●ぽんぽこ12-19 ドリル
仲間たちとトンネルを掘りながら着実な進攻を続けていたアナホリゴファーガメは、地上でなにか騒ぎが起きているのを感じ取った。
踏み荒らされている。いくつもの蹄。植物が生んだヒツジ、バロメッツの集団が慌てて移動しているのだ。
地鳴りをともなう揺れ。天井から、こまかな土や小石がぱらぱらと落ちてくる。ゴファーガメはドーム型の甲羅をつっぱって、トンネルが崩れないように支える。
「どうしたんだろう」
ハリモグラが尖った鼻先を持ち上げた。
「本拠地とは反対方向に走ってるみたいだ。ゴールを守らなくていいのかな」
と、テンレック。
「アレに似とらんか?」
ゴファーガメの言葉に「アレ?」と、ふたりは首をかしげる。
「ほれ、儂らが水路を掘ったときの」
「たしかに水から逃げるみたいな……」
そんな言葉をハリモグラがこぼした瞬間であった。額に落ちるひとしずくの水。
「えっ!?」
ゴファーガメも雨漏りに気がついた。けれど外は晴れ渡っていたはず。ついさきほど確認したときには、雲ひとつない突き抜けるような夜空に、星たちをひき連れて沈んでいく月がよく見えていた。いまの位置は川からも遠い。
「浸水?」
暗闇のなかに、突如、外気と共に水が流れ込んできた。
崩落。
ちょろちょろと流れていた水は見る間に勢いを増していく。
テンレックがぺろりと水をひとなめして、
「しょっぱい!」
と、跳ね上がった。
小石混じりの土がトンネルになだれ込む。崩壊は止まらない。
ゴファーガメたちが知る由もなかったが、この事態を引き起こしているのはオランダフウロの植物族。その種子。穴を掘れるのは動物だけの特権ではない。穴掘り上手の植物も存在していた。
オランダフウロの種子は細長い螺旋状の形状。そして、水分を帯びると、ぐるぐると回転して、ドリルの如くに穴を掘って自らを地中に埋めるという性質を持っている。
一粒では小さな力。けれど、まき散らされた膨大な数の種子が一斉に穴を掘ることで、森の足元はバラバラに砕かれ、その下に形成されていたトンネルにまで達していた。
では水はどこから、というと、こちらはリコリス、彼岸花の植物族の仕業。オランダフウロのドリルは天然自然の力だが、一方こちらは神聖スキルによる超自然的な力。別の群れのイリエワニが、コストが続く限り無限に淡水を生み出す金毘羅のスキルを有しているが、リコリスが生み出しているのは海水。海の女神リュコリアスのスキルによるもの。
リュコリアスはリコリスの名前の由来である女神。海神オケアノスの娘ドリスと海神ネレウスの子。百名を超えるともいわれるネレイスと呼ばれる姉妹たちのうちのひとり。
スキルによって生み出された海水が、楔のような無数のドリルがうちこまれた土壌に染み込み、広がっていく。
土が泥になって溶けはじめた。
地中が閉鎖されていく。
「ゴファーガメ!」
遠くから声が聞こえた。それは長のエチゴモグラの声。
「御屋形様!」
崩れた天井から顔を出して外を見回す。
「往くぞっ! いまこそ敵の本陣へ攻め入れっ!」
沈みゆく月が照らす森を、まっ白なイヌのような獣が、星に閃めきながら駆けていた。それは雷獣。落雷と共に地に降りると伝えられる獣。千年モグラとも呼ばれる妖怪。ワシのような鋭い五本爪で大地を削り、うねる大樹の根を越えていく。
千年モグラが目指す先には、こんもりとした森。敵の本拠地。その奥で、ゴールを示す光柱が細く暗く輝いているのが、樹々の隙間に遠くかすかに見えている。
「儂らも御屋形様に続くぞ! 道を切り開き、押し通る!」
戦局は大詰め。ゴファーガメも出し惜しみなくスキルを使った。
子供が抱えられるぐらいのサイズでしかなかったリクガメの肉体が巨大に膨らんでいく。岩よりも大きく、樹々よりも大きく、小島ほどの大きさになったそのカメはザラタン。船乗りが島だと間違えて上陸したという逸話が残る巨大ガメ。
巨大ガメの重みでぬかるんだ大地が沈み込んだ。その陰からハリモグラとテンレックが飛び出すと、ザラタンの横を並走してゴールを目指す。エチゴモグラと共に進攻していたホリネズミも、いまは海水で湿った大地をひた走っている。
ザラタンが身じろぎすると、押しのけられた樹々が次々に倒れていった。カメは草食。植物の壁などものともしない。
動きはのろま。けれど、その一歩は巨大。動物ならば軽く避けれる歩みも、動けぬ植物には回避不能の死の先触れに他ならない。阻むものは、引き倒され、へし折られ、大地に池のような足跡が残されていく。
けれど、ザラタンの大足による鉄槌を受けるまでもなく、植物たちの木肌からはおのずと生命力が失われ、次々と枯れていた。
――なんだ?
ザラタンは戸惑う。
蒼白の森。
根は病にうなされ、梢は苦しみにもだえている。
それは、塩害によるものだった。
海水によって、ダメージを受けた植物たちが枯れているのだ。
土壌はもはやマングローブのような一部の塩生植物以外には耐えられない塩分濃度になっていた。
海水のうねりは地中に吸い込まれ、あたりを塩水の湿地と化していく。
無理やり地中から追い出されたものの、邪魔な樹々がいなくなったことで地上の見通しはよくなっている。
エチゴモグラの群れの一行は、敵地の最奥への突入を目指す。
千年モグラは稲光をまとって、まさしく雷獣の名に恥じぬ稲妻の如く鋭い疾駆。
それに続いて薄い水面の上をホリネズミ、ハリモグラ、テンレックが足首を泥で汚しながら進む。さらに後ろにザラタンの巨体。
ザラタンが「テンレック!」と、仲間を呼び寄せた。すぐに駆けつけたテンレックにザラタンが、自分を運ぶように指示を出す。
無茶な指示。かと思えたが、テンレックは二つ返事でザラタンの甲羅の下に潜り込んだ。
ザラタンは山と見まごう大きさ。それに比べればトガリネズミ科のテンレックは小石。けれど、そんな小石が、山をいとも簡単に、ひょい、と持ち上げてしまったではないか。
山を背負ったネズミが走る。ボーリングのボールとなったザラタンが、ピンに見立てた樹々をなぎ倒していく。
テンレックはいま、象頭神ガネーシャの騎獣であるネズミのムシカの神聖スキルを発動させていた。ムシカは小さなネズミでありながら、巨大なゾウの体格の神ガネーシャを運ぶことができる。これは仲間を運搬することに特化したスキル。
海水を蔓延させて以降、敵の動きはない。
このままの勢いを維持できれば、あと数手で王手が宣言できようかという盤面。
ザラタンは勝利はもはやゆるぎないものに感じた。敵が敢行した諸刃の戦術は、焦りからくる早計なもの。地中は正道。しかし邪道も持ち合わせているのが我ら。神聖スキルという邪道をもって、最後のひと押し、まかり通る。
植物たちを乗り越え、さらに乗り越える。
湿地にブルドーザーのような跡が残る。
一歩、半歩、半歩の半歩。
ザラタンの進む速度が落ちていた。
ザラタンを運ぶテンレックの足取りが重くなっているのだ。
「どうした!?」
「毒……」
と、テンレックは力尽きて、そのまま甲羅の下に押しつぶされてしまった。
――毒?
超巨体故に感覚が鈍くなっていたが、ザラタンもたしかに毒に侵されていた。巨大肉体の莫大な体力がじりじりと削られている。
ザラタンは太い煙突のような首を梢の上にまで伸ばした。先を行っていた千年モグラの様子もおかしい。稲妻の走りはそよ風の走りに。
ハリモグラとホリネズミに至っては、テンレックと同様に体力が尽きて息絶えていた。
足元を確認する。海水がたっぷりしみ込んだ湿地帯。その海水がいずる場所を探す。流れを辿り、それを見つけた。
敵本拠地のすこし外側にある、ちいさな丘の上。
そこにいたのはマンチニールの植物族。世界一危険と言われた毒樹。小さな林檎のような毒の果実だけでなく、全身があますところなく猛毒。マンチニールの木陰で雨宿りなどしようものなら、水にとけた樹液によって、強烈な痛みに襲われるという。
リコリスが生み出した海水には、マンチニールの猛毒の樹液がたっぷりとしみ込ませてあった。
オランダフウロが掘り、耕した大地は、リコリスの生み出した海水と、マンチニールの猛毒を吸った結界。それは敵味方の区別なく、植物だけでなく動物たちをも腐らせる、何者をも侵入させない迷宮最後の罠であった。