▽こんこん12-5 イヌのおまわりさん
レョルは自分の察しの悪さに憤怒していた。
――ビゲドが半人だったとは。
外見ですぐにそれと分かるような変化はなかった。けれど、動物的な能力は見えないところで発達していたのだ。そして、その動物とはイヌのような鋭い嗅覚を持つ動物に違いない。四足になっての攻撃時の動作もイヌを思わせた。レョルとは違って、ビゲドは獲物の喉元を狙ってはこなかった。
トラのような単独で生活をするネコ科の狩りは、相手の喉に噛みつき、食らいついたら押さえつけて離さずに、窒息を狙う短期決戦。対してイヌのような集団で狩りをおこなう動物は、ヒットアンドアウェイで獲物をつけ狙って疲弊を待つ。喉を優先して攻撃する必要はない。
どんな方法を使って、レョルすら知らなかった、この秘境めいた半人たちの隠れ里まで追跡してきたのか疑問だったが、においを辿られたのだ。機械惑星に川などはないし、道々に付着していたであろうにおいの痕跡を断ち切ることはできなかった。はじめから用心できていれば商業地区で消臭に使えるものを探しただろうが、そこまで考えが及んでいなかった。
なにより、ピュシスは警察の取り締まり対象。神出鬼没に人々の個人端末である冠に、本人の見知らぬ内にインストールされているというアプリケーション。不正プログラムでありウイルス扱いだ。積極的な使用はウイルスを拡大させる手助けをしたことになり、違法にあたる。
そんな不正プログラムを取り締まっている側の刑事が半人だとは。レョルは自分自身が刑事でありながらピュシスユーザーだったにも関わらず、このような例外は滅多にあるものではなく、自分ひとりぐらいだろうという先入観にとらわれて、真実を見逃していた。なんとも迂闊。
――イヌの刑事とはな。
おあつらえ向きだ。牙をこすって強がった笑みを浮かべる。銃弾が貫通して、さらには噛まれもした右腕に激しい痛み。こめかみの血も止まらない。右腕はもう使い物にならないだろう。動かせないわけではないが、痛みがブレーキとなって言うことを聞かせられない。
視線を落とすと、右の前腕部の外側に歯型。シャツが破れて、肉がえぐられている。右肩の銃創から垂れる血もあいまって、なんともおどろおどろしい見た目だ。あまりの変わり果てっぷりに、自分の腕とは思えない。トラの血もどうやら人間と同じ赤色らしい、などという感想が、心のなかで宙ぶらりんになっている。
パイプ林をかき分ける音に身構えるが、続く声ですぐにビゲドではないと分かった。
「トラのあんちゃん」
ヌートリアの半人がドタバタと走ってきて、自身のからだにぐるぐると巻いていた服を噛みはじめる。服飾店から勝手に拝借した服だが、齧歯類の歯で無残にも寸断されて、簡易的な包帯に生まれ変わった。
それから、水かきのついた手の爪で、レョルのシャツの血にまみれた部分を取り除く。
軽く血を拭って、傷口に包帯を巻きながら、
「おお、痛そうだ。それにしてもおしかったなあ。おしかったんじゃねえかなあ」
と、ニカッとオレンジ色の出っ歯を見せつけて、
「にしても、あんなに仕事熱心な刑事は見たことねえや」
「ただの異常者だ」と、レョル。
「ちげえねえ」
包帯が巻き終わると、不器用な結び目ができあがる。
レョルは軽く右腕を動かそうとして、あまりの痛みに呻いた。歯を食いしばりながら、
「あの刑事は半人だ。嗅覚に優れたイヌ科のなにかに違いない」
「そりゃあ、とんだ不良警官だ」
ヌートリアは出っ歯を突き出してヒュウとへたくそな口笛。その音に誘われたように他の仲間たちが続々とレョルの元に集まってきた。
クロハゲワシ、クズリ、それからポイズンアイビーの半人。
植物の女は赤い手袋をした手をわずかに伸ばしかけたが、鮮烈な血の赤に触れる前に震えるような動作で引っ込めた。
「痛そう」と、率直で素朴な感想。
「触らないでくれ」
「分かってる」
ウルシ科の女の分泌する毒の成分が傷口に触れたりすれば、拷問のような苦しみが待っている。レョルは体を引きずるようにしてすこし距離を取る。
「分かってるってば」
ほのかに不満そうな声は無視。
「逃げたほうがいい」
と、クロハゲワシの半人が尖ったくちばしを突き出した。商業地区ではじめて会ってから、まだそれほど時間は経過していないのに、その顔は着実に動物化が進行しているように見えた。
横からクズリの半人が手を広げて、くちばしを引っ込めさせる。
「ハゲワシの姐さん。ちょっと待ちなよ」
先程までのレョルとヌートリアの話を聞いていたらしく、
「相手はイヌなんだろ。ここはこの狼狩りである俺に任せておきな。高所から強襲して、脊髄を潰してやる」
自信満々のクズリに、レョルは苦い顔を返した。
「クズリ。君は今日、半人になったばかりだと言っていたね」
クズリはクロハゲワシと同じく、逃亡中に商業地区で出会った。そして、半人化によって変質する自身の肉体や、混迷とした街の状況に戸惑っていたふたりを、なし崩し的に説得して仲間として迎え入れたのだ。
「興奮状態が続いていて、仮想と現実の境界がだいぶ曖昧になっているようだ。肉体に精神が適応するまではおとなしくしていたほうがいい」
「なにを言う」
と、肩をいからせたクズリをクロハゲワシが諫める。
「トラの言う通りだ。これは殺人だぞ。相手に体力があるわけじゃあない。お前はすこし落ち着いて、自分の倫理を見直した方がいい。さっきから聞いていれば躊躇がなさすぎる」
「動物に倫理を問うな! 俺はもう動物になるんだ! なったんだ! 躊躇なんてしていたら、死ぬのは俺たちだぞ!」
自暴自棄にも感じる叫び。暴れようとするクズリの体をクロハゲワシが後ろから羽交い絞めにして取り押さえた。ふりほどこうとするが、完全に関節を固められていてそれもできない。クズリは抵抗できずに、ずるずると引きずられていく。
「トラ」と、クロハゲワシはクズリを連れていきながら「逃げる選択もある。俺はそうすべきだと思うし、そうさせてもらう」
「いや」
レョルはすぐに否定を返して、
「俺はやつをちょっと甘く見すぎていたようだ。ここまでイカレてるとは思っていなかった。決着をつけておかねば、どこまでも追ってくるだろう」
特に優先してつけ狙われているのが自分であるのは明白であった。やつはトラを狩りたがっている。生き生きとしたあの目。狩猟という娯楽にとりつかれた人間の目だ。
ハゲワシはフムンと鼻を鳴らして、
「なら。これをやる」
両手はクズリの捕獲で手一杯なので、器用にくちばしで胸ポケットから小瓶を取り出すと、首をふって投げてよこした。透明の小瓶には、エビの血のような青色の液体が詰められている。
「なんだこれは」
「香水。相手がイヌ科なんだったら。効果があるかもな」
香水の存在は知っていたが、レョルにとっては馴染みのないもの。冠で対人用の嗅覚の偽装設定をすれば相手の冠と嗅覚偽装を共有できるので、こんなものは必要ない。高級品だ。わざわざ実物を使うなんて「物好きなんだな」と、いう言葉が口をついた。
「普段、とらえどころのない仕事をしてるんでね。こういう実在性を感じられるものが恋しくなることもあるのさ」
すこし蓋を開けてみて、においの強さに背筋を引っ張られたようにのけぞる。鼻孔を抜けて、すっと消える。ピュシスで嗅いだハーブと柑橘類を混ぜたような、ピリッと気持ちが引き締まるような香り。
「ありがたく。もらっておくよ」
別れ際、惑星コンピューターへの道程を教えておく。点検口の位置。その奥でやるべきことも。カリスの破壊。機械惑星の航行システムの起動方法。向かうべき恒星の場所。ハゲワシは技術者らしく、すぐに手順を把握してくれた。
狩人を片付けたらあとを追いかける、と無為な約束を交わす。
そのあいだにもクズリはなんのかんのと駄々をこねていたが、しばらくすると疲れたのか、吊るされたぬいぐるみのようにぐったりとしていた。そんなクズリを連れて、ハゲワシはひとまずはゾウの半人のふたりとの合流場所に向かった。
自分がいなくとも、皆、カリスの破壊に向かってくれるだろうか。レョルにはそれが心配ではあった。ハゲワシはカリスの破壊に、肯定も否定もしなかった。すこし行動を共にしただけでも責任感の強い性格なのは分かった。加えてハゲワシはレョルの説明を聞いて、半人たちの現状や、動物化していく自身の行く末にも理解を示していた。信じるしかない。信じるのはここまでの状況に持ち込んだ自分自身の決意だ。必ずカリスの喉元に刃を届かせる。
「君たちはいかないのか?」
ヌートリア、それからアイビー。
「僕はあんちゃんに付き合うよ。飼育室から出してもらった恩もあるし。囮でもなんでも任せておきな」
ヌートリアは空を仰いで明るく前歯を光らせる。
アイビーに目を向けると顔をそらされた。
「わたし、走れないから」と、ハゲワシたちが去っていった方向を見る。アイビーの足はさらに根化が進んでおり、いまはガラクタのなかから拾った棒きれを支えにしなければ立つことも難しくなっている。
「ゆっくり歩いていくことにする。一緒に」
「そうか……」
出血は止まったが、体が冷えはじめている。
できれば自らの手でカリスを叩き潰してやりたかったが、背後から銃口を向けられながらやり遂げる復讐など、考えただけでもすっきりしない。復讐とは人間的、個人的な感情だ。どれだけ自分が納得できるように完遂できるかは非常に重要なことだ。
惑星コンピューターを掌握しようとした父は、カリスによって消された。家族がバラバラになり、それが気に入らなかった。たったそれだけの理由でこの機械惑星の存続をいままで担ってきたカリスを壊そうというのだ。まともではない。その点ではビゲドとも張り合える、とレョルは自嘲する。
半人たちの煽動に使った文句は嘘ではない。効果的な嘘には真実を混ぜるのがセオリー。それもとびっきりの真実を。機械惑星の運行システムはたしかに存在し、カリスが機能封鎖をしている限りは使えないのも事実。太陽に似た恒星があるというのも本当だ。
カリスの守護を捨て、管理から解放され、太陽を得れば、本当に半人たちの王国が築けるかもしれない。レョルはカリスが壊せればそれで満足であり、その後ことには興味がない。カリスを抹殺して、残されたこの機械惑星というバカでかい金属球は半人たちの好きにすればいい、と思っている。
「獣じみてきたな」
自分の体を見下ろす。体だけじゃない。頭のなかもだ。理性的じゃない。抗えない衝動がある。獲物を仕留めなければ。だが、復讐心も忘れてはいない。これがある限り、まだ人間でいられる気がする。
「決まってるぜ。トラのあんちゃん」
ヌートリアがレョルの頭の包帯を固く結び直す。黄色と黒に染まった髪を、赤に染まった包帯が横断する。ふいに、アイビーが手に持っていた棒でレョルの右腕の包帯をつついた。棒の先が血で汚れる。
「なにをしている」
左手でふり払う。
「だって……」
アイビーは口をつぐんで、目を閉じると、第一衛星に顔を向けた。
光に惹かれるように自然と手が伸びていく。小さな葉が散らばった枝指が広げられる。蔓のような髪に混ざる紫の花が、喜びを示すようにほのかに開いた。
レョルも同じように空を仰いだ。あんな模造品でも光合成ができるのだろうか、と思ったが、微笑むアイビーの横顔を見ると、それを尋ねることはできなかった。