●ぽんぽこ12-45 第二回戦、牧草地帯、その後
「あの、だいじょうぶですか?」
ホルスタインが小首をかしげて、背の高い草のしげみのなかにあるウルフハウンドの顔をのぞきこんだ。
「なにがだ?」
見上げたウルフハウンドの鼻先は乾いている。黒々としたイヌの瞳は雲を透かした太陽を映してぼんやりと輝き、白灰色の長毛は火照りを帯びてふくらんでいた。
「いえ。なにか、落ち着かないふうに見えたので」
心配げな声色に、けだるげな尻尾が横にふられる。
「さっきまで現実でのごたごたを処理してたんでな。ちょっとそっちが気になってるだけだ」
「あら。惑星コンピューターの休養日なのにお勤めされているんですね。エッセンシャルワーカーの皆さまには頭が上がりません。お疲れ様です。いまは休憩時間ですか?」
「まあな」
角を下げながら、モォモォとホルスタインが鳴くと、ウルフハウンドはハッハッと息を吐き出した。
二頭の動物の息づかいが、なだらかな丘の稜線をなでる風に乗って、陽に輝くみずみずしい草花のあいだを通り抜けていく。さわやかな緑のかおりが風で吹き消されては、吹き上げられてくるのをくり返していた。
ふたりがいる場所は、ホルスタイン、ギンドロ、両者の縄張りの中間あたりに位置する丘。
「ウルフハウンドさんとお話がしたかったので、以前おっしゃっていた通りにギンドロさんの縄張りに伺ったんですが、まだお取込み中みたいで」
そうして引き返してきたところ、偶然、ここで会うことができた。
「そりゃあ、絶賛群れ戦開催中だからな。しかも防衛側だ」
まだ太陽は高い位置に浮かんでいる。地平線に隠れて、茜色に空が染まるのはまだまだ先。
ウルフハウンドは、草原の上に前足を伸ばして、肩をほぐすように首をまわす。それから耳とピンととがらせると、ホルスタインの横っ腹にある白黒の模様を眺めた。
「あんたも試合だろうに。防衛側だったか? 長のあんたがいまここにいるってことは負けたのか。それともラーテルの世話をするために欠席してるのか?」
ホルスタインのプレイヤーの息子は半人化が進行しており、変化しようとしている動物というのが、どうやらラーテルらしいという話だった。ウルフハウンドとホルスタインは、半人化という奇病を治療できないかと考え、どちらか一方だけでもゲームクリアができるように協力しているという関係。と、ホルスタインは認識している。
ホルスタインの群れが負けるのは当然だ、とウルフハウンドは考える。対戦相手のカンガルーの群れは長が好戦的で、群れ戦の経験が豊富。その構成員には有袋類が多い。
有袋類とはカンガルーなどのポケットを持つ動物。胎生の哺乳類はおおまかに真獣類と有袋類に分けられるが、このそれぞれの進化の枝には、お互いに鏡写しみたいに似た性質を持っている生物たちが存在する。ネコとフクロネコ。アリクイとフクロアリクイ。リスとフクロリス。モモンガとフクロモモンガ。モグラとフクロモグラ。それから、ハイエナとタスマニアデビルなど。後者はすべて有袋類。真獣類と有袋類は重ね合った部分がありながら、まったく別の種の動物たち。
そんなふうな、あらゆる動物の表か裏か、半身たちが集まって、層が厚いのがカンガルーの群れの特徴。
特に攻めが得意だと聞く。今回、攻略側であったのなら、本領発揮といったところだろう。力量差が明らかすぎて、敗北していたとして、落胆もない。
ふう、とウルフハウンドが鼻息をもらすと、それを吹き飛ばすみたいにホルスタインがブモウと野太く鳴いた。
「いいえ。私が勝ちました」
「勝った?」ウルフハウンドは雲の影で真っ暗になった瞳を丸くする。
「防衛側でもう勝利が確定してるってことは、カンガルーの群れのやつらを全滅させたのか?」
「そうです」
「どうやって?」
「みんなで協力すれば、できたんです。私たちでも。家畜なんて呼ばれて馬鹿にされたり、食物連鎖の外にいるからってあなどられていても、別に弱いわけではないんです。むしろ私は食物連鎖に囚われ続けている野生動物たちのほうが、不器用な生き方だと思います。誰かとよりそい、共存できるというのは、種を残す上では、最も優れた生存戦略なはず」
熱心に語るホルスタインから、ウルフハウンドはついと視線をそらす。
――つまらない考え方だな。
争いの先にこそ発展がある。人間はいつまでたっても狩猟本能を捨てられなかった。地球ではないこの機械惑星の人間にまでその本能が残っているのだから、これは筋金入りだ。不要なものは淘汰され、衰退していく。それが進化というもののはず。真に必要な本能だからこそ、受け継がれているのだ。
――管理された安定のなかの未来なんぞにいかほどの価値があるのだろうか。混沌がなければ。狩猟と闘争が人間の根源的な欲求。それに素直になるべきだ……。
「ごめんなさい」
ふいにホルスタインがあやまった。
「ん?」
黙考していたウルフハウンドが、無意識に尻尾を回すと、叩かれた草がするどい音を立てる。
「もしかして、私の話でご気分を害されたのでは……」
その通りなのだが、どうやらすれちがいがありそうな態度。
「全然気にしていない。地球の動物がどうだったかなんて俺はどうでもいいんだ。いまここにいる動物にしか興味がない」
「それならいいんですが」
どことなく意気消沈してしまったホルスタインに、ウルフハウンドはいくぶんか態度をやわらかくして、
「あんたの息子の様子はどうなんだ」
「眠っています。ウルフハウンドさんに教えてもらった通りに目隠しをして、それから、あやしたり、くすぐったり、口に食物を押し込んだり、色々しているうちにあの子も暴れるのに疲れたらしく、しばらくしたら寝てくれました」
「それはよかったな」
「はい。ほんとうにありがとうございます。……この病気。本当に治るんでしょうか? 歯は牙みたいになって、爪もとがってきているんです。目つきとか、髪の色も変わってしまっていますし……」
ウルフハウンドは不安をやわらげようともせず、なにも言わずに中途半端な空模様を見上げた。横目でホルスタインの様子をうかがう。弱音を吐きながらも、心はまったく折れていなさそうだ。ラーテルという凶暴極まる動物に憑かれた息子を寝かしつけて、群れ戦でも勝利をおさめたホルスタイン。
――母は強しといったところか。
まったく期待などしていなかったが、こうなってくると、どこまでいけるか見てみたくもなってくる。