▽こんこん12-2 二頭のアンテロープ
「こわがらなくてもいい。この人は……、人?」
自分で言いながら、螺旋状の角が生えた男、探偵のノニノエノは首を傾げる。そうして頭に手をやって、回転する角の縁を指先でするりとなぞると、すぐに気を取り直して、恐竜ヴェロキラプトルの凶暴な相貌を見上げた。
「まあいいや。なんていうか、それなりにちゃんとした人だから。服装も決まってるだろ。ほら、鱗の肌にジャケットが実によく似合ってる。うん」
舎弟がボスをおだてるような調子のいい態度。
ラプトルが口をひらいたのを見て、ノニノエノは持っていたカバンのなかに手を入れる。取り出されたのはパック詰めされたなにか。恐竜の口に放り込む。ひと口で貪られたあと、器用に包装だけが吐き出された。
「あとちょっとしかないから、なくなったら食物で我慢してくれよ」
人語を理解しているのか、ラプトルは逡巡するようなまばたき。
食事。クユユは眉をしかめる。中身は聞かなくともにおいで分かった。ノニノエノは向けられている視線を察すると、バツが悪そうに角を触り、クユユの肩に引っかかっているカヅッチに目をやった。
「おっ。あんた。工場の」
「……誰だ? どこかで会ったか?」
カヅッチは顔を上げずに、目だけで相手の姿を探す。
「まあ覚えてないよな」
ノニノエノがソニナに最後の調査報告をした帰りに、一度すれちがっただけの関係。しかし、腐っても探偵。探偵として、カヅッチの顔をおぼろげながら覚えていた。
伏せられた顔から帽子、後ろに向けられた帽子のつば、そして頭から突き出た角へと視線を移動させて、
「あんた……。いや。とにかく逃げろ。いまここはサツに踏み込まれてる。それも銃を乱射してるとびきりヤバイやつにだ」
「いこう」聞いたクユユはすぐにカヅッチを引っ張る。
けれど、脱力した体は地面と同化しようとしているかのように、機械惑星の重力に強く囚われていた。
「どこに、逃げるって、いうんだ」
「どことかじゃなく、とにかく危険から離れるんだよ」
ノニノエノは、クユユとは反対側からカヅッチの体を支える。そうして触れた体の熱さにびっくりして、苦痛に歪んでいる横顔を覗き込んだ。
「あんた熱があるみたいだ。それに息も荒すぎる」
カヅッチの体は一日中、陽に当てられた岩のような温度。舌はべろりと口から飛び出して、暑がりのイヌがやるような浅く激しい呼吸。
「汗腺が、動物に、近くなっているんだ。だから、排熱が……。人間のようには、汗がかけない。せめて、ウマなら、よかったが……」
「半人ってのはそんなところまで変わるのかよ」
ノニノエノはカヅッチを地面に座らせると、急いでコートを脱いだ。両手でピンと合成繊維の布を引っ張って持つと、力いっぱいあおいで空気を送る。クユユもなにかできないかと手探りするが、着ているのは薄いスポーツウェア。そんなものでは扇になりそうにもなかったので、手であおいだり、口で息で吹くことで熱を下げられないかと試みる。
カヅッチはそんなふたりを両手で押しのけると、
「よけいなお世話だ。こんなものは死ぬまで治らないんだ。放っておいても、もうすぐ治る」
ふり払われてもなお、あおごうとするノニノエノを、カヅッチは鋭く睨みつけて牽制。ぐっ、と体に気力を込めると、自分の力でしゃんと立ち上がった。
よれよれのコートを手に持つ男の螺旋の角の切っ先。そして、なかば蹄に変異している足から脱げかけたブーツをじろじろと眺める。多少は体温が下がったのか、息を落ち着けて、
「そうか、君。ブラックバックだろう。そんな螺旋状の角は、ブラックバックかマーコールか、それともアダックスだとかジャイアントイランド……。目も半人化しているようだが、虹彩が黄色っぽくはないからヤギ科ではない。アダックスの角にしては黒っぽい。ジャイアントイランドの角にしては節が多い。……だからブラックバックだ。当たりだろ?」
「おお。あんた探偵になれるぜ」
本気で関心しているとは思えないような大仰さに、カヅッチは鬱陶しそうに手をふって、
「お世辞はいらない。見たままの情報を並べただけで、推理ですらない。こんなレベルで探偵になれるなら転職を考えるよ」
「ははは。見習いとして俺の助手になるか? 俺はちなみに探偵だ。本物の、な」
言いながらこめかみのあたりに手を置いて、そういえば冠をつけていないのを思い出した。虚空をさまよう指を、眉間のあたりに落ち着けて、
「まあ、俺も言わせてもらうと。あんたトムソンガゼルだろ。ピュシスで何回か話したことがあったから、なんとなく雰囲気で分かったよ」
こちらは一応は本職の探偵なのに、推理ですらない印象で断定して、
「なんか思いつめてるらしいが、とにかく逃げよう。何度も言うが、いまは逃げないと」
トムソンガゼルとはそれほど付き合いがあったわけではないが、同じアンテロープとして見捨てるのはなんだか気が向かない。
「引きずってでも」
断固とした意思を持って、クユユがカヅッチの腕をがっしりと掴む。反対側からはノニノエノ。ふいに力が抜けて、曲がった膝から後ろに倒れそうになったが、背中がラプトルの鼻先に当たって押し返されると、体は自然とまっすぐに立ち上がった。
「なにもかもが、なんで思い通りにならないんだろうか……」
カヅッチは永久に続く頭痛に歯を食いしばりながら、
「せめて、自分の足で歩かせてくれ」
硬質化して蹄に変化した足を、靴の裏側で重々しく鳴らした。