▽こんこん4-1 勉強会
「だからさ。酸味の配合が肝なんだよ」
ギーミーミが熱心に語るのを、リヒュはテーブルに頬杖をついたまま適当に聞き流す。その横ではルルィが真剣な表情で冠を操作して、網膜に映し出される授業内容の復習に励んでいた。難しい問題に苦しんでいるのか、時折、手で髪をくしゃくしゃにしたり、垂れ目を更に溶かしたような目つきをして唸っている。
「甘味をベースに酸味を強めて、ちょっと香りを設定すれば、ほんとに疲労が軽減されるんだって」
「ふーん」
上の空のリヒュに、ギーミーミは「一回試してみろって」と勧めて、配合情報をリヒュの冠に送る。ギーミーミは水の味覚配合について妙なこだわりがあるらしかったが、リヒュは興味を惹かれない。送られてきたギーミーミスペシャルと名付けられた感覚配合情報にざっと目を通して、すぐに閉じた。もちろん好きな味はあるが、それ以外に手を出そうという気になることはほとんどない。大抵の場合、結局は感覚偽装しても飲んでしまえば同じなのだ、と思ってしまう。しかし、そんなリヒュでも、ピュシスで飲む川や湖の水は、至上の美味しさに感じるのだから不思議なものであった。
大柄でがっしりした体格を縮めるようにして、ちびちびと繊細に水を味わっているギーミーミから視線を外して、リヒュは店の外を眺める。
ピッソ婆の食物販売店。水も売っている。店のなかに飲食ができるスペースがあり、三人は並んでいるテーブルの一つに集まっていた。店の前面には透明な素材が使われているので、席から店の前の通りが見通せる。縦方向には狭い通りが伸び、その先にはリヒュたちが通う学校がある。けれどここからでは左右に立ち並ぶ灰色のビル群の影で見えなかった。横に通る道は太く、周辺はオフィス街。店の客はそのオフィス街で働く人が中心。様々な会社の食堂代わりになっているので、かなり店内は広い。そして、学校終わりの時間帯には、リヒュたちのような学生も多く立ち寄っていた。
時刻は夕方になろうかという頃。ピュシスの太陽に比べれば、かなりノロマな速度で第一衛星が沈み、灰色の街を仄かに色づかせている。雲もなく、翳りもなく、平等に、均等に、灰色の人々を照らす、のっぺりとした輝き。機械惑星の空気は、常に惑星コンピューターによって清浄に保たれているので、もたらされる光は鮮明ではあったが、リヒュは透明なドームの上から降り注ぐ光に空虚な感情を抱く。心が渇き、ピュシスの夕日で潤したくなる。
通りには多くの人々と巡回用オートマタが行き交っている。忙しない雑踏をぼんやりと目で追うが、待ち人の姿は見えない。自分が言い出した勉強会なのに遅刻するなんて、とメョコに文句の一つも言ってやりたかったが、ロロシーやプパタンもまだ現れないので、何かあったのかもしれないという心配も頭をもたげていた。
ギーミーミとルルィを横目に見る。メョコと約束した手前、誘いはしたが、来るとは思っていなかった。けれど正直なところ来てくれて非常に助かっている。プパタンは何を考えてるのか分からなくて苦手だ。その弟も呼ぶらしいが、こちらについては完全に初対面。リヒュと違って、二人はこういう場面でも気後れしない性格だし、賑やかしの存在はありがたい。ギーミーミはただ駄弁りに来ただけのようだったが、そのほうが自分にとっては気が楽だった。
しかし、予想外だったのはルルィのこと。誘うと二つ返事で話に乗ってきた。ギーミーミと同じく勉強嫌いだったはずだが、どんな心変わりがあったのか、一心不乱に勉強に集中している。リヒュもルルィを見習って、無為に時間を過ごすのを止めて、冠を操作すると、テスト勉強範囲を確認することにした。
「あっ。プパタン」
ギーミーミの声に、リヒュは視線を向ける。いつも通りのぼさぼさ髪を肩と背中に垂らし、服の裾がはみ出しているだらしない恰好。一人で店に入ってきたプパタンに、ギーミーミが「こっち」と手招きする。
「メョコとロロシーは?」
のそのそとやって来たプパタンにギーミーミが聞くと、ふるふると首が横に振られる。
「そっか。まあ座れよ」
長方形のテーブルの左右に横長のソファが二つ。一方の一番奥にルルィ、その横にリヒュ、反対側の奥にギーミーミが座っていた。プパタンはギーミーミの横に腰を下ろす。ギーミーミが長身なので、小柄なプパタンが更に小さく見える。
「あいつら何してんだ?」
首を捻るギーミーミに、プパタンが「知らない」と返す。
「ちょっと俺、学校のほう見てくるわ」
と、ギーミーミが腰を浮かせようとしたが、隣のプパタンがそっと押しとどめた。
「なんだ?」
プパタンの肩が震えている。かと思えば「く、く、く」と声を漏らした。それから弾かれたように明るく笑いだす。渋面で勉強をしていたルルィもこれには驚いて目を向けた。リヒュとギーミーミも目を丸くする。
店内にはまばらに、いくつかのグループがたむろしており、ざわざわと渦巻く喧騒にプパタンの笑い声は柔らかく呑み込まれていった。
「ふふっ。ははっ……」
なおも、おかしそうにするプパタンが、笑い過ぎて目尻から滲んだ涙を拭う。それから、いつも眠たげな瞳をぱっちりと開いて、口角を上げた。ギーミーミは驚きのあまり、後退って壁に背中を押し付けている。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
ルルィが心配気にプパタンに声をかける。リヒュはこんなに活動的なプパタンを見たことがなかった。無気力に第一衛星をじっと見上げている印象しかない。そんなプパタンがバッと立ち上がると、お化けのようにギーミーミに手を伸ばした。
「な、なんだよ」
ギーミーミが狼狽える。触れそうになる指先に対して「ひっ」と微かな悲鳴を上げた。リヒュは困惑していて、止める理由も思い当たらず、ただ見守るしかできない。
そんな時、「なにしてるの?」と横から声が投げかけられた。振り向くとゴャラームがいる。
ギーミーミが渡りに船とばかりに助けを求めた。
「なんか、プパタンがおかしいんだよ」
そんなギーミーミとプパタンを見比べて、ゴャラームが、ふう、と溜息をつく。
「それ、プパタンじゃないよ」
「えっ?」
ゴャラームの言葉に、全員がその顔を見つめる。すると「なんでバラしちゃうんだよう、ゴャラ」と、プパタンだと思っていた顔はくるくると表情を変えた。
「いや、だってさ」とゴャラームは店の外へ目を向ける。そこには端の方で店内をこっそり覗いているメョコの頭が見えた。傍にはロロシーと、もう一人のプパタンの姿も見える。
「プパタンの弟?」
リヒュが思い当たって尋ねると、うん、と頷きが返ってきた。
「正解。双子の弟のネポネです。同じ学校だけどクラスは別だから、ゴャラ以外は、はじめましてだね。よろしく。ぼくは騙したりなんて、したくなかったのに、メョコさんが皆を驚かせてやろうって、無理やり……」と、泣き真似のような仕草をする。これの準備で遅れていたのか、とリヒュは呆れる。それにしても相当ノリのいい性格らしい。プパタンとは大違いだ。
「もうバレちゃったの? もうちょっと見てたかったのにー」
メョコが店内に入ってきて言う。ロロシーと本物のプパタンの二人もやってきた。
「ごめん。ぼくが教えちゃったんだ」とゴャラーム。
「そっかー。でも面白かった。だってギーミーミがこーんな……」
と、メョコはいたずらっぽく忍び笑いして、驚いて両手を上げて固まっていたギーミーミの真似をする。
「いや、誰だって慌てるだろ。ロロシー止めてくれよ。プパタンもさあ」
「メョコがすごく楽しそうでしたので、わたくしはやらせてあげてもいいかなと。それに、プパタンやネポネ君もいいと言うものですから」
「そんなあ」
ギーミーミが嘆息して、いつも通りのプパタンを見る。リヒュも思わず確認して、相変わらずのぼんやり具合に安心感すら覚えた。
八人が顔を合わせる。メョコの「どうしよっか」の声を皮切りにして皆が、がやがやと話し出すと「店内であんまり騒ぐんじゃないよ!」と、ピッソ婆の声がカウンターから飛んできて「すみませーん」と、全員で平謝りすることになってしまった。