●ぽんぽこ12-27 残された者のあがき
先をいったアナグマの叫び声がしたので、ミミズトカゲは冥界マップの地面の下で一時停止する。
なにかが起きたらしい。地中にまで聞こえてきた声には、異常を知らせるに十分な響きが込められていた。
マンチニールが放り投げた不和の林檎が地面に落ちて、ころころとエリュシオンの花園を転がる。土に埋まっているミミズトカゲからも林檎の存在が感じ取れた。肉体が引きつけられる。顔が向いてしまう。もしミミズトカゲに手があったなら、諸手を投げ出し、差し伸べてしまっていたであろうという強烈な誘引効果。
ミミズトカゲは地上に顔を出すまでもなく、事態をすっかり呑み込んだ。敵のスキル。それによって、アナグマとエチゴモグラは冥界の帰り道でふり向いてしまったのだ。禁忌を破って、倒されてしまったに違いない。
肉体の衝動がおさまる。林檎が消えた。効果時間が切れたのか。敵がスキルを解いたのか、いずれかは分からないが、以降の動きがないことから、地中にもうひとりいることには気がついていないらしい。
ひとり、残されてしまった。
それとも、まだひとり残っていると考えるべきか。
地中深くに頭を向ける。地上から読み取れる気配を皆無に近づけていく。
ヘビのような、ミミズのような細い体を土に突き刺し、トンネルを掘り続ける。
進むうちに、やさしくも活力のない冥界の土から、厳しくも力強い土に変わる。
すこし掘りづらくなった土をシャベルのような頭で押しのける。地中にあった土の境界を越えた感覚。ミミズトカゲは自分の体力を確認した。ゼロだった体力が復活している。生き返ったのだ。スキルも使用可能。
地上の様子はどうなっているだろう。ゴールだと言ってアナグマは駆けだした。ならばゴールがあるはずだ。
すこしだけ頭を上に向けて進む。
慎重に、見つからないように。
なんの振動も伝わってこない。
敵の植物族たちがいるのは間違いないのだが、植物たちは身じろぎすらしない。
木の葉が落ちる音ひとつ響いてはこない。
自分の肉体の心臓も静かだ。
体と土がずるずるとこすれる感覚だけがある。
硬い岩にぶつかった。
岩に沿って移動していく。平らな皿のような岩。
おそらくはこの上がゴール。
穴掘り上手の集まるエチゴモグラの群れでは、攻略側になったとき、最終的にこうして地中から敵本拠地のゴールに接近することが多い。その場合に共通しているのが、ゴールの真下には地中からの侵入を阻む岩が敷かれているということ。ゴールの判定は地表にある。円型の二次元平面。ゴールのある座標の空中や、地中に到達しても、ゴールしたという判定にはならない。理不尽な攻めが通らないように、システム側で対策されているのだ。
ミミズトカゲは岩を回り込んで地上に近づいていく。
ここからの動きを想定。作戦を考える。
まず、岩のわきから地上にでる。すると、そばにはゴールがある。地上を這って光柱の根本へいく。そのあいだ。敵の妨害もあるだろう。それをふり切る必要がある。この場面で使えそうなスキルというとラムトンのワームしかない。ワーム竜の肉体で一気にごり押すしかない。
あまり作戦ともいえない作戦だが、とにかく素早く決めることを考える。
そもそもとれる選択肢がすくないのだ。モンゴリアンデスワームのスキルで毒をふりまいたとして、こちらは攻めというより守り寄りのスキル。ゴールへの推進力にはならない。アナグマであれば、このあたりうまくやれたであろうと、ミミズトカゲは思ってしまう。
スキルを使わない選択肢もいちおう吟味する。ミミズトカゲの体のままこっそりとゴールすることは可能だろうか。いや、これでは敵の攻撃を受けた場合に、後手に回りそうだ。すぐに却下。
皮膚感覚にゴールの気配が近づいてくる。どんな動物、植物であっても位置が分かるように、あらゆる感覚に訴えかけるようにゴールは設定されている。
もうすこしという距離。
あと首一本ぶんぐらい。
相手に気がつかれていないことを祈る。
鼻先が、外気に触れた。
その瞬間、巨大なラムトンのワームの姿に変貌する。一気に土を押しのけて、土の中から引っ張り出されるようにして、地響きと共に頭を外へ出す。
牙のならんだ竜の顔。口の両側には九つの孔。丸太のような体がどろどろとうねって、土をまきちらした。
鳥が水中の獲物を狙って飛び込むように、竜の頭がゴールめがけて突っ込んでいく。
ゴールの麓には植物族。その植物族と目があった。そいつは植物でありながら、顔があり、目が存在していた。
マンドラゴラ。その口がおおきく開く。
植物が雄叫びをあげた。
耳から入って体内をかき混ぜるような悍ましい叫び。
ワームは全身が痺れるのを感じた。
勇ましく飛び出したワームの首が、蔓がしおれるように、くたりと下を向く。
だが、ワームはあきらめない。再生能力を頼りに力を振り絞る。鼻先はすでに光の柱のなかにある。あとは顎を叩きつければ、それでゴールになる。
体ごと、倒れ込もうと試みる。
光に包まれていく。
普段のミミズトカゲの肉体では視覚がないので、きちんと瞳が存在するラムトンのワームの肉体になると光がよけいに眩しく感じる。
光が強まる。
そこに影が差した。
ワーム竜の太い首が植物の怪物の大きな手に掴まれる。
一本腕、一本足、瓜のような顔をした山の精。山魈が腕を伸ばしていた。そうして、一片の容赦もなく、痺れて無防備なワームの首を怪力でもって、へし折った。
だが、それでもラムトンのワームは死んでいなかった。瞬時にスキルを切り替えて、モンゴリアンデスワームの姿へ。最後のあがき。幹のような胴が、枝のような胴に。体のサイズを縮ませることで、指のあいだからすり抜ける。
今度こそ光の底へ。
糸のようにデスワームの肉体が落下していく。地につけば、勝利できる。自由落下が体を導く。
破裂音。スナバコノキが果実を破裂させ、デスワームに至近距離から散弾を打ち込んだ。衝撃で吹き飛ばされた体は、光から外れて、きりもみ落下。
――無理だったか。
ここまで絶望的だと、すがすがしさすら感じる。
デスワームの体は、マンドラゴラの根っこの手に捕まった。デスワームの穴のような口と、マンドラゴラの洞のような口が向かい合う。マンドラゴラの雄叫びを、デスワームは正面から浴びせかけられた。デスワームはこれこそ悪あがきとばかりに口から毒液を噴射。
相打ち。デスワームはミミズトカゲの姿に戻って倒れる。マンドラゴラも毒で枯れたが、しかしこちらは死ぬことはなく、別に生えていた肉体に切り替えただけだった。
――月が見える。
エチゴモグラは死体状態に残された微感覚のなか、盲いた目で、明けようとしている夜空をながめた。
あたりの様子が変化したのはなんとなく分かった。ギンドロがエリュシオンのスキルを解いたのだろう。終了時刻を待つまでもなく、戦は終わったのだ。
エチゴモグラの群れにはもう、戦えるものが残っていない。
ある辞世の句をエチゴモグラは思い出していた。地球の武将が詠んだもの。その人物は越後の龍と呼ばれていた。地球の文化を研究するなかで、特に気に入っている人物のひとりだ。
”極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし”
いまの自分にはぴったりに思えた。
いい試合だった。
後悔はない。
仲間たちは皆それぞれにがんばってくれた。あとでよくよく労おう。
それにしても、冥界を訪れるというのはなかなか稀有な経験。
しばらくはこの死を堪能して、また生きることにしようではないか。
エチゴモグラは渓谷の森におだやかに横たわり、戦の終了時刻を待ち続けた。