●ぽんぽこ12-22 伏兵たちの行方
渓谷を横切る川の下流方向からエチゴモグラたちが敵本拠地に攻め入ろうとしていたのと同時刻。ちょうど真逆、上流方向のからゴールを目指しているものたちがいた。
川辺の地中をいくアナグマとミミズトカゲ。それぞれに貉とラムトンのワームのスキルを駆使している。
ヘビのように四肢を持たないドラゴンの一種であるワームが、地中にトンネルを掘って進む。牙の並んだ竜の口の側面には九つの孔。鼻先をシャベルのように使って易々と土を押しのけると、アナグマの体が余裕をもって通れるぐらいの太さの穴が通されていく。
地上にはトンネルをなぞるように土が盛り上がっており、そのままではひと目で地下の道を見破られそうなものだが、貉のスキルで作られる川の幻覚が地上の痕跡おおい隠していた。
強い臨場感のあるフェイクデータ。川の見た目、川の音、川の感触、川の温度、そのすべてをともなっている。唯一欠けているのが水としての属性情報。用心深い者であれば、幻覚スキルによるものと分かるが、そう簡単にバレる心配はない。
絵の上に絵を塗り重ねるように、データの上にデータを置いて騙す。
そうやってふたりはこそこそと進攻を続けていた。
ギンドロの群れに用心深い者がいなかったということはない。ピンチもあった。特にハンノキの植物族との遭遇で、仲間のウッドチャックがやられたときなど、パーティごと崩壊する危険があった。
けれども、運が味方したか、偶然が重なったがゆえの成り行きか、とにかく逃げ伸びて、敵の監視網をぎりぎりのところで潜り抜け、苦境を乗り越え、紆余曲折を経て、ゴール地点がそろそろ近いかというところまでふたりはたどり着いたのだった。
ワームは掘り進む先がぬかるんでいるのを感じた。嫌な予感。ハンノキのスキルによる幻覚で、浸水する夢をみさせられたことを思い出す。
けれど、土がとろとろとしているばかりで、水が噴き出してくるようなことはなかった。
歩みを止めたワームの長く巨大な体に、尻尾のほうにいたアナグマが動き出す。アナグマは身を細めて、ワームと土壁のあいだで毛をこすりあげられながら、トンネルの先頭へとやってくると、進行方向の土の状態を同じく確認した。
「なにこれ。泥っぽいね」
「川の横を通ってはいるが、浸水するほど近くはないはずだ」
本物の川の振動を肌で感じとって距離をはかりながらワームが言う。
「ぼくがちょっと上を見てくるよ」
すぐにアナグマが頭上に穴を掘りはじめた。
外は暗い。けれど朝が近づいているのを感じる。緑に混ざる空気がほのかにあたたかい。
ひょっこりとアナグマが地上に顔を出した瞬間、感じたのは鼻をつく潮の香り。目を丸くしながらあたりを一瞥して、穴に引っ込む。
「なんか前方に沼ができてる。なにごと?」
「おれに聞かれたって分からん」
ワームはいったん進攻を中止して、トンネルの壁を削りながらとぐろを巻くと、作戦会議というようにアナグマと向かい合った。
「沼の下を掘るのはやめたほうがいいと思うな。地上をいかないとダメだね」
と、アナグマ。
「迂回できそうにはないのか」
「なんていうか、見た感じを言うけど。想像してね。まずゴールがあるじゃない。柱みたいに光ってる場所」
「うん」
「ゴールを中心点として、そのまわりに敵本拠地の森が丸くあって、さらにその丸の周りをわっか型の沼地が囲んでいる、って形かな」
「敵本拠地が沼地に浮かぶ小島みたいになってるってことか」
「そう。たぶん」
「ってことは地上をいかないとダメか……」
「さっきぼくがそう言ったじゃん」
ワーム、もといミミズトカゲは地上恐怖症。眉間に深いしわを寄せて、先程、アナグマが偵察のためにあけたばかりの、地上へつながる縦穴をおそるおそる見上げる。
「ちょっとぐらいは大丈夫なんでしょ」
「そりゃそうなんだが」
「まだぎりぎり夜だし。空も暗めだから平気、平気」
アナグマは陽気に言うと、ワームの首元に毛むくじゃらの頭をこすりつけて外へ押し出そうとする。ワームはしばらく身もだえするように首をふって抵抗していたが、やがて観念したように、
「分かった。分かったから。押さないでくれ」
「この縄張りに沼があるなんて情報はなかった。これは確か。反対側から御屋形様たちが攻めているはずでしょ。この沼はそれに対する敵の攻撃なんじゃないかな。だからいますぐぼくらがこっち側から攻め入れば、敵の意表をつく形になるし、うまくいけば御屋形様たちの負担を減らすことにもなるよ」
「分かったから……」
溜息のような声。それから、はあ、と本物の溜息。
「もう貉のスキルも解くよ。沼に川が流れてたら不自然だし」
「ああ」
「地上に出たら背中に乗せてね。そっちのほうが泳ぎは上手でしょ。沼みたいになってるところを泳いで突っ切って」
アナグマも泳ぐことはできるが、ラムトンのワームは川に棲む竜。泳ぎには長けている。ラムトン家の息子によって川で釣られ、井戸に捨てられて、その底に棲みついた竜。その後、賢女の助言により退治されるのだが、ラムトン家に大いなる災いをもたらすことになる存在。
適材適所で動こうという提案に、ワームは「ああ」と、生返事。
「しっかりしてよ」
ふっさりした短い尻尾で叩かれて、ワームの体が鞭で打たれたようにやっと動き出した。
体をうねらせながらワームの体が外に滑り出る。ワームの尻尾に続いて穴から飛び出したアナグマが、竜の背中にすぐ飛び乗った。頭のあたりまで走って移動すると、ふり落とされないように四肢でがっしり体を固定してまたがる。巨大なラムトンのワームの頭にコブができたかのよう。もしくは、毛が生えているので、ちいさなカツラをかぶっているようでもあった。
正面に広がる沼へと侵入。沼に浸かったワームはできるだけ頭を低くして、ワニが川面から目だけを出しているような体勢。できるだけ視界を狭くしたいがゆえの行動だったが、体を沼のなかに隠すことにもなっているので一石二鳥。
水中に入ってみると、沼よりも泥っぽく、泥よりも水っぽいような感触。底に腹をつけても背中が出るぐらいには浅かった。
ぬらぬらと進みながら、ちらちらを周囲の様子をうかがって、ワームは背中のアナグマに小声で話しかけた。
「なんで樹が枯れてるんだ?」
沼に呑まれた森の樹々は、どれも蒼白の顔で枯死している。
「嗅ぎなれないにおいがするけど、海のにおいなんだと思う。塩水なんだよ」
「塩水なのと、枯れてるのはどういう関係だ?」
「えっとねえ。えっと。それは塩分濃度が高い土だと、根っこから養分が吸い取りにくくなるし、塩化ナトリウムは水分を奪ったりもするから、それで、その、……まあ毒なんだよ」
「それって。動物にとっても毒か?」
「えっ?」思わぬ質問にアナグマはまるっこい尻尾をくるくるとさせて戸惑いながら、「どうだろ。塩分を取り過ぎると高血圧になるんだっけか。だから、取り過ぎると毒?」
「浸かってるだけなら?」
「塩水にってコト? 浸かるだけならなんともないと思うけど。地球の70%は海だったんでしょ。信じられないけど。そこで人間とか、動物が泳いだりもしてたはずだよ」
「じゃあ……」と、ワームは横目でアナグマを見て、「なんでおれは毒になってんだ?」
「毒?」
「いつの間にか異常状態がついてる。この塩水に入ってからだと思う」
「うへえ。毒沼だったのか」
アナグマは舌をぺろりとしながら手足をぎゅっと引っ込めると、ワームの背中で縮こまった。
「ちょっと急ぐぞ。はやく沼を抜けたほうがよさそうだ。しっかりとつかまっておけ」
言われたアナグマは岩に張り付くフジツボみたいにぴっとりと背中にくっつく。
ワームは水がはねないように気をつけながらも、速度を上げて浅い沼地帯を泳いで渡っていく。
こうして進むふたりが敵に見咎られることはなかった。アナグマが想像していた通り、いま反対側ではエチゴモグラたちが戦っていた。リコリスがリュコリアスのスキルでマンチニールの毒樹液入りの海水を流し、それに対してアナホリゴファーガメが巨大亀ザラタンになって、樹々を押し倒している最中。敵の意識はそちらに向いていて、ふたりは運よく監視の隙間をぬっていた。
「毒はどんな感じ? 体力は足りる?」
「ラムトンのワームには再生能力があるからな。多少の毒ダメージは毒のうちに入らない。回復の方が上回ってる」
「ならよかった。……それにしても毒沼に囲まれてるなんて、ラスボスの城みたいだね」
「なんだそれ」ワームが鼻をちいさく鳴らすと、水面がさざ波だつ。
「古いRPGの定番じゃん。不便そうな立地の城に棲んでる魔王」
「おれあんまりRPGやらないから」
「じゃあ好きなジャンルは?」
「……脱出ゲーかな」
「へー……」
いまひとつ膨らまない会話をしていると、水量がほのかに増量しはじめた。
ワームはびくりと体をはねさせると、さらに速度を上げていく。
「どうしたの」アナグマが聞く。
「毒の質が変わった。さっきよりきつい毒だ」
本拠地を挟んだ向こう側で鴆毒が注ぎ込まれたところ。回り込んで流れついた毒が、こちら側にまで届いていた。
「自己治癒を毒ダメージが上回って体力が減らされてる。体力がなくなる前に渡り切りたい」
そういいながら、背中のアナグマが毒を受けないようにという慎重な動き。
「ぼくのことは気にせずに急いで」
「ばか。お前を運ぶために急ぐんだ。水には触れないようにしろよ」
猛毒水のなかをワームが泳ぎ、アナグマを連れていく。敵はまだエチゴモグラの対処にかかりきりになっている。奇襲するには絶好の機会。
枯れた樹々の根本をゆらりゆらりと蛇行して、やっとの思いでワームの頭が沼に囲まれた敵本拠地の森に到着した。竜の頭からぴょんと飛び降りて、アナグマが上陸。
自分の体を橋にしてアナグマを運び終わったワームは、毒水にまみれた体を陸に上げる。それから、ミミズトカゲはラムトンのワームのスキルを解いて、素早くもうひとつのスキルを発動させた。肉体が竜から、巨大な赤ミミズかイモムシのような姿に変貌する。ラムトンのワームとは別のワーム。こちらは竜ではない。モンゴリアンデスワームという未確認動物のスキルを使った姿。頭部にある穴のような丸い口のまわりにはぐるりと牙が並んでいる。
ラムトンのワームに比べれば、デスワームはだいぶん小型でアナグマを背中に乗せるなどとてもできない大きさだが、それでも大蛇ほどはある。強力な毒性を持つ生物で、獲物に致死性の毒液を吐きかけるという。
さらにデスワームはゴヨという毒性の植物を食べるとされていて、その能力には強い毒耐性が設定されている。耐性のおかげで体力の減りがゆるやかに。しかし、そこらの毒性植物よりもはるかに強力な鴆毒をはねのけられるほどではなかった。ラムトンのワームの治癒能力に比べれば、耐性でしのぐ方が体力の目減りがマシではあったが、多少、死ぬまでの時間が稼げるかというぐらい。
残された猶予を、尻尾の先まで有効活用しなければならない。
「おれは地中をいくからな」
言い終わるよりも先にデスワームの頭は地面の下に潜り込んでいる。
「ぼくは……」
アナグマは考える。貉のスキルで生み出せる幻は川だけ。川から離れたこの場所で、川を作っても不審なだけ。いまの状況では役に立たない。
「こっちは足を使うよ」
貉の俊足は人間の三倍の速度といわれる。それを使って地上を駆け抜ける判断。
「毒はやばい?」
地上と地中でしばし並走しながら言葉を交わす。
「話してる場合じゃないぐらいきつい」地中からの声が移動していく。「おれは間に合わないかもしれない。アナグマ。お前が決めるつもりでいけ」
「分かった」
言うや否や、貉が全力で疾駆した。
ゴールは細く見えている。
スナバコノキの果実が破裂する音が遠くから聞こえてきた。その頃、ギンドロの群れのものたちは青龍に成ったエチゴモグラの対処に奔走。さいわいアナグマのところまではマンドラゴラが叫びは聞こえてこず、爆発したスナバコノキの実の破片も届かなかった。
スナバコノキの樹列。その向こうにゴール。そばには敵の長のギンドロ。そのギンドロの幹のさらに向こうに、ゴールへと詰めようとする青龍の頭が見えた。アナグマにとっては見知らぬ姿。なにせ、ついさきほどのアップデートで授かったばかりのスキル。けれど、味方であることは確信できた。
裏と表から、ゴールを挟み撃ちにする。
貉よりも先に、青龍がゴールに触れようとした、その瞬間、ギンドロがスキルを発動。
あたりの風景が一変。
アナグマはなんとも心が安らぐような花畑に、ぽつり、と、ひとり立っていた。