●ぽんぽこ12-14 化かし合い
ハンノキの林。そこに存在するすべてのハンノキの樹は、たったひとりのプレイヤーの肉体。
植物族のプレイヤーは複数の肉体のうち、ひとつを選んで操作するという集団生命。動物の肉体とはなにもかも勝手が違う。
アナグマを追うハンノキは伸びた枝から果実を落とす。ハンノキはカバノキ科。マツ科ではないが、その果実は松ぼっくりにそっくり。いくぶんか小さいその松ぼっくりは大地に落ちると、地面に沈み、新たなハンノキの肉体を生み出す。
生まれた肉体に操作を切り替えて、アナグマの先回りをする。アナグマは貉のスキルで生み出した幻影の川に沿って走っているので、その行く先は分かりやすい。簡単に回り込める。動物が足を踏み出す代わりに、植物族は命を増やす。それが植物にとっての移動。ウォーキング・パームやクリーピング・デビルのように、単一個体が自力で移動する植物もいるにはいるが、それはごくごく少数の話。
待ち受ける懐に、にミミズトカゲを咥えたアナグマが飛び込んでくる。
ハンノキが使うアールキングの神聖スキルは、操作している肉体を中心として、それほど広くない範囲に効果をまき散らす。効果を途切れさせないためにも、常に敵に寄り添い続けなければならない。
「顔のない坊や」
弱っている様子のミミズトカゲを先に仕留めるべく、装備しているスピーカーを鳴らす。アールキングのスキルの影響下では恐怖がダメージとなり、体力を削る。恐怖をかきたてるような風のうなりにも似た響き。
「黄金の花輪で坊やの頭を飾ってあげよう。さあ、おいで」
心の隙間に入り込んでくるような、やさしげで、しかし、とげとげしさもある、しわがれた声。
「魔王がごちゃごちゃ言ってくる。広い。広いのは怖いんだ。地中に戻りたい」
地上恐怖症のミミズトカゲがうめく。
「怖がらないで。大丈夫。枯れ葉が風に鳴っている音だと思えばいいから。怖かったらぼくの毛皮に頭を突っ込んでおけばいい。口のなかに入ってもいいよ」
アナグマがミミズトカゲの体を噛みしめて、震えをおさえさせる。
「ねえ坊や。一緒に踊りましょうよ。夜の踊りを。歌って踊って、あなたを寝かしつけてあげますよ」
「暗がりに魔王がいるみたいだ。正面で待ち構えてる。止まった方が……」
「弱気にならないで。ただの古木だ。走り抜ければおしまいだよ」
ミミズトカゲの体力の減りが、わずかに加速したものの、なかなかゼロにはならない。アナグマが折れそうになる心を支える芯となっている。
しぶといやつら、と思っていたハンノキは、アナグマが林の外に向かって、迷いなく進んでいることに気がついた。
アールキングのスキルの効果で風景が歪み、その足取りは曲がってしまうはず。
――川か。
貉が生み出した幻覚。川の蜃気楼はまっすぐに伸びている。これを道しるべにしているのだ。幻覚同士は干渉しない。アールキングのスキルによって、いくら風景を曲げたとしても、貉のスキルが生み出した川は影響を受けずに、淀みなく流れている。
なかなかしたたかな作戦にハンノキは感心して、存在しない舌を巻いた。
風向きから方角を確認。この先には渓谷を縁取る切り立った壁があるはず。縄張りを横切る川からちょうど反対方向だ。逃げ場はない。ゆっくりと追い詰めればいいだろう。
「かわいい坊や。顔のない坊や。あなたが承知しないなら、無理にでも攫っていきますよ。星のしずくが落ちる場所で、吹き抜ける夜風をゆりかごにして、一緒に。さあ、一緒に」
「声が引っ張ってくるみたいだ」
ミミズトカゲは言いながら、ミミズに酷似した顔に不釣り合いのぎざぎざとした鋭いトカゲの牙を剥き出した。アナグマの首のあたりに噛みつく。仲間同士なのでダメージはない。けれど、アナグマは顎に込められた力の強さにゾッとした。ミミズトカゲの感じている恐怖が牙を通して、しみ込んでくるようだった。
速度を上げる。貉の俊足。川の幻影のなかを、まっすぐに、まっすぐに。
ハンノキは追いかける。絶えずその耳元から恐怖を注ぎ込む。
幻の川幅が大きくなっていく。もはや大河と呼べる規模の川。水のグラフィックのなかにアナグマの姿は隠されてしまう。ごうごうと流れる音も再現されている。しかし、そんな目くらましでハンノキがアナグマを見失うことはなければ、水音で声がかきけされるということもなかった。
「顔のない坊や。こっちにおいで」
ミミズトカゲが身を縮める。
風が梢を鳴らし、星明りがおどろおどろしい影を描いた。
「顔のない坊や」
呼びかける。加速する走りにロープのような体がふり回されて、幻覚の川面から見え隠れしている。
「顔のない坊や」
何度目かの呼びかけに、アナグマが立ち止まった。
声がする方向、ハンノキの樹をふり返る。
「呼んだ?」
ミミズトカゲを咥える顔。けれどそこに口はない。ミミズトカゲのように目や耳が退化しているのとは違う。目も、耳も、鼻も、存在しない。完全なるのっぺらぼう。
ハンノキはぎょっとして、声を失った。アナグマは顔のない顔で、たしかににんまりと笑った。それから再び自身が作り出している幻の川のなかに潜り込むと、魚のように高くはねて、水音も高らかに川面に飛び込み泳ぎはじめた。
一瞬のあいだ放心していたハンノキは、気を取り直して実を落とす。アナグマは川を泳いで離れていく。幻の川を泳げるわけがない。泳いでいるまねをしているだけだろう。果実は大地で芽吹き、プレイヤーを前に運ぶ。けれど、その実はプレイヤーを置いて、すごい速さで走っていた。
川に沿って実が移動する。本物の川に流されているように。
水がかき混ぜられる音。ばしゃり、ばしゃり、アナグマが泳ぐ。
そこには本物の川があった。幻覚の川のグラフィックの下に、本物の川が隠されていたのだ。
ハンノキは混乱する。川の方角とは逆方向に進んでいたはず。植物族の感覚でもって、たしかに方向を確認した。
――幻覚の幻覚か?
疑心暗鬼が止まらない。種は流される。前に進めない。ハンノキに川を越える手段はない。突然の突風でも吹いて、種を運んでくれない限り。けれど運悪く、いまは無風。ときおり思い出したように揺らいだ風も、逆風であった。
立ち往生。そのあいだにもアナグマは離れていく。本物の川を泳いで。
幅の広い川を泳ぎ切って、向こう岸にたどり着いたアナグマはおおきく身震いして水をはらった。
夜空を見上げる。
不均一な星空。浮かぶのはたったひとつの月。幻覚はもうない。アールキングの魔の手から、見事に逃れたのだ。
ミミズトカゲを地面に置き、川を挟んだ向こう側にいるハンノキに目を向ける。
「方向感覚を狂わせられるのは、そっちだけじゃないんだよ」
貉という妖怪は、おおきく分けてみっつの化かす技を持つと言われる。ひとつは道などを深い川のように思わせること。ふたつは肥溜めを風呂に思わせたりすること。最後は方向感覚を失わせるというもの。それからのっぺらぼうの正体も、貉だという噂。
「やりますね」と、ハンノキが川の向こうから、川音を越えて称賛。
「ありがとう」
アナグマが会釈して、
「また化かし合いをして遊ぼう。今度は試合じゃないときに」
「いつでも」
アナグマは立ち去ろうとして、ふと、
「そういえば、タヌキとキツネって知らない? いそうなものだけれど、見つからないんだよなあ。化け比べしてみたいってずっと思ってるんだ」
「タヌキなら、フクロウの群れにいると、聞いたことがあります。ずっと昔の話ですが」
「そう言えばピュシス会議のとき、あのひとぼくを見てタヌキって言ってたなあ。今度会ったら聞いてみるよ」
「それがいいでしょう」
「うん。じゃあね」
「また」
なごやかな幕切れ。食い、食われるような関係ではないからか、お互いにさほど敵愾心というものはなかった。
「ミミズトカゲ。行こう」
足元でのびている仲間に話しかける。が、身じろぎしない。
もしかして、と思ったアナグマは、細長い体を激しく揺さぶる。
「ちょっと。大丈夫? まさか……」
と、最悪の事態を想定しかけたとき、ぴゅーっ、とミミズトカゲの口から水が噴き出てきた。
「うえ。水を飲んじまった」
「ごめん。急いで泳いでたから」
「いいんだ」と、水を完全に吐き出して、「網を抜けたんだな?」
「月は真上にひとつ。星も見える。でも方角は微妙かな。渓谷の崖が張り出してるから空の見通しが悪い」
「川まできたんだ。しばらくは下流に向かって流れに沿って進もう」
「それもそうだね」
さっそくミミズトカゲが地中へと向かう。頭を地面にさし込むと、安堵の溜息が聞こえた。
アナグマはその隣から穴を広げながら、
「なんで広いところが苦手なの?」
「お前、宇宙空間に放り出されたことあるか?」
「ないけど」
「宇宙ってのはな、広いんだ。とてつもなく広い。人間には広すぎる場所なんだ。それがたまらなく怖ろしかった。それからさ。狭い箱に詰まっていることに、安心を覚えるようになったのは。地中のなかに埋まるのが、結局は一番の安楽なのさ。地球では死者を土に埋めたらしいが、そういう配慮からだとおれは思うね」
「ふうん」
アナグマは、考えすぎだよ、と言おうとしてやめた。無言で穴を広げていくと、地中にすっぽり体をおさめる。穴の上は土で塞いでから、さらに川の幻覚で蓋をして隠した。本物の川がそばにあるので、幻覚はより強い現実感を伴う。川と川が重なって、川幅がすこし広くなったという具合。
「しかし、ウッドチャックがいないのはかなり痛手だな。穴掘りの効率がけっこう落ちる」
「幻覚じゃお腹は膨れないし、穴も掘れないからね」
言いながらアナグマはせかせかと四肢を動かす。
ミミズトカゲはしばらく土に頭を突っ込んでなにやら考えている様子だったが、しばらくすると、
「ちょっとだけ、強引に掘り進むか」
「さっき接敵したばかりで、位置も知られちゃってるからね。急いだほうがいいかもしれない」
「そうだろ? 川の幻を激しめにしといてくれ。カモフラージュになるように」
やにわにミミズトカゲの体が太くがっしりとして、表皮に固そうな鱗が現れた。アナグマの体長ほどの幅がある胴体。地面の下でとぐろを巻くように穴を押し広げていく。
神聖スキルによってミミズトカゲが変貌した姿は、ワームと呼ばれるヘビのような体のドラゴンの一種。そのなかでもラムトンのワームという、口の横に九つの孔が開いている怪物。
「ちょっと揺れるぞ」
ワームが地中を勢いよく掘り進めていく。
「川を掘り抜かないでね。浸水しちゃかなわないよ」
「井戸にならないように気をつけるよ」
幻をまとったふたりは川の流れに沿って進んでいく。ワームが起こすわずかな揺れは、川の流れにとろけるように同化して、それほど目立つこともなかった。
連絡役のウシツツキがいないので、細かい戦況を知ることはできない。
けれど、モグラの群れは各々が自己判断で戦えるようにと、長にしかと言いつけられている。
正しい判断を。正しい攻め入り方を。
アナグマは考え、副長として恥じない戦いをしよう、と胸に秘めると、静かに、密やかに、幻をまとって、敵陣の奥深くへと、ワームがつくった地中の道をたどって勇敢に突き進んでいった。