●ぽんぽこ12-54 タヌキとキツネ
陽が落ちて、月が昇った空の下。
風吹き抜ける林の奥。大きな大きな岩の陰。
「キツネなんでしょ?」
タヌキがライオンの鼻先を見上げる。星明りに照らされて、螺鈿で紡いだ糸のように輝くたてがみが、大きくなびいて、うん、と頷きが返ってきた。
「わたしはキツネ。君はタヌキ?」
「ぼくはタヌキ。見れば分かるでしょ」
するとライオンはタヌキの丸っこい顔を正面から覗き込んで、
「わたしたちにとって、見れば分かるなんて言葉はなんの証明にもならないよ」
長い息を吐き出すように言われると、タヌキはしょんぼりとうなだれて、小石を河原に落っことしたみたいに、
「……そうだったね」
ふたりの会話にブチハイエナは大きな丸耳をくるっと回すと、夜空の星々を真っ暗な瞳に映して、興味深げに尻尾を上げた。
「おふたりはお知り合いだったのですか?」
「まあね」と、ライオンに化けたキツネ。
「それで怒っていらっしゃった、と」
「怒っていたの?」タヌキが不思議そうに目の周りの隈取りを広げる。
と、三頭の元に、怒気をまとったリカオンが飛び込んできた。
「どいういうことだ」と、激しい第一声。「俺への説明が必要だ」と、断固とした第二声。そうして第三声を発する頃にはすこし落ち着いて「ライオンは、生きていたのか?」
「その言い草だと、リカオンは俺様のことを知っていたということか」
ライオン然とした風格。
「つまり違うんだな」
毛衣と同じく黒黄白のブチ模様に染まった尻尾を上下させながら、タヌキにちらと目をやって、
「タヌキが化けてるわけでもない。なにが俺様だ。お前は誰だ!」
また声を荒げる。
「わたしはキツネ。化けギツネ」
と、腹話術師のように急に声色が変わったので、虚をつかれたリカオンは首をすくめて、
「キツネ? どこから湧いてでた」
「この際教えてもいいか。わたしはずっといたよ。オオカワウソとして」
その言葉にタヌキがはずんで、
「カワウソがキツネだったの?」
「うん」
「ぼくはオポッサムだったんだよ」
これにはキツネもびっくりした様子で、
「へえ? なるほど」感慨深げに夜空を見上げる。「あんな大げさな別れ方をしたのに、案外すぐに合流してたんだ。奇縁というか、星の巡り合わせというか……」
「笑っちゃうね」と、全部をひっくるめてタヌキが言うと、
「ほんとうだね」ライオンの顔がキツネみたいにやわらかく緩んだ。
「待て待て、理解が追いつかない。誰か説明してくれ」
自分の尻尾を追いかけるようにぐるぐると回りはじめたリカオンを見かねて、ブチハイエナが「では」と、一歩前に出てきた。
「このなかでは私が最も語り部として適しているでしょうから、軌跡をたどるとしましょうか」
秘密結社の怪しい集まりのように、四頭の動物が鼻を突き合わせる。
ライオン、ブチハイエナ、リカオン、タヌキと、徐々に小さくなっていく動物が円陣を組むと、それぞれの毛衣の模様もあいまって、呪術めいた幾何学魔法陣に見えてくる。
ブチハイエナがそれぞれの情報の穴を埋めるように、順を追って、けれど時間をかけすぎないよう、簡潔にこれまでの出来事を並べていく。
以前から時折、タヌキがライオンの代わりを務めていたこと。トラとの群れ戦でライオンが消滅してしまったこと。その後、ライオンがつくったこの群れを存続させるために、タヌキが完全にライオンに成り代わっていたこと。
キツネとブチハイエナのつながりについては、ぼやかした説明。現実で起きている半人化のこともタヌキやリカオンに教える必要はない。
そういった部分ではタヌキとリカオンのふたりと、キツネとブチハイエナのふたりのあいだには断崖の谷のような大きな意識の差があった。
キツネとブチハイエナ、そのプレイヤーであるリヒュとソニナは、行方知れずになっていたロロシーを探すために協力していたが、そんなロロシーも見つかり、いまはそれぞれに別の目的を持って動いている状況。
ソニナはロロシーと共に機械惑星の中核、惑星コンピューターの元へと向かっており、リヒュはピュシスの中核、遺跡の奥の最深部を目指している。
プレイヤーを動物や植物の半人に、果ては完全なる動植物へと変質させるピュシスというゲームは、機械惑星の周りを公転する三つの機械衛星のいずれかによってつくられたとロロシーは語った。そうして、ロロシーは機械衛星たちを統括する立場であるカリスに、ピュシスの消去、及びその叡智によって半人化の治療方法を見つけ出してもらおうと、直接交渉の場に向かったのだ。ソニナはロロシーのお供としてついている。
一方でリヒュはロロシーとは正反対。ピュシスの活動を活発化させ、現実世界を侵食して欲しいと考えている。失われた自然の再生。動物としての暮らし。それをピュシスの最深部で願うために、一種のお祭りめいたこのトーナメントに参加しているのだ。
ブチハイエナの話の途中、リヒュは、タヌキやリカオンが最深部での願い事としてライオンのアカウントを再発行してもらおうと考えていると聞いて、ソニナの行動をすこしだけ理解できた気になった。
ソニナというのはロロシー側の人間。いや、人間ではない。誰かの人格が移植されているオートマタ。元がどこの誰だかは知らないが、とにかく現在の人間そのものの姿をした特別製のオートマタの姿で、昔からロロシーの家に使用人として雇われており、家族同然の絆があるようだ。言動にはかなり色濃い機械主義が見え隠れしていたものの、自身が機械の体であれば、そうなるのも必然であろう。そんな主義とは別にロロシーを大事に考えているのも間違いない。それこそ、まるで実の娘のように。
そんなソニナが、群れ戦できっちりと勝ち上がる戦いをして、いまロロシーと競争をしているリヒュのほうにも手を貸しているのには、どういう意味合いがあるのだろうかと思っていた。
監視目的にしては、積極的すぎるのだ。
「ライオンが消滅したのは、オートマタの大量発生前におこなったトラの群れとの群れ戦の最中だって言ってましたよね」
尋ねてみると、「そうです」というブチハイエナの返答。
その日は、リヒュがロロシーに噛まれた日でもある。時間もほぼ一致している。なら、ロロシーがライオンなのだ。ライオンだったのだ。そしていまはライオンの半人。
リヒュはタヌキがライオンに化けているなど露にも思っていなかったので、ゲーム内の活動と照らし合わせて、その可能性を排除していたのだが、一転、諸々の事実を踏まえて間違いないと結論する。
ライオンのアカウントを取り戻すのがロロシーのためになると考えると、それなりに納得はできる。だからブチハイエナとして戦闘に参加して、勝ち上がろうとしている。
――いやいや。
と、リヒュは急ブレーキ、考え直す。
そもそもロロシーはピュシスを消去しようとしているのだ。いまさらロロシーがピュシスに復帰したいと考えているわけがない。それはソニナも知っているはず。やはりおかしい。タヌキのこともあって、思考によどみがでている。冷静に考えよう。これだと辻褄が合わない。
ソニナがなにを目指しているのか。直接聞いても教えてはもらえまい。これまでにも幾度となくはぐらかされてきた。
この群れが勝ち進んで、遺跡に突入したとする。ピュシスの地下に存在する、現実を複製したような街の奥、工場地区の敵性NPCたちに守られた最深部。そこでピュシスの管理者、つまりロロシーの言っていたところによると、機械衛星が、願いを叶えてくれる、のだという。
機械衛星ほどの存在なら、大抵のことは叶えられるだろう。大金持ちになりたいと言えば、帳尻を合わせて莫大な電子マネーを怪しまれる痕跡もなく口座に振り込むことができるだろうし、人間関係の修復なんていう情緒的なことでも冠からの干渉で、感情を誘導することができるかもしれない。不死を願えば、ソニナのようにオートマタの体が与えられるのだろうか。
ゲーム内のことならもっと簡単だ。能力の上限突破だとか、たくさんの命力が欲しいだとか、そういった願いを叶えるのはちょっとプログラムをいじるだけで完了するはず。
そして、ピュシスを消して欲しいという願いだって……。
ロロシーの願いはピュシスを消し去ること。ソニナは内側からそれを叶えようとしているのだろうか。これまでのトラやマレーバク、キングコブラなどの話や、その他の噂を聞く限りでは、ピュシスに自壊を命じれば、ピュシスはそれをあっさりと受け入れてしまいそうだ。
遺跡最深部へと向かう計画、ひいては戦いに必要な命力を集めるこのトーナメントは、ピュシスというゲームを愛し、手放したくないと願うプレイヤーによって開催されている。そんななかに崩壊を望むものがいるとすれば、それこそ獅子身中の虫ということになるが……。
――けど、それも違うか?
リヒュには分からない。
ソニナはロロシーの味方でありながら、リヒュの敵ではないとはっきり宣言していた。それぞれの望みが交わる地点があるかもしれないとも。なにか、第三の着地点が見えているのだろうか。
そんなことを考えていたキツネが化けたライオンに、リカオンがフー、フー、とフクロウにも似た鳴き声を投げかけた。
フーコールと呼ばれるリカオンが仲間を探す際の鳴き声。
ブチハイエナの話は全て終わっている。
「それで、このキツネはなんなんだ? これからどうする。またタヌキがライオンをやるのか? それとも、キツネがライオンをやるのか? もしくは、もう打ち明けるか?」
「打ち明けるというのは群れ員全員にか? いまみたいな中途半端な場面ではやめておいたほうがいいだろうな」
本物のライオンと見まごうような態度。それにタヌキが、「すごいね」と、鼻をつんと上げた。
「ぼくが、きちんとライオンの真似ができるようになるまで、すごく時間がかかったのに」
「わたしは元々嘘が得意なんだ」今度はキツネの口調。
「そうかいオオカワウソだったと同時に、オオウソツキでもあったわけだ」
リカオンが言うと、ブチハイエナが笑う。
「面白いですね。それ」
「拾わなくていいんだよ」
リカオンは恥ずかしそうに顔を伏せて、「で、どうする」
「俺様が俺様をやる」と、キツネ。「優勝したいんだ」
「ライオンはフリー素材じゃないんだぞ」
まだ引っかかっている様子のリカオンに、タヌキが「キツネなら大丈夫」と無垢な信頼を寄せた。
「頼りになるから。キツネが優勝したいって言うならぼくは協力したい。ぼくも、前よりずっとライオンに帰ってきて欲しくなった。さっきはあんなことになっちゃったけれど、これからもう一度頑張りたい。キツネとなら……」
「しかし、ぽっとでのやつに、長の役割が務まるか?」
そんな疑問にもタヌキは、
「ブチハイエナやリカオンが支えてくれたから、ぼくにだってできた。今度はぼくも支える側に回る。助け合えば、きっと大丈夫」
あまり追及するとタヌキをも責めることになりかねないので、リカオンは口を尖らせるだけでこれ以上の追及は堪えた。風に吹かれて、くしゅん、と、くしゃみ。それから口を結ぶと、ちいさくこくりと頷いた。