●ぽんぽこ12-12 ハンノキの王
地中から進攻するアナグマ、ウッドチャックそれからミミズトカゲのパーティ。
敵に気づかれることなく、いくつかの拠点をかすめとるように踏破して、順調に進んでいるかと思われたその道中。
「……あ」
突然ミミズトカゲが声を上げると、
「うわっ!」
四肢のない明褐色のつややかな体が逆走して向きを変えた。
「どうしたの?」
あばれる仲間をアナグマが押さえつける。けれど、ミミズトカゲはにゅるりと手から滑り出て、天井に頭を突き刺すと、地上への穴を掘りはじめた。
「そっちは上だよ」
重力だけが唯一の上下の指標になっている地中。アナグマはミミズトカゲの尻尾に噛みついて、いかせまいと引っ張る。
しかしその隣で、ウッドチャックが「大変!」と、手足をばたつかせて、ミミズトカゲと同じように地上に向かってトンネルを掘りはじめた。
「なにが……?」
と、混乱するアナグマの耳の奥に、水音がとどろきはじめた。泥や石が入り混じって、樹々の間を濁流が抜ける音だ。振動。湿り気が濃くなる。このままでは間違いなく地中は浸水し、水没は免れない。
――急いで外に脱出しないと。
一気に思考が一色に染まる。アナグマも仲間たちの狂乱に加わって、あわてて地上を目指しはじめた。
長くて硬い前足の爪を使って、土をどけていく。ウッドチャックとふたりがかりで、あっという間に地上へのトンネルは開通し、眩い星明りが瞳のなかに飛び込んできた。
うち上げられた魚のように一斉に息を吸い込む。
三頭は顔を見合わせて、それから周囲の様子を確認した。
あれほど鮮明だった水の気配はどこにもない。川のにおいはするが、ずっとずっと遠く離れた場所からだ。
まったく同じ樹形をした樹が延々と樹列になった林。田植えされたみたいな等間隔のハンノキが小高く夜空に伸びている。
遠くは霧がけぶっているようで、朧に霞んでいてよく見えない。見渡す限りハンノキの林。そのハンノキは植物族。敵だ。
急いで身を隠すべく、地中に戻る。しかし、慌てて天井を掘ったので、穴はすっかり土でちらかり、埋まってしまっていた。かろうじて残されていたお椀型のちいさなくぼみに三頭は身を寄せ合う。
「水は?」と、ミミズトカゲ。
「ないみたい」
ウッドチャックが尻尾を支えに両足で立って、くぼみの縁から外を探る。
「危なかったね」
アナグマは息をつく。
「地下水脈でもあったのか? 水が横から噴き出してくるなんてな」
そう言うミミズトカゲに、ウッドチャックが、
「下から湧き上がってこなかった?」
対してアナグマは、
「水の気配はあったけど……」
三者の言葉はすれ違っており、どうにも噛み合っていない。
「そもそも濡れてないよ」
掘り返した地面をアナグマが触る。湿気はない。ウッドチャックも同じようにして、それから自分の足元の毛衣が渇いていることを確認した。
「おかしいな」
「変だね」
鼻先を突き合わせているアナグマとウッドチャックの横で、ミミズトカゲが地中に細い穴をあけながら、うめくようにささやいた。
「やばいぞ。方向を見失った」
来た道を埋めながら進んでいたので、アナグマたちがつくったトンネルは線ではなく移動する点。点に方向はない。土を外に排出しない方法は敵に察知されにくくなるメリットはあるが、こういった場合に方向が分からなくなったり、退路がないといったデメリットもある。
アナグマたちはデメリットを承知で、気をつけながら進んでいたのだが、一連の騒動ですっかり失念してしまっていた。
しかもすぐ近くには、運悪く敵の植物族であるハンノキもいる。こちらに気がついているのかいないのか。浅い割れ目が縦に走る暗灰褐色の樹皮からは、なんの表情も読み取れない。
「バレちゃったかな」
ウッドチャックが首をすくめる。
「そう思って行動したほうがいいね」と、アナグマ。
ミミズトカゲはからりとした態度で、
「そのときはそのとき。出たとこ勝負だ」
「とにかく一刻も早くここを離れるべきだと思う」アナグマは星空を見上げて、
「月の位置で方角がわからないかな」
「月……」
ウッドチャックは顔をしかめて、こわごわと細めた目で空を仰ぐ。
目と耳が退化しているミミズトカゲは、方角を確かめるのはふたりに任せて、足元の穴を復元する作業にあたることにした。
月はちょうどてっぺんにあった。真上。これでは西も東も分からない。
ならばとアナグマは星の位置を探る。北極星が見つかれば、そこから方角を知ることができる。眼を天体望遠鏡のようにしてゆっくりと動かしていたアナグマに、隣のウッドチャックが、ぽつり、と言った。
「わたし星とか月って苦手。隕石恐怖症なの」
「そうなんだ」
「第二衛星の表面が剥離して、機械惑星に落下した事件、知ってる?」
「稀にあるらしいね」
「あれって隕石が原因なんだって。数えきれないほど大量の隕石が、宇宙にはうようよしているのよ。第二衛星にダメージを与えるぐらいの規模のやつもそのなかにはある」
「ふうん」
やや上の空の返事。天には星が満ちて、どれもこれもちらちらと主張してくる。
北極星は見つからない。
「わたしのいとこがさ。隕石に当たって怪我したのよ。それを聞いてから、なんだかずっと怖いの。宇宙から、無差別に誰かを狙う銃弾が飛んできているんだって思ってしまって」
「考えすぎじゃないの。人的被害が出るぐらいの隕石はちゃんと事前に軌道計算されてるし、第三衛星が撃ち落としてるから、よっぽど運が悪くないと、そんなこと起きないよ」
「逆に考えれば、よっぽど運が悪かったら、起きるってことでしょ」
「だから考えすぎだってば」
「でも気になるのよね」
そんな会話をしていると、にわかに視界がぼやけてきた。
夜空のパレットに水が注ぎ込まれたように星が揺れる。
目を凝らす。
点描画になりかけた空が、写実的な彩を取り戻す。
見えてきたのは異常な星空。
その星空は均一すぎた。碁盤の目のごとくに、等間隔に星が置かれている。さらにおかしなことには、月がひとつではなかった。いくつもの月が、これまた等間隔に、尖った両端を空で傾げている。
ウッドチャックが声にならない叫びを上げて、頭を抱えるようにして地面にうずくまった。
アナグマは夜空をつぶさに観察する。
「これって、もしかして……、幻覚?」
隣でウッドチャックがすっくと立ち上がった。どこか放心したような顔つき。
「声が聞こえる……」
くぼみの外へと歩き出す。
「どこにいくの」
ひそめた声で呼び止めて、捕まえようとしたが、手が届く前にリス科の体はぴょんと跳ねて、草むらに分け入って走り出してしまった。草むらは、このハンノキの林や、星空と同じぐらいに均一な密度。
追いかけようとしたアナグマの足に、ミミズトカゲが「行くな」と、絡みつく。
「妙だ」
「それは分かってるよ。幻のなかにいるみたい」
「ハンノキの王、というやつかもしれない」
「へえ? なんなのそれは」
「魔王だ。シュバルツバルトのアールキング。迷い子を幻惑して、破滅させる精霊の王」
「その神聖スキルってこと?」
「たぶん、そんなところだろう」
「面白そう」
「面白いもんか」
「化かし合いって一回してみたかったんだ」
神聖スキルがピュシスに実装されたとき、そんな遊びをしてみたくて、タヌキやキツネのプレイヤーがいないか探してみたが、いるんだかいないんだかといったあいまいな噂しか聞かなかった。
「うろつかずに地中に戻ったほうがいい」
「でも……」
視線でウッドチャックを追いかける。霧が出ている。もうすぐにでも見えなくなってしまう。
「スキルで攻撃されてるってことは、いまさら隠れても無駄だよ。この林を突っ切ろう」
「いや。地中に戻るべきだ。できるだけ急いで」
「それって、ミミズトカゲが地上恐怖症だから言ってるわけじゃないよね」
仲間のあいだでは有名な話。というより本人が地上に連れ出されるのを嫌って公言すらしている。地上恐怖症もしくは広場恐怖症。開放された空間が苦手らしい。
「……それもある。とにかくおれは地中にいるから」
足元を掘りはじめる。
「あれ? 掘れないな?」
「掘れてるよ」
ミミズトカゲの頭は地中に突き刺さっている。頭を追いかけて、胴体もずるずると地面に呑み込まれていた。
「掘れない」
焦りの声。アナグマから見れば地面はたしかに掘れているのだが、ミミズトカゲには掘れていないように感じるらしい。
「掘れてるってば」
アナグマが教えるが、
「掘れてない」
と、返ってくる。地中を掘り抜く速度が加速する。アナグマはいやな予感に、ミミズトカゲの尻尾に噛みついて、穴のなかから引っ張り出した。
「掘れない」
と、まだミミズトカゲはくり返している。焦燥。疲労。それらが滲む。
「ここはなんだ。広くて……、空の上みたいな……」
「しっかりして。幻覚だよ。スキルの効果だ。これはゲーム。ある意味では究極の閉鎖空間さ」
言いながら、アナグマはミミズトカゲを咥えたまま、ウッドチャックを追って、ハンノキの林のなかを走りはじめた。