▽こんこん12-8 最速の的
ビゲドはトラを追跡してパイプ林を抜けると、ガラクタの丘に挟まれた道を歩いていた。目隠しとなるような大きなガラクタが散乱しており、いくつもの分岐路が立ち塞がるが、ウルフハウンドの嗅覚を駆使して正しい道を選び取る。
そうして通りがかった小山のふもとで、ちいさな洞窟のようなものを見つけた。見た目は動物の巣穴を彷彿とさせる。近づいてにおいを探ると、なかからは本当に小動物めいたにおいが漂ってきた。だれかが隠れているのか?
そっと身を寄せる。
穴のすぐそばにまでやってきても、巣穴はしんと静まったまま。
ビゲドはうずくまると、勢いよく巣穴に腕を突っ込んだ。なかの生き物の首根っこを掴んで、引きずり出す。出てきたのは小汚いローブをまとった子供。半開きの口から覗く歯を見て、齧歯類だと分かった。
意識がない。眠っているようだ。いや、これはアレに似ている。ピュシスにログイン中の状態。意識が端末に吸われている。この場所の住民が使っているらしい、冠モドキをこの子供もはめている。これを見る限り、端末としてきちんと機能するものらしい。
子供のローブのはしからは尻尾が垂れ下がっている。円筒状で太い。そして、首元には膜のようなものがある。飛膜? なら、これはムササビの半人か。
ログアウトしてくる様子はない。外部からの刺激があれば強制的にログアウトされるものだが、巣穴から引きずり出されるぐらいでは、そこまでの衝撃はなかったようだ。ビゲドも掴んだ瞬間に、獰猛な獣でないことが分かったので、大して力を込めてはいなかった。
わざわざ起こす理由はない。
銃口を脳天にぴたりと当てる。
引き金に指を。
子供のまぶたは閉じられている。奔放にまつげが跳ねて、獣らしくなっている耳が夢見のなかでぴくぴくと動いていた。
ふう、と牙の隙間から寸断された息を吐く。
ビゲドは引き金から指を離した。
ここでの狩りは面白い。年季の入った半人ほど、動物らしい動きをしてくれる。狩りの駆け引きがあり、動物を狩っているという実感が得られる。けれど、眠っている子供を殺してなんになるというのか。そんなことは快楽殺人鬼がやることで、狩人のやることではない。
「おい!」
道の向こうから嘶きにも似た咎める響き。一時、自らの思考に没頭していたビゲドは反射的に子供を投げ捨て、声の方向に銃口を向ける。常時にあたりに意識を向けてはいられない。いまがちょうど集中が乱れて、警戒がおろそかになったタイミングだった。隙をついて迫っていたのは螺旋状の角を持った半人。トラと一緒にいたやつ。そいつが放射状に広がった道のひとつからやってくる。
一匹ではない。数える前に撃つ。四匹いる。外れた。速い。弾丸が空中を横切って、ガラクタに同化する。螺旋角の後ろにいる恐竜が視界に入って、標的をどれにするか迷ってしまった。
螺旋角の男が丘の斜面を使って回り込んでくる。二足の人間に近い走り方だが、人間を越えた俊足。あの角とこの走力。これはブラックバックに違いない。
こんなに速い獲物ははじめてだ。
だが、四匹のなかには、さらにそれを越えた、神速の持ち主がいた。
異常な速さのそいつは、
――チーターだ!
それ以外にない。圧倒的な加速。四足で駆けると、ブラックバックとは反対側の丘陵に沿って、斜めに回り込んでくる。まだ形は人間に見えるが、その動きは完全なる捕食者。標準が定まらない。撃った瞬間には、もうその場にはいない。
チーターを近づけてしまったということ自体がもはや大きな不手際だった。
危機的状況。しかし血が沸騰するような興奮が湧き上がる。
二匹の半人は高速で挟み込んでくる軌道。正面からは超大物。メインディッシュのヴェロキラプトル。最後のおたのしみとして残そうと思っていた獲物。においでもう一匹いるのは分かっているが、そいつの姿は見えない。いや、見えた。倒れている。転んでいる? 弱っているのか?
すぐさま反転。全力で後退する。
いま走っているなかではチーターが最速。次いでブラックバック。そしてウルフハウンドの半人である自分。最後にヴェロキラプトル。
走力差的にラプトルに追いつかれる心配はない。相手に足並みを揃えさせてはいけない。同時攻撃さえ避けられれば、一体ずつ仕留めるのは難しくないはず。いかなチーターの走行でも、攻撃の瞬間にはどうしても直線的な動作にならざるを得ない。他に邪魔さえなければ、そこに集中して、銃弾をズドンと撃ち込むことができるはず。
と、考えているあいだにも、もうチーターに追いつかれた。こちらは反転して、地面を蹴って、まだ数えるほどの歩数しか走っていない。速すぎる。加速が違う。
もはや思考している暇はない。刑事としての訓練で染みついた無意識下の動きで銃口を向ける。すべての時間が緩慢になったような感覚。チーターの女が牙を剥いた。人ではなく、獣の形相だ。雑味の無い闘争心には美しさすら感じる。銃の標準は獲物の口腔内に合っている。引き金を引けさえすれば。引けっ。動きよりも意識が先んじる。指は引き金にかかっている。力を入れるのに躊躇も遅れもない。早く動けっ。
こめかみに衝撃。体勢を崩してから、殴られた、と気がつく。引き金から指がすっぽ抜けてしまったが、ぶれた銃身がチーターの額に当たった。怪我の功名。チーターはのけぞると、そのまま倒れて気を失う。
同じく倒れたビゲドは震える脳を押さえつけるようにして、すぐに起き上がる。素早く視線を躍らせて、だれに殴られたのかと、その正体を探すと、腕だけが落ちていた。断面から義手と分かる。
もう一本、義手が飛んできた。さっきのは右手で、今度は左手。両手分だ。ビゲドは、イヌが投げられたボールを受け取るように、牙でもってキャッチ。顎が外れそうになったので吐き捨てる。義手を投げたのはブラックバックの半人。
ノニノエノはカヅッチの捨てた義手を後生大事に持ってきていたが、意外なところで役に立った。槍投げの要領で義手を投げたあと、間を置かずに狩人に飛びかかる。
ビゲドは撃とうとするが、何度指に力を込めても、銃はうんともすんとも言わない。
もみ合いになる。
ノニノエノは銃を奪おうとしたが、あっさりと巴投げで後ろに投げ飛ばされてしまった。角を地面に打ち付けて、衝撃で頭が痺れる。
ひと足先に立ち上がったビゲドは、ラプトルが近づいているのを確認するやいなや、すかさず撤退を選んだ。
逃走しながら銃を確認。弾詰まりでも起こしたのかと思ったが、銃に異常はなかった。そうではなく、そもそも引き金が引けていなかったのだ。引き金を引くために必要なものがなかった。人差し指の第二関節から先がなくなっている。チーターを殴ったときに、牙に触れて、食いちぎられていたらしい。
怪我を認識した途端に痛みがやってくる。銃をホルスターにしまってから、応急処置として切断された指の根本をハンカチで固く結ぶ。牙で咥えて引っ張って結んだので、ハンカチのはじが破れてしまったが、なんとか止血には成功した。ホルスターの位置を逆にして、無事なほうの手を使って銃を撃つことにする。
まだ狩りは続行できる。この機会を逃がせば、次にいつ獲物と遭遇できるか分からない。獲物を横取りされてしまう可能性もある。指の一本がなくなったからといってなんだ。いまはすべてが万全な状態。狩りに向けての精神が整っている。いままさに夢が叶っているのだ。それを満喫しないでどうする。
――トラをさがそう。
トラだ。トラの血のにおいはまだ追うことができる。
失敗もまた狩りの醍醐味。うまくいくときばかりではない。失敗して、試行を重ねる。そうして挑戦し、成功を導くことができてはじめて真の狩人になれるのだ。
狩猟は命を巡らせる崇高な儀式。野蛮な行為ではない。常に感謝がある。あらゆる命に。命を長らえさせるばかりが慈悲ではなく、奪うことは無情ではない。
ビゲドは考え、自身を鼓舞する。
人間の根源には狩猟がある。命を奪い、進化の道を歩んできたのだ。過去を否定してなんになる。競争こそが進化を生む。争いが可能性を広げる。いま抵抗してきたチーターやブラックバックは立派なやつらだ。反抗心をむき出しにしているトラはもっと立派なやつだ。やつらを尊敬する。尊敬して、その命を狩る。食うのが体を育むのなら、狩るのは心を育んでくれる。心を殺さないために必要なのが狩りなのだ。
狩人になりたかった。狩人は常に挑戦し続ける者。こんな窮屈な機械惑星で、心を解放するためには狩りが必要だった。
俺は、狩人に憧れる。