●ぽんぽこ12-6 白牙の原を越えて
一面をクマザサの植物族に覆われた地帯。白で隈取りされたクマザサの葉が大地を隠し、笹の香りが嗅覚を刺激してくる。
六本の尾を持つ無毛の化け物クマ、黒クマになったシロクマ、イワサラウスが、尻尾にツチブタを結わえつけて、騒々しい音を立てながら笹のなかをずんずんと引きずっていく。笹の幹に力強く体ごとぶつかって押しのけながら、藪の出口めがけて一直線にその肉体を躍動させる。
「くるぞ!」
と、ツチブタが猪笹王が現れる予兆を察知した。星明りを反射して、茂みにきらりと輝いた刃。イワサラウスもクマザサの笹の隙間から覗いた大イノシシの牙の切っ先を認める。
尻尾を使った体重移動を駆使した急な方向転換。衝突を避けるルート。蛇行した道が笹藪に刻まれる。
次の進行方向にもまたもや牙の気配。再び方向転換。右に左に避けながら、イワサラウスは大筋の方向を見誤ったりはしない。
猪笹王は笹藪に仕掛けられた罠。トラバサミの如くに黒クマの足を狙っていた。まるで地雷原を通る緊迫感。繊細に、しかし大胆にイワサラウスは突き抜ける。戦う必要はない。クマザサの領域から逃れさえすればいいのだ。足を負傷しているツチブタを連れて、ただ笹の葉擦れの音が聞こえない方向へと鼻先を向け、足を動かし続けるのみ。
逃げに徹する。猪笹王はモグラたたきのように行く先々で突然に現れはするが、背中を笹とつながれているからか、複雑な機動は苦手なようだった。精々短い距離を突進してくるぐらいなもの。それだけでも十分に脅威ではあったが、種が分かれば心構えはできる。覚悟があれば牙の原も、ただの野原と変わらない。
シロクマとイノシシの単純な能力を比較するなら、走力はイノシシに分がある。しかし、迷いのないイワサラウスの走りっぷりは、笹藪という障害物に阻まれていてもなお、神出鬼没の猪笹王の攻撃をふり切るほどの勢いがあった。
勢いのまま走り続けたイワサラウスは、ついに念願である笹藪が途切れる地点に辿り着く。
だが、ここまでくると、相手にも焦りが見えてきた。攻撃は激しさを増し、大イノシシはなんとか黒クマの足を止めようと、牙を突き出し、食らいつこうと必死になっている。
そうしてついには、二頭とも逃がしてしまってはかなわないと思ったのか、イワサラウスではなく、それが抱える大荷物、ツチブタのほうへ矛先を向けてきた。
横から飛び出てきた大イノシシが、手負いの獣にとどめの一撃を仕掛ける。イワサラウスはツチブタが絡まる尻尾を、ツチブタごと振り回して、ハンマー投げでもするみたいな動作で敵の鼻先に衝突させた。吹き飛ばされたイノシシは緑のなかを転がって、そのまま笹に溶けて消えてしまう。
「おい!」と、ハンマー代わりに使われたツチブタの抗議めいた声。
「ごめん!」
謝りながらイワサラウスは、ツチブタが無事か気になって、尻尾のほうに首をねじまげた。
「前を見ろ!」
ツチブタが叫んだ。イワサラウスが目を離した瞬間に、その正面の笹藪が、にわかに膨れ上がっていた。膨張する笹の向こうは、クマザサの領域の外。そこへ到達させまいとする強い意志が凝結して形を成そうとしていた。もはや、なりふり構わずに、力を集中させてきたらしい。
これまでよりも二回りは巨大な大大イノシシがトラにも負けない大牙を見せつけながら、顕現しようとしている。
「わあっ」
すっとんきょうな声と共に、減速しようとしたイワサラウスに、ツチブタは、
「いいから突っ込め!」
と、言葉の鞭をふるった。弱気になりかけていた足取りが、はじけるように前へ向かって進みだす。まっすぐに笹藪の外へ。
笹から芽吹いた蕾が花開くかの如くに大口を開けた巨大イノシシ。その花は食虫植物ハエトリグサのように、獲物を食らい尽くそうとしている。
六尾の黒クマが巨大イノシシの鼻先に前足を向ける。踏んづけて、乗り越えようと試みているのだ。
けれど、そうはさせるものかとイノシシがかち上げる。クマの前足がイノシシの額を打ったが、ここでもやはり相性差。肉食動物と植物族。イワサラウスの前足が跳ね返されて押されてしまう。上体が完全に浮き上がってしまい、ついには、クマザサの領域のなかに弾き戻される寸前。
そんな時であった、なぜか猪笹王の力がわずかに弱まった。大イノシシの体全体が沈んでいる。イワサラウスはがむしゃらにチャンスに向かって手を伸ばし、今度こそ猪笹王の額をがっしりと踏みつけて、背中の笹に乗り上げると、反対側に転がり出た。
でんぐり返しを数度して、ごろんと笹藪の外に脱出。
荒い息。激しい動悸で体ごと波打つ。
ゆっくりと治まって、それから、
――あれ?
と、ふり返る。
尻尾。六本の黒い尻尾でしっかりとつかまえていたはずの仲間。ツチブタが、そこにはいない。
激突の地を改めて見やる。
クマザサの笹藪。自身がいま通り抜けたばかりのそこには、大穴が空いていた。
渦を巻く流砂。その縁はイワサラウスの足元にまで伸びてきている。足を引いて滑り落ちないように注意しながら奥を覗き込む。
流砂が出現した位置にあったクマザサごと、猪笹王は砂の底に沈んだようだ。
そしてツチブタも。
これはツチブタがセト神の神聖スキルで作り出したちいさな砂漠。出し惜しみなく力を使って、可能な限りの領域の土を砂に変えたのだ。シロクマを生かすため。六本尻尾のベルトをふりほどいて、猪笹王にとりつくと、その地を中心にスキルを使い続けて、笹の支えごと猪笹王を砂に押し込み、ついには底深い砂の穴に抑え込んだのであった。
イワサラウスはしばらくその場から動けなかった。
流砂の中央から目を離せない。
この奥でツチブタはまだ戦っているのではないだろうか。それとも砂に押しつぶされて体力が尽きてしまっているか。いずれにせよ、あの足の怪我ではもう這い上がってくることなどできない。
そんなことを思って、足が金縛りにあっていた。
ぞっ、と砂に呑み込まれずに生き残った笹がざわめく。
とたんに正気に引き戻される。
足を止めてはいけない。前を見ろ。ツチブタもそう言っていた。
クマザサは死んでいない。スキルを使用するのにだいぶ命力を消費させたとは思うが、きっとまだ戦える。植物族はシステム上、破格の耐久力が与えられている。そのしぶとさも、無抵抗の壁役ゆえに許されているようなものだったのに、神聖スキルの実装によりだいぶん変わってしまったらしい。ゲームバランスの崩壊ではないかとすら思える。
イワサラウスはいったんスキルを解除して、丸裸の黒クマからふっさりとしたシロクマに戻ると、向かうべき進路を見据える。ツチブタがせっかくつないでくれた道。勝利を目指して走り出す。
森には、いよいよ深まってきた夜の闇が注ぎ込まれていた。
けれど、地面の下に比べれば、摩天楼が輝く街とそれほど変わりはしない。
すこし進むと植物族たちの壁にぶち当たった。樹々が形作る迷宮。幹を寄せ合う植物族同士でバフを掛け合って、岩塊よりも強固な防壁になっている。肉食動物であるシロクマには破れない壁。陸上をいくのはやはり困難。地面を掘りはじめる。
もうツチブタの助けはない。ツチブタは優れた穴掘り技術の持ち主だった。前後の足のすべてを使って穴を掘る。がっしりとした足での俊敏な穴掘りは、ツチブタ自身の体が地面のなかに沈み込んでいくように見えるほど。
けれど本当に、沈んでしまわなくてもいいじゃないか、とシロクマは寂しい気持ちにどうにも囚われている。
思いながらも体は前へ。いまの前は地面の下。爪が触れた場所が前だ。樹の根が届かぬ地中に道を。大地の道こそモグラの群れにとっての勝利への道。シロクマは力強く土をあたりに散らばらせると、大地のなかへと進んでいった。