●ぽんぽこ12-53 誰?
本拠地に積み上がった赤灰混じりの平らな岩場の天辺。黄金色の獣が濃いたてがみをひるがえし、滝を昇る龍の如くにゴールの光柱に沿って跳躍するのをタヌキは遠くから眺めていた。
ライオン。確かにライオンだ。
タヌキよりも遥かに力強く、俊敏な動き。
けれどあれがライオンであるはずがはないことを、タヌキ自身が一番よく分かっていた。
なら、一体、誰なんだ。
激しい嵐のような感情が頭のなかをかき混ぜる。
タヌキの隣では、リカオンもまた同じような混乱におそわれていた。
ライオンは消滅しているはず。ブチハイエナとタヌキにはそのように聞かされていたし、だからこそ、タヌキは化けるスキルをつかって、群れを無理やりつなぎとめようとしている。けれど、よもや、消滅というのは嘘だったのか、というところまで結論が飛躍しそうになっていた。
第三のライオンによる身軽なジャンプは見事だった。自身の体長に近い高さまで跳び上がると、敵のトキを悠々と仕留めてみせた。
キリンや紀州犬は草原のまんなかで唖然として、ライオンがタヌキになり、どこからか別のライオンがあらわれたという事実に、ライオンが偏在するかのような、思考の迷子に陥ってしまう。
そして、フェネックや、バオバブ、林檎の三名はタヌキの騒動など知りもせず、ただライオンの雄姿に関心しているばかりであった。
群れ戦の終了が告げられると同時に、縄張りをリフレッシュするべく、プレイヤーたちは転送処理で運び出されていく。
転送先の中立地帯は強風が吹きすさぶ林。切り立った山から吹き下ろされる風によって、ひとつ残らず傾いだ樹々が、枝や葉すらも斜めにして、風に抗い踏みとどまっているという場所。
タヌキは転送されてすぐ、その音に驚いた。ごうごうとうねる風が梢を叩く音が耳の奥で爆発する。気を抜くと吹き飛ばされてしまいそうだ。
まるい体から毛をむしり取られそうになりながら耐えていると、ひょいと持ち上げられて、ボールのように転がされた。ほとんど葉の散ってしまっている藪にころんと押し込められると、細い枝が絡まっている隙間から外を覗く。そこに立っていたのはライオン。
「久しぶりだな。しばらく隠れていろ」
というライオンそのものの声に涙が溢れそうになる。このところ自分がいつも発していた声。装備品のスピーカーで音声を再生する方式のピュシスというゲームでは、スピーカーの設定次第で声などいくらでも変えられる。調整すれば、誰にだって似せられるものだ。これはライオンじゃない。それが哀しかった。けれど同時に嬉しくもあった。懐かしい相手との再会。二律背反する感情が胸のなかで正面衝突して、言葉が四散してしまう。拾い集めようとしているうちにライオンは背中を向けて、次々に中立地帯に転送されてくる仲間たちの元へと去っていってしまった。
「あいつは?」
復活と共にすっかり全回復したキョンが短い角をあっちこっちにふり回す。
周りの樹々に負けないぐらいに騒がしく葉を叩くヤマナラシの植物族や、その根元で吹き飛ばされないように身を寄せて、針毛を打ち鳴らしているヤマアラシとアメリカヤマアラシも長を探す。
トキが強風にあおられながら、空から林を見下ろして、アードウルフは地面を掘り返してまで捜索をおこなっていた。
けれど、そこまでされたにも関わらずイボイノシシの姿はどこにも存在しなかった。
プレイヤーが揃いだすと、ふたつの群れのなかで、行方知れずになったものたちが浮き彫りになる。ざわめきが高まって、閾値を超えると嘆息と共にしぼんでいった。
ライオンは集結した面々を確認すると、ひかえめに勝利を称え、トーナメントの準決勝に向けて、各自休憩と準備をおこなうように申し渡した。次の試合相手の確認などが済むまではこの中立地帯に待機するように指示して、フラミンゴを連絡に向かわせると、場を離れる。その際、キリンと紀州犬には戦の最後に起きたことについて、しばしのあいだ胸にとどめておいてくれと、さりげなく伝えられた。ふたりはなにか聞きたげな表情を呑み込んで、ひとまずはライオンの言葉に従った。
仲間たちは勝利の余韻と、戦の疲労に身を委ねながら、ばらばらと自由行動に移る。
閑散とした林の奥へと分け入るライオンに、ブチハイエナが黙して続く。
樹々の隙間を歩くライオンは、巻きあがるたてがみに鬱陶しそうに首をふった。風に毛衣を絞られて、痩せイヌのようになりながら、台風の目となっている岩陰を見つけると、そこでぴたりと足をとめる。
そうして、盗み聞きをする不届き者などがいないことを用心深く確かめると、後ろをついてきていたブチハイエナに向き直った。
「黙っていたんですね」
音声はライオンのままだが口調はがらりと変わっている。その言葉には強く咎める響きがあった。
「さすがにタヌキよりは洗練された肉食動物の動きでしたよ」
ブチハイエナがトキを狩った動きを褒める。
「一応ジャンプは得意技ですからね。それにタヌキよりも僕のほうが能力が高いはず。加えて言うなら、トキっていうのは鳥類だから体重が軽い。大きさはだいぶ違うけれど、フェネックと同じぐらいじゃないかな。僕の三分の一以下だ。だったら引きずり下ろすのはそれほど難しいことじゃない。相手の意識がゴールに向いて集中しているときならなおさらね」
ライオンは岩を風よけにしてもたれかかる。ブチハイエナはにこやかに笑って、
「うまく機転をきかせましたね」
「質問の答えは?」
「さあ、なんのことでしょう」
はぐらかすような返答に、ライオンはすこしだけ不快そうに眉をしかめる。
「機械でも嘘をつくんですね」
「嘘が定義できるなら、電子頭脳でも処理できますよ。現代の機械惑星において、人間の脳に神秘などありません。余すところなく、再現できるんです。人格を積み込んでもなにも問題がないぐらいにね。……ところでごまかしや沈黙と、嘘は似て非なるものですよ。お間違えなく」
主導権を渡さないブチハイエナに、ライオンはしびれを切らしたように詰め寄った。
「いまの僕はライオンだ。やろうと思えばいつだって、この群れをぐちゃぐちゃにすることができるんですよ」
脅すような言葉に、
「ご冗談を」と、ブチハイエナは受け流して「この群れから均衡が失われれば、あなたが遺跡最深部に向かう道筋は限りなく細くなる。それはあなたの目的とは反している。ピュシスを暴走させたいのでしょう? 現実を自然の世界に還したいのでしょう? そのためには現状を維持しなければ。いくら嘘がお上手でも、嘘は状況を混沌に傾けることしかできない。節制から遠ざける術でしかない。ひとを化かすっていうのは所詮そういうことなんですよ」
挑発するような言葉に、ライオンは怒ることもなく、どこか自傷気味にも見える薄い笑みをこぼした。
「嘘というのはね」風に消えそうな声。「ひとの心を動かす原動力なんですよ。嘘に生かされている者もいる。物事は常に流動のなかにある。維持などというのは無数の動きに支えられている。嘘をつくのは悪いことだなんて平凡な道徳は聞き飽きましたよ。創作の多くは嘘から生まれるものであるし、手品は嘘で人をたのしませる技術。アイドルの嘘は望まれてつかれるものだし、スポーツではフェイントなんかで騙すことも戦術の内だ。歴史は嘘によって決壊を免れ、政治の均衡は嘘で保たれている。正道のみを道を見るような思考は、失敗を許さない愚かな完璧主義者のものです」
「詭弁がお上手ですね」拍手でもしだしそうな口調で、「私が完璧主義者というのは認めましょう。けれど要点を逸らそうとしてはいけませんよ。タヌキのことで私があなたに責められるいわれはこれっぽっちもありません。本来あなたとは無関係なことでしょう。理不尽な怒りをぶつけて、なにを求めているんです?」じっと、ライオンの瞳を覗き込む「すこしだけ呼吸をとめて、目をつぶってみてください。それから次にまぶたを開いて、息を吸い込めば、冷静に話ができるでしょう」
肩をそびやかしていたライオンは、相手の言葉は呑み込むと、眉間を寄せては開いて、それから言われた通りに一度深呼吸をすることにした。ふうう、と息をはき出すと、冷静さが背中にのしかかるようにして戻ってくる。
「あなたというひと、ひとじゃないか。とにかくあなたのことが分からなくなってきました」
「ひとですよ。それでいいんです。ミステリアスな部分があったほうが、人格としての魅力があるでしょう?」
「ますます分からない」
ライオンは首をひねってくり返す。
と、耳をツンと尖らせて、急に目つきを鋭くすると「シッ」と、舌を鳴らした。
林へと視線を向ける。傾いだ樹々の斜めの影から、おずおずと姿をあらわしたのは丸っこくてふかふかとした獣。タヌキがころころとふたりの元へとやってくる。
ライオンと目が合うと、くりくりと瞳の輝きを変化させ、緊張がみなぎっている尻尾を伸ばした。
そうして、ひゅう、と息を吸い込むと、たったひとつの問を投げかける。
「キツネなんでしょ?」