●ぽんぽこ12-28 第二回戦、密林山地
夕方に開始された群れ戦のトーナメント第二回戦。それが夜を過ぎて明け方に移ろうという頃。
ヘラジカの縄張りの密林山地では、激しい戦いがくり広げられていた。攻め込んでいるのはイリエワニの群れ。しかしそれだけではない。第三勢力があらわれて、密林山地はその攻撃にもさらされていた。
数十体の敵性NPCたちが三つの山からなる密林にあふれていた。
このトーナメントが開催されるに至った理由。オートマタの大量出現。オートマタの出現が確認されている深層につながる遺跡から、ライオンの縄張りの次に近しい場所にあるのが、この元トラの縄張り、現ヘラジカの縄張りである密林山地。
オートマタは波のように押しては引いて、ときおりドッと遺跡からやってくる。きまぐれなオートマタの出現に、密林山地はおおきく影響を受ける立地だった。
NPCによる戦への乱入。銀色の肉体のオートマタたちにとって、防衛側であるヘラジカも、攻略側であるイリエワニも等しく敵。そして、敵性NPCはあらゆるプレイヤーにとっての共通エネミー。
明け方の空に昇りはじめた太陽に照らされた密林の分厚い天井の下。三つの山からなる密林山地の縄張り。そのうちの二つの山が隣あう谷間。緩やかな起伏のある森のなかで超巨大ワニのイリエワニがオートマタとの戦闘に明け暮れていた。
金毘羅のスキルで水を生み出し、目が隠れるぐらいの深さの川を生成。接近してきたオートマタを大口で挟み込むと、ライオンの二倍以上の体長、五倍ほどの体重という規格外の肉体によって水中に引きずり込む。水中はワニの独壇場だ。
巨大な顎によって、オートマタの銀色の体が噛み潰され、その体力が擦り潰されていく。動物界最強の咬合力。ワニのなかでも最大級のイリエワニともなれば、それはもう凄まじい力。人間の十倍以上の噛む力を持つカバと比較しても、そのさらに五倍近くの力があるのがイリエワニ。恐竜のティラノサウルスに匹敵する力があるとすらされているのだ。
オートマタというのは機械属性を持っており、肉食だろうと、草食だろうと、植物だろうと、いずれの属性にもシステム上では有利となっている。だが、それすらも純粋な力で上回って、水中という万全の力を出せるフィールドでもって、イリエワニはオートマタを破壊せしめていた。
数体のオートマタの屍が沈む川から顔を出したイリエワニに、
「次がくるぞ!」
と、樹上から声が飛んできた。
地平線にのぞいた太陽が、薄くするどい光を密林にそそいでいる。樹上にてその輝きを浴びているのはヘラジカ。人間の大人を悠々と見下ろせるぐらいの巨体。草食動物全体でみても上位に食い込む体格。その頭には引き延ばしたような板状のシカの角が生えており、板の縁からはいくつもの枝角が伸びている。巨大な角は両側を合わせると、角だけで大型動物をまるまる一頭おおえるぐらいのおおきさ。
巨大な体躯に巨大な角が備わって、肉体をよりおおきく、威圧的にしている。足の長さもあって、ヘラジカの体はカバやサイなどよりもおおきく見えた。
そんな巨大生物が樹の上にいるというのは妙なことではあるのだが、樹が特別頑丈だとか、そういうわけではない。そもそもヘラジカは樹に乗ってはいなかった。それよりもさらに上。空の上にいるのだ。
翼のように広げられたヘラジカの大角。濃褐色の毛衣をなぞって背中に目を移すと、そこには本物の鳥の翼が広げられていた。翼を持ったシカ。いうまでもなくスキルによって変貌した肉体。怪鳥ペリュトンの姿。己の影を持たず、影を取り戻すために人間を殺すといわれる危険な獣。
追加でやってきたオートマタは二体。
「一体は私が相手しよう。もう一体を頼む」
「分かった。任せとけ」
イリエワニの力強い返事をきいてすぐ、ペリュトンが空からオートマタに接近。挑発的に飛行すると、二体を川のほうへと誘導。空を飛ぶ大鹿にオートマタが石を拾いあげて投擲しようかという気配を見せたが、実行される前に巨体がのしかかっていって阻止。固い蹄で踏みつけて、体重を乗せて押しつぶす。一撃では体力を削り切れない。機械たちはそれぐらいに頑丈。何度も何度も踏みつける。関節を狙って一本ずつ腕をそぎ、脚をそぎ、最終的に頭をつぶすと、やっと動きが停止した。
もう一体のオートマタは、イリエワニが水中に引きずり込んで、川底でスクラップに変える。
群れ戦のただなか。敵対する群れの長同士ではあるが、不測の事態に、協力体制をしくべきだという結論にお互いが達していた。
大抵の動物にとってオートマタは死神。出会えば、すぐさま全力で逃げるべき相手。戦うなんてことはもちろん、撃破することは数名がかりであっても困難。このふたりのプレイヤーは特別強力な肉体と神聖スキルを有しているので単一での撃破などという芸当をやってのけているが、これは例外中の例外。放っておけば、それぞれの群れのプレイヤーたちに、被害が広がることは分かり切っていた。
大規模な敵性NPCの侵略行為。
敵性NPCの攻撃はプレイヤーのそれとは異なる特徴を持っている。それは体力だけでなく、命力をも削ってくるということ。
命力はピュシスをプレイするために維持しなければならない値。これがゼロになると肉体は消滅。ゲームにログインすることすらできなくなる。命力は体力がゼロになったら大きく減るほかに、スキル発動時や、スキル維持のコストとして使ったり、通貨としてプレイヤー間で受け渡しもされている。ほかにもあらゆる行動によって微小に目減りしたりする。
オートマタの攻撃をまともに受け続けたり、はたまたその攻撃で体力がゼロにされたりしようものなら、余裕をもって命力をため込んでいたプレイヤーであっても消滅しかねないほどに命力を削り取られてしまう。
仲間がそんな憂き目にあうことをイリエワニは到底容認できなかった。だから進攻もそっちのけで、やってくるオートマタをちぎっては投げ、投げてはちぎった。獲物を咥えたまま回転する、ワニの必殺技デスロールで機械の体を強引にねじ切り続けた。
二体のオートマタの撃破後、機械特有の硬い足音が途絶えた。
「空から確認してこよう」
ペリュトンがおおきくはばたいて、森の天井に向かって飛びあがった。密林の地面に敷かれた落ち葉たちがバッと散らかって、イリエワニの体にふりかけられる。イリエワニは木の葉が浮かんだ川に沈んで、その体をジャブジャブと洗った。
そんじょそこらの樹の枝よりも、がっしりとした枝角が、絡み合う梢をかきわけて、明け方の焼けついた空気に飛び込んでいった。
ペリュトンは高度を上げて、勝手知ったる己の縄張りを見渡す。朝の密林山地に巨大な鳥のはばたきがブウンブウンとこだまする。ほんのりと冷えて、すこしばかりじめじめした空気が、朝の晴れやかさと混ざり合いながら吹き飛ばされていく。
樹々をまとった三つ子の山。三つの尾根が交わる地点、沈み込んだ中央が本拠地であり、ゴールを示す光の柱が細く天に昇っているのが見える。
夜通し戦って、オートマタによる襲撃はひと段落しているといえそうだったが、それでもまだ縄張り各地で機械の駆動音がくすぶっているようだった。完全に追い払うにはまだ時間がかかりそうだ。
戦況を確認したペリュトンが密林に降りてくる。鳥のように樹にとまろうとしたが、ヘラジカの超重量を支えられる枝などはない。激しく軋んだ枝に、ペリュトンは慌てて空に逆戻りすると、あらためて森の隙間を通って川のそばに着地した。
「ひとまず近くの敵性NPCはすべて倒したようだ」
イリエワニは川面に目だけを出して、きょろきょろと動かすと、
「かなりキツかったなあ」
金属を噛みすぎてしびれた風になっている口を開けたり閉めたりする。
「空を飛べるっていいな。助かったよ」
ヘラジカに対してからりと言いながら首をほぐすようなしぐさ。
イリエワニとヘラジカはこの戦場が初顔合わせ。ヘラジカは、イリエワニがトラの群れを出ていったあと、ピュシス会議直前あたりのタイミングで群れに入ったらしかった。そのときは長でもなく、会議にも出席していなかったので、会う機会がこれまでまったくなかったのだ。
会ってまだわずかな時間を共にしただけなのだが、強敵相手の共闘を経たことでイリエワニの心には連帯感が芽生えていた。少々肩の力を抜いて、ずるりと体を川辺に持ち上げる。
ペリュトンがこじ開けた緑の天井の隙間から落ちてきた朝日の元に移動すると、パカリと口を開けて、夜に冷えた体を日向ぼっこであたためる。
そんなのんきなことをしていたときであった。
鱗をまとった腹の下に、板のようなものが差し込まれる。
「うおお!?」
視界がぐるんと回転。
ペリュトンは、イリエワニが自分の牙城である水中から出てくるのを虎視眈々と待っていたのだ。隙を逃さず、巨大な角によってイリエワニの巨体をひっくり返した。やわらかいワニの腹が上に向けられると、即座に二本指の分厚い蹄が打ち下ろされる。
ひっくり返ったイリエワニはすぐにスキルで水を生み出して、地面をぬめらせながら、デスロールの要領で回転、尻尾も使って反動により体を起こす。だがその頭には蹄が猛然とせまっている。
避けることはできない。意識より先に刹那の反応で額をみずから蹄にぶつけていった。
勢いが最大になる前に、自分からぶつかっていくことで、敵の攻撃の威力をわずかでも削いでいく。硬い鱗による防御と、肉食動物と草食動物という相性差によって、致命傷からは逃れた。けれどもイリエワニの口の上にはそのまま蹄が乗せられる。ヘラジカの巨体の超重量で、ワニの顎が土にめり込んだ。
身動きできない。口を開けてはねのけることもできない。どんな動物でも同じだが、口を閉じる力に比べると、開ける力というのは弱い。ワニとて例外ではなく、小型のワニであれば老人に上から押さえられたぐらいで口が開けられなくなってしまうほど。口を閉じる力こそ動物界最強のイリエワニだが、ヘラジカの足をはねのけて口を開けるなどということは不可能。
このままだとやられる。四肢を踏ん張り、押したり引いたりできないか試す。
油断していた。裏切りにも似た不意打ち。けれどこれを裏切りなどと糾弾するのは、とんだお門違いだということをイリエワニは理解していた。
戦は戦。ヘラジカの群れとイリエワニの群れは、いまこの密林山地を舞台にして群れ戦をしている真っ最中なのだ。気を抜いた自分が悪い。
頭がひしゃげる音が骨を通して聞こえてくる。あまりのグロテスクさに耳をふさぎたくなる。ワニの耳は目尻のあたりについている。水中にもぐったときに水が入らないようにぴったりと閉じることができる。しかし、耳を閉じたとしても、振動として伝わってくる音はどうにもできない。元よりワニは空気振動ではなく、頭を地面につけたりして、音の振動を直接くみとって聞く動物。身もだえしたくなるこの音から逃れるすべはない。
イリエワニはとにかく水を生み出して、体を沈めながら脱出の機会がおとずれるのを辛抱強く待ち続けた。ほんのちいさなチャンスでいい。そこに一気に力を集中できるように、肉体に力を込め続ける、
しぶとくねばるイリエワニに対して、大鹿はもう一本の前足の蹄も使って押しつぶそうと足を浮かせた。
濡れた蹄が飛沫をあげてつややかに輝く。早く仕留めたいという意思が見え隠れする動き。
「ぐっ……!?」
と、くぐもったうめき声と共に、突然、ペリュトンの蹄が滑った。ワニの低い視界では、なにが起きたのかは分からなかったが、その瞬間、イリエワニは金毘羅のスキルによって一気に水を生み出すと同時に、渾身の力でもって新たに通したばかりの川を泳いだ。流れに乗って、距離を取る。
ゆるやかに落ちる斜面も手伝って、その勢いはなかなかのもの。
そうして、十分と思えたところで流れを二分する太い幹を支えに停止して、尻尾を回してふり返った。
ペリュトンはいなくなっている。
怪鳥のはばたきが遠のいていく。イリエワニの進行方向とは逆に向かっている。
イリエワニは水が流れるゆるい下り坂の先に視線を戻した。敵の本拠地がある方向。
ペリュトンが追撃してこなかった理由は分かっていた。
仲間が助けてくれたのだ。それ以外にない。そして、ペリュトンの気を引いて、おとりになってくれている。
加勢にいきたい気持ちはある。だが、いまは進まなくてはならない。
自分とペリュトンでは属性相性で有利を取れても、得意フィールドが水中と空で噛み合わない。先程のように不意をつかれでもしないかぎりは、泥沼の戦いになることは必至。空飛ぶ重戦車に対して、水中からは手も足もでないのだ。ここで追っても、きっと相手を仕留められない。そもそもワニの移動速度では、泳いだとしても追いつけない。
いこう。長として、敵の本拠地を落とすことを最優先で考える。
さっさとこの戦に勝利してしまおう。
イリエワニは前に鼻先を向けた。スキルで生み出した水が傾斜を下って流れていく。そこにどっかりと腹を乗せると、ウォータースライダーのように一直線に敵地の奥へと滑りこんでいった。