●ぽんぽこ12-47 第二回戦、サバンナ
トーナメントの第二回戦もそろそろ終わりをむかえようという時刻。傾きかけた太陽が、乾いたサバンナの赤土や、小麦色の長草の原や、まばらな樹々を照らしだして、長い影をひきのばしていた。
平地を吹き抜ける風は夜の到来を予感させないほどに熱い。
試合の決着は目前。
防衛側のライオンの群れのプレイヤーたちが、本拠地のゴール付近に集まって守りを固めるなか、最後にひとり攻め込んできたのは対戦相手の長、イボイノシシ。
灰褐色の太い胴体の前に構えられた四角い顔。横に張り出したイボのようなでっぱりと、半月型の立派な牙。
剛直で勇ましい姿。けれど痛々しくもある。イボイノシシの肉体には、深い傷がいくつも刻まれていた。後ろ足はなかば引きずっており、牙の一本の先端は欠けてしまっている。
同時刻に開催されていた別の群れの第二回戦、ヘラジカとイリエワニの群れ戦での騒動と同じように、このサバンナの縄張りにも敵性NPCの乱入があった。
サバンナはオートマタの大量出現が確認されている遺跡から、もっとも近い場所にある。その攻撃にさらされる機会は元々多かった。なのでライオンの群れのプレイヤーたちは、不測の事態に常に備えていた。試合中に突如出現したオートマタにも防衛ラインを崩すことはなく、適切に対処していった。けれど、それに対してイボイノシシの群れのほうはおおきく足並みを乱されていた。
イボイノシシは傷んだ体をひきずり、ゴールに向かって進み続ける。そうしながら、把握している戦況を連絡役のトキがもたらした情報で肉づけして、これまでに各地で起きた戦いを頭のなかで整理していた。
開幕の切り込み役はキョン。短い角を持つ中型のシカ。ケリュネイアの鹿の神聖スキルを使って、矢よりも速くかけまわると、索敵と、ついでに敵の植物族の排除をまずはおこなった。
戦の開始は夕刻。偵察は鳥類であるトキが担当することが多いのだが、トキは昼行性。夜のうちは夜行性のキョンが適任。
報告を待ってから、適時、パーティを進めていくというゆっくりとした立ち上がり。
猪突猛進ではなく、押しては引いて、防衛網に穴ができれば、隙をついてすり抜けるという丁寧な攻めを重ねる。力押しではライオンに勝つことはできない。それをイボイノシシはよく分かっていた。
夜が更けはじめて戦況は五分。悪くはない。けれど、そこにオートマタが現れたのだった。
欠けた月が放射する光を浴びて、サバンナに燦然と輝く銀色の肉体たち。
ウマグマは仲間を守ってオートマタに討たれた。コンビを組んでいたモリイノシシだけが生還したが、その後、敵のシロサイに出会ってしまった。奮闘したものの大角の一撃で倒されてしまう。
それから、ヤマアラシ、ヤマナラシ、アメリカヤマアラシのパーティもオートマタに遭遇している。三名は似た名前をしているが、このなかでヤマナラシだけは動物ではなく植物族。葉が風でよく鳴るので山鳴らし。別名をハコヤナギとも言い、ヤナギ科の植物。名前というとヤマアラシ、アメリカヤマアラシのスキルも似ている。それぞれ、山颪、山荒という棘を持つ妖怪のスキルを持っているのだ。
なんともややこしい三人組なのだが、三名のなかではお互いに判別がつくぐらいに仲がいいので、パーティを組んで行動していた。
ヤマアラシの針毛の使い方は好戦的。敵の体を貫通するほどに長く、鱗状の構造による返しがついているので、刺さった場合には簡単には抜けない。同じように針を持つハリネズミが丸くなって身を守るのとは違って、針を逆立たせると、自ら敵のほうへ、後ろ向きで突撃していく。
ふたりのヤマアラシが並んで突撃する様は、槍を構えた歩兵たちによるファランクスが如く。それにヤマナラシの植物族による能力上昇効果サポートが加わると、かなりの突破力を発揮する。のだが、オートマタには通用しなかった。正面から受けきれる防御力を前にしては、ヤマアラシたちの針も活躍ができない。
ふたりのヤマアラシは弾かれてもなお金属の肌に針を突き立てて戦った。植物族のヤマナラシを置き去りにはできなかった。
泥沼の戦いの末、オートマタを撃破したが、結果としては相打ちに近い。三名そろって戦闘不能にまで追い込まれている。
最強と名高いライオンの群れと、最凶の敵であるオートマタの両方に注意を払っての進攻はイボイノシシの群れのプレイヤーたちの神経をすり減らした。精神力がなくなれば、肉体の操作もおぼつかなくなる。アードウルフなどは特にそれが顕著であった。
イボイノシシと共に進攻していたアードウルフは肉体よりも先に精神がやられてしまっていた。
緊張につぐ緊張。キリンに追われ、ハイイロオオカミに追われ、オートマタに追われ、ボブキャットを倒し、ゾリラから逃げた。
身を隠す場所がないひらけたサバンナの野原のど真ん中で足を止めたアードウルフが、ぽつり、とこぼした。
――アニキ。おれはもうだめだ。
アードウルフはハイエナ科の最小種。中型犬ほどの大きさの灰褐色の体に、黒い縞模様。ハイエナといえばライオンをも凌駕する強力な顎を持つ豪傑。しかし、ハイエナ科のなかでもアードウルフだけは違う。アリを主食としていて、その顎は貧弱。アリ以外にはトカゲなどの小動物やタマゴを食していた。そして腐肉。死骸漁り。他のハイエナなら骨ごとばりばりと死骸を噛み砕いて食べることができるが、アードウルフにはできない。死骸を見つけても、まっさきに食べていたのは腐肉にわいたウジなのだという。
ハイエナ科のなかどころか、他の肉食動物と比べても弱い。そんな動物の肉体が自分に与えられていることについては、アードウルフ自身が度々気にしていたことであった。
――やっぱり、おれはできそこないなんだよ。ただの足手まといだ。
そう言って後ずさると、イボイノシシの言葉も待たずにアードウルフは逃げ去った。
イボイノシシは遠ざかっていく背中を追わなかった。追えなかった。弟分に前を向かせるには、まず自分が前を向けなければならなかった。ゴール地点にいるライオンの元へ。ライオンと決着をつけなければ前に進めない。戦わなければ。
夜が明けた頃、トキが飛んできて、キョンがやられたことを告げた。チーターとダチョウのふたりに追われていたのだという。
キョンのケリュネイアの鹿のスキルは飛来する矢の如き速度で走れるようになる効果。その肉体は黄金の角と青銅の蹄を持つシカの姿。相手がいかな陸上動物最速のチーターだといっても、射られた矢の飛行速度はチーターが走る速度の二倍ほどはある。もうひとりの敵のダチョウは鳥類最速で、コヨーテなみの俊足とはいえ、チーターよりは遅い。
起伏や障害物のすくないサバンナにおいて、スキルを使っている限りキョンが捕まる可能性は低い。キョン自身もそう考えていたのだろう。それが油断となって、つまづいた。
足を引っかけてしまったのは土のでっぱりや穴ではなく、石や岩でもなく、鱗だった。
巨大なヘビに足を取られたのだ。
ヘビにからみつかれたキョンは、足を封じられて戦う術を失う。そのままあっさりと締め落とされてしまったらしい。
冷静にキョンが倒されるのを見届けて、トキは情報を持ち帰ってきた。偵察役は戦いに参加しないのが鉄則。薄情に思われようが、仲間を助けることよりも、自分がやられずに、持ち帰った情報によって群れ全体を生かすことを優先しなければならない。トキはその役割を立派に果たした。
――オオアナコンダだった。
と、トキは断言した。ライオンの群れにオオアナコンダがいるというのは奇妙な話。オオアナコンダはキングコブラの群れの副長だったはず。
群れを移った?
アナコンダがそれを願い出るのはありえないことじゃない。第一回戦で負けて、もっと戦いたい、もしくは勝ち馬に乗りたいと考えるプレイヤーは当然あらわれるものだと思っていた。だが、勝った群れ側でそれを受け入れることはないだろうとも思っていた。特にライオンの群れにおいては。
ライオンがお情けをかけたのだろうか。
いや、それはない。ライオンのことはよく知っている。ライオンは筋を立てるのにこだわる性格。トーナメントの最中での入れ替えなどはしない。いまは副長をやっているリカオンも、安易な変わり身などを好まない性質だったように思う。
なら、もうひとりの副長であるブチハイエナの仕業か。
あれなら受け入れてもおかしくない。
ライオンやリカオンの反対を押し切って、行動したか。
考えれば考えるほどそれしかない。
――ライオン。お前は変わってしまった。
と、イボイノシシは思う。
ブチハイエナが軽い暴走をすることは何度かあった。王のために、という言葉と共に、独自に行動してしまう。けれど、これほどまでの身勝手はなかっただろう。
仲間を諫めることすらできなくなったのか。それとも、筋を曲げることをよしとするようになってしまったのか。以前のライオンであれば、こんなことは許さなかったはず。仲間たちの行動に目を配り、どっしりとした統治をしていた。不届き者に対しては牙にものを言わせて対応したはず。
このところ漏れ聞こえてくるライオンの群れの噂から、イボイノシシはなんとも軟弱な印象を受けていた。群れの様子から、統治者の威厳が感じ取れない。最近はめっきり戦うことをしなくなってしまったらしい。
――お前はどうしてしまったんだ。
歩くイボイノシシの瞳には、懐かしいサバンナの本拠地が見えてきた。立ち昇る光柱がゴール。その周辺には影も色濃く動物たちの垣根が築かれている。
ゴールの根本にある岩場の頂上にはライオンの姿。沈もうとしている太陽よりもまぶしく、たてがみが勇ましく風に躍っている。
――お前はなぜ、戦わなくなったんだ?
イボイノシシは黄金に輝く獣の王の姿だけをまっすぐに睨みつけると、残りわずかな体力を抱えて、その足元へと向かっていった。