●ぽんぽこ12-41 乱戦
アオサギのしわがれた鳴き声に呼ばれるようにして、アメミットがライオンの走力で樹々の合間をぬって駆けた。ワニの鼻先が突き出され、ライオンのたてがみが躍り、カバの後足が岩をも砕く勢いで振り下ろされる。
「大丈夫だよワニくん。あたしが見えなくしてるからね」
額に張りついているムササビがイリエワニに呼びかける。ワニの頭部以外には面影が失われているが、それでもこのアメミットの肉体にイリエワニのプレイヤーが囚われていることは分かった。そして、いま狂気の状態異常によって操作の自由を奪われてしまっているということも。
「あたしの尻尾がおでこを叩いてるのを感じる? 感覚は残ってる? いまアオがゴールに連れていってくれてるよ」
ふわふわとしたムササビの毛衣の感触がアメミットを安心させた。目隠しされた状態で、引かれるままに肉体を委ねる。
すこしひとりで突っ走りすぎたのかもしれない、と反省が湧き出る。目が見えなくなったことで、逆に視線が外側へと向いた。肉体の自由はなくとも、感覚の自由はある。アオサギの鳴き声とムササビのスピーカーの振動だけに耳を澄ませる。
仲間に支えられて、傾いていた心の天秤が、急に釣り合ったような気分になる。
肉体と精神が乖離する。仮想の肉体と現実の精神との共鳴が薄れる。
瞬膜と、まぶたと、ムササビの毛衣の向こう側で、目指すゴールの輝きがイリエワニにはたしかに見えていた。
「ユキヒョウ。スキルを解くなよ。アメミットに固定しておけ」
トムソンガゼルが指示を飛ばす。オセのスキルの効果対象は一体限定。別の対象にスキルを使うと、それまでの対象からは効果が消えてしまう。
そうしてユキヒョウに釘を刺してから、マーコールを探す。しかし、大ヤギの姿は本拠地のどこにも見当たらなかった。逃げ足が速い。ヘイズルーンのスキルで補助をさせよういうあてが外れて、トムソンガゼルは苛立ちを地面にぶつける。蹄に蹴りつけられた土が削れ飛んで、アフリカマイマイの殻にぶつかると、べちゃり、と嫌な音をたてた。
そんななか、長のヘラジカは誰よりも先んじて動いていた。だてにこれまで長をつとめてはいない。マンゴーの植物族から果実をもぎって回復すると、アメミットを先導するアオサギを迎え撃つ。あれさえ墜とせば、元通りにオートマタとアメミットを潰し合わせることができるはず。
青鷺火の怪光が放たれるが、ヘラジカは目をつぶってこれを避けた。視力に頼らなくとも、耳と鼻によって敵の位置はある程度、把握できる。
ヘラジカの背からコウモリのような黒い翼手が生える。悪魔フルフルのスキルによって嵐を呼び寄せアオサギの飛翔を妨害すべく風を渦巻かせた。
風にあおられたアオサギが地面に足をつく。そのまま吹き飛ばしてやろうと、フルフルが豪風を呼ぶと、周囲の樹々の葉が一斉に枝を離れてあたりにとび散った。
けれどもアオサギは風に逆らい、くちばしを突き出し、突き刺すようにしながら前に向かって歩いて進んできた。その体はみるみる大きくなっていく。青鷺火とは別のスキル。巨大なアオサギの姿をした悪魔バカ―スラへと、肉体が変貌。ウマやウシよりも大きくなって、どっしりと体を安定させると、幹をへし折り、道をひらき、転がるように風を砕いてくる。
フルフルはヘラジカそのままのおおきな角を突き出しながら、ふくれあがったアオサギの体に正面から組みついた。自らが起こす風を追い風にした突進。
時計塔の先端にも似たくちばしがふり下ろされたが、フルフルは首をすくめて角で受ける。後ろ足で踏ん張って、前足の蹄が変形した悪魔の爪でバカ―スラの胸を突いた。
腕が刺さった。けれど分厚い。図体がでかいだけに、こちらが与える傷は相対的に小さなものになっている。と、衝撃。腕が深く刺さっていく。バカ―スラの背中側からアメミットが激突したのだ。バカ―スラを挟んで押し合いするような形。仲間同士では攻撃は通らない。巨大なアオサギの首元にアメミットが噛みついたが、これはダメージなし。牙も刺さらない。けれどのしかかられたことで、フルフルの爪がより深く、心臓めがけて食い込んでいく。
バカ―スラのスキルが解ける。アオサギの体力が尽きたのだ。衝立になっていた巨大な肉体が消えたことで、フルフルとアメミットが相対。アメミットの牙が、フルフルの腕に染みついたアオサギの血のにおいを捉えた。腕に食いつかれる。フルフルはもがくが、相手は最強の咬合力を持つイリエワニの頭。それを支えるライオンの上半身と、カバの下半身。容易に食いちぎられてしまう。風を呼ぶも、カバの重量の前ではどんな強風もそよ風同然。
「私に触れるなっ!」
フルフルはペリュトンのスキルに切り替える。より大きな翼を。肉体を変身させても失った腕は再生しない。鳥の翼ではばたいて、アメミットから逃れようとしたが、飛び立ったその後ろ足に、ライオンの跳躍力でもってワニの牙が噛みついた。けれどこれは体勢が不十分だったので、食いちぎられるところまではいかない。
ペリュトンは重いアメミットの巨体を引きずるようにして空をふらふらと飛ぶ。
「はなせっ!」
叫ぶが、このアメミットの噛みつきは、プレイヤーの意思が介在しない攻撃。狂った肉体がプログラムに通りに行動した結果でしかない。はなすもはなさないも、そこにはなかった。
アメミットはぶら下がって運ばれながら、じたばたと四肢を動かす。ペリュトンは後ろ足が千切られる寸前で樹々の隙間に滑り込んだ。四辺に二本一組の沙羅双樹の植物族が根を下ろしている地点へ。
「やれっ!」
命じられた沙羅双樹はアメミットを涅槃に導く即死スキルを発動させた。代償として八本の樹が枯れ落ちる。
「これで……」
ペリュトンがまだぶら下がっているアメミットの死体を引き剥がそうとして、驚きと共に呻いた。足に噛みついている力が衰えていない。こいつは死んでいない。
――即死耐性があるというのか? 冥界の獣だからか?
というペリュトンの読みははずれだった。知る由もないことだったが、アメミットは死んでいた。死んで蘇っていた。マーコールに付与してもらっていたヘイズルーンのスキルの復活効果が、いまのいままで残っていたのだ。
最も近い敵を狙うという狂気状態に突き動かされて、アメミットはペリュトンを大地に引き倒し、ワニの大口で押しせまった。
ヘラジカはこの土壇場で三つ目のスキルを使う。
怪鳥ペリュトンでも、悪魔フルフルでもない、世界樹に棲む鹿エイクスュルニルのスキル。
エイクスュルニルは、ヤギのヘイズルーンと同じくヴァルハラに棲むシカ。その枝角からは大量のしずくが滴り、それはユグドラシルの根を伝って、冥界ニブルヘイムにある大蛇ニーズヘッグの棲み処、フヴェルゲルミルの泉に流れ込むとされている。
「冥界に帰りやがれ!」
しずくが湧き出る角がアメミットの口に突っ込まれる。滴る水が足元に泉を形成して、エイクスュルニルとアメミットの体を呑み込みはじめた。ふたりの体は水と共に地中へと沈み込もうとしていた。
一方そのころ。四体のオートマタたちはアメミットから標的を変えて、ゴール付近に集まっているプレイヤーを襲っていた。
アフリカマイマイはカタツムリ竜、ル・カルコルの姿で応戦したが、ハンマーのような機械の腕で殻を割られて息絶えた。次にはマンゴーの植物族が、ブルドーザーに轢かれたように伐採されて残機が尽きる。
沙羅双樹はスキルコストで十六本もの複製を失っており、もはや死に体。木の根で大地に縛られて、ただ枝を折られるときを待つことしかできない。それを守ろうとユキヒョウが風を起こす。だが、重たい機械の体と、高性能の姿勢制御装置は、そんな風ではびくともしない。風はなめらかな銀色の表面をなぞっては森に消えていった。
樹上から飛び降りたユキヒョウが、銀色の肩に噛みつく。ヘラジカがスキルで発生させた風を追い風にしていたのをマネして、後ろ向きに尻尾を回して風を起こすと、ジェット機のように加速した。銀色の肉体を押し倒す。牙が食い込む。が、腕を破損させるまでには至らない。どうしようもなく硬い。
ユキヒョウはヒョウ属のなかでも高い身体能力を持っている。その力は自分の三倍もの体重を持つ獲物を仕留められるほど。トラやライオンにはかなわないまでもかなり上位の実力者。
前足、後足、四肢のすべてを使って銀色の背中を押さえて動きを封じながら、何度も同じ肩の接合部にダメージを与える。機械の腕の一本が取れそうかというところまで攻撃を加えたが、オートマタは関節を一回転させて、人間であれば到底不可能な方向に曲げてきた。伸ばされた手から逃れるため、ユキヒョウはとびのいて、獲物を解放する。そうして金属を噛んで痺れた牙を舌でざらりと舐めあげた。
沙羅双樹のちいさな悲鳴。この一体にかまっていた隙に、ほかのオートマタたちがそちらを狙ったらしい。最後の一本が倒木する様を見届けたユキヒョウは即座に逃げ出す。もうこれ以上、戦う意味はない。
三体のオートマタたちがユキヒョウを追ってきた。三方から六本の銀色の腕がせまる。真上に跳躍。樹上に避難。金属同士が衝突した甲高い音が足元で響く。一塊の銀になったオートマタは、一番下の一体を足場にして跳ぶと、精密に動く指で枝を掴んできた。
枝が傾いだそのときには、ユキヒョウは樹の上を走りだしていた。
トムソンガゼルは一体のオートマタを引き連れて、山に広がる森を駆け巡っていた。草食動物随一の俊足。全力で走ればライオンとだって張り合える走力。ぴょんぴょんと跳ねるように藪を越えて、幹と幹の狭いあいだをくぐる。スタミナさえ続く限りは、オートマタを近寄らせなんかしない。
そこにユキヒョウが合流。ユキヒョウは風の加速を利用して、トムソンガゼルと並走する。それを追ってきたオートマタもあわさって、後ろに並ぶ敵は四体になった。
「どうする?」
走りながらユキヒョウが声をかける。その声の響きには焦燥と非難とが込められていた。
「僕にスキルを使え」
「なんのスキルだ」
「僕を狂わせろ」
「……イリエワニを解放することになるがいいのか? あっちはいまどうなってるんだか知らないが、一応ヘラジカが相手してるはずだ」
「はやくやれ!」
スキルを使わずとも狂ってるんじゃないか、とユキヒョウは思いながらも、もはやイリエワニの狂気状態を解除することに異存はなかった。はじめからあいつの言う通りにすべきだったのかもしれない。あいつを勝たせれば、それで戦を終わらせていれば、転送処理によっていまの状況からは脱出できていたはずなのだから。
ユキヒョウの瞳が輝いた。悪魔の瞳の仄暗い輝き。魂が魅入られるような美しい輝きだった。
受け渡される仮初の狂気を、トムソンガゼルは拒むことなく受け入れた。