●ぽんぽこ5-3 パラヴァニ
アフリカハゲコウはバオバブの並木が作る第一防衛ラインをぐるりと巡回して、縄張りの東側に戻ってきていた。少し遠くに翼を向けようかと考えて、枝を離れる。見慣れた空を飛びながら、敵の姿を探す。そうしながら、やはりサバンナの空は良い、と改めて実感していた。以前、戦ったオオカミの群れの縄張りである雪の降り積もった針葉樹林とは違い、カラッとした風が羽根の一枚一枚までもを洗ってくれる。
草原を一つ越えたが、群れ戦開始からそれほど時間は経っていない。まだ敵は見当たらなかった。一旦引き返して他の方向を探ろうかと翼をひるがえそうとした瞬間、空の彼方で何かがキラリと輝いた。
足元にあった低木の枝に掴まって、長いくちばしを光の方へ向ける。星の光ではない。動いて、近づいてくる。虹のような光の帯。優れた鳥類の視力によって、まだ遠方にある敵の姿をハゲコウは捉えた。
クジャクが飛んでくる。しかしその飛行速度は尋常ではなかった。鋭い風切り音が闇を吹き飛ばし、どこまでも華々しい飾り羽に並ぶ目玉を思わせる模様は、一つひとつが小さな太陽となって、夜を照らしだそうとしているように見えた。
自身と同じ鳥類に関する情報については、ハゲコウは特に詳しく調べていた。クジャクに関する伝承について記憶を探り、一つの名前に行き当たる。
パラヴァニ。それはカルティケーヤもしくはスカンダと呼ばれる軍神を乗せる騎獣。神を乗せて天空を翔けるクジャク。その力が神聖スキルによって使えるに違いなかった。
ハゲコウは更に思案を巡らせる。このままの速度で飛ばれてしまうと、すぐにバオバブが待ち構える第一防衛ラインにまで到達されてしまう。クジャクは簡単にその巨木の脇をすり抜けて、第二防衛ライン、最終防衛ラインまで飛び込み、同じ速度で飛び去って、迅速に情報を持ち帰るだろう。
サバンナでは身を隠せる場所は少ない。一目見れば、今日の群れ戦において、こちらが少数であり、ライオンが不在であることを知られてしまう。知れば相手は力を集中させて強引に突破しようとしてくるかもしれない。そうなると戦況が厳しくなることは明白。
妨害するべきだ。ハゲコウは飛び上がり、クジャクを迎え撃つべく、その進行方向へと羽ばたいた。クジャクの優美な尾羽が閃いて、星よりも眩く輝いている。あまりに目立つその姿は、その背に乗せたという軍神の威厳を表しているようであった。
クジャクは視界の端で大きな鳥が飛び上がったのを見た。バサバサと羽音を響かせて、こちらに近づいてくる。己の美しい姿とはあまりにかけ離れた、禿げ上がった頭に、不格好な喉袋をぶら下げた鳥を見て、クジャクは鼻で笑う。醜い鳥だ。一目で分かる腐肉漁り。汚らわしくてこれ以上見るのは耐え難い。
可憐な冠羽を揺らして視線を逸らし、接近してくる羽音だけを聞く。小うるさいムササビをネムノキの林で下ろして、やっと身が軽くなったというのに、またも不快なものに遭遇してしまうとは、不運としか言いようがない。
構う必要はない。パラヴァニの神聖スキルによって驚異的な飛行能力を得た自分に追いつける鳥など存在しないのだ。相手は目がいいようで、ぴったりと衝突地点を計算して向かってきているが、そこを通り過ぎて、追い越しさえすれば、もう会うこともないだろう。
不意に相手の羽音が聞こえなくなった。諦めたのか、それともこの美しく勇ましい姿に気圧され、臆病風に吹かれてしまったのかもしれない。しかし、それは責めるようなことではない。当然だ。ピュシスで最も美しいこの姿を目にして、手向かうのを躊躇わないものはいないだろう。自分はスイレンなどより遥かに美しい。なのに、ピュシスはスイレンのあの神聖スキルを何故、自分に与えなかったのか。見たプレイヤーを魅了して、己の元に惹きつける神聖スキル。女神ネメシスによってスイセンの花に姿を変えられたというナルキッソスなる麗しの美少年が由来らしいが、そんなことは関係ない。伝承や神話など必要ない。己のこの美しい姿だけが、あらゆるものを魅了する何よりの証左となるではないか。
クジャクがふんまんやるかたない思いを抱きはじめた時、尾羽に衝撃を受けた。動揺しながら、空中でぐるんと宙返りして周囲を探る。障害物などなかった。どこかに引っかけたなどということはあり得ない。
振り返ると先程見かけた醜い鳥が翼を羽ばたかせていた。アフリカハゲコウ。それが、至上の美しさを持つ尾羽の一本を咥えている。くちばしに力が込められると、尾羽は真っ二つに折られて、ひらひらと儚く散って、地上に舞い落ちる。
「貴様っ!」
と、怒りのままにスピーカーを震わせ、トランペットのようなクジャクの鳴き声が辺りに響いたが、それが自分の耳に届かなかったことにクジャクは驚いた。耳が聞こえない。聴覚が閉ざされている。そのせいで敵の羽音が消えて、接近に気がつかなかったのだ。
ハゲコウは高度を下げ、クジャクの足元を潜って、ライオンの本拠地に向かって飛びはじめた。
「待てっ!」
クジャクはハゲコウを追いかける。そうしてチラリと自分の尾羽に目を向けた。完璧なバランスが、一本の尾羽を奪われたことで崩れている。憎悪の泡が弾け、残忍な感情が心のなかに飛び散った。許せない。この爪で、くちばしで、断罪しなければ、気が治まらない。
まだ耳は聞こえない。聴覚を奪ったのは神聖スキルらしいが、腐肉漁りらしいちゃちなスキルだ、とクジャクは心のなかで侮蔑する。聴覚から多くの情報を得る動物ならともかく、自分は鳥類。その感覚の主軸は視覚。それさえあれば、敵を逃すことなどない。
ハゲコウは地面すれすれまで降下して、丈の高い草が生い茂る草原に紛れ込んだ。クジャクは飛行しているうちに幾分か冷えた頭で相手の行動の意図を察する。平らなサバンナとはいえ地表近くは障害物が多い。高速飛行で突っ込むわけにはいかない。ハゲコウは草原に身を隠しながら、遠くに見えるバオバブの元へ向かおうとしている。バオバブはライオンの群れの植物族。植物族たちに共通する、味方を補助する能力を持つ。多少能力に補正を受けたとして、軍神の騎獣たる自分に勝つことができると考えているとすれば、片腹痛いと言わざるをえないが、まあ小さな禿げ頭で考えたにしては上出来な策に思えた。
水中の獲物を狙い撃つように、草原の波のなかに飛び込んでくちばしを突き立ててやろうかと思ったが、踏みとどまる。草原に岩でも隠れていたら、ぶつかって自爆してしまうことになる。そんな無様なことをするわけにはいかない。
クジャクは翼をはためかせて速度を上げると、足元の草原を一気に飛び越えた。そのまま、ハゲコウなど無視して偵察任務に戻っても良かったが、それでは気が済まない。多少、副長の命令に背いたとして文句は言わせない。敵を八つ裂きにするのは、味方の手間を省くためだったと言ってやればいい。少しばかり手柄を独り占めしてもかまわないだろう。
敵の群れのバオバブの木の枝にとまって、余裕の態度でハゲコウを待ち受ける。ハゲコウが草をかき分けて、草原から禿げた頭をひょっこりと出した。
「お望み通り、味方のところまで来させてやったが。みすぼらしい腐肉漁り風情が、華麗なる僕と戦うつもりなのかな?」
自分の声が聞こえないので、スピーカーの音量に苦慮しながら、バオバブの枝の上からハゲコウを挑発する。ハゲコウのスピーカーが微かに震えているのが見て取れたが、何を言っているのかは分からない。自分で聴覚を封じておいて、それを忘れて喋っているのかと思うと、クジャクはハゲコウのことを憐れにすら思った。
ハゲコウは大きな岩の上に立つと、見上げて翼を大きく広げた。対抗するようにクジャクも見下げて尾羽を広げる。そうすると二羽の大きさはほとんど同じになる。間合いを測るようにクジャクはほんの少し前に乗り出す。ハゲコウが羽ばたき、宙に浮きあがった瞬間、神聖スキルによってロケットのように飛び出して、その心臓をくちばしで抉り取ってやるつもりだった。
その動きの一切を見逃さないように集中する。大きな翼が振り上げられる。それからゆっくりと振り下ろされる。キジ科のクジャクとは異なる、コウノトリ科のハゲコウのひょろ長い足が、ほんの少し浮き上がった。
クジャクは膨大なエネルギーに押し出されたように、一気に加速してバオバブの枝を離れた。流星のように、光の尾を引いて、一直線にハゲコウの胸に狙いを定める。両者の距離が迫る刹那、クジャクは、ハゲコウの瞳を覗いた。その瞳は奇妙な輝きを帯びていた。それは鳥の瞳ではない。悪魔の瞳だった。
突如としてクジャクの視界が闇に閉ざされた。深い水底に沈められたように、何も見えず、聞こえない。敵がどこにいるのか分からない。これは、まずい。ハゲコウは岩の上に立っていた。このまま直進すると、岩にぶつかってしまう危険がある。咄嗟の判断で離脱を図る。
ぐるん、と体を上に曲げたが、上も下も分からなくなっている。鳥類の嗅覚は鈍い。匂いで周囲を知ることはできない。クジャクにとって、今は全身に受ける風の感覚だけが唯一の頼りになっていた。
また、尾羽に衝撃を受ける。閉ざされた感覚の死角からのハゲコウの攻撃。瞬間的に旋風のようにくちばしを振り回すと、ハゲコウの体のどこかに当たった。一矢報いたが、手ごたえは浅い。
ハゲコウの神聖スキルは聴覚だけでなく、視覚をも奪えるものだったらしい。それを隠していたのだ。敵を甘く見て、まんまと乗せられたことにクジャクは怒りで震えたが、そうしながらも最後に見たハゲコウの位置と今の攻撃方向、そして体にぶつかる風から方位を冷静に見定めていた。
「追いつけるものなら。追いついてみろっ!」
クジャクはスキルによって最大の加速度を得て、一時撤退すべく、羽ばたいた。これは敗走ではない、と自分に言い聞かせて。神聖スキルの有効範囲は無限ではない。そこから脱して、効果が消滅したら今度こそ確実に狩りにきてやる。クジャクは加速によって受ける風圧と怒りで羽根を逆立たせながら、ライオンの縄張りの外へ向かって飛んだ。
飛んだはずだった。が、今度は尾羽どころではない。全身に凄まじい衝撃を感じた。何もなかったはずの空に、突然、壁が出現していたのだ。分厚い壁に最高速度で追突したクジャクの体力は、一瞬でゼロになっていた。
バオバブの幹に正面から衝突して、羽を舞い散らせながら、きりもみ状態で墜落してくクジャクの姿をアフリカハゲコウは見つめる。その胸元にはクジャクの攻撃によって一文字に切り裂かれた痕。軍神の乗り物だけあって、放たれたくちばしの切れ味は鋭かった。思ったより体力が削られてしまっているが、翼には痛手を受けていないので、問題なく飛ぶことはできる。
耳の聞こえないクジャクがバオバブの枝で好き放題に言っている間、ハゲコウはバオバブと会話していた。そうして、クジャクの視覚を奪った瞬間に、周囲に増殖して、クジャクを閉じ込める檻になってもらったのだ。
シャックスという悪魔の力。ソロモン72柱と呼ばれる悪魔たちの序列44番目。地獄の大侯爵シャックスは、コウノトリの姿で現れるのだという。ハゲコウは、自分は正確にはコウノトリそのものではないのだが、と思いながら、使えるものはありがたく使わせてもらった。シャックスの力の一端。敵の視覚と聴覚を奪う神聖スキル。悪魔というのはその名の通り悪しき存在らしかったが、副長の役に立てるなら、そんないかがわしいものの力であっても、ハゲコウは一向にかまわなかった。
群れ戦終了までは死体となっているしかない憐れなクジャクの傍にハゲコウが立つ。そして、バオバブとの会話の他に、一言だけクジャクに言っていた言葉を改めて伝えた。
「悪食はお互い様だろ」
クジャクは毒蛇や毒虫を食べ、ゴミを漁ることもあるという。クジャクは何も答えない。今は答えられない。
「その綺麗な姿を見てくれるひとが一緒だったら良かったのにね」
ハゲコウは飛び立って、本拠地へと戻っていく。クジャクに仲間が一緒だったら、結果は変わっていたに違いない。ハゲコウの神聖スキルは単体プレイヤーしか対象にできない。複数相手では、声を掛け合うことですぐにカバーされてしまう。それにこの神聖スキルは、嗅覚が優れた動物や、そもそも視覚や聴覚に頼っていない植物族にも効きはしない。
ひとりで戦おうとしたクジャク相手だからこそ通じた戦法。
「バオバブさん。ありがとう。助かった」
「うん」
横を通り過ぎる時に、ハゲコウとバオバブはそんな言葉を交わす。
自分には仲間がいてよかった。自分だったら、クジャクのような状況になった時には、すぐに仲間の元へと助けを求める。
ハゲコウは本拠地へと翼を向けながら、きっと副長にお褒めの言葉がもらえるだろうと考えて、胸に刻まれた傷も忘れてうきうきと心を躍らせていた。