●ぽんぽこ12-49 決闘前の刹那の思考
本拠地の岩場からすこしばかり離れた平原にて、ライオンとイボイノシシが距離をとって向かい合う。
幕が切って落とされる寸前の張り詰めた空気のなか、ライオンの群れの面々は遠巻きにふたりを見守っていた。ブチハイエナ、リカオン、オオカワウソ、フェネック、紀州犬、それからバオバブや林檎の植物族など。キリンは決闘の行く末を気にしながらも、他の敵がゴールに接近することがないように、警戒を緩めずに見張りを続けていた。
黄金色のイネ科の草が、茜に染まって、風にざわめいた。ライオンのたてがみも同じようにひるがえって、猛々しく躍り狂う。
イボイノシシに残されている体力は見るからにわずか。ライオンの攻撃が直撃すればすぐにでもゼロになるはず。息も絶え絶えだが、立っているのは気力ゆえか。
手負いの獣は手ごわいとはいえ、見守る仲間たちのなかにライオンの勝利を疑う者はいなかった。
仲間たちの信頼を、ライオンは、それに化けているタヌキは、痛いほど感じとっていた。
イボイノシシは動かない。
ライオンもまた動かなかった。
落ち着いているライオンの表情とは裏腹に、タヌキの頭のなかには有象無象の感情がうずまいていた。
まばたきすら許されない濃縮された時間が、自らを思考の海に埋没させていく。
――ライオンになりたかった。
ただそれだけだった。
誰もが憧れるスーパースター。絶対的な強者。
目立ちたかったわけじゃない。ちやほやされたかったわけでもない。権力もいらない。ただ、強くなりたかった。強い肉体に化ければ、そこに宿る精神も強くなると思った。ライオンのようになれると思った。
ライオンがまだ健在で、時折その役割を肩代わりするだけの頃は、それをまだ信じていた。ライオンの姿になれば、タヌキではなくライオンでいられた。強い意思を持って仲間たちと接することができた。
けれど、本物のライオンがいなくなり、偽の王として群れに君臨したとき、すべては欺瞞だったことに気づかされた。
できる、と思っていた。これまでだってやってきた。ライオンの代わりを務めてみせる。そうしなければ、全てを手放さなくてはならなくなる。せっかく見つけた居場所を失ってしまう。強い自分でいられなくなる。弱い自分に逆戻り。
真似できていたのは上辺だけ。本質はまるで変わってはいなかった。
能力不足を突きつけられる日々。ブチハイエナとリカオンがいなければ、なにもかもが立ち行かなかった。
タヌキの能力では戦えないことが一番の苦痛だった。力無き王。獣の世界において、これほどの愚王はいない。仲間や縄張りを守れない者に、長としての、王としての資格はない。
みんなは知らないことだが、システム上の、現在の長はブチハイエナ。タヌキはリカオンと同じく副長。けれども、やっぱりライオンこそが、この群れの長には違いなかった。
ライオンとして仲間を導き、統制しなければならない。
キングコブラに勝利し、第一回戦を突破すると、にわかに重責が増しはじめた。
クロハゲワシの存在は絶望へのスパイスとなった。ふたりでなら戦えるということは、ひとりでは戦えないことを、ことさらに強調してきた。そしてクロハゲワシが消え、与えられていた力が奪われたことで、陰鬱な気分はこの試合中に加速し続けていた。
最後まで勝ち抜くと、最終的にはオートマタの大量発生というピュシス未曽有の危機の対処を任せられることになる。自分などがそんな重大な役割を担ってもいいものか。もっと、適した群れがあるのではないのか。
もし、もしも、優勝したとして、その後、遺跡の最深層にあるというオートマタ工場へと赴き、そして、そこで、もしも、失敗してしまったら。どうなる?
それはライオンの責任か?
責任を追及され、糾弾され、排斥されるのではないか。
ピュシスというゲームが終わりを迎えるまで、ずっと。
そうすると、ライオンの名は貶められ、二度殺されることになりやしないか。
引導を渡すのは自分。タヌキだ。
仮にうまくいったとしても、こうやってライオンの姿を偽っている限り、遠からず、そうなるだろう。
――ごめんなさい。
ライオンというプレイヤーのことが大好きだった。ライオンが築いたこの群れのことも。群れを乗っ取るような行為をしておいて、言えた義理ではないけれど、本当に、心から、ライオンのことを尊敬していた。だから、嫌だ。自分のせいでライオンが、誰かが死ぬのは嫌だ。それが本当の死ではなくともだ。尊厳の死は、時に肉体の死よりも重くのしかかることがある。
いまさらだけれど、まだ間に合うなら、いっそ自分が死のう。
不安が不安を上回る。天秤が傾いたほうに向かって走り出す。
ブチハイエナとリカオンには申し訳ないと思う。
けど、もうこの群れにはいられない。
タヌキは王になれない。
なれなかった、
ここが限界。
最後に、惨めに暴れよう。見苦しく負けて、悪者として立ち去ろう。自分が悪者になれば、ブチハイエナも立ち回りやすくなる。群れにもたらされる傷は浅くで済むかもしれない。
「かかってこい!」
イボイノシシの野太い雄叫びに、反射的に体が動き出した。