●ぽんぽこ12-3 綿の檻
ミーアキャットは本道から支道に土を運ぶと、星明りが落ちる場所から地上へ、ばっ、と土をはき出してモグラ塚をつくる。それからひょっこりと頭を穴の外へ。
外にあるのは夜風が鳴らす葉擦れの音。冷えた空気が固まって、土をけばだたせている。見上げるとビルのように高い樹々の梢、そんな樹々よりも高い崖の稜線、そのさらに上を昇りゆく三日月が見えた。
水平方向に視線を向ける。視界いっぱいの緑の森だが、キツツキたちが排除した植物族のぶんだけ、まばらな隙間が開けられている。
敵らしい敵の姿はない。けれど敵はそこかしこにいる。植物たち。植物族のプレイヤー。
森の静寂に、ドドドッ、と工事現場のような連打音。
わん、とミーアキャットが声を発すると、それは止まって、羽音に変わる。
もう一度。わん、とも、ぎゃん、とも聞こえるイヌのような鳴き声。ただしミーアキャットはイヌでもなければ、キャットだけれどネコでもない。マングース科の動物。ちなみに同じく穴掘り上手のプレーリードッグも、ドッグだけれどイヌではなく、こちらはリス科の動物。
ドングリキツツキが、ミーアキャットが顔を出している穴のそばに舞い降りた。顔から腹にかけては白く、背中から翼にかけては黒い羽衣。クマゲラと同じく、頭頂部には真っ赤な羽。目はぱっちりとまん丸。常にびっくりしているような、すこしとぼけた顔つき。
「呼んだ?」
「御屋形様が川の正確な位置を把握したいって」
「川ねえ。ちょくちょく曲がってるうえに、緑が濃すぎて、距離を測るのが面倒なんだよな」
「手伝ってよ。一緒に調べてくれない?」
「いいよ。じゃあおれはあっちを」
「わたしはあっちね」
お互いに別々の方角をくちばしと鼻先で示す。
「ひとっ飛びして戻ってくる。ここで合流しよう」
「わかった」
すぐにドングリキツツキは空へと飛び上がっていく。
ミーアキャットは穴の縁に手をかけて、ほっそりとした胴体を引っ張り出すと、黒いマスカラを塗ったような目をぱちぱちと瞬かせた。尻尾を支えにして、二本の足ですっくと立ちあがり、白褐色の胴体を垂直に伸ばす。背中には黒の横縞模様。尖った鼻先をあちこちに向けながら、水のにおいを探して感覚を研ぎ澄ます。
ミーアキャットは優れた視力を持つが、嗅覚も鋭い。その嗅覚は地中に隠れた虫を見つけられるほど。
さっそく川の流れを発見して、ずんずんと進んでいく。周囲の植物のどれがプレイヤーの植物族で、どれがNPCの植物なのかの見極めも欠かさない。見た目では分からないが、植物族に近づくと第六感が働く。もちろんその第六感はピュシスのゲームシステムがもたらすもの。それによって判別が可能になっている。
川のせせらぎが近づいてきた。少々重い音。なかなかの水量。幅も広いようだ。音に誘われるように藪に足を踏み入れ、向こう側に顔を出す。
と、そこには、まっ白なかたまりがあった。
綿のかたまり。
ふかふかとして、飛び込みたくなってしまうような。
――ヒツジ?
そんな感じだ。しかし、においは植物のもの。だから接近するまで気がつかなかった。
――そういえばギンドロの群れにヒツジが所属しているって聞いたことがあるような……。
けれどヒツジは典型的な草食動物。植物族の群れにいるのには違和感もある。だからミーアキャットは、よくあるいいかげんな噂のひとつであろうと思っていた。ピュシスにはチャットがなければ掲示板やログもない。すべては口伝。古い情報であったり、また聞きがくり返されて別物になってしまったような噂がひとり歩きしていることも多い。
――本当にいたんだ。
ミーアキャットは目を見張る。
けれど、たかがヒツジ一頭、いたからといってなんだというのか、という感じでもある。
そんなことをミーアキャットが考えて後退しようか、様子を見ようか逡巡していると、ヒツジがぐるんとこちらに気づいた。
後退を選択。すぐに藪を引き返す。
そうして、来た道を戻ったそこには、また、ヒツジがいた。
回り込んできたのか。けれどそれなら、いくらなんでも俊足すぎる。
――双子かな。
と、思えるほどだった。瓜二つの肉体。ピュシスで完全に同種の肉体が現れるのは稀なこと。けれど前例がないわけでもない。過去、何度かそんなこともあったという噂を聞いたことがあった。とはいえピュシスの噂など、なんの信憑性もなかったが。
二頭ぐらいならいるかもしれない、と、自身の体長の五倍ほどはあるヒツジとの戦闘を避けて藪に戻る。
横に移動して、また顔を出すと、ヒツジ。
――三頭目?
いくらなんでも多すぎる。
再び引っ込もうとして、背後からの音に気がつく。藪の隙間から無表情なヒツジの瞳が見えた。さきほど遭遇したヒツジが追ってきたのだ。
ミーアキャットははじき出されるように藪から飛び出し、正面にいたヒツジの足を潜った。包囲される前にヒツジたちをふり切ってしまったほうがいい。
樹の幹の裏に回り込んだ矢先、ふわん、と、ぶつかった。
綿。ヒツジだ。
すぐに方向を変える。しかし、ヒツジ。
太い根を潜る。そこにも、ヒツジ。
岩を乗り越える。さらに、ヒツジ。
地面を掘っている時間はないが、地面の下にもいそうな勢いで、ヒツジは数を増していた。
そのヒツジたちはなんだか動物らしくなかった。血が通っていない静物のよう。獣のにおいもしない。するのは植物のにおいだけ。どのヒツジにも共通して、綿毛の背中に植物のヘタのようなものがくっついている。
ミーアキャットは駆け回る。ヒツジたちは地響きと共にそれを追い、ちいさな獣の逃げ場を奪う。
不眠症患者が数えたヒツジ並みの数。
ミーアキャットは取り囲まれ、綿の檻を茫然と見上げた。
檻が狭まる。隙間なく。窒息させようというように。
綿のなかに取り込まれる。
ほんのすこしの圧力。けれど、そのほんのすこしが集まって、おおきな力になっていく。
体力が減っていく。
牙や爪をふり回して戦う。ミーアキャットにはギャングと呼ばれるぐらいに気性の荒い面がある。主食はヘビやサソリやクモ。それらを捕食できるぐらいの力を持っているのだ。
けれど手ごたえがない。暴れるほどに、やわらかい綿毛は絡みつき、余計に身動きがとりづらくなるだけ。
ミーアキャットはもがいた。力の限り鳴き声を上げる。仲間に届けと、喉を振り絞る。
もはや視界は白に塞がれ、雪崩に呑み込まれたかの如くに上も下も分からない。
体力は残りわずか。
ミーアキャットは綿で全身を締め上げられながらも、
――きっと御屋形様なら大丈夫。
と、考えていた。
十分に逃げ回った。ヒツジたちの怒涛の足音は大地を伝って、地中に届いただろう。その振動に気づいているはず。そして適切な対応をするに違いないのだ。
ぷつり、と感覚が途切れた。
それは、体力が尽きた合図。
ミーアキャットは仲間にあとのすべてを託し、戦線離脱を受け入れた。