●ぽんぽこ12-52 第三の王
軋んだ窓を開け放つような正体の吐露に、タヌキを取り囲む時間は氷河のように流れを遅らせた。
誰一人として言葉を発することができない間隙に、遠く、ゴールのそばに残っていたフェネックの叫び声。
「敵だよー!」
傾いた太陽が地平線に向かって速度を上げながら転げ落ちようとしていた。
もはや、いつ試合が終了してもおかしくない刻限。時計などないゲーム内では、太陽と月だけが時刻を知る手がかり。厳密な時刻はだれにも分からないので、終了に向けたカウントダウンなどしようがない。どっちつかずの緊張感が、プレイヤーたちの精神をくすぐるタイミング。
茜に染まる雲をなぞるように空を横切ってきたのはトキ。夕日にも負けない紅の面と、つややかな黒のくちばしで風を切り裂き、純白に淡い朱鷺色が混ざる翼を力強く羽ばたかせる。
イボイノシシにアードウルフ、それからオートマタ、タヌキのことなど、どさくさによってゴールの守りが崩れてしまっていた。空き巣を狙われたような形。ゴールがある岩場の周辺にはバオバブや林檎の植物族が幹を並べて枝を広げてはいるが動かない壁以上の役割はない。いまキーパーを託せるのは戦闘能力の低い小動物であるフェネックのみ。
トキが飛来してくるのはタヌキたちのいる場所から、ゴール地点を挟んだ真反対側。
方向が悪い。支援に向かうにはかなりの距離ができてしまっている。
慌てた紀州犬が本拠地へと引き返しながら、犬神の神聖スキルを使って首を胴体から分離させた。妖怪変化の不気味な姿。イヌの生首だけが宙を飛ぶ。けれどこのスキルにも射程距離がある。首と胴体はリードで繋がれているように、一定の距離以上は離れることができない。トキの位置は有効射程の遥か外。イヌの牙は空を切るばかり。
キリンも走るが、目測からしてトキがゴールに到着するのが先。トキの飛行速度はキリンの走行速度と同等。ひらけた空をいくぶんだけ、鳥類であるトキのほうが優位。
スキルを使ったブチハイエナも、敵をゴールさせまいと急いでいた。ジェヴォーダンの獣の肉体で突風の如く草原の草をなぎ倒していくが、それでも間に合うか否かは微妙なところ。
タヌキは裂傷と骨折の状態異常で走れない。いままでの戦であれば、逃げ回るのが主だったので、こんなになるまで戦闘したのははじめての経験だった。鉛のように重い肉体を丸めて、放心した表情で空を仰ぐ。リカオンもまた、動かない。リカオンの走行速度はキリンとさほど変わらない。キリンが間に合わない時点で、リカオンがどうしようと状況は変わらない。スキルを持たないプレイヤーなのでなおさらだ。
攻め込んできたトキはというと、なぜこんなにも警戒が緩んでいるのか訝しく思いながら、罠だとしても突っ込むしかないと考えていた。これから敢行するのは、最後まで勝負をあきらめない心による、無策無謀の突撃。
ゴールではフェネックがばたつきながらも、三角形の大きな耳を翼のようにひろげて空に向けた。小さな肉体を勇気で奮い立たせて、ゴールに唯一残っていた守護者としての責務をまっとうしようと身構える。
イヌ科の最小種であるフェネックに対して、トキの体長は倍以上。翼開長ともなれば三倍以上にもなる。
勢いよく滑空して、高度を下げはじめたトキの姿が迫ると、フェネックは身がすくむ思いにふっさりとした尻尾をしぼませた。渦巻いてみえる風の圧力だけで、もはや押しのけられてしまいそうだ。
トキは千載一遇の好機を逃すまいと、くちばしを前へと伸ばす。夕日が輝く。試合よ、まだ終わらないでくれと念じる。急げ、急げ。仲間の姿は見えないが、きっと仲間たちの頑張りで最後にこの状況が訪れたに違いない。連絡役を務めながら、抜け目なく拠点を回っておいたかいがあった。ゴールを決めて、有終の美を飾ろうではないか。
岩場に近づく影が膨らみ、フェネックの姿をまるごと呑み込んでしまう。
光柱のグラフィックの根本へと、トキが水かきのある足を伸ばす。
ゴール判定は地上。岩肌に触れれば勝利。着地は必須。
光のなかに突っ込むと、輝きが視界をおおった。
まぶしい。
だが、瞳に刺さるようなまぶしさではない。
システム上で設定されているやわらかな光。
光のなかで、突如、影があらわれた。
フェネック?
違う。大きい。形もまるで違う。
木の葉の塊が風に乗って紛れ込んだのかとも思ったが、それも違う。
急激に接近してくるのはまるで黒い太陽。目を凝らす。沈みゆこうとしている太陽とはまるで逆のどす黒さ。逆光で塗りつぶされた大型の獣。ゆらめき、たなびくたてがみの形からして、その正体は明瞭だった。
――ライオン!
間近で見る王者の迫力に身が竦んだ一瞬、すらりとなめらかな曲線をしたトキの白い首に、鋭い牙が食い込んだ。反射的にスキルを発動したがもう遅い。
トキはステュムパーロスの鳥の肉体に変身。鉄の翼、鉄のくちばしを持つ怪鳥。相手は変異を察知すると、すぐに咥えていた鳥を離した。鉄の鳥はゴールから外れた岩面へ。噛まれた際に翼を痛めて、体勢を大きく崩す。金属となって重量を増した肉体が、銅鑼を打ったような音と共に岩に叩きつけられた。
首を起こす。見上げたそこには、黄金色の王者の姿。夕日を受けて燃えるようにたてがみを輝かせるライオン。
「王様!」
フェネックの歓喜の声。
バオバブや林檎の植物族からも歓声が上がる。空に意識を向けていた者たちにとって、ライオンは煙のようにあらわれたとしか思えなかった。そうして颯爽と群れの窮地を救った姿はまさしく王。
続けざまに岩を駆けあがってきたジェヴォーダンの獣が、鉄の鳥を前足で押さえつける。鋭く巨大な爪で岩にはりつけにされた鉄の鳥は、もはや観念するよりなかった。
ライオンが威厳たっぷりの動作で、ゴールの光柱のなかに入っていく。どっしりと腰が下ろされると、時計の針が時を刻むように、太陽がちくたくと地表近くに到達。
群れ戦終了。
その瞬間、ライオンの群れの勝利がシステムによって通知された。