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▽こんこん11-7 恐るべき動物

「……相当、促進剤を打たれたらしいな」

 レョルは吹き飛ばされた衝撃で揺れる頭を抱えて、ふらつきながらうなりにも似た声をヴェロキラプトルに投げかけた。

 当然ながら返事はない。相手は完全なる動物。人間から変質し、半人ハイブリッドを超えた至人パーフェクト。人としての声など失っている。それでも言葉の意味は理解しているのか、ラプトルはレョルが乗った机に散乱している促進剤のアンプルにちらと視線を落とした。

 ここに恐竜がいるということは、かつてピュシスに恐竜の肉体アバターがあったという証拠。けれど、いまのピュシスにそんなプレイヤーは存在しない。

 レョルは地球の古いデータの奥底に眠っていた恐竜という生き物について調べてみたことがあった。いまここにいる恐竜の外観はたしかにヴェロキラプトルの特徴をそなえている。しかし、記録によれば、ヴェロキラプトルはこんなに巨大ではなかった。精々コヨーテぐらいの大きさ。促進剤の副作用か。それとも、人体がその肉体を作り出すり代になったのが原因で巨大化したのか。子ゾウを見れば元になった人体のサイズが影響するのは明らか。子供が元の体なので、本来のアフリカゾウのようなばかでかさにはなっていない。いずれの可能性も考えられる。

 ――これと、一戦交えなければならないのか。

 と、レョルはトラの尻尾が逃走方向に引っ張られる思いがした。

 ふたの開いた檻からは、多数の半人ハイブリッドたちが事態の推移を見守っている。観衆の元、背中を見せて逃げ出すという無様に対して、それが目的完遂のためとあればレョルに躊躇ちゅうちょはなかった。

 しかし目的というならば、戦うべきかもしれない、とも思う。

 目的。それはカリスを破壊するための手勢を得ること。ここで実力を示せば、手っ取り早くこの場の全員を従わせることができる。強者に従うは野生のおきて。最も強いものが、群れの長となる。

 勝ってこう言ってやればいい。

 この場で最も強いのは俺だ、俺に従え、と。

 ――勝てるか?

 ラプトルはじっと動かずに、トラの様子を観察している。

 対格差は倍以上。体重差もそれ相応だろう。力負けするのは組まずとも分かる。

 恐竜、対、哺乳類。

 かつて恐竜を狩っていた哺乳類がいたらしい。レペノマムス・ギガンティクスという、地球で恐竜と同じ時代に生きていたいう肉食哺乳類。狩られていたのはプシッタコサウルスという草食恐竜。しかし、この二頭はいずれも大型犬ほど。レョルと、このヴェロキラプトルにような対格差はなかった。

 そして、ヴェロキラプトルは草食でもない。獰猛な肉食恐竜。なんの手違いか、本来はイヌぐらいの大きさのはずが、ウマよりも大きな図体。

 過去の事例など、いまの異常事態の参考になりはしない。

 相手はまだ動かない。見下されているのだろうか。トラを見下すなど許されることではない。ライオンを思い出し、むかっ腹が立ってくる。だが、圧倒的な強さを有しているのは認めざるをえない。トラと子ゾウの衝突に割って入って、その双方を一瞬で吹き飛ばした。凄まじい力と瞬発力。

 動けない。ひたいから汗が流れる。人間の名残だ。ネコは肉球にしか汗をかかない。自分が半人前の動物であることを意識させられる。完全なるトラであれば、まだ勝ち目があるかもしれないが、それには人間の部分が邪魔だ。

 足元。机の上。吹き飛ばされたレョルが着地した衝撃で散乱した器具の数々。アンプルが目に入る。注入器も。促進剤。これを打てば。

 完全なトラとなっても目的を忘れないだろうか。危惧すべきはそれだ。脳の働きがどの程度変化するのか。元人間のラプトルの瞳には知性のきらめきがあるように見える。ヴェロキラプトルは頭蓋骨の大きさから知能が高かったとされる。もし絶滅していなかったら人間のような知的生命に進化していたとも。恐竜人間ディノサウロイドだ。いや、これはヴェロキラプトルではなくトオロドンの話だったか。記憶があいまいだ。とにかくあれが人間の知性か、恐竜の知性か、それが問題だ。

 トラになった詩人のなげきが、ふと脳裏をかすめる。偶因狂疾成殊類。地球のデータの切れ端。トラの心は狂気か? トラからすれば人間の心こそ狂気だろう。復讐などという心は。

 天秤が揺れる。人間とトラで。

 迷い。

 わずかに、アンプルに手を伸ばす。

 ラプトルが動きを見咎みとがめる。足が曲げられる。跳躍のきざし。レョルはアンプルに飛びついた。つかもうとして、トラの爪ではじいてしまう。逆の手の肉球でキャッチ。ネコの肉球は物がつかめるようになっている。同時に注入器も手に取る。

 促進剤のアンプルを注入器にセット。銃型の注入器。針を刺して、引き金を引けば投与は完了する。

 だが、相手は促進剤を打つまで待ってはくれない。即効性がどの程度かも分からない。打ってすぐに戦えるのか。

 レョルは注入器をくわえ、豪邸のダイニングテーブルのように長々と連なった机の上から飛び降りると、陰に隠れて四足で机の端まで駆けた。直後、ラプトルがレョルのいる位置から逆の端に飛び乗る。机の下をのぞき込むようなしぐさをしながら、ゆっくりと机の上を歩いてくる。

 頭上に最大限の警戒を払いながら、レョルは袖を爪で切り裂き、自らの腕を露出させた。指先から肘あたりまでは、ほとんどトラの手になっている。末端からトラが浸食してきている。

 咥えていた注入器を手に持つ。

 針先を腕に突き立てる。

 引き金が、引けない。迷いが晴れない。人間としてカリスを討つべきだという願いが、亡霊のように頭のなかを彷徨さまよっている。

 足音が近づく。ヴェロキラプトルの特徴である、足の爪の一本にあるシックルクロ―。反り返って、鎌のようになった巨大な爪が、カン、カン、と扉をノックするみたいに、威圧的に机の上を叩く。

 時間がない。やるしかないか、とレョルが爪に力を込めようとしたその時、ラプトルの足元になにかが投げ込まれた。

 びたん、という湿った音。

 ラプトルの頭が音に向く。

 レョルも手を止めて、机の陰から鼻先を出した。

 投げ込まれたものの正体は即座に分かった。かぐわしい香り。

 ラプトルがいつく。

 机の向こうには、投球フォームのまま固まっているノニノエノ。そのさらに向こうでは、飼育室の隅にあった餌の保管庫が開けられている。秘密道具がようやく活躍をして、鍵を開錠したノニノエノが保管されていた餌をパックごと放り投げたのだった。

 餌はひと口で平らげられる。外装のパックだけが器用に吐き出される。

 ノニノエノはもうひとつ餌を投げた。

 またラプトルが喰いつく。

 これもひと口。

 ノニノエノは自分の手元を見る。もう餌を持っていない。両手にひとつずつしか持ってこなかった。

 もっと必要だ、と脳が判断し、体を動かす命令を発した瞬間には、すでにラプトルが目の前に立っていた。

「あぁ……」

 あまりにも情けない声がもれる。同時に別のものもれそうだった。

 巨大なトカゲ。餌のパックと同じく、人間もひと口だろう。

 口の端から鋭い牙がのぞく。

 ――俺、死んだな。

 ノニノエノは思った。そして、恐竜にわれるなんて貴重な体験だな、などと妙な考えが浮かんだ。

 自然とまぶたが落ちた。立ったまま、急に眠気に襲われたように。擬死反応。

 生臭い爬虫類のにおい。触れるほど近くにラプトル。

 ――ソニナさんすまない。

 と、

 ――痛いのは、いやだなあ。

 と、

 ――最期に考えるのがこんなことなのか。

 が、連鎖して押し寄せる。

 それらが通り過ぎた跡には無だけがあった。

 音が消えた。

 視界はとうに閉ざしている。

 においも、いまはなにもしない。


 意識だけを意識して、肉体から乖離かいりしていたノニノエノは、鱗の感触で正気に戻った。

 ラプトルに鼻先でつつかれて、糸が切れたように尻もちをつく。

 まぶたを開くと、鼻息を吹きかけられた。

 それから味を確かめるように舌でべろり。

 しかし、その次にくると思った牙はない。

 ラプトルはノニノエノを喰おうとはしなかった。

 ノニノエノは床についた手を伸ばし、目の前にかざす。視界からラプトルを消そうとするように、大きく開かれた手。その手をラプトルの三本指がつかんだ。加減した力で引っ張って、ノニノエノを助け起こす。

 なるほどな、と机の陰からその光景を見ていたレョルは、動物にかたよりすぎていた自らの思考を深く反省していた。

 注入器をホルスターにしまうような動作でベルトに挟んで、緊張していた体から力を抜く。

 ――餌付け。餌をやって飼いならす。実に人間的だ。はじめから、こうすればよかったのか。

 餌を投げた男を見る。奇抜なヘアスタイル。ドリルのようなリーゼント。リーゼントからは同じくドリルのよう二本の角の先端が突き出している。その角には見覚えがある。ブラックバックだ。

 トラの群れクランの元構成員。俊足を生かして斥候せっこうとして働いていたが、いい加減な報告が多く、使えない手下の典型。いなくなって清々していたぐらいだが、ライオンに鞍替えしたことは大いに気に入らなかった。それ以外ならまだしも、よりによってライオンのところへ。

 餌を投げた機転には素直に関心する。動物プレイヤーとしてはいまひとつでも、人間としては使えるのかもしれない。

 レョルはブラックバックの半人ハイブリッドに声をかけた。

「おい」

「へ?」

 気の抜けた声。ノニノエノはラプトルの鱗をおそるおそる指先つついて感触を確かめていた。ラプトルはリラックスした様子でそれを受け入れている。

「その餌がなんなのか知っているのか?」

 床に落ちた空っぽの保存用パックに視線を向ける。

「……食物フードだろ?」

 他惑星から採掘してきた鉱物由来の加工食品。機械惑星ノモスの住民の唯一の食べ物。

 分かっていながらそう思いたいのか、馬鹿なふりをしているのか、それとも本当に馬鹿なのか、と三つの可能性を吟味ぎんみしながら、レョルは答えを示唆しさする。

「ヴェロキラプトルは肉食だ。その餌だ。肉食がなにを食べるのか、知ってるだろう」

 ラプトルに触れていた手が凍りつく。そして、ゆっくりと引っ込められた。思い当たったらしい。この機械惑星ノモスには一種類の肉しかないことに。飼育室の床に、いままさに散乱しているもの。レョルが牙や、爪で、仕留めた獲物。

 レョルはその肉を喰べようなどとは思わない。人間でいるために喰わなかった。血の味は知っているが、肉の味は知らないまま。喰うためでなく、殺すために殺した。これもまた、実に人間的だ。

「自己紹介が必要かな?」

 レョルはトラ柄になった髪を、トラの爪でかき上げた。人間らしいしぐさで。

 ようやく騒ぎがひと段落したのを感じ取り、檻のなかから半人ハイブリッドたちが出てくる。半人ハイブリッド化の症状がかなり進行したものが多いが、ヴェロキラプトルのように完全に動物になっているものは他にはいなかった。

「話をしよう」

 レョルは机を演説台代わりにして、半人ハイブリッドたちをトラの眼光がんこう煌々こうこうと照らした。

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