▽こんこん12-3 ガラクタ広場にて
「草ってやつは。こんなにうまかったのか」
堆積したガラクタにぽっかりとあいた穴のような広場。その中央に置かれている巨大なコンテナのなかで、ビゲド警部がトネリコの葉っぱをむしっては口に放り込んでいた。
「やめておいたほうがいいぞ」
外からレョルの声が反響して聞こえてくる。
「腹を壊す。大抵の植物っていうのは、そのままで食べるには、人間に有毒な成分を含んでいるものだからな。それに、どうやらそいつはここの住民にとって、結構大事なものらしい」
「ご忠告、ご親切にどうも」
荒っぽかった口調を改めて、片手に銃を構えながらコンテナの外に顔を出す。奥歯に挟まった葉っぱの筋を爪先で取り除きながら、あたりの様子を素早く窺う。だが、でこぼことしたガラクタ山の稜線のどこにレョルが隠れているのかは分からなかった。
トラは隠れるのが得意な動物。隠密によって獲物に忍び寄り、一瞬のうちに命を奪うのがその狩りの手法。
まさしく虎視眈々とビゲドの命を狙っている。
けれど、いまのトラは追われる側でもある。狩られる側。自然界では頂点でも、自然を超越した力を持つ人間の武器にはかなわない。一発の銃弾が胸を貫けば、たったそれだけでトラという絶対強者であっても骸となる運命なのだ。
姿は見えない、が、音はどうか。もしくは、においは?
ビゲドの体はすこしずつ半人に近づいていた。今日になって、その変化の速度が加速しているようにも感じる。イヌ科のイエイヌの一種であるアイリッシュウルフハウンドの聴覚と嗅覚。イヌの可聴域は人間の三、四倍ほどの広さ。嗅覚に至っては人間が感じ取れる最小のにおいの、さらに百万から一億分の一ぐらいまでが嗅ぎ分けられるとされている。嗅ぎ取れる距離も長い。人間を越えた知覚能力。
とはいえ敵も半人。それもネコ科の最強格であるトラ。ネコもイヌと同じく人間よりも優れた聴覚、嗅覚を持つが、イヌと比べればネコの嗅覚は劣る。その代わりに可聴域はイヌよりもさらに広く、耳の筋肉が発達しているので、左右別々に動かして音を探れるという特徴を持っている。
総じて、イヌは知覚の第一に嗅覚を、ネコは聴覚を頼りにしているといえる。そんなイヌとネコの探り合いが、いまこのコンテナ広場ではおこなわれていた。
ビゲドは鼻を浮かせて、あたりに散らばる無数のにおいのなかから獲物のにおいを嗅ぎ分けようとする。レョルの体には、逃走中に浴びたブルーバックの半人の血のにおいが付着したままだ。
すぐに鼻孔をくすぐったのは、みっつの血だまり。これは違う。この場所で、ビゲドが撃った三頭の半人。飛べない鳥のドードー。同じく飛べない鳥で、こちらはかなりの大型鳥のエピオルニス。それからウマ科のターパン。
いずれも半人化がかなり進行していて、人間よりも動物に近い姿。だが、研究所の閉じた飼育室で暮らしていたせいか、その動きは鈍りきっていて、まったく狩りがいというものを感じなかった。
この三種は、どいつもこいつも地球で早くに絶滅した動物。
ビゲドはドードーの絶滅理由を思い出して、痙攣のような笑みを浮かべる。
気ままな孤島暮らしをしていたところ、海からやってきた人間によって狩られた鳥。それまでその孤島には天敵がいなかったので警戒心もなく、まるまると太った飛べないのろま鳥は素手で易々と捕まえられたのだという。多いときには日に何百羽と塩漬けにされ船に積み込まれ、時にはゲームとして叩き殺され、さらには船に乗って人間と共にやってきた外来種のネコやネズミに卵を食い荒らされ、人間が持ち込んだブタやヤギで孤島の環境は激変し、その結果、ついには、ぽっくり。
そんな間抜けな鳥を銃で狩るなど、弾がもったいない。史実に倣って素手で仕留めればよかった、と今更ながらにビゲドは思う。
血のにおいに腹が減る。ついにここまで動物になりはじめたか。しかし、ドードーは食べる気がしない。ひどく不味かったと、もっぱらの噂だ。
別のにおいをさがす。トラの居場所を。
ゆっくりと首を回して、各所のにおいに意識を集中させる。
ここには実に多種多様なにおいの痕跡が残っている。よほどたくさんの半人が暮らしている事実がうかがえた。獣臭さ、青臭さの濃さから、半人化の進行度合いが分かる。かなり濃い。たのしみだ。より動物らしい動物を、これから狩ることができるに違いない。まずはトラという大物を仕留めたいが、それが終わっても、狩人としての夢は続くのだ。
ビゲドが仕留めた獲物以外の血のにおいも漂っている。人間の血のにおい。ここにいる肉食動物連中は人間を食っているのかもしれない。近頃、行方不明者が増えている案件と関わりがあるのかも。いいじゃないか。それでこそ捕食者。狩りがいのある相手だ。
もっと早くにこの場所のことを知りたかった。レョルは知っていたのだろうか。いや、いままでそんなそぶりはなかった。一緒に逃げていた半人のだれかが知っていたのだろう。そうして、隠れ家として案内した。そんなところか。追跡者がイヌの嗅覚を備えているとも知らずに。
うまく追跡できたのは僥倖。ここでの狩りはわくわくする。
と、すぐ近くから獣臭。
ビゲドは小太りの体に似合わぬ俊敏な動作で天を仰ぐと、銃口を空に向けた。
意識外だったコンテナ上からの奇襲。第一衛星の逆光に浮かんだ半人の顔にギョッとする。まるでピエロのメイク。真っ暗に目が落ちくぼんで見えたのは、目の周辺が黒く染まっていたから。顔全体が毛衣におおわれているぐらいの動物変化。特徴的な白黒の模様。これは、パンダの半人だ。
クマ科のくせして草食動物。クマであることは変わらないので、その消化器官は肉食よりの雑食動物のもの。なので、草食なのに植物からはそれほど効率よく栄養を摂取できていなかったという奇妙な生き物。
引き金を引く。けれど発射された銃弾はパンダの頬をかすめただけで外れてしまった。逆光に加えて、目立つ黒の模様のせいで、その輪郭をはかりかねたのだ。巨体が降ってくる。ビゲドは咄嗟にコンテナのなかに身を滑り込ませた。
背後でどすんという落下音。響きの重厚さからパンダ人間の屈強ぶりが伝わってくる。
前転して体の向きを変えると、銃口を入口へ。
コンテナの入口は、側面にある破れたような裂け目ひとつだけ。あとは天井の中央に、外にめくれあがって花が開いたような形状をした、明かり取りの穴があいている。
足元でざらついているのは、ゴミを粉砕して作ったらしい土モドキ。ピュシスの土のにおいとはまるでちがって、金属臭が鼻につく。
御神体のように鎮座するトネリコの樹にビゲドは身を寄せる。半人の領域を越えて、人ではなく植物になった元人間。偽の土からわずかでも栄養を得ようと痩せた根を伸ばし、偽の太陽に枝を伸ばし、葉の指先を広げている。
この偽の植物、憐れっぽさもあるが、ここの住民によほど熱心に手入れされているのだろう。幹はなかなか太くなっているし、葉にもそれなりのつやがある。天井に触れそうなほどに伸びた樹高からは、迸るような生命力の強さが感じられた。
天井の穴から落ちるガタついた光に影が差す。同じ手は食わない。視線を向ける前には、もう引き金を引いている。銃弾が撃ちあがる。穴の上にいたやつは悲鳴と共に頭を引っ込めた。しかしその鳴き声はパンダのものにしては甲高い。キュー、キューと笛のような高音。パンダはもうすこし低めに、ヤギにも似たメー、メー、もしくはワンワンというような鳴き声のはず。影もすこしばかり小さかった。
ちらりと見えたのは真っ黒な後ろ足の一部と、白と明褐色の縞模様をした尻尾の先端。パンダじゃない。レッサーパンダの半人だ。パンダと違ってクマ科ではなくレッサーパンダ科。アライグマ科、イタチ科、スカンク科となどが属するイタチ上科の一員。
コンテナ側面の裂け目から、パンダが殴り込んできた。レッサーパンダは陽動。よほど行動を共にしているのか、二頭のにおいが似通っていたのでよけいに騙されてしまった。
コンテナの壁の内側を剛腕が打つと、鐘のなかにいるような激しい振動。
バランスを崩しながらも、ビゲドはトネリコの幹の裏側に回り込む。
パンダ人間の猛攻が止まる。やはり、このトネリコを守るためにでてきたらしい。そうと分かれば、ビゲドは靴の裏を幹に当て、思いっきり蹴りつけてやった。
浅く張られた根っこの支えは脆く、トネリコがわずかに傾ぐ。
慌てたパンダ人間は抱きとめようと手を広げた。ビゲドはそのわきをすり抜けてコンテナの外へ。すれ違う一瞬、ついでに銃弾を一発おみまいしてやったが、これはトネリコの枝にはじかれて、パンダに命中することはなかった。
命拾いしたな、と心のなかで言い捨てて、距離を取るべく走る。四本足になりそうになる衝動を抑えて、あくまで二足での走り。
コンテナから離れる。パンダたちは追ってこなかった。あくまでトネリコが無事であればいいのだろう。次に遭遇したときには仕留めてやろう、と心にとどめながら、ビゲドはハッと息を吐くと、トラを探してガラクタの道をひた走った。