合流するか、それとも少数のまま進むか。
決断まで、それほど時間はかからなかった。
「ピスタチオは予定ルートを進んでおいてくれ。俺は仲間を探してくる」
合流を選択。けれど植物族には先にいってもらう。そうしておかなければ植物族の移動速度では前線に遅れてしまう。
「分かった。連絡待ってるね」
「ああ」
ハイイロオオカミは足元の草むらに鼻先を突っ込んで、散らばったナッツの残りを意地汚く見つけては残さず食べきると、
「よし」
と、完全回復した体力を確認。ぐぐぐっ、と、しなやかで力強い体を伸ばす。
獣の四肢が大地を蹴って、草をかき分ける。風と見まごうほどに颯爽と、灰色の毛衣をたなびかせて、ハイイロオオカミが牧草地を駆け抜けていった。