●ぽんぽこ12-10 早すぎた埋葬
地中に埋まったピトフーイ。
闇。冷たい。土のにおいが体の芯にまで染み込んでくる。
私は、僕は、負けたらしい。
ただ負けるだけならいい。こんな負け方をしてしまうなんて。
窒息か、圧死か、とにかく体力が減り続けている。苦しくはない。ピュシスのゲーム内感覚に、苦痛は一切設定されていない。
機械惑星での死は”資源”になること。惑星を巡るエネルギーの一部になる。ピュシスの死は肉体をどこへと導くのだろうか。
深い哀しみが、心の泉から湧き上がって、溢れていく。このまま哀しみに浸り続けていたい。もしも、この哀しみが薄れて、過ぎ去ってしまったなら、底に残ったねばついた感情を直視しなければならないから。
けれど、見ないふりをしていても、向こうはこちらをじっと見つめて、視線をそらしてなんかくれない。ゆっくり、ゆっくりと、足音もなく近づいてくるのだ。それに姿はなく、においもない。けれど感触だけはある。いままさに体全体にのしかかっている土のような感触。ねっとりとまとわりついて、心を締めつけてくる。
「だれか……」
――やめておきなよ。
声を出してしまってから、自分で自分をいさめる。
「だれか……」
――もうどうにもならないよ。
土の下。植物族たちがいくら根っこを伸ばしても、モグラたちのように器用に掘り返すことはできない。ヒツジたちも助けにはこないだろう。さっきから水の音が土を伝わって聞こえる。これでバロメッツを遠ざけたのだ。周到な準備。モグラの群れというチームに負けた。
ギンドロはなぜ僕をひとりで戦わせようとしたんだろうか。はじめは値踏みされているのだと思ったが、いま考えるとそれも違うような気がする。いじわるでないのは分かっている。植物族のプレイヤーの思考というのは、長くこのピュシスを遊んでいる人ほど、どこか浮世離れしている。
鳥や動物のプレイヤーは飛びたい、であったり、動き回りたい、と思う。けれど植物族はただあるだけをよしとしている。営みは常にあるが、その精神は死にも生にも歩み寄らずに静止している。もしくはどちらにも進める小舟でゆらゆらと揺蕩っている。
植物の命の始点と終点がどこにあるのか、いまだに僕には理解できない。植物が生まれるのは種が芽吹いた瞬間か、種が生成された瞬間か。後者なら、実はどうなる。樹になっている果実は、命同士がくっついて、重ね合わせ状態ということになってしまう。けど、これについては人間もひとのことは言えないか。母親と赤ちゃんはへその緒でつながっているのだから。前者なら、どうだろう。芽吹いていない種は、どういう存在なんだ。種は生きてもいないし、死んでもいないのか。これは卵がどの瞬間から、生き物になるのかどうかという問いにも近いかもしれない。
植物の死はどこにあるのか。ゲームでは体力というわかりやすい指標があるが、本物の植物はいつ死ぬのか。枯れた植物は死んでいるのか。枯れても根が残っていれば芽吹く植物もあるのだという。根っこが枯れたときが死なのか。それなら挿し木はどうなる。枝から根が生えるなら、死はどこに消えたのか。株分けというのもある。株分けされた二者は同じ命なのか、別の命なのか。
ああ、だめだ。答えのない問いで頭のなかを埋め尽くそうとしても、ほんのわずかな隙間にも、暗い感情は影を落として、染み込んでくる。
「助けて……」
ついに言ってしまった。だれにも言わなかったのに。
いやなことを思い出す。
――免疫系の病気ですねこれ。君の体のなか、毒だらけですよ。
医者はこともなげに言い放つと、商品の値段を計算する商人のように、すぐに余命を断定した。
まっ白な診察室だった。
兄のルルィは怒っていたが、僕はなんとも思わなかった。あまりに衝撃的な出来事があると、感情というのは自己防衛のためにマヒしてしまうらしかった。
時間が経ち、感情のマヒが解けてきたころには衝撃もやわらいでいた。けれど、受け止めたというよりは、どこか遠く、知らない場所の、知らないだれかの物語のように思えてならなかった。逃避ではない。精神と肉体の乖離が起きたのだ。
ピュシスにログインする時間は増えていたし、そこでの肉体は元気そのものだったから、精神が己の肉体の状況について勘違いをしたのだろう。
けれど、動物だって、病気にかかることもある。ピュシスでの病気の状態異常ではなく、実際に地球にいたという動物の話。
動物の世界に医者はいない。病気になったら自然治癒に任せて、治らなければ死を待つだけ。病はふるいのように動物たちをよりわける。カエルツボカビ症なんかは多くの両生類を絶滅させたらしい。
しかし、強い耐性を持つ動物もいる。
地球のデータを閲覧すると、数多くの病気が動物由来で人間へともたらされ、膨大な命を奪っている。しかしその病気を広めている動物そのものが病に侵されたりはしない。
例えばコウモリ。コウモリはエボラウイルスや狂犬病ウイルスをはじめとする怖ろしい病気の病原菌を体に抱えるウイルスのキャリアーでありながら、自分自身は平気だ。これについてはコウモリの持つ特殊な免疫機能のおかげ。通常であれば病気になった体は、体内に侵入したウイルスを攻撃し、撃退しようとする。その攻撃によって体には炎症が起きてしまう。炎症とは防御反応の一種。戦場に刻まれる、むごたらしい焼け跡のようなもの。炎症はやむおえないものでありながら、過度になると人を死に至らしめる症状につながったりする。
けれどもコウモリはこの炎症を起こす機能が低い。ウイルスを倒すのではなく、ウイルスに侵されないようにする防御機能が発達している。剣ではなく、盾だけを一点強化して、防衛しているようなもの。そうすることでウイルスと共存して、生きているのだ。
自分もコウモリであればよかったのに。
そんなことを思う。
ハダカデバネズミでもいい。ハダカデバネズミは無毛でピンク色の肌が露出したネズミ。このハダカデバネズミは老化に対して耐性があり、いくつ歳をとっても老化せず、健康な状態が維持されるというとんでもない生き物。がんに対しても強い耐性を持ち、加えて無酸素状態であっても、かなりの時間平気。
そんな生命力の強さには、うらやましさを覚える。
ピュシスは自分を毒鳥ピトフーイのズグロモリモズにしたが、とんだ皮肉だ。
ゲームで遊ぶときぐらいは毒のことなど忘れたいのに、どうやっても意識させられる。この肉体の毒で相手を倒す行為は大嫌いだ。スキルで鴆の毒を使うのも、同じ理由で嫌。病気の自分の世話をする兄が、毒がうつりでもしたように、弱っていくのに重なるから。
本物のピトフーイなら、自分の毒で死ぬことはない。毒ヘビや毒ガエルなど、有毒生物というのは、当然ながら自身の毒に対する耐性を持っている。
僕は動物に憧れる。
「だれか……」
みじめったらしい声に、思わず溜息がこぼれそうになる。
なんのために、だれに向けた声なのか。自分でも分からない。
そんなとき。
「あっ」
光が射し込んできた。
星の光。夜が更けて、にわかに輝きを増しているようだ。
目の前を覆っていた壁が崩れる。
それから大きな手が見えた。
ひとかき、ふたかき、力強く土をどける。
「生きているか?」
覗いたのはエチゴモグラだった。
「……はい」
敵の長。それは分かっていたが、戦闘意識が頭から抜け落ちている。
モグラは毒の体に触らないように注意しながら、のしかかっていた土をすっかり取り去って、それから一緒にいるホリネズミに枝をどけるように言った。ホリネズミは黙々と、指示された通りに枝を片付ける。
「怖かっただろう」
答えられないでいると、モグラが、
「泣いているようだったから」
「泣いてなんか……」
否定してみるが、よく分からなかった。この肉体は涙を流さない。けれど、泣いていたのかもしれない。
「どうして?」
と、聞いてみる。なにを聞いているのかも、自分で理解していなかった。
モグラは退化して見えやしない目を空に向けて、
「今夜は美しい三日月だろう。研ぎ澄まされた曲刀のようだ」
土に横たわったまま、つられて見上げる。キツツキたちが枝を取り除いた森の天井は夜空にまで抜けていて、吸い込まれそうな満天の星がそこにはあった。
「ここで、ゆっくりと星を見ているといい」
モグラはそう言ってトンネルのなかに戻ろうとしたが、それを呼び止めて、
「僕はまだ飛べます。倒しておこうとは思わないんですか」
「人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり。それに、飛べるからと言って、飛ばないといけないわけでもないだろう」
「後悔しますよ」
「敵に塩を送る、というのはこういう気分なのかもなあ」
「塩で植物族を枯らそうってことですか?」
たずねると、エチゴモグラは豪快に笑って、そのまま返事もせずに去っていってしまった。
土のベッドから出る気にはならなかった。
寝過ごして、二度寝したいような気分だけが残っている。
動物でも、人間でもないような、普遍的なまどろみのなかで、ゆっくりと星を見るときがあってもいいのかもしれない。
夜空を眺めながら、ふとそんなことを思った。