●ぽんぽこ12-18 植物の怪物たち
瓜の頭をした一本腕、一本足の植物の怪物、山魈が跳躍。伸ばされた太い腕は、六尾を持つ無毛のクマの怪物、イワサラウスの額に突き刺さらんという勢い。
イワサラウスは低く頭を伏せた体勢で敵の攻撃を待ち構える。
棘のような山魈の指が触れるかという一瞬、イワサラウスは六本もある尻尾で流れるように体重を移動させて紙一重で回避。回り込みながら前に踏み出すと、すれ違いざまに山魈の一本足に尻尾を絡みつかせた。そのまま牛車が荷を引くようにして、幹の体を横倒しにして地面に擦りつける。
木靴にも似た一本足を結ぶ靴紐のような尻尾を解くべく、一本腕が伸ばされる。怪力を秘めた大腕。掴まれるまえに、イワサラウスは体を反転。遠心力をつかってジャイアントスイング。山魈の体を放り投げて地面にたたきつけた。
もうもうと土埃が舞う。しかし受け身を取られており、すぐに幹の体は垂直に。ダメージは微小。また一本足に力がこもる。それを見たイワサラウスはじりじりと距離をとりながら、先程と同じ低く伏せた体勢。
同じやり取りが、二度、三度、くり返された。
黒いクマは一陣の風のように、何度も駆けて山魈を転ばせる。妖怪カマイタチのようにじっとりと足を狙う戦法。
イワサラウスは回避に徹して、カウンターによって小さなダメージを与え、体力を着実に掠めとっていく。けれど一回でも失敗すれば大ダメージを覚悟せねばならない。ハイリスク、ローリターン。どうにも効率が悪い方法。
山魈にとってはリスクの低いやり取り。成功するまで続けても別にかまわなかったが、やられっぱなしも面白くなかった。
一本足が地面を蹴る。またくるか、と身構えたイワサラウスだったが、脳天を狙っていると思われた一本腕が、頭よりもずっと手前の地面に打ちつけられた。攻撃を外した、というわけではない。一本腕は大地を掴んで、勢いのまま片手逆立ちの体勢に。それからぐるりと天に向かって上げられた足が、黒いクマへとふり下ろされた。フェイントからの踵落とし。
黒いクマの背中のまんなかを敵の足は捉えている。
虚をつかれて反応が遅れた。どうよけても、完全回避は不可能。
咄嗟の判断で前に。正面にあった瓜頭に、イワサラウスは石頭による頭突きを食らわせる。
背中に植物の踵がつき刺さる。手痛いダメージ。けれど山魈の瓜の頭をなかば砕くことに成功。動物ならばとうに戦闘不能に見える肉体の損傷だが、植物の怪物はなおも動く。
痛み分けではない。体力の減りはイワサラウスのほうが多い。
黒いクマはおよび腰になりはじめる。
樹上に目を向ける。逃げるなら上。けれど敵との距離が近すぎる。ネコ科のように一瞬で樹の上に飛び乗るなんて芸当はできない。登ろうという気配を見せた途端に、山魈は背中に飛びかかってくるだろう。
川には目もくれない。川からはさらに離れていく。
イワサラウスは今の自分の役割を、敵を川に近づけないこと、だと考えていた。
水をなめて、それから飛び込んで確信した。流れの感触も、においも、音も、はねる飛沫すらあったが、あれは川ではない。川の属性を持たない幻の川。そして足裏に感じた振動。あそこに仲間がいるのだ。貉のスキルを使うアナグマと、その仲間たちが、まさにいま、川沿いの地中を進んでいるに違いない。急速な進攻の影響による地上の変化や、掘削音などを幻の川で隠しているのだ。
まだ逃げることはできない。つかず離れずで敵を引きつけなければ。
ここで逃げて、もしも山魈がこちらを見失ったとすれば、近くにある川のほうを探すかもしれない。確実な陽動を。もとより陽動がシロクマの役割だった。
後退。後退。さらに後退。樹々が形作る迷宮のなか、山魈の攻撃に押されるように下がっていく。けれどこちらの戦意は主張して、戦う気概を見せながら、相手の意識を引きつけ続ける。
川音が薄れてきた。梢の音に上書きされて、ざわざわと風に躍る騒がしい葉擦れが高まってくる。
背後から、風が吹いてきた。追い風。無毛の皮膚に、冷たい空気がぴりぴりと突き刺さる。冷気を払うように、六本の尻尾をぴしゃりと打ちつけると、草原がある感触。開けた場所にきたらしい。藪を風がなでる音がする。
正面から視線は外せない。山魈の攻撃は山椒のスパイスのように鋭く、かすかであっても隙を見せることはできない。
――そろそろ潮時かも。
イワサラウスは尻尾で背後を探りながら、考える。
時間をかければ倒せるかもしれないが、そろそろ集中力の限界。精密な回避行動が求められ続けるこの状況に、肉体ではなく精神に疲労がたまっている。
背後の藪に飛び込んで逃げるようか。藪のなかなら敵もこちらを見失うだろう。追いつかれるまでにすこしでも時間が稼げれば、そこから樹上へ登るなり、地中へ隠れるなりができる。
イワサラウスはじっと山魈を観察してその呼吸を読む。相手は植物。動物のような呼吸はしていないが、体を動かすリズムがある。一本腕が揺れ、止まる。一本足が跳ねて、着地。瓜頭が傾く。押す、引く、そのリズム。
敵が引いた瞬間、イワサラウスは即座に反転。六本の尻尾を支点にして、コマのような急回転。弾かれるように走り出す。急加速を六尾によって制御して、推進力をあますところなく利用する。
藪に黒いクマが頭を突っ込んだ。
予定通り、のはずであった。
そこはたしかに開けた藪。
しかし、ただの藪ではない。笹藪だった。
目の前の敵に意識をさきすぎていたのだ。
音やにおいで気がつくべきだった。
足を踏み入れた瞬間の音、におい、そして鋭利な笹の葉の感触に背筋が凍る。
ふりそそいだ星の光が、ぼんやりと輝きながら白い隈取りのある笹の葉の茂みに溜まっている。
クマザサの植物族の気配。
遭遇してからいまこのときまで、遅々とした植物の歩みながらも、ずっと追いかけてきていたらしい。
牙の野原。
イワサラウスの足元から、反り返った巨大なイノシシの牙が生えてきた。
笹を背負った大イノシシ。猪笹王の牙。
飛びのく。しかし、現出した猪笹王はすぐに突進して向かってくる。
イワサラウスは頭突きを放って額と額を突き合わせると、猪笹王の突進の勢いをわずかに削いで、双牙を両腕で押さえつけた。猪笹王の足が止まった、が、それはイワサラウスの足を止められたということでもあった。
もう一体の敵がいることを忘れてはならない。後ろで山魈が跳ねる音。六尾を放射状に広げて盾にしようとする。けれど、それは植物の剛腕によって横に薙がれ、そのまま一本足を軸にした回転により、ラリアットが放たれた。
イワサラウスがそれを避ける術はなかった。強靭な腕が風を切る音が耳の奥にこだましたのと同時に、頭が激しく揺さぶられる。
側面から頭部への強烈な一撃。体勢を崩すとすぐにイノシシの牙が腹部を刺し貫いてきた。イワサラウスの岩の如き固い皮膚に対して、植物の怪物たちは、苦もなく防御の上から体力を削りとってくる。
ここでは生態系のピラミッドは逆三角形に反転していた。肉食動物は最低点。上辺に居座るのは植物。
「ひとりでよくがんばったよ」
称賛の響き。そんな山魈の声に慰められながら、スキルが切れて漆黒のクマから純白のクマに戻ったシロクマは、役割は遂行できたはず、と自分を励ました。
貉の作った幻影からは十分に離れた。遠目には絶対にそれが幻影だとは分からないぐらいに精密な川のデータ。近くに寄られても、身を浸したりされなければ、まだ大丈夫。あるいはそういった神聖スキルが存在するという知識がなければ、それでも気がつかないかもしれない。
あとは、仲間に希望を託すのみ。自分が倒れても、仲間が進んでくれる。そんな戦いに喜びを覚えた。
攻略側に必要なチャンスは一度でいい。たったひとりがゴールに辿り着き、光柱がある地面に触れさえすれば勝利なのだ。たったひとりを生かすために、その他すべてが犠牲になってもかまわない。勝利が掴めさえすれば。
――あとは頼んだ。
体力が尽きた肉体はクマザサの笹藪に呑み込まれる。
――笹のいい香りがする。
死体となって感覚が薄れる直前に、シロクマはそんなことを思った。