●ぽんぽこ4-5 最強のプレイヤー
オアシスのバザーで店を構える林檎の植物族の周りにはいつも多くのプレイヤーが群がっている。ピュシスで一番の人気者。その果実の味わいに皆が魅了されていた。どの群れにも所属していないソロプレイヤーだが、林檎の果実の売り上げだけで消滅せずに済むだけの十分な命力を稼ぎ出している。
ログインしている時間の多くをオアシスの一角に根を下ろして過ごしているが、時折散歩に出かけたり、敵性NPCの強襲があって逃げなくてはならないような時は、群れの垣根を越えた常連客たちが周りを固めて守り抜くするという愛され具合であった。
ライオン、その背に乗るオポッサムに化けたタヌキ、そしてブチハイエナの三頭がオアシスに到着した時には、林檎の植物族から果実を購入したい客たちで行列ができていた。
ライオンが長蛇の列に並ぼうとすると、驚いた数名のプレイヤーが道を開ける。
「おいおい。俺様は横入りが嫌いなんだ。きちんと順番を待つから、お前らも行儀よく並べ」
列を離れそうになっていたプレイヤーがそれを聞いて、おずおずと戻ってくる。ライオンが度々林檎を買いにくることを知っている常連仲間のヤブノウサギが買い物帰りに声をかけてきて、
「今日は特に美味しいよ」
と、ライオンに目配せをした。
「お前さんいつも同じようなことを言うじゃねえか」
「美味しさの最大値を常に更新してるのさ。怖ろしい子だよ全く」
うっとりと感慨深い溜息をついたノウサギを、うっとおしそうにライオンは鼻先で追い払う。
「違いの分からない奴はいやだねえ」と、こぼしながらノウサギが立ち去ろうと体を後ろに向けたが、その瞬間、ピンと耳を立たせたまま凍り付き、驚愕で目を見開いた。
雲が通りがかったのかとオポッサムは思った。ライオンと、ブチハイエナが振り返る。そこには、今まで目にしたことがない程に巨大な動物が鎮座していた。
「我」と、その巨大な動物が野太い声をスピーカーから響かせた。
「最強なり。されど、未だ証明に至らず。何卒、手合わせ願い奉りたく……」
蛇のように長い鼻が伸ばされ、握手を求めるようにライオンの目の前に差し出される。弧を描いて天を衝く牙が太陽の光でつやめき、翼のような耳が荒々しく羽ばたく。四肢は丸太の如き太さ。一本一本の足がライオンの胴体ほどもある。尻尾ひとつですらオポッサムの体長の三倍ほどはあった。
アフリカゾウ。陸生動物全体で、最も大きな体を持つ種。超重量級のシロサイの二倍以上の体重。ライオンと比較するならば、三十倍以上の重量差。ピュシスには存在しない恐竜のティラノサウルスと同等の重さという、まさしく規格外の体の持ち主。
噂に聞く、最強と名高い流浪のソロプレイヤー。その凄まじい威圧感に、オポッサムはライオンの背から転げ落ちた。
スピーカーの設定や口調で、ピュシスでのいわゆる身バレを防止しようとするのは、よくあることではあったが、それにしても妙な喋り方をする奴だ、とライオンは思った。差し出された長い鼻を見つめる。周囲のプレイヤーたちは、今この場で最強プレイヤー決定戦が行われるのではないかと、期待と好奇に目を光らせ、耳を尖らせ、尻尾をぶんぶんと振り回した。
「困りますねえ」
ブチハイエナがゾウの鼻を体で押しのけてライオンの前に立つ。
「群れ戦でもない状況でぶつかっても、ダメージはありませんし重量勝負になるだけですよ。二本の棒を寄りかけるようなもの。重い方が押し勝つ。それが自然の摂理というものです。これではそちらに有利すぎる条件。公平性に欠けるように思えますが、どうでしょうか」
周りを取り囲む野次馬の誰かが「逃げるのかよライオン!」と叫んだが、ライオンもブチハイエナも涼し気に受け流して相手にはしない。
「尤もなご意見なれど、ここで出会えた僥倖、天の采配と我、信じるものなり。一騎打ちを切に望む故なれば」
とにかくゾウはやる気のようだった。「ぱおーん」と嘶くと、前足で大地をかいて、助走をつけようとするような動作を行う。
「やれー! やれー! ライオンをぶっ潰せ!」と先程の野次と同じ声が騒ぎ立てる。オポッサムは声の主を探したが、かなりの動植物が集まってきていて、その姿を確認することはできなかった。
ゾウが力を込めて地を踏みしめると、激しい砂埃が巻き上がった。向かってこられるとライオンも相手せざるをえない。ヒラリと躱して側面に回り込む。しかし攻撃はしない。牙を交えるつもりはなかった。
「おいおいライオンが逃げ腰だぜ!」また同じ誰かが叫ぶ。オポッサムは腹が立ってしまって、周りに群がる動物たちの蹄の林を駆け抜けて、声のする方へ向かった。
ゾウが振り向きざまに鼻で足元を薙ぎ払う。ゾウの鼻は人間の全身の筋肉を合わせた百五十倍以上の筋肉の塊。凄まじい力を持つ。更にリーチも長いという凶悪な武器であった。ライオンはそれを縄跳びの要領で避けて、距離を取った状態で素早く背面に回る。身軽さで言えばライオンが遥かに上。ゾウは何とかライオンを捉えようとするが、なかなかうまくいかず、これでは勝負になりそうになかった。
ライオンが本気で走ればゾウを振り切ることは可能。しかし、この状況で逃げ出すような行動をとるのは躊躇われた。
「威張り散らしてるライオンも、ゾウ相手じゃネズミみたいにちっぽけだなあ!」そんな野次が飛んだ時、
「ちょっとあなた。齧歯類を馬鹿にするんですかっ!」という怒声と、「うわっ」という悲鳴が聞こえた。
オポッサムがやっと野次の出所に到着したときにはブラックバックがカピバラにのしかかられていた。「どけよっ!」とブラックバックのスピーカーから発せられる声は、先程まで野次を飛ばしていたものと同一。トムソンガゼルとよく似ている草食動物だが、その毛衣は黒っぽい。そして角はまっすぐではなくぐねぐねと捻じ曲がって螺旋を描いていた。美しいが禍々しさも感じる姿。だが今は太った齧歯類に水かきのついた足で取り押さえられ、じたばたと砂で毛衣を汚している。
カピバラは齧歯類のなかではもっとも大きい。ブラックバックと同等の体長で、体重はそれを上回る。ブラックバックは起き上がることもできず、首を捻じって脱出を図るが、地面を角で擦って、幾本もの筋を描くだけの結果に終わる。
「齧歯類は素晴らしいと言いなさいっ!」
カピバラがものすごい剣幕で迫る。「バウッ、バウッ」という鳴き声も同時に口から発せられている。
「齧歯類は、素晴らしい……ですぅ……」
観念したようにブラックバックが言うと、やっと拘束から解放された。
「そうでしょう。これからはネズミを舐めちゃいけませんよ」カピバラがにこやかに頷いた。起き上がろうとするブラックバックの首元に、カピバラが鼻の上にあるモリージョというコブを押し付ける。そこから出るマーキング用の分泌液を塗りたくられるものの口答えはできず、ブラックバックはすっかり意気消沈してしまった。
この騒動でオポッサムの怒りもすっかりしぼんでしまう。ライオンたちに目を戻すと、まだ不毛な追いかけっこが続けられていた。地面はゾウの大きな足跡でえぐられ、立ち込める砂煙も激しさを増している。美しいオアシスの風景に靄がかかったようになって、立ち並ぶ樹々も半ば砂に埋もれてしまっていた。
「こらーっ!」
甘ったるい叫び声がオアシスに響いた。ライオンとゾウの間にコロコロと一個の林檎が転がってくる。それは見る間に成木に成長し、枝を伸ばして青々とした葉を広げた。そして、その幹にはスピーカーが装備されていた。
「ケンカをいますぐに止めて! 林檎ちゃんの言うことを聞きなさーい!」
林檎の植物族が二頭に呼びかける。ライオンは足を止めたが、超重量のゾウの突進は止まらなかった。目の前に現れた林檎の樹に衝突。群れ戦外なのでダメージはないが、凄まじい力で押された林檎の樹は根っこごと地面から引っこ抜かれて、横倒しになってしまう。はずみで葉っぱが舞い散って、林檎の香りがぶわりと周囲に広がった。
思わぬ闖入者との衝突に、ゾウがやっと動きを止めると、すぐ近くからもう一本、林檎の樹が生えてくる。スピーカーがそちらに瞬時に移動した。
「な、な、なにすんのよ! 林檎ちゃんの樹を引っこ抜くなんて!」
見物していたプレイヤーたちからもブーイングが巻き起こる。いずれも林檎の常連客たち。
「ひどいぞ!」
「林檎ちゃんの柔木肌になんてことを……!」
照明灯を装備して、ピカピカと輝かせて非難をはじめる者も現れる。ゾウは今更ながら大騒動になっていることに気がついて、困惑しきりというように周囲を見回す。そうして弱り切った態度で、
「これは大変面目なく……、誠の心より、お詫び申し上げる。我、猛省する故に、どうかご容赦を……」
と、前肢を曲げてお辞儀するようにして、降参する人間が手のひらを見せるように、林檎の幹の前に長い鼻を伸ばした。「ぷおー」と悲し気な鳴き声が添えられると、鼻の先に林檎の果実がひとつ落とされる。
「いいわ。許してあげる。もう暴れちゃだめよ。ここはみんなで使う場所なんだから。わがままはいけないの」
諭すように言われると、ゾウは更に深々と頭を下げて、渡された林檎を口に放り込んだ。むしゃむしゃと噛み潰して、そのジューシーな味わいに驚いたように目を見開く。
「ライオンちゃんにも謝っておきなさい」
もう一個、林檎の果実が落とされると、ゾウはまたそれを味わい、従順な態度でライオンの前に進み出た。
「配慮の欠ける、行動であったこと、認める」
そう言ってから「……されど、近く、再び相まみえんことを、我、深く願うものなり」と続けると、ずしん、ずしん、と地面を揺らしながら歩み去っていった。取り囲んでいたプレイヤーたちは道を開け、ぽかんと口を開けながら、近くを通るその巨体を畏怖と共に見上げた。
「ライオンちゃんも大変ね」
林檎の植物族が言って「サービス」と林檎を三つプレゼントしてくれた。三つの林檎がたてがみの上にふわりと乗っかる。
「ありがとよ。助かった」
ライオンは立てた尻尾をくるりと丸めると、それを振って感謝の意を示した。
オアシスの傍にライオン、オポッサム、ハイエナが並んで、林檎の果実を齧る。遠くでは歌い出した林檎の植物族の周りにプレイヤーが集まり、大きな声援が飛び交っていた。
「ああいうひとって、よくいるんですか。挑戦者、というか」
オポッサムは、オオカミの群れのヒグマも、ライオンと勝負をしたがっていたことを思い出して質問をする。
「まあな。あんな輩の考えていることはよく分からんが」
「ゲームプレイに没頭しているんでしょうな。ピュシスに馴染み過ぎていると言いましょうか。動物的、というのは、あのような方々を言うのかもしれません」とブチハイエナ。
「元々荒っぽい性格なだけなんじゃないのか? そういう奴らで集まって、勝手に戦ってくれないものかな」
ライオンが嘆息する隣で、オポッサムがシャクシャクと音を立てて林檎に歯形を付けていく。それを横目にブチハイエナが話を進める。
「同じ群れに所属していると、群れ戦で戦えませんからな。そういった仕様上、各地に散ってしまって、闘争心をたくわえる結果となっているんじゃないでしょうか」
「ふむ」
ライオンは口のなかに広がる林檎の香りを楽しみながら思案を巡らす。本物のライオンは林檎を食べることはないらしい。なら自分はそこまでピュシスに染まり切っていない。まだ人間的と言えるだろう。
オポッサムが口の周りを林檎の汁だらけにしながら、ライオンを見上げた。
「ぼくがもし大型の動物だったら、ライオンさんと戦ってみたいかも。最強ってかっこいいじゃないですか」と言い出した。その言葉にライオンは意外だという眼差しを向ける。
「お前、あいつらの肩を持つのか。こっちの迷惑も考えろ。俺様は自分が最強だとは思っていないし、そう吹聴したこともないぜ。最強だなんてくだらない。所詮は自己満足さ」
それはライオンさんがピュシスで生まれた瞬間から強靭な肉体を与えられているからそう思うんですよ、とオポッサムは心のなかで呟いた。そして戦いという一点において極限まで完成された、その勇猛たる姿を眺めた。
かつて地球の自然で天敵が存在しなかったという頂点捕食者。ネコ科における最上級の体格。大きな口に並んだ牙はその全てが非常に鋭利で、イヌの牙の十倍ほどの太さと長さを誇っている。それが凄まじい顎の力でもって振り下ろされると簡単に命が吹き消える。もしも敵が分厚い皮膚をもってして死を免れたとしても、ライオンはそのまま喉元を噛み潰して容易に窒息させることができる。鉤爪は収納可能になっているので、地面をたたいて不用意に音を立てることもなく、擦り減らないので常に尖った状態が保たれている。前肢での攻撃は、クマすら一撃で屠ることができる破壊力があるとされ、キリンの背に飛び乗れるほどの身軽さをも併せ持つ。更には最大の特徴であるたてがみ。たてがみは究極の防御機構であり、例えトラの牙であっても絶対に通すことはない。戦うために生まれた体。生命の奇跡の一端だ。オポッサムはこんなにも素晴らしい生き物がいたという地球に改めて驚嘆する。
「お前は変に考えない方がいい。頭を空っぽにしておけ」
ライオンがオポッサムの顔についた果汁をざらざらした舌で舐め取って、ペロリと舌なめずりした。
「そうですよ」
ブチハイエナもその隣に寄り添う。二頭に挟まれながらオポッサムは砂に顔をうずめる。そしてリカオンが、ゲームなんだから楽しめるように楽しめ、と言っていたことを思い出していた。リカオンはこのゲームをシミュレーターだとも話していた。自然を、動植物を、シミュレーションする。それは、生きる、ことをシミュレーションするのと同義だ。生きるために強さを追求し、最強の称号を求めるのは、ゲームの楽しみ方として間違っていない、むしろ真っ当なようにオポッサムには思えた。
三頭の背後では林檎の植物族のライブが最高の盛り上がりを見せはじめていた。しかし渦巻いていた歓声は、突如として阿鼻叫喚に変わる。
「オートマタが来た!」という叫び声が響いた。
顔面を蒼白にしたプレイヤーたちが一斉に散っていき、オアシスの土が無数の足跡で荒される。
「騒ぎすぎたんだ」
「照明灯のせいじゃないのか」
口々に言いながら、プレイヤーが逃げ惑う。
「林檎ちゃんを囲んで守るんだ!」と、その場に留まるプレイヤーたちの姿も見えた。
オポッサムはというと、いつかのようにライオンに咥えられて運ばれていた。
「とんだ幕引きだったな」
ライオンが言いながら、さっさとその場を離れる。その後ろをブチハイエナも駆ける。大量の獲物を前にオートマタは、移り気に色々な動物を追いまわしていたが、最終的にブラックバックに照準を定めたらしく、猛然と黒い毛衣を追いかけて遠のいていった。
オポッサムは運ばれながら、ライオンの肉体の力強い躍動を全身に感じ、それに憧れる愚かしい己を俯瞰していた。そして過去に思いを馳せていた。
狭い樹の洞のなかで、キツネが言っていた。
――化けてばかりいると、自分が分からなくなる。自分がどういう存在なのか、忘れそうになる。お互いの姿をよく見て、よく覚えておこうよ。そうしたら、自分を見失わずに済むからさ。
キツネがいてくれれば。今の自分をどう言うのだろうか。呆れるだろうか。それとも頑張ってると、褒めてくれるだろうか。分からない。分からないのが哀しかった。キツネがいてくれれば……。