●ぽんぽこ12-46 丘の上のふたり
「ウルフハウンドさん。やっぱり疲れてらっしゃるのでは?」
再度、ホルスタインにたずねられる。
どことなく落ちくぼんだ眼窩の底でイヌの瞳が暗く光っている。焦燥しているような表情でもあったが、ウルフハウンドに疲労はない。むしろいまは興奮していて活力に満ち溢れていた。研ぎ澄まされてひりついた精神が、肉体に現れたというだけ。
「俺のことより、あんたの第三回戦、つまり準決勝か、そっちのほうが心配だな」
「私の次の相手は、ライオンさんとイボイノシシさんの群れの群れ戦で勝ったほうですよね」
「ライオンだろ。十中八九どころか百はライオンだ」
投げ捨てるような返事に、
「そうでしょうか?」
こぼれた疑問の声の調子を読み取って、ウルフハウンドがウウンと訂正をする。
「……そうとも言えないか。あんたが勝ったんだから」
「そうですよ。やればできるんです。勝ちたいという強い意志があるほうが勝つんです」
「そうだな。そうかもしれない。カンガルーの群れ相手に勝つとはなあ」
「さっきも言いましたが、群れのみんなが協力してくれたおかげです」
「もしかして話したのか? 息子さんが動物になりかけてるってこと」
それはまだ困る。いま騒ぎになると動きづらくなる。
「いえ。みんなを説得できなかった場合はそれもやむなしと思っていたんですが、だいじょうぶでした。家畜だとか家禽だとか言われていても、やれるんだってところを見せてやろうっていうのは、私が以前から考えていたことでもありました。みんなそのことを気に病んで集まったような人たちばかりですから。このトーナメントは、ちょうどいい機会でもあるんです。私の本心からの気持ちを伝えると、全員が納得してくれたわけじゃないですけど、せいいっぱい戦ってみようって」
「そのぐらいで勝てるもんなのか」
「勝ちました」
毅然と返事するホルスタインの顔には精悍さすら感じさせられる。
「そうなんだろうが……。うん。そうなんだな。その勢いでライオンも倒してしまってくれ」
「まだライオンさんの群れが勝つと決まっているわけではないですけれどね」
「ああ」そんなわけないだろ、と内心でウルフハウンドは思いながらも、
「こっちはギンドロが確実に勝つはずだ。十八番の防衛戦でもあるし、負けるはずがない」
「そういえば聞きそびれてたんですが、ウルフハウンドさんはギンドロさんの群れに移られたんですか?」
ウルフハウンドは答えようかすこし迷ったが、ホルスタインの馬鹿正直さを信頼して、
「事情があって、俺の群れごとな。ただしいまは秘密にしておいてくれ」
と、教えておくことにした。どうせそのうち分かることでもあるし、こうやってホルスタインの信用を失わないようにしておいたほうが利がありそうだ。
「俺もギンドロの群れ戦を手伝いたいところだが、忙しい身で残念ながらそうもいかない。そっちとこっちで決勝戦ができれば最高なんだが」
「どっちが勝っても滞りなく遺跡の奥にあるという最深部にいけますからね。でも最深部でお願い事ができるって本当なんでしょうか」
訝しげに傾げられた首が、ウルフハウンドの言葉でまっすぐに伸びる。
「その真偽よりも、半人化をどうにかできる情報が得られるかもしれないというのが重要なんじゃないか。現状で他に手立てはないしな。できることから手をつけるしかないんだ。息子さんのためにも踏ん張ってくれ。前にも言ったが、俺だってこの病気をなんとかしたいんだ」
「……そうですね。あなたもご家族の誰かが?」
「それは、答えづらいな」
「あっ。ごめんなさい。立ち入ったことを聞いてしまって」
「いいんだ」
伏せておいたほうがいい。下手な嘘より沈黙のほうが効果がある。勝手に想像をさせて、同類だと思わせておこう。
半人化を止める手立てを探しているのは嘘ではなく本当のこと。他人はどんどん動物になって欲しいが、ウルフハウンドは自分自身が動物に成り果てるのをよしとしていない。自分が完全な動物になってしまっては、人間としての狩猟ができなくなる。人間として、狩猟をたのしみたいのだ。地球人のように。
「しかしよかった。ちょっとピュシスの状況を確認したくてログインしたんだが、あんたと鉢合わせできて」
「私もウルフハウンドさんを探していましたから」
「ヘラジカとイリエワニの試合のほうは、どうなったか知らないか?」
「えっと、それはまだ……」
まあこれもヘラジカが勝つだろう、とウルフハウンドは考える。となると、ギンドロの次の相手はヘラジカ。草食動物の群れが相手では、さすがに植物族の群れでは苦戦を強いられるかもしれない。しかし、それでもギンドロが勝つだろう。
植物は強い。ホルスタインの話ではないが、他者と共存してコントロールする術に長けている。草食たちは植物に対して優位に立っているつもりかもしれないが、そのじつ生育範囲を広げるために利用され尽くしているのだから。
食って食われての関係でも、食ってるほうが上位だと考えるのはそもそもの間違いだ。ただし、食って食われてではなく、狩って狩られての関係だと、狩る者こそが真の勝者。狩人こそが勝者になれる可能性を有している。
「俺はこれで失礼する」
「お仕事頑張ってください」
「ああ」
と、ウルフハウンドはあっさりしたあいさつを交わして、ホルスタインとは別れる。
丘をくだって、隠れるように薮へと飛び込んだ。
ログアウトして現実世界に戻れば、また追いかけっこの続きがはじまる。
このトーナメント開始から、ゲーム内ではもう二日ほどが経とうとしているが、現実時間ではまだ朝だ。現実世界で進行中のトラ狩りはここからが本番。
飼育室から逃げ出した動物たちを追跡して狩るのは最上級の娯楽であった。ヴェロキラプトルを銃で撃ったときなんかは、興奮で血が沸騰する感覚があった。恐竜なんてものがあそこにいたのは知らなかった。よっぽどの機密だったのだろう。もうトラ狩りだけでは満足できない。恐竜が狩れるなんて、地球人すら体験していない極上のたのしみなんじゃないだろうか。
本物の狩りを味わうと、ピュシスでの狩りなどおままごと同然に思えてくる。本物の命を使った狩猟ゲーム。真剣なほど遊びはたのしい。
地球人がうらやましかった。奪いたいままに命を奪うことができた。人間しかいない機械惑星には、奪っていい命などはない。踏み潰せる虫はおらず、いたぶれるネズミはおらず、捌ける魚はおらず、手折れる花もない。抑圧された行き場のない欲求は、狩猟本能として凝縮され、高まるばかりだった。けれど、それも今日までの話。いちど解放してしまったら、もうこの欲望をとめることはできない。
ログアウトが完了すれば、すぐにトラを、トラ人間のリョルを探そう。恐竜や、飼育室の半人の何名かも一緒にいるようだ。トラを狩ったら次はどれを狙おうか。恐竜を最後にするかは悩みどころ。ゾウなんかを狩るのもたのしそうだ。
見失ったのはだいぶん前のことだが、十分に追跡が可能。自分の半人化も進行している。動物に、ウルフハウンドに近づいている。身につきつつある犬の嗅覚を駆使すれば、血のにおいをたどれるはずだ。レョルの体にはブルーバックの半人の血のにおいがべったりと付着している。血のにおいはそう簡単には落とせやしない。
半人化が進行しすぎる前に、ピュシスの最深部でなんとかする手立てを見つけておきたいところだが、いまはこの狩猟に没頭してしまいたい。
ずっとこんな狩りがしたかった。
ケチな犯罪者を追い回すのはもうゴメンだ。
捕獲しろなんていう面倒くさい指令も無視でいい。
これからは存分に、狩りがたのしめる世界がやってくるのだ。