▽こんこん12-4 パイプ林
無数の細いパイプが地面に突き立てられている一帯。葉はないが、まるで鬱蒼とした竹林のようだ。灰色の竹林。ここに、トラが潜んでいる。トラの縞模様を隠すにはおあつらえ向きの場所。
トラの爪痕をたどって、ビゲドはここまでやってきた。パイプ林の入口にわざとらしく落ちている靴。レョルが履いていた上品なデザインの黒のブーツだ。半人化が進行して、足に合わなくなったのだろう。そして、いらなくなった靴をメッセージとして置いていったのだ。誘っている。決着をつけたがっている。もう、追われるのは飽き飽きだ、という主張。
ビゲドは散らかった靴を拾って、きっちりと揃えてやる。
足を踏み入れると、格子のような影がべったりと顔にはりついた。においを探すまでもない。パイプに残された引っかき傷。道なき道に刻まれた道。相手はまだ、こちらが半人だと気がついてはいないようだ。においをたどれることを知らず、ご丁寧に道案内をしてくれている。
大げさに首をまわしてあたりを確認。視覚に頼っている人間らしい動き。バレてないなら、人間を演じてやるとしよう。こういったずる賢さこそが、人間的な狩りだろうから。それすらもたのしみのうちだ。
いかにも人間っぽい無防備さを装って、散策でもしているかのような気軽さでパイプの隙間を通り抜けてみせる。
銃口は下げているが、引き金からは指を離さない。
――ここにいるぞ。
きまぐれにパイプの一本に銃をぶつけて音を立ててやる。居場所を知らせるサービスだ。
――こい、こい、こい。はやくこい。
時々、足元にうずくまり、地面の爪痕を確認するふりをして、首の後ろの弱点をさらしてみせる。けれど、トラは食いついてこない。用心深く、機会をうかがっている。
誘われるままに、爪痕の印を追う。
パイプの密度が濃くなってきた。乱雑に傾いたパイプの角度ひとつひとつにこだわりのようなものがある気がする。この風景を作ったのは、いったいどんなやつなのだろうか。自然への偏執的な愛を感じる。
束ねられたパイプの隙間から、だれかが見えた。
トラではない。それは、においで真っ先に分かった。
しめっぽい生乾きのにおい。汚れた沼のような。
体にぐるぐると巻かれた布の隙間から尻尾がちょろり。背丈からして子供かと思ったが、ふり向いた顔は壮年の男。黒々とした瞳。出っ張った鼻づら。そして、オレンジ色の長い前歯。齧歯類。ヌートリアの半人だ。ここにくるまでに、レョルと一緒の姿を目撃している。
ヌートリアやビーバーの歯には鉄分が多く含まれている。それが樹を齧った際にタンニンという成分と結びついてオレンジ色になるらしい。見えている尻尾はビーバーのような平たいオール状ではなく、細長い。ヌートリアに間違いない。ヌートリア人間。
しかし、本物の植物が存在しない機械惑星でも、歯がオレンジ色なのはなぜだろうか、と、ふとビゲドはその生態についての興味が湧き上がる。研究所の飼育室でなにかされたか、それとも半人化する過程で、元々そういうものとして再現されたのか、もしくは植物の半人を齧ったか。
そんな、想像をかき立てながらも、体は自動的に銃を構えている。
ヌートリアが走り出した。パイプの細かな隙間に身を通して逃げる。ヌートリアは平均的な大型犬よりも速い速度で走ることができる。けれど、ウルフハウンドというのは狩猟のための優れた能力を持つ犬種。その半人であるビゲドにとっては、まだ人間の部分が大半とはいえ、追いつけないスピードではなかった。
追いかける。けれど、本気の走りではない。イヌではなく、人間の走り。ヌートリアに追いつこうとはしていない走り。そうしながら銃口を前に。
――分かっているぞ。
ビゲドは前に向けた銃口を、おもむろに自分の腕の下に通して、背後に向けて発射した。
広場でパンダに襲われたとき、一度、レッサーパンダの陽動に引っかかってしまったという教訓が生きた。
トラがヌートリアを囮にして、背後から忍び寄ってきていたのだ。姿は見えなかったし、音もなかった。けれど、においを消すことはしていなかった。これでは、頭隠して尻隠さずだ。
垂直に生えるパイプの曲面に沿うようにして反転。銃の構えを崩さずにふり返ると、レョルの驚いた顔。なぜ人間ごときの知覚で、トラの奇襲がバレたのか、という表情。
後ろ向きで撃った弾は、直撃はしていなかった。右目の上のこめかみあたりをかすめたようだ。血がどろどろと流れているが、致命傷ではなさそうだ。
とどめを刺すべく、心臓を狙って、撃つ。
だが、そのとき、グリップを握り締めた腕に投擲物。銃が叩き落とされる。発射はしたが、狙いがそれた銃弾はレョルの右肩に当たった。弾は肉をえぐると、貫通してパイプに突き刺さる。
投擲されたのは小さなガラクタの球。林の向こうにあるガラクタの山の上にゾウの鼻が二本。アフリカゾウとアジアゾウの半人たち。筋肉質なゾウ鼻で投げられた剛速球が、いくつも飛来してくる。ビゲドは銃を拾うのを諦めて後退。それと同時に、レョルは銃創から血を噴き出させながら跳躍。果敢にビゲドの喉を狙って牙を剥く。
本物のトラのような躍動。レョルの骨格はまだ二足歩行の人間のままだが、すでに顎や四肢にはトラさながらの力が宿り、巨大な牙と鋭い爪がそろっている。黒と黄色のストライプの毛衣が体の半分近くをおおい、尻尾は完全に生えきった。人間から動物へと向かう道のりの折り返し地点は、もう通り越してしまっている。
トラの牙が届く直前、ビゲドは前傾姿勢になると、四肢で大地に触れた。現実世界で、はじめての四足歩行。すこぶるしっくりくる。獣じみた横っ飛びでレョルの右側に回り込む。一発目の銃弾によってつけられた、こめかみの傷から垂れた血でレョルの右目は塞がれていた。その死角に入ったのだ。しかも、二発目の銃弾によって右肩にも傷を負っている。右にいる敵への攻撃動作はどうしても鈍くなる。
レョルの牙と爪は空振り。生い茂る灰色のパイプを叩いてしならせるだけに終わる。
そこに、ビゲドが飛びかかった。
己の牙で。
レョルはこのときになって、ビゲドが純粋な人間ではないことに気づかされていた。力任せにはねのけるが、その反動で噛まれた部分が食いちぎられる。今度は右の前腕部。
ビゲドは四足で受け身をとって、体勢を整える。顔を上げると、レョルはすでに灰色のパイプ林の奥へと逃げ込んでいた。
落としていた銃を拾い上げて、二足で立って構える。その動作が終わったときには、もう敵は銃弾が届かないほど深いパイプの茂みのなか。
追おうとすると、またも投擲。
銃口を山に向けると、ゾウ鼻が引っ込んだ。
陸上動物最強のゾウであっても銃は怖いらしい。銃はゾウよりも強し。相手のゾウの半人たちははふたりとも子供だった。子ゾウはゾウにあらず。まだ狩らずに育つのを待ちたいものだ。
ビゲドは銃を下ろし、ハンカチを取り出すと、トラの血で染まった口元を拭う。
――いけない。
獣みたいな狩りをするところだった。自分が望んでいるのはあくまで狩猟。荒っぽい殺し合いじゃない。
トラの足取りをたどる。
まずはトラを仕留める。トラを冥府に送るトロッコのレーンはすでに敷かれている。あの手傷ではもう満足に戦えないだろう。
戦利品は、なにがいいだろうか。毛衣に変化している部分の皮膚を剥いで、カーペットにしようか。それとも頭蓋骨がいいか。素晴らしい牙を持つトラの頭蓋骨を部屋に飾れば、さぞかし格好のいいインテリアになるだろう。