●ぽんぽこ12-1 第二回戦、渓谷
ゲーム内ではトーナメントの第二回戦がすでに開幕していた。
ライオンの縄張りであるサバンナにイボイノシシが攻め入る。
ホルスタインの縄張りである牧草地にカンガルーが攻め入る。
ヘラジカの縄張りである密林山地にはイリエワニが攻め入る。
そしてギンドロの縄張りには、エチゴモグラが率いる穴掘りのエキスパートたちが攻め入っていた。
うず高くせり上がった崖に囲まれた深い渓谷。戦の開始時刻は夕方。いまは昇りはじめた月が渓谷の底に広がる緑をほのかに照らし出している。崖上からこぼれた雨水が月光を吸いながら滝になり、飛沫と共に、縄張りを横切る一本の大きな川へと注ぎ込まれている。泡立った流れは夜の帳を湿らせて、水を冷たくにおい立たせていたが、そんな香りをかき消すほどの緑が流れを被い隠していた。わずかな隙間を透かして川面に落ちた星明りが植物のドームの内側をプラネタリウムのように煌めかせ、どこか幻想的な風景が夜の美術館に飾られた絵画の如くに浮かんでいる。
ささやくような川のせせらぎが静けさを強調しているような森の最奥。本拠地である植物たちの楽園に、席を外していたギンドロが再ログインしてきた。
白ポプラとも呼ばれるギンドロは、葉の裏側が白銀に輝いており、現れるだけでその場を明るく色づかせる。見上げても足りないような幹の上で、夜風に梢をあずけて、植物の肉体に精神を落ち着かせていると、白く可憐な桜の花と暗い深紅のサクランボを携えた副長のスミミザクラがすぐに声をかけてきた。
「遅かったね」装備しているスピーカーの音量を絞って「お客さんでもきてた?」
「いえ……」
「だいじょぶ? 大変だよね。こんな日も仕事だなんて」
二個一組の小さな果実が鈴のように揺れる。
ギンドロは身震いでもするみたいに大樹の梢を夜風にざわめかせると、
「むやみに現実の話はしないの」と、注意。
「はあい」
スミミザクラは幼い返事を返してから、急にまじめぶった副長らしい声色でスピーカーを鳴らして、
「長に報告します」
「状況は?」
「敵は川の上流、下流の両方から進攻してきてる。数名はオオオナモミがひっつき虫で追跡中。小鳥ちゃんたちが偵察してきた情報と合わせて、おおまかなパーティ数とそれぞれのルートは把握できてる。けど敵の大半は地中にいて正確な位置は分かってない。いつも通り植物族の壁で迷路を作ったけど、地面の下を進んでくるからすり抜けられてる」
「彼らは道を辿るのではなく、道なき地中に道をつくる者たちですからね」
「そうなの。根っこの太い植物族に頑張ってもらって、地中も閉鎖できないかと思ったんだけど、そしたら空からキツツキが飛んできてさ。あちこち刈られて、包囲に穴をあけられてる」
「キツツキですか」
ギンドロがぽつりとこぼす。モグラは土に穴をあける。キツツキは樹に穴をあける。頭全体をハンマーのように使って、固く尖ったくちばしを高速で樹に打ちつけることで幹に穴を穿つのだ。当然ながら頭には激しい衝撃が伝わり、脳しんとうを起こしてしまいそうなものだが、キツツキは脳のサイズがちいさいので平気なのだという。
「ドングリキツツキとクマゲラの二羽がいるみたい」
ドングリキツツキは樹にあけた穴にドングリを貯蔵するというキツツキ。幹全体を覆い尽くすほどのおびただしい量の穴をあける。やられた樹木はマシンガンで蜂の巣にされたような、かなりのグロテクスさを伴う見た目になるので、植物側としてはたまったものではない。
もう一羽のクマゲラはキツツキ科の最大種。ドングリキツツキはツバメぐらいの体長だが、こちらはカラスぐらいの大きさがある。色もカラスに似てまっ黒。頭にだけ赤い羽毛が生えているのが特徴。
「キツツキのほかに鳥類は?」
「あとはウシツツキ。赤いくちばしに突かれたタゲリがやられちゃって、帰ってこないのよ」
ウシツツキはキツツキ科ではなく、ムクドリ科の鳥。ウシなどの動物たちの体をつついて寄生虫を食べる。ピュシスの属性としては肉食の鳥。動物たちの体を綺麗にしてくれるお掃除屋さんだが、傷口をつついて血を啜るというショッキングな一面も持っている。
「三羽はどう散ってますか」
「ウシツツキは上流の方。キツツキたちは下流の同じあたりを飛んでる。キツツキがいるあたりには相手の長のエチゴモグラがいるっぽい」
「肉食のウシツツキは植物にとって相性的に大したことはありませんが、雑食かつ樹を削るプロフェッショナルのキツツキは嫌な相手ですね」
「そうね」
「しかし、それにしても、二羽のキツツキは地下の進攻を空から手伝ってるということですか?」
「たぶん。でも言われるとなんか変よね。地中に隠れてる仲間の居場所を自分たちの動きで知らせてることになる。ウシツツキはそんな行動はとってない。連絡役ではあるっぽいけど、目立たないようにしてる。キツツキは囮かな? どう思う?」
「囮だとしても、キツツキたちを排除しておかなければ、後々の障害になります」
「だね。さっさとやっつけちゃいましょ。モミなんかドングリキツツキに穴だらけにされて泣いちゃってたのよ。許せない。デリカシーないんだから。一応もうマンチニールがキツツキを退治しにいったよ」
世界一危険と言われた毒樹マンチニール。この群れのもうひとりの副長。
「毒のある樹は向こうも警戒しているでしょうから、そうそう近寄ってはくれないでしょう」
「でも下流の方角にはジャイアント・ホグウィードとギンピ・ギンピとトリカブトもいるよ。だれかには触るんじゃない?」
いずれも触れるだけで危険な怖ろしい毒を持つ植物たち。ジャイアント・ホグウィードは人の身長の二、三倍ほどに成長する植物で、樹液に光毒性の物質を含む。樹液が付着した部分に太陽光や紫外線を浴びると皮膚炎、水疱などを生じさせ、目に入れば失明してしまう。けれどいまは夜がはじまったところ。空に太陽がないので、戦闘能力は半減といったところ。
ギンピ・ギンピは自殺植物という別名があるイラクサ科の植物で、その表面にある刺毛に触れてしまうと酸をかけられたような想像を絶する痛みに襲われ、しかもそれは数年に渡って持続するのだという。そのあまりの苦しみに自ら命を絶った者がいるという逸話もあるほど危険な植物。
トリカブトはいわずと知れた毒草。その毒は附子と呼ばれる。鳥の鶏冠に似た紫やピンクの花が特徴で、根には致死性の猛毒が含まれる。根以外にも植物全体、花粉にさえ毒があり、触るだけでも中毒症状が発症することがあるという全身が毒の草。花が開いていない状態ならニリンソウやモミジガサなど似た植物がいるので、キツツキが植物にそれほど詳しくなければ、誤って触れたり、ついばむ可能性があるかもしれないといったところ。
「拠点はどのぐらい踏破されてますか」
「早いところだと外側からふたつ目ぐらいかな」
群れ戦の攻略側であるモグラたちは、拠点と呼ばれる中間地点を外側から順番に巡って、縄張りの中心である本拠地のゴールに到達すれば勝ち。拠点の踏破を省略してゴールすることはシステム上できない。防衛側のギンドロたちは戦開始から終了まで、現実よりずっと早く流れるピュシス内の時間で一日のあいだ、つまりこの第二回戦だと次に夕日が傾く頃までエチゴモグラの群れのだれかひとりでもゴールに到達しないように防がなければならない。
「いっつもだけど鳥の敵って対応が面倒よね。いっそのことゴールを守ってるスナバコノキに出向いてもらおうか。地面の下のやつらをどうやって地上に引っ張り出すかも問題だし」
スミミザクラの相談に、ギンドロはしばし頭を悩ませる。
森の迷宮を地中から抜ける者。空から抜ける者。迷宮の上を飛び越えようとした者はこれまでにもいたが、地下を潜り抜けようとする者ははじめてだった。
「スナバコノキを動かす必要はありません。それから地中は放っておいていいでしょう」
「いいの?」
スミミザクラの怪訝な声。
「ええ。いいの」と、姉が妹に言い聞かすような口調で言って、
「最優先目標はキツツキたち。次いでウシツツキ。空から情報を取られないようにしておけば、いくらでもやりようはあります。伝令をしましょう。タゲリは……」
と、伝令役である小鳥のタゲリを呼ぼうとして、
「ウシツツキにやられたのでしたか」
「そうなのよ」と、スミミザクラ。「だからさ。ピトフーイ。きてちょうだい」
近くの梢で翼を休めていた毒鳥ピトフーイ、その一種であるズグロモリモズがすぐさま馳せ参じる。
「私がタゲリさんの代わりに伝令役を……」
すこしびくつきながら、おずおずとピトフーイが首をすくめて、くちばしを下げる。対してギンドロは特に感情を見せずに「そうですか」と、だけこぼして、スミミザクラから敵の位置を聞き取りながら、すみやかに各植物族たちの配置変更をピトフーイに指示した。
指示をしっかり暗記したピトフーイがオレンジの胴回りを空に向け、黒い翼を広げて飛び立とうとしたところ、ふとギンドロが呼び止めた。
「ピトフーイ」
「なんでしょう」
「連絡は上流から、ケツァール鳥を探していま言った指示を伝えてください。上流の伝達はケツァールに任せて結構です。それが終わったらあなたはすぐに下流へ」
「承知しました」
「下流への情報伝達が終わったら、ドングリキツツキ、クマゲラの両名を倒してきてください。あなたひとりで」
「ちょっと!」
スミミザクラが声を尖らせる。
「ひとりで戦わせるの? ピトフーイをいじめないであげて」
「いじめるだなんて、ひどい誤解です。ピトフーイ。できますよね?」
「……やります」
「ではお願いします」
毒鳥が遠く飛び去っていく。
羽音が空に消えていくのを木肌で感じていたスミミザクラは、じっとりと滲ませた不満をギンドロにぶつけた。
「気にしてないって言ってたのに、根に持ってるんでしょ」
「わたくし。勝ちにいこうと思うんです」
「そんなに意気込まないでも、いままで通りやれば勝てるんじゃないの」
「そうですね。でも、より確実に。そのためにはピトフーイにも頑張ってもらわなければ。あの子は強いのだから、ずっと伝令役でくすぶらせておくのはもったいないでしょう? 戦いを覚えさせなければ」
「ふーん。でも無茶させないであげてよ」
「まあ、一度、死んでもらうぐらいです」
と、言うギンドロに、スミミザクラは声の固さを抜いて、
「それぐらいならいいか」
植物族の命は広く浅い。身ひとつの肉体しか持たない獣たちとは違い、何本もの己の分身、樹々を作り出すことができる。
しばらくしてスミミザクラはいまさら気づいたみたいに、
「でも鳥の肉体って死んだら動けないんじゃないの?」
と、聞くと、
「そうかもしれませんね」
ギンドロはとぼけた声で微笑んだ。