●ぽんぽこ5-1 縄張りを賭けた戦い
月が天頂に触れる時、ライオンとトラの群れ戦がはじまる。追加されている縄張り戦のルールに基づき、勝者は敗者の縄張りの一部を奪うことができる。
サバンナの本拠地である岩場に集まった参加者を見回して、オポッサムに化けたタヌキは不安を覚えた。明らかに参加者が少ない。単純に予定が合わなかった者もいるが、ライオンが危惧していた通り、王の不在を理由に参加を辞退する者が後を絶たなかった。
群れ戦の報酬である命力は、戦に参加しているプレイヤーに多く支払われるが、不参加でも群れに所属してさえいれば受け取ることができる。参加していても体力が尽きたり、スキルを多く使った末に負けてしまうと、不参加の方が多く報酬を受け取れるということも、もちろんある。そういった損得勘定に加えて、トラの群れの悪辣な戦い方についての噂を気にしている者たちもいた。
ピュシスのゲームシステムとして戦に参加できる戦力の上限は決まっている。戦力は大型の動植物ほど高く、小型は低い傾向があり、大型中心なら少数精鋭に、小型中心なら大群になる。上限をきっちり見極めて、ぎりぎりまで戦力を投入するのが戦いのセオリー。今までの群れ戦であれば十分すぎるほどの戦力を用いて適切なメンバーを選ぶことができた。けれど今回の戦においては集まった戦力を全て投入しても上限に遠く及ばない。
今は空席になっている玉座代わりの草の絨毯の傍で、戦の指揮を執るべく、ブチハイエナが群れ員を見渡す。その瞳には一片の迷いも、気後れも存在しない。モヒカンのようなたてがみが小高い山になって、凛々しく逆立っている。
ブチハイエナが丸みのある耳をしっかりと立てて、先の黒い短めの尻尾を力強く振る。そして、戦の前の激励を行うべくスピーカーを使って声を発した。
「皆さん知っての通り、今この時、玉座には我々を何度も勝利に導いてくださった偉大なるお姿はありません。この戦はそんな王に恩返しをする、またとない機会だと私は考えています。こんなことがない限り、我々は王に感謝を示すこともままならない。それぐらい、王は常に皆に心を配っておいででした。王の玉座に、トラなどという不届き者が触れるのを許すわけにはまいりません。全員で奮起し、王へ勝利を捧げようではありませんか!」
このやや大げさな演説は、「おうっ!」とか「ああっ!」といった雄叫びに迎え入れられ、オポッサムは皆の心の熱の高まりを感じた。そうして不安に苛まれていた自分の心を恥ずかしく思った。
こちらは防衛側。攻略側のトラの群れ員たちがサバンナにある各拠点を巡って、最終的に本拠地に到達しようとするのを妨害しなければならない。ピュシス内のゲーム時間における一日の間、守り切れば勝利。敵にとっての最終ゴール地点は、丁度ライオンがいつも寝そべっている玉座の上になっていた。
ライオンの縄張りは広大なので、守りの手を広げ過ぎれば、必ず手薄になる場所が出てしまう。しかも、今回は手勢が非常に少ない状態。ブチハイエナは遠方の拠点を捨て、本拠地に近い拠点を重点的に固める策をとった。
守りの要となるのは、付近の味方への能力上昇効果と、敵への能力低下効果の能力を持つ植物族たち。今日、参加してくれているのはバオバブ、アカシア、イチジクの三名。植物族は一名が複数本に増殖できるので、三名でも十分なカバー範囲になる。
幹が太く、物理的な壁も兼ることができる巨大なバオバブには、守備範囲の一番外側で本拠地を中心に円を描くように増殖してもらい、そこを第一防衛ラインと定める。バオバブは徳利のような幹の上部に細かく分かれた枝が生えており、悪魔が引っこ抜いて逆さまに植えた、という伝承があるぐらいに特徴的な姿。キリン六頭分ほどもある非常に背の高い樹なので、鳥類の拠点に最適。見張り台としても機能する。バオバブが守るラインの内側に、アカシアによる第二防衛ラインを敷く。本拠地近くにはイチジクの最終防衛ライン。イチジクの果実を食べることで体力回復もできるので、この最終防衛ラインには、負傷して本拠地まで退却してきた者を癒す避難場所の役割もある。
攻撃要員となるプレイヤーは本拠地で待機。敵発見の連絡があり次第、適時パーティを組んで向かってもらい、迎撃を行う。直接戦闘を行う攻撃要員は報酬の点で言えば損な役回りになりやすいので、今回戦の参加を見送った者が多かった。なので集まったなかで狩りに秀でる動物はまばら。普段、非戦闘要員であるプレイヤーたちが、どれだけ戦闘に関与できるかが勝敗の肝になりそうだと、ブチハイエナは考える。
ブチハイエナの指示で、植物族たちが一本一本、己を増殖させながら、縄張りに点描画を描くようにして配置場所へと向かっていく。鳥類たち、それから走力に優れた動物も索敵のために本拠地を出発していった。
タイミングを合わせた波状攻撃をされると、簡単に瓦解してしまうような心もとない布陣。しかし、ブチハイエナはトラの群れの足並みが揃うことはないだろうと予想する。まとまりのない個人主義の集まり。皆が好き勝手、攻めてくるに違いない。敵の参謀であるマレーバクの苦労が目に見えるようだった。おそらくは攻め手の刃が防衛ラインに触れるたびに、その切っ先を弾くような単純な戦いになる。
縄張りが広いのは防衛側としては基本的に有利な要素。敵は長大な距離を駆け抜けなければならず、進攻メンバーの選定時点で鈍足な者は省かざるをえない。走力の差で足並みが乱れ、孤立するプレイヤーも現れる。個人主義のプレイヤーであればなおさら。そして、植物族の投入も難しくなる。敵縄張り内で味方に種を運んでもらうようなズルはシステム上禁止されており、縄張りの境界線の外側まで種を届けてもうことぐらいしかできない。植物族は大地の縛めから解放されると全能力を失うので、引っこ抜いて運んでも意味はない。縄張りの外縁からゆっくりと根を伸ばし、種を飛ばして進攻せねばならず、広大なサバンナでそんなことをしていては戦線参加に間に合わない。加えて乾燥したサバンナの大地は、適応できない植物族の能力を低下させる。
敵の植物族の援護はあまり意識しなくていい。とはいえ相手はピュシスでライオンに次ぐ実力を持つとされるトラの群れ。決して油断はできないと、ブチハイエナは気を引き締める。
ブチハイエナはライオンのことを考えていた。勝ちたい。勝って、ライオンを喜ばせたい。群れ員たちに語ったライオンへの恩返しも、心の底から思っていることであった。
ピュシスの夜空を見上げるブチハイエナの毛並みが風に踊り、ブチ模様が揺れる。急速に空を横切る月を、巻き上げられた木の葉と眩い星々が彩っている。ぐんぐん昇った月が天頂へと到達し、静かに戦が開始された。静寂に包まれる夜のなか、縄張りの外縁でトラたちが上げる獰猛な咆哮が、微かに空気を震わせた気がした。