▽こんこん4-3 遠吠え
日が暮れると仕事終わりで疲れた様子の会社員がドッと押し寄せて来て、食物店がよどんだ活気で満ち溢れた。
くたびれた会社員の三人組が、リヒュたち八人が座っている場所近くの丸テーブルに腰を下ろす。帰宅前に腹を満たそうということらしい。
会社員が続けて入店して、一人掛けの席が埋まっていく。しばらくすると長方形のテーブル席も混雑しはじめた。
人の熱気でほんの少し室温が上がるが、すぐに空調が働いて元の気温が保たれる。
リヒュたちは勉強にも雑談にも疲れて、椅子の背もたれに体を預けて、休憩する姿勢になっていた。
カウンターに並ぶ人がいなくなり、ぽつぽつと食事を終えた人々の席が空きはじめた頃、コートの襟を小高く立てた厳つい男が店にやって来た。目立つ男だったので、店内の空気が少しだけ変わる。男の通った通路の近くの客は、その後姿を警戒するようにチラチラと目を向けていた。
リヒュはカウンターの近くの席にいるので、嫌でも視界に入ってしまう。
男はカウンターにどっかりと腕を乗せると、女性店員の灰色の髪に付けられたピンを見て「ヘアピンちゃん」と声をかけた。ドスの利いた声に、リヒュはひやりとしたが、店員は動じることなく「食物と水、どちらをお求めでしょうか」と慣れた様子で接客する。
「食物」
「おいくつになさいますか」
「十二個」
「はい。承知いたしました。お持ち帰りですか。こちらで食べていかれますか」
店員が聞くと、男はヒヒっと笑った。
「おいおい。そんなに一度に食べるわけないだろ。この細身の体を見ろよ」言いながらコートの前をバサリと広げる。「これが大食い選手権出場者に見えるか? それとも痩せの大食いだってコトを、その可愛いお目目でズバッと見抜いたってワケ?」
くだを巻く男にピッソ婆が目を向けたが、男に見返されると、何も言わずに眉を顰めた。
「……いえ。失礼いたしました。お持ち帰りですね」
「そう。丁寧につつんでね」
「はい」
店員が十二個の泥饅頭、食物を四つ三列に綺麗に並べて梱包している間、男は店内をぐるりと見回す。リヒュはすぐに俯いて、気のないそぶりを装った。商品が手渡されると、男は冠を操作して支払いを済ませ、「ありがとさん」と言い残して、店を出ていく。
近くの席の会社員三人組の一人が去っていく男の方を振り返ったが、目に濃い隈のある会社員に小声で止められる。
「見ないでおけ」
「いや、でも、ササマさん。あれは見ちゃいますよ」
「変なのと関わり合いになったら損するだけだぞ」
「まともな仕事はしてなさそうな奴でしたね」もう一人の会社員が言う。
「冠つけてて、捕まってない奴は大抵まともだ」
「さっきと言ってることが逆じゃないですか」
言われて、目の隈がぐっと持ち上げられる。
「カリスから見てまともでも、俺たちにとってまともかどうかは違うだろ」
「同じじゃないですか」
「違う」
まとも談義で盛り上がりつつある会社員たちの話に耳を傾けていたリヒュは、社会人にもなると雑談もああいうまじめな話題になるのだな、と変なことに関心していた。
そろそろ解散しようかという頃になって、リヒュの向かいに座っているギーミーミが明日の休日のことを話し出した。
「明日なんだけど、予定空いてる奴いないか?」
隣に座るロロシーに視線を向ける。
「わたくしは用事があるので」
「私も」とメョコ。
「二人で遊びにいくのか?」リヒュが聞くと「えっ、違うよ」と意外な答えが返ってきた。
「わたくしは父の仕事のお手伝いです」
「何するんだ」と、機械技師の仕事に興味津々なルルィが聞く。
「スポーツ会場のオートマタの監督です」
「オートマタの監督ってなんだ?」
「最近、オートマタの不調が多いですから」とロロシーが言うと、ルルィが「ああ」と相槌を打つ。
「込み合う休日だけでも、機械技師を増員してトラブルに対応したいということらしいです」
「それにわざわざロロシーを連れて行くのか?」
ルルィの疑問にロロシーはくすりと笑った。
「明日、大きな大会の開会式があるそうで、大会の運営の方が、合間に観戦できるので是非娘さんもと仰たらしいんです。うちの工場を懇意にして下さっている方なので、父は断り難かったのだと言ってました」
この話にリヒュは、実直そうで仕事一筋というようなロロシーの父親を思い出して、もしかしたら反対かもしれないな、と思っていた。先日、一度会ったばかりだが、ロロシーのことをひどく気にかけていた。そして、仕事が絡みでもしないと娘を誘えなさそうな雰囲気もあった。だから、ロロシーのために父親が運営の方という人に頼んだのではないかと、ふと想像したのだった。
「へえ」と声を漏らすルルィの横で、ギーミーミが身を乗り出して「それってバスケの大会?」と聞く。
「確か……そうですね」ロロシーが冠で予定を確認して答えた。
ギーミーミが会場の名前を口にすると、肯定が返ってくる。
「丁度、それの話をしようとしてたんだ。明日、一緒に見に行く奴いないか?」
みんな近くの席と顔を見合わせるが、誘いに乗る声はない。場が静かになってしまったので、ギーミーミはがっくりとうなだれた。
「ロロシーは、その手伝いってのに、休憩時間とかないのか。時間があったら一緒に観戦しない?」
「ちょっと明日にならないと分かりません。それに運営のブースで見れるというお話ですので」
「そっか……、ルルィは来るよな」
「おれは勉強で忙しいから」
「お前ホントに変わっちまったんだな……」
妙に芝居がかった悲し気な顔をするギーミーミに、ルルィが「ふっ。そうさ。おれはもう……」と何か小芝居をはじめようとしたが、すぐさまギーミーミは無視してリヒュに顔を向ける。
「リヒュとゴャラームはどうだ? クァフさんのデビュー戦だぞ」
クァフと聞いて、リヒュは前に一度だけ公園でバスケットボールをした長身の男性を思い出す。ゴャラームも一緒にいた。隣でルルィが「聞いてよー」と駄々をこねているが、なおも無視されている。
「あの人プロになったんだ」
「そうだよ。すごいだろ? 応援しに行こうぜ」
「ぼくは用事があるから」とゴャラームは小さな手をぷらぷらと振る。
「一度しかないデビュー戦なんだぞ」
「大事な用なんだ」
「うーん。じゃあしかたないな」
ギーミーミは、ゴャラームの隣のネポネに目を向けたが「スポーツにはあまり興味がないから」とバッサリ断られてしまう。プパタンは何も言わなかったので、視線はその上を通り過ぎて、リヒュの顔で止まる。
「残りはリヒュしかいないじゃんか。行こうぜ。今日、みんな集まるって聞いたから、誘おうと思っていい席のチケット取っておいたんだぜ」
リヒュは明日の予定について考える。ピュシスでの予定。明日はライオンとトラの群れの群れ戦、縄張り戦がある。それについて、今日の朝、ピュシスにログインした時、突然トラから絶対に参加するようにと伝達があったのだ。今のピュシスでのリヒュは、トラの手先に成り下がっている身。嫌なことを手伝うことになる予感がしてならなかった。元々は参加予定だったが、トラに対しては用事があるから参加できない、不参加の予定だったと嘘をついてつっぱねた。そして、日中はログインする時間が取れなかったので、この後にでもピュシスにログインして、ブチハイエナかライオンを探すか、もしくは伝言を頼んで、断りをいれるつもりであった。
空いた時間、気晴らしにギーミーミに付き合うのも悪くない。
「分かった。いいよ」
「マジ? やった! せっかく取ったチケットがもったいないことになるとこだった。でもさ。三枚取れたんだ。一枚余っちゃったよ。こんだけ集まって、一人しか来ないなんて思わないだろ。リヒュ。誰か誘える奴いる?」
首を捻って思案を巡らすが、思いつかない。
「うーん」とリヒュとギーミーミが小さく唸っていると、「あたし、行く」と、プパタンがポツリと言った。
「えっ?」
ギーミーミがプパタンを見る。外では第一衛星が沈み切って、第二衛星が顔を出している。いつも第一衛星を見上げているプパタンだが、第二衛星には興味がないらしい。
「行けるの?」
こくり、と頷きが返ってくる。
「じゃあ、一緒に行くか……」
ギーミーミは戸惑い気味になりながら、試合が行われる会場、集合時間と場所の情報をリヒュとプパタンの冠に送った。
みんなでテーブルの周りを片付けて席を立つ。食物が乗っていたお皿やコップをカウンターに返すと、八人並んで店を出た。
屋内と屋外の気温の差は一切ない。寒くも暑くもない気温。昼も夜も変わり映えのしないノモスの大気に包まれる。第二衛星はまだ低い位置に浮かんでいた。冠の視覚補助があるので、夜であっても、さほど暗さは感じない。透明のドームを見上げると、昼には第一衛星の光で隠されていた星々が輝いている。その星々にはピュシスの夜空のような眩さはなく、少し霞んでいるようにすら感じた。
しかし、リヒュは鮮明でないからこそ、ノモスの夜空に好感を持っていた。あの星、父が死んだ星を、目で探してしまわないで済むから。
「さようなら」
「じゃあね」
「ばいばい」
「また明日な」
口々に言って、八人は三方へと散っていく。ロロシーは工場地区の自宅へ、ギーミーミとルルィは家族用住居が集まる地区へ、他五人は個人用住居が集まる地区へと帰っていく。
リヒュとメョコは部屋が近いので並んで歩く。ゴャラームが前を歩いていたが、急にびくりと震えたかと思えば、ちらりと頭を傾けた。リヒュは歩きながら、なんとなく振り返ってみる。ずっと後ろ、離れた場所でギーミーミが首を曲げて、どこか遠くに視線を向けていた。
また正面を向く。ゴャラームはもう何事もなかったように歩いている。もっと先を歩くプパタンとネポネ、隣のメョコも特に何かを気にしている様子はない。
まだ夜とも言えない夜のなか。何か、変だと、思った。耳を尖らせる。よーく耳を澄ませてみる。すると、何かが、聞こえた。
リヒュの耳にほんの微かな声が届いた。それは、遠吠えだった。イヌの遠吠え。遥か彼方でイヌが鳴いている。自然の存在しない機械惑星に、いるはずのないイヌの声。思わず視線を向けそうになるが、じっと堪える。不自然になっていないか、気になるが、動揺で身が固くなるのはどうしようもなかった。周りの人々を気にする余裕もない。
ぐっ、と下っ腹に力を入れて、耳を閉ざす。そうして足を前にくり出す。もう遠吠えは聞こえない。聞いてはいけない声だったに違いない。イヌのプレイヤーが吠えていたのだろうか。そんな馬鹿なことがありえるのだろうか。人としての理性があれば、そんなことをする者がいるとは思えない。
イヌの亡霊だ。リヒュはそう思った。存在しないイヌ。存在しない動物。ピュシスにおいてはありふれたものなのに、現実世界に這い出してきた途端に、それはひどく悍ましいものに感じられた。