▽こんこん12-10 ロロシーはいま
単調な道中。変わり映えのない風景。無数の配管。足元には網目の金属板が張られた通路。ライオンの足に近づいて、靴を捨てたので、肉球にすこしばかり食い込んでくる。冷たい。ごう、ごう、と正体不明の音がずっと反響している。風穴を通り抜ける洞窟音のようだ。配管は毛細血管にも似ている。そう考えると、ここはまるで巨大な生き物の体内のようだ。聞こえる音は生き物の脈動。機械惑星のエネルギー循環。
機械惑星を巨大な一個の生物とするなら、惑星コンピューターは脳。その脳に到達しようとしている自分たちは、さながら外部刺激によってもたらされる電気信号のひとつ。それとも口に飛び込み、胃で溺れようとしている憐れな虫の一匹だろうか。
地球ではとてつもなく巨大な海の生物マッコウクジラに呑まれた人物がいたらしい。マッコウクジラは人の十倍ほどの体長。一日以上マッコウクジラの胃のなかにいたその人物は、胃液で皮膚の色がなくなり、視力を失った。そんなふうにはなりたくないものだ。
隔壁に次ぐ隔壁。閉じられた隔壁の電子ロックをひとつずつ開錠しては進んでいく。開錠の成功率はまちまちで、開けられないものも多い。いくつかの分岐路にぶつかったが、いまのところ突き当りはない。開錠に成功した隔壁だけを通っていると自動的に一本道になっていた。なんとなく、誘導されているような感覚もある。
そうやって不安を覚えるのは、想像していたような厳重が警備がなかったからでもある。拍子抜けというより、不気味さを感じた。侵入者の存在は当然、察知されているはず。いくら今日が惑星コンピューターの休養日で、その能力のほとんどを最適化作業に注力しているとはいえ、警備用オートマタの一台や二台を急行させる余力もないなんてことはありえない。
「ロロシーお嬢様」
ソニナが呼んでいる。隔壁が開いたのだ。
「ええ」
立ち上がって、先に向かう。それほど歩かないうちに、また別の隔壁。ソニナがまた開錠作業にあたる。
電子ロックの開錠はロロシーがやるつもりだったが、ソニナが先んじてやりはじめたので任せている。なによりソニナのほうが、ロロシーよりも手際がよかった。
まさか元技術者なのかと尋ねてみると、技術者の家の使用人をやるにあたって、勉強したとのこと。ソニナが真面目で、物覚えもいいことは知ってはいるが、ロロシーはちょっぴり悔しい気持ち。とはいえロロシーは学業の合間に片手間で家業の手伝いをしていただけ。きちんと勉強したわけでもないので、悔しがってもしょうがない。
意気込んでここまできたのに、なんだか手持無沙汰になっている。
心が空転する。
ズテザもやや手持無沙汰の様子。アフリカハゲコウの半人。顔は既にほとんどハゲコウに近い。太いくちばしに、禿げ上がった頭。黒ずんだ赤みのある皮膚。暗闇のなかで鉢合わせしたら、びっくりしてしまいそうな不気味さがある。いまは、作業をするソニナの手元をライトで照らす係をしている。
その肉体は筋骨隆々。いかにも鳥類らしい胸筋だが、半人化する前から相当に鍛えていたらしい。本人的にも力仕事を買って出ようとしていたのだろうが、隔壁の開錠が順調なので出番がなくなっている。ソニナが大荷物を背負っているので、せめて荷物持ちをしようと申し出ていたが、それも断られた。壁の配管に乱反射した光で輝くハゲコウの頭が、どことなくだが、しょげて見える。
そういえばソニナの荷物はなんなのだろう。人に任せたくない大事な荷物であるらしい。精密機器だろうか。けれど、いくらなんでも大きすぎるような。棺桶ぐらいの大きさはある。あらゆる可能性を考慮して、いろんな器具を持ってきてくれたのだろうが、途中でバテてしまいそうだ。まあ、そうなったら、満を持してズテザの筋肉が活躍するだろうから、心配はいらないか。
思考が右往左往する。
それにしても、なんだか今日になってズテザの半人化が早まっているような気がする。自分もだ。腕をまくると、毛衣が指の先のほうから這い上がってきている。昨日は肘の手前ぐらいだったのに、いまはもう肘をおおってしまった。導火線の長さを見誤っていたような感覚。尻尾がうずうずする。たてがみのように暴れようとする髪の毛は、三つ編みにして押さえつけているが、そのうちはじけてしまいそうだ。
ソニナは大丈夫なのだろうか。半人化は消滅しなくても、水面下で進行しているものだと聞いた。いまのところ、ソニナにブチハイエナの気配はない。尻尾もなさそうだし、牙や爪も見当たらない。
自分はもうライオンに近づきすぎて、おそらくは手遅れだろうけれど、ソニナは間に合うかもしれない。ソニナが半人になってしまう前に、ピュシスを停止できれば……。
ピュシスはいま、どんな状況だろう。
「ユウ。よろしいかしら」
「なにかな」
オートマタのユウを呼ぶ。小走りの動作といい、小首の傾げかたといい、暗がりのなかで銀色の皮膚が目に入らなければ本物の人間と勘違いしそうになる。
「ピュシスの様子はどうですか? トーナメントの進捗について教えてください」
ユウは並行処理でいまもピュシスにログインして、情報収集をしてくれている。冬虫夏草のアバターだと聞いたが、ゲーム内で会うことがなかったので茸というのがどんな生物なのか、いまひとつ想像しきれていない。
「第二回戦が終わって、勝ったのはライオン、ホルスタイン、イリエワニ、ギンドロのよっつ。次は準決勝だね。攻略側のライオンと防衛側のホルスタイン、防衛側のイリエワニと攻略側のギンドロでもう試合がはじまっているよ」
「なるほど。ありがとう」
ヘラジカは負けたのか。というのが第一の感想。トラの群れの強力なメンバーを引き継いでいるので優勝候補かと思っていたが、それが二回戦落ち。勝負は時の運とも言う。相手がうまくやったのだろう。
リヒュは勝っているのだろうか。リヒュがなんの動物かは知らないが、トーナメントに参加しているはず。点検口に入る前にすこし考えてみて、リヒュはヘラジカではないかと推測してみたりしたが、それだともう敗退したことになる。なら、こちらが惑星コンピューターの元を目指し、リヒュがピュシスの最深部を目指す競争は、相手の脱落により不戦勝になるのかもしれない。もちろん、このまま無事にカリスの元に到着できればの話だが。
あたりを見回す。複雑な配管は筋張った鍾乳洞の壁にも見える。壁の裏側からは夜に響く遠吠えのような低い振動が伝わってくる。
「あとどれぐらいで到着するのかしら」
「分からない」
それはそうだ。オートマタの検索能力を駆使しても分からないだろう。いまのは答えを期待したわけではない独り言。惑星コンピューターの正確な位置は、防衛上の観点から、だれにも知られないようになっている。
あたりを見渡す。同じ場所をぐるぐると回っていないか心配になってしまう。簡素すぎる作りの通路。本来は通る場所ではないところに、無理やり通路を通したというような雰囲気。
隔壁が開けられて、進み、また隔壁にぶつかる。
複数の隔壁がかたまった分岐路などでは、手分けしてロロシーやユウも開錠作業に加わるのだが、このところはずっと一枚だけの隔壁が続く直線の道。ソニナが自分の役割とばかりに、さっさと作業をはじめる。
ロロシーは壁にもたれかかって、猛々しくうねりを増している髪の毛をいじくりながら、また思考に没頭することにした。
隔壁の数が多すぎる。進んでいる時間より開錠にかかっている時間のほうが長いぐらいだ。
目の前を見上げると、通風孔が視界に入った。
あの通風孔の蓋を壊して、そのなかを進んではどうだろうか。
いや、だめだ。早まったことはいけない。通風孔のなかで迷ってしまったら、いよいよもって時間が足りなくなる。
「あら?」
きた道をふり返る。
「ユウ。なにか聞こえませんでした?」
「ごめん。センサーを働かせてなかった」と、半透明の頭部パーツから透けて見える電子頭脳をピカピカと瞬かせて「いまは音響センサーになんの反応もないよ」
「そう」
気のせいだろうか。点検口の入口は開けっ放しだ。だれかが迷い込んできてもおかしくはない。いや、こんなところに迷子などいるはずがない。やっと警備用オートマタが派遣されてきたか。隔壁も入り口と同じく開け放している。すぐに追いつかれるだろう。
けれどユウが言うとおり、いまはなにも聞こえない。緊張による幻聴だろうか。
心配事はいくらでもある。カリスにちゃんとアクセスできるだろうか。アクセス方法については、いってみないと分からない部分が多い。なにせ、近年においてカリスに直接コンタクトをとったなんて話は聞いたことがない。遠い過去、よほどの緊急事態でしかやらなかったことだ。そして、いまは、そのよほどの緊急事態。
カリスとのコンタクトはどんなふうなのだろう。モニターを使って文字で会話するのだろうか。それとも音声機能があるのだろうか。コードのみでのやり取りかもしれない。冠で接続するのかもしれない。冠が必要になったら、偽冠でも大丈夫だろうか。ダメだったらユウの交信機能を頼りにするしかない。
アクセスしてまずやることは、カリスが現状をどの程度把握しているかの確認。そして、要求。ピュシスを停止、消去すること。それから半人化について対処できることがあるなら、それも。
何度もシミュレーションしたはずなのに、いまだに考えがまとまっていない。
この手持無沙汰がよくない。思考がかき乱される。なにか作業でもしていればこんなことはないだろうが、けれど、ソニナは仕事を譲ろうとしない。まだしっかりと使用人でいるつもりらしい。嬉しくもあり、悲しくもある。
「ねえ。ユウ」
「なんだい」
「ユウはピュシスをつくったのは、どの機械衛星だと思いますか?」
しょうがないので、ユウに話し相手になってもらって、気を紛らわすことにしよう。




