●ぽんぽこ12-30 嘘つき
三度目の焔をヒクイドリが吐いたとき。ペリュトンはそれを避けなかった。
鳥の翼をふって、ヘラジカの角を突き出しながら焔に自ら飛び込んでいく。赤に染め上げられた早朝の密林が、怖ろしい炎の奔流に晒されて、舞い散る火の粉が光の粒子となって飛び散った。
――思った通りだ。
焔に触れてもダメージはない。
ヘラジカはヒクイドリの吐く焔の特性に早くも気がついていた。神聖スキルによって吐いているに違いない火炎。それは熱を持っていなかった。拡散する焔の舌で舐めあげられた樹の幹が燃えることはなく、焦げ跡すらも残っていない。幻覚系のスキル。もしくは実体はありつつ、火の属性を持っていない火炎といったところ。ようするにこけおどしだ。反射的にギョッとはしてしまうがそれだけでしかない。
火が扱えるスキルなど見たことも聞いたこともない。ヘラジカははじめからおかしいと思っていた。まやかしの炎にちがいないと、いの一番に考えたが、案の定といったところ。
ヒクイドリは相手の対応の速さに驚きながら、吐き出した焔を目隠しとして使って、ペリュトンの突進を回避した。
この焔は婆娑婆娑という妖怪のスキル。婆娑婆娑は波山や、犬鳳凰とも呼ばれ、なにかを燃やしたりすることのない熱のない焔を吐くとされている。
やたらめったら吐き出される焔の目隠し。燃えないと分かっていても、火に対する忌避感はどうしようもなく働く。野生動物の本能か、それとも人間としての危険察知能力か。とにかく一瞬であれ体がこわばる感覚があるのはどうしようもない。視界が塞がれ、ボウボウと燃え盛る音が知覚に作用する。ネタが分かっていても、なかなか厄介なスキル。焔の死角から、ヒクイドリが小回りをきかせて、得意の蹴りを放とうとしている気配が滲んでいる。
ペリュトンは首をおおきくふって、巨大な角で焔をはらう。翼を使って飛び上がると、密林の樹の幹を沿うようにして上空へ。容易に焔が届かない空中に陣取る。
逃げ去るヒクイドリの黒い羽衣が樹々の隙間に見えた。劣勢とみての逃走。判断が早い。そもそもヒクイドリはムササビを助けにきただけらしい。その目的はすでに達せられている。
敵の位置を確認したペリュトンは、樹々の枝から枝へと、跳ねるように飛んでいたが、やや開けた森にヒクイドリが入り込むと、地面に降り立って走りはじめた。
ヒクイドリの走りは本場の陸上動物たちにも負けない速度。けれどヘラジカはそのさらに上をいく。巨体からは想像もできない速度で走ることができるのだ。それはユキヒョウなどと同等のスピードであり、ふたりの距離は縮められていく。
大鹿の視界のはしで密林の風景が勢いよく後ろに流れ去っていく。
正面をいく飛べない鳥の背中がすこしずつおおきくなって瞳に映る。
昇る朝日を受けて、枝角がギラリギラリと輝く。
ペリュトンはヒクイドリを追跡しながらじっくりと戦況を考えていた。
スイセンは撃破したが、その妨害によりイリエワニを本拠地方向へと通してしまった。
同じく妨害をしてきたムササビはヒクイドリの横やりによって見失うことに。
そしてヒクイドリを追跡中。
これが直近の自分の状況。そしてもうすこし引いた全体の状況。
いま現在、この密林山地の縄張りはオートマタに攻め入られており、ヘラジカ、イリエワニの両名の群れは混迷する戦場で、お互いにうまく展開できずにいる。
この戦況でとるべき作戦は散り散りになった敵を着実に各個撃破していくこと。そうして連係を失わせることだ。
まずは目の前にいるヒクイドリを仕留める。それが最優先。一体ずつ、着実に敵の力を削いでいく。それこそが勝利への近道となるだろう。
ヘラジカは群れの長として、本来なら本拠地にどっしりと腰をおろしているべきなのだが、副長のトムソンガゼルが作戦の立案、実行、連絡までをおこなって駆け回ってくれているので、別段、自分がやるべきことはない。そちらは任せてしまっている。
前の長であるトラのイメージを引きずっているのか、群れ員たちは戦える長を望んでいる。前線で敵をひねりつぶす好戦的な長だ。歯向かうものには容赦をしない。植物族だけでなく、肉食動物であっても叩き潰す。そんな強さを持ったすべての草食動物を率いる草食動物の王が、この群れでは求められているのだ。
もしくは、求めるように仕向けられたといってもいい。トムソンガゼルの煽動によって。
トムソンガゼルは草食動物による千年王国を築き上げようとしている。
その執着っぷりは、はたから見ていて笑えてくるぐらいだ。己が生きている証を刻みたいというような、青くさい必至さがどこか見え隠れしている。
ヘラジカは正直なところ、そんなことはどうでもよかった。欲しているのは権力だけ。他人を従わせる快感さえ得られればいい。トムソンガゼルが考えているぐちゃぐちゃとした難しいようで単純な思想など、まったくもって興味の外。己の欲が満たせるのなら、トムソンガゼルの好きにさせておく。傀儡政治。それも結構。
いなくなったトラと自分は似ているところがあるとヘラジカは考える。いま思えば、それをなんとなく嗅ぎ取っていたからこそ、自分はこの群れにきたのかもしれない。
トラもまた他人を従わせようとしていた。屈服させることに快感を覚えていた。自分と同じで。
だが、決定的に違うところもある。あの縞々としたいやらしい柄の肉食動物は、力でねじ伏せることしか考えていなかった。罰をあたえて縛ることはあれど、思想によって操ることは考えていなかった。いまはどこにいるんだか知らないが、馬鹿正直なやつだった、とヘラジカは思う。だからこそ、トムソンガゼルなどという若造に立場を乗っ取られることになったに違いない。
まあすべてトラが悪かったとは言えない。現状に至ることになった要因として、マレーバクが群れの管理を放棄したこともおおきい。
――そういえばマレーバクはどこにいったのか。
ふらりと消えて、それきり姿をあらわさない。マレーバクは四六時中ログインしているようなヘビーユーザーだった。本拠地に顔を出すと、いつも難しい顔をしてブタよりは長く、ゾウよりは短い鼻をにょろにょろと動かしていた。もはやピュシスの風景の一部と同化しているようなやつ。いるのが当たり前ぐらいの感覚だったので、いなくなると不思議な気分になる。
とはいえ、さびしいということでもない。なんだかねちっこいやつだったから、いなくなって清々した。よく政治家みたいな演説をぶっていたので、群れに残っていたなら、王の地位をめぐるてごわいライバルになっていたかもしれない。
ペリュトンの思考がつらつらと脇道にそれていく。肉体はまっすぐに走り、翼を利用してぐんぐんと加速。そして、ついにはヒクイドリに追いつこうというとき。
「ちょっと待て」
ヒクイドリが走りながら横顔を向けて言ってきた。もう声の交わせる距離だ。
「命乞いはきかんぞ」
「そんなんじゃない。敵性NPCだ。右と左」
「二体か」
「二体だ」
本当に邪魔なやつら。よりにもよって群れ戦の開催中、こちらが防衛側のときにやってくるなど許しがたい。
ヒクイドリが樹の幹の陰へ移動して足を止める。ヘラジカも一時、追跡を中断して意識をオートマタの方へ。
まだ遠いが陽の光を反射する銀のきらめきが葉の隙間をぬって、矢のように大鹿の瞳に飛び込んできた。機械の駆動音はたしかにふたつ。やつらは草食動物にも追いつけるぐらいの走行速度に設定されている。このあたりの森は開けており、隠れる場所が少ない。背中を向けると、長い追いかけっこが幕を開けることになりそうだ。
「一体ずつということでどうだ」
ペリュトンが提案すると、ヒクイドリの影が横に揺れた。
「それはきつい。見抜かれているようだから白状するが、おれのスキルに攻撃力を底上げするような効果はない。素の肉体の力で機械の装甲を貫くのはきびしい。おれには一対一でオートマタを倒せるほどの力はない」
「私に二体を相手させて、自分は逃げるなんてことを言いださないだろうね」
「さすがに協力はするさ。イリエワニからこういうときにはオートマタ退治を優先して、敵とでも協力しろって通達されてる。一対一が無理なだけで、おれはまだ戦える側の肉体だしな」
ヒクイドリは黄色から赤に変わっている鶏冠をかかげると、
「おれが火を吐いてかく乱する。多少は時間が稼げるだろうから、そのあいだにそっちが一体ずつ仕留めてくれないか」
「そちらのスキルでの目くらましなど、センサーで見破られるのでは?」
ペリュトンが聞くと、ヒクイドリは「大丈夫だ。しばらくはな」という答え。なら実体があるということか。状態異常に類した幻覚スキルではない。物理現象として設定はされている。なるほど。そういえばペリュトンの翼で起きた風で炎の輪郭がゆらいでいた覚えがある。
「……いいだろう。では頼む」
「接敵したら火を吐くからな。そのあとそっちでまずは一体の相手をしてくれ。もう一体はおれがまとわりついて時間を稼いでおくから、そっちを撃破したらこっちの加勢を。できるか?」
「私をだれだと思ってるんだ? 口の利き方には注意して欲しいな」
「分かった。分かりました。なら、おねがいしますよヘラジカさん」
くちばしをとがらせて言ってから、ヒクイドリは足を踏み出した。
二体のオートマタが森の奥から姿をあらわした。すぐさま婆娑婆娑のスキルによる焔。銀色の肉体が赤熱したように染まる。けれどそれは冷えた赤。熱を持たない光の膜。だが、オートマタの標準センサーである、光学センサーと音波センサーをかく乱するのはできた。
二体の足取りが乱れる。その一方にペリュトンが躍りかかった。焔のかく乱はなかなかの効果をあげたようで、オートマタの反応はにぶい。攻撃を受けることなく角で引き倒して、重量を生かした踏みつけ攻撃。蹄の跡が金属の肌に刻まれる。何十とそれが重なったとき、オートマタの動きが停止した。
残った一体に目を向ける。宣言通り、ヒクイドリが引きつけてくれていた。オートマタは火に包まれて、センサーが感知する光は赤一色。ぎこちない踊りにも似た動作でヒクイドリを追いかけていた。
伸ばされる銀の腕はヒクイドリがいる座標から、わずかにずれて届かない。だがその攻撃の精度はすこしずつ上がっていた。別のセンサーを稼働させて対応してきたのだ。熱センサー、動体センサー、振動センサー。オートマタは動物を越えたありとあらゆる知覚手段を持っている。最適なセンサーが導き出され、ヒクイドリの正確な座標を捉えた。
「終わったのなら、こっちも頼む!」
ヒクイドリが呼びかける。しかしペリュトンは動かなかった。
「どうした!?」
助ける必要があるのだろうか。いやない。はじめから協力しようなどという気はなかった。利用しようとは思ったが。
ペリュトンの鳥の翼が、コウモリの翼手のように変わっていく。翼のアーチ部分には四つの鉤爪。大鹿の瞳が怪しく輝くと、ごう、と風が吹いた。ヒクイドリの吐いた火が、風に渦巻いてオートマタから引きはがされると、ヒクイドリ自身をおそう。
「なんだっ!」
悲鳴に似た叫び。ヒクイドリは自身の焔で視界を奪われた。鳥類の知覚の大部分は目に頼っている。その目が封じられ、熱のない炎のなかで立ち往生してしまう。
燃え盛る焔が朝日と共に大鹿の影をながく引き延ばし、ゆらめかせた。それは確かな外形を持っていた。影を持たないペリュトンの影ではない。コウモリめいた翼を持つ悪魔の影だった。悪魔フルフルのもの。ソロモン72柱の一体。地獄の伯爵であり、嘘つきの悪魔。男女を結び付けたり、雷や嵐を呼び寄せる力を持つ。
フルフルはスキルによって風を呼び寄せ、焔を自在に踊らせた。
ヒクイドリがオートマタに縊り殺されるのを見届けてから、その銀色の背後からおそいかかる。翼手を持った大鹿。ヘラジカの角が機械をこねる。前足はどことなく人のようで、蹄ではなく、爪を備えた腕になっている。それが銀色の肌を、爪とぎでもするように引き裂いた。
二体のオートマタの残骸。それから体力が尽きたヒクイドリの死体。その死体は砂が風に吹かれたように、さらさらと崩れていった。消滅したらしい。しかし自分には関係ないことだ。不敬なやつであった。王に対する態度がなっていない。長のイリエワニがこだわらない性質だからか、どうにもしつけがなっていなかった。
ヘラジカは森を眺める。いまからムササビを追っても見つからないだろう。一度本拠地に戻っておこうか。イリエワニの行方は気になるし、そろそろ試合時間が半分を越えている。トムソンガゼルへの報告がてら、顔を出しておいたほうがよさそうだ。
巨体が密林の樹々にまぎれて動き出す。大きな角が枝を払い、ひんやりとした空気を分厚い毛衣が押しのけて、蹄が地面に二本爪の跡を刻む。
飛行能力を優先して、コウモリめいた翼のフルフルから、鳥の翼のペリュトンへと戻る。
威厳ある角、威厳ある体躯、威厳ある足取りを持って、ヘラジカは斜面を下ってペリュトンの翼を広げると、ごうごうと勇ましく風を切りながら、本拠地への帰還を果たすべく明け方の空を飛んでいった。